『愛は霧のかなたに』:1988、アメリカ

野生動物の保護活動を行っているルイス・リーキー博士の講演会に出掛けたダイアン・フォッシーは、絶滅の危機に瀕しているゴリラの調査に参加させて欲しいと訴える。最初は断ったリーキー博士だが、彼女の熱い思いを承諾することにした。
内戦が続く中央アフリカのコンゴに向かったダイアンは、英語が話せる現地人センバガーレを案内役に雇って山に入った。マウンテンゴリラと出会ったダイアンだが、キャンプにやって来た兵士によって追放されてしまう。
リーキー博士の友人ロズ・カーの元を訪れたダイアンは、内戦の無いルワンダから山に入ることにした。やがてダイアンはゴリラと親しくなるが、バトワ族によってゴリラの子供が連れ去られる。それは国が認めたことだった。
カメラマンのボブ・キャンベルと知り合ったダイアンは、彼に惹かれるようになる。ボブとダイアンは結婚を考えるが、そのためにはコンゴを離れねばならない。ダイアンはコンゴに留まってゴリラの保護を続けることを選び、ボブと別れることにした。
5年後、リーキー博士が死んだ後も、ダイアンはコンゴの山でゴリラの保護活動を続けていた。そんな中、バイヤーのヴァン・ヴェクテンに依頼されて子供ゴリラを捕獲しようとしたバトワ族によって、ダイアンと最も親しかったゴリラのデジットが殺される…。

監督はマイケル・アプテッド、原案はアンナ・ハミルトン・フェラン&タブ・マーフィー、脚本はアンナ・ハミルトン・フェラン、製作はアーノルド・グリムチャー&テレンス・クレッグ、共同製作はロバート・ニクソン&ジュディー・ケスラー、製作協力はリック・ベイカー、製作総指揮はピーター・グーバー&ジョン・ピータース、撮影はジョン・シール、編集はスチュアート・ベアード、美術はジョン・グレイスマーク、衣装はカトリーヌ・ルテリエ、音楽はモーリス・ジャール。
出演シガーニー・ウィーヴァー、ブライアン・ブラウン、ジュリー・ハリス、ジョン・オミラ・ミルウィー、コンスタンティン・アレクサンドロフ、イアン・カスバートソン、ワイグワ・ワチラ、イアン・グレン、デヴィッド・ランスバリー、マギー・オニール、コンガ・ムバンデュ、マイケル・J・レイノルズ、ゴードン・マステン、ピーター・ンデュアチ、ヘレン・フレイザー他。


実際した女性動物学者ダイアン・フォッシーの半生を描いた作品。
彼女はマウンテンゴリラの保護に力を注いだが、54歳の時に何者かに殺された。
そんなダイアンをシガーニー・ウィーヴァーが演じ、本物のゴリラと共演している。

大事なことは、ヒロインが動物愛護主義者だということだ。
しかも、アメリカ人である。
そんな人間に、悪い奴はいないのである。
そんなヒロインの考え方は、全て正しい。
彼女の行動に、間違っている部分など全く無いのである。

ダイアンはマウンテンゴリラの真似をすることで、ゴリラに接近して親しくなる。
それは普通の人間ならば、無謀な行動と言われてしまうのかもしれない。
だが、彼女は動物愛護主義者だ。
よって、それは果敢なチャレンジと言うべきだろう。

ダイアンはバトワ族の墓を荒らしてしまい、彼らに包囲される。
しかし、彼女はアメリカ人である。
だから現地の風習や状況を知らずに墓を荒らした彼女が悪いのではなく、彼女を取り囲んで恐怖を与えたバトワ族の方が悪いのである。

バトワ族はずっとゴリラを売ることで生計を立ててきたのだし、国は貧しい財政を支えるためにゴリラを売ることで民衆の暮らしを支えてきた。
それを考えれば、国やバトワ族を非難するよりも、ゴリラを買う金持ち連中に批判の目を向けるべきかもしれない。
しかし、ダイアンは密猟を繰り返すバトワ族と容認するコンゴを攻撃対象とする。
「バトワ族は先祖代々、ゴリラを売って家族を養ってきた」というボブの意見に、ダイアンは全く耳を貸そうとしない。
なぜなら彼女にとって、そんな主張はちっとも正しくないからだ。

ダイアンはバトワ族の子供を捕らえ、脅迫する。
バトワ族の男を捕らえ、人々の前で絞首刑の真似事をする。
バトワ族の集落を襲い、焼き討ちにする。
しかし1人の死者も出していないのだから、ダイアンの行動は悪くないのだ。

ダイアンはチフスが流行しているというウソの噂を流し、観光客をコンゴから減らそうとする。
それでも山に入ってきた観光客には、銃を向けて発砲する。
ゴリラを守るためには、何をやっても許されるのだ。
動物愛護主義者は、常に正しいのである。

 

*ポンコツ映画愛護協会