『悪魔のような女』:1996、アメリカ

元尼僧で心臓の弱い女性ミアは、全寮制の男子校“聖アンセルム学園”の校長をしている。ミアの夫で理事長を務めるガイは、生徒のことなど全く考えない経営を続けている。ガイは暴力的な男で、女教師のニコールという愛人まで作っている。
耐え続けていたミアは、ニコールからガイの殺害計画を持ち掛けられる。ニコールもミアと同じように、ガイの暴力に苦しめられていたのだ。計画に同意したミアは離婚話を理由にガイを呼び出し、ニコールの家で睡眠薬を飲ませて風呂場で殺害する。
ミアとニコールは、ガイの死体を学校に運び、プールに沈めた。ガイが事故で溺死したように見せ掛ける計画なのだ。だが、死体がなかなか浮いてこない。ニコールが理由を付けて職員にプールの水を抜かせると、ガイの死体は消えていた…。

監督はジェレマイア・チェチック、脚本はドン・ルース、製作はマーヴィン・ワース&ジェームズ・G・ロビンソン、共同製作はゲイリー・ダイグラー、製作総指揮はジェフリー・オフセイ&チャック・バインダー&ゲイリー・バーバー&ビル・トッドマンJr.、撮影はピーター・ジェームズ、編集はキャロル・リトルトン、美術はレスリー・ディレイ、衣装はロウレン・スコット、音楽はランディ・エデルマン。
出演はシャロン・ストーン、イザベル・アジャーニ、チャズ・パルミンテリ、キャシー・ベイツ、スポルディング・グレイ、シャーリー・ナイト、アレン・ガーフィールド、アダム・ハン=バード、ドナル・ローグ、ダイアナ・ベラミー、クレア・ルイス、ジェフリー・エイブラハムズ、オニール・コンプトン、ビンゴ・オマリー、スティーヴン・リスカ、ジム・キシッキ、ケヴィン・ヴィネイ他。


アンリ・ジョルジュ・クルーゾーが監督を務めた、1955年の同名のフランス映画のリメイク。ニコールをシャロン・ストーン、ミアをイザベル・アジャーニ、ガイをチャズ・パルミンテリ、女探偵シャーリーをキャシー・ベイツが演じている。

オリジナルの方は、名作と呼ばれるサスペンス映画だった。
そんな名作を甦らせるに当たって、そのまま同じ内容をなぞるだけでは意味が無い。
というわけで、この作品は捜査に当たる人物を男から女にするなど、様々な点で変更が加えられている。

ガイを殺そうとする、死体が浮いてこない、死体が消えてしまう、女探偵に付け回される、などスリルを感じさせる要素は幾つもありそうなのだが、ちっともスリリングにならない。
この辺りは、あえてスリルを消してオリジナルとの差別化を図っているのだろう。
女探偵が何のために登場したのか分からなくなっているのも、差別化を図った効果だろう。

何より重要なポイントは、オリジナル版の終盤にある展開は、既に観客に知られているということだ。
そのネタバレを防ぐために、リメイク版ではドンデン返しの中身を捻っている。
そして、悪魔のような女は、映画の中から消えて無くなってしまった。

いや、きっと悪魔のような女は存在していたのだ。
その女は、目に見えない形で存在していたのだ。

例えばミアがワザとらしいまでに犯人だとバレそうな行動を取るのは、きっと見えない“悪魔のような女”に魔法でも掛けられたのだろう。
ニコールが終盤になって唐突に改心するのも、きっと見えない“悪魔のような女”に魔法でも掛けられたのだろう。
ただし、そういったシーンは映画では描かれない。
なぜなら、目に見えない存在だからだ。

そして、失敗が目に見えているのに、製作サイドを無謀なリメイクに挑戦させたのも、きっと見えない“悪魔のような女”の仕業なのだ。
そうに違いない。


第17回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低新人賞[目新しい“お堅い”シャロン・ストーン]
<*『悪魔のような女』『ラストダンス』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会