『おさるのジョージ/Curious George』:2006、アメリカ

アフリカのジャングルでは、子ザルが動物の子供たちと遊んでいる。子象にシマウマの模様を描いたりして楽しんでいた子ザルだが、親の象 が来て叱られた。夕方になると、他の動物たちは親に連れられて帰っていった。一方、ニューヨークの博物館では、唯一の館員テッドが 見学の子供達に古代の話をしている。だが、子供達は、すぐに退屈してしまう。子供達は、学校の先生マギーに引率されてやって来た。 マギーは毎週木曜、博物館を訪れる。彼女はテッドに好意を抱いているのだが、テッドは全く気付いていない。
テッドはブルームズベリー館長に呼ばれ、「客が来ないので博物館は閉鎖になる」と聞かされた。館長の息子ジュニアは、取り壊した跡地 を駐車場にする計画を立てていた。テッドは博物館の存続を訴え、そのために新しい展示をしようと持ち掛けた。アメリカのザガワ族の 失われた石像を見つけ出し、それを博物館の目玉として展示しようというのだ。
かつて館長は、その古代の石像を探しに行くために地図を用意していた。しかし今の館長は年老いてしまい、探検は無理だ。テッドは勢い で、「自分が行く」と言ってしまった。館長がテッドばかり可愛がることに嫉妬したジュニアは、密かに地図を破り捨て、石像の場所を 書き換えた。テッドが探検服を買いに出掛けた店では、ちょうど黄色い服を大量発注したマネージャーと店員が困っていた。そこで彼らは テッドに「黄色い服が流行している」と嘘をつき、その服を売り付けた。
船に乗ってアフリカに到着したテッドは、現地ガイドのエドゥーたちと共にジャングルへ分け入った。その様子を見ていた子ザルは、休憩 しているテッドの黄色い帽子を盗んだ。子ザルは帽子の中に入り、テッドにちょっかいを出した。テッドは、しばらく子ザルの遊びに 付き合うが、帽子を取り戻して先へ進むことにした。すると、子ザルはテッドの後を付いて来た。
ついに石像を発見したテッドだが、落胆するハメになった。伝説では巨大な石像とされていたが、見つけたのは手のひらサイズの小さな物 だったのだ。携帯電話に館長からの連絡が入ったので、テッドはサイズが分からないような状態で石像を写真に撮影し、館長に送信した。 館長は石像が巨大だと思っているが、テッドは「戻ったら説明します」とだけ告げて電話を切った。
また子ザルに帽子を取られたテッドは、「あげるよ」と告げ、船でニューヨークへ戻ることにした。だが、子ザルは密かに、その船に潜入 していた。テッドがニューヨークへ戻ると、「12メートルの巨大な石像」を宣伝する垂れ幕やポスターが街のあちこちにあった。タクシー に乗ったテッドを、子ザルが追跡した。子ザルを見た人々は驚くが、テッドは追われていることに気付かない。
アパートに到着したテッドに、館長からの電話が入った。館長は、記者会見を開くので来て欲しいと告げた。テッドは、黄色い帽子と 子ザルを見つけて驚いた。動物の匂いを嗅ぎ付けた管理人アイヴァンは、部屋にやって来た。アパートはペット厳禁なので、慌ててテッド は子ザルを隠した。テッドはアイヴァンから、「ペットを見つけたら立ち退いてもらう」と宣告された。
子ザルがいなくなったため、テッドは窓からアパートの屋上へと向かう。最上階のペントハウスに住むオペラ歌手プラッシュボトム夫人は、 壁の塗り替えを頼んだ職人たちに文句を付けていた。職人たちが帰った後、プラッシュボトムは風呂に入った。子ザルは部屋に侵入し、 ペンキ缶に足を突っ込んでしまった。子ザルはペンキを使い、壁にジャングルの絵を描いた。
窓からペントハウスを覗き込んだテッドは、誤って転落してしまった。彼は、子ザルが浴槽にペンキを流し込んでいる姿を目撃した。 入浴中のプラッシュボトムは、全く気付いていない。テッドは子ザルを連れ出そうとするが、プラッシュボトムに見つかった。テッドが 取り繕って去ろうとしたところへ、アイヴァンが現れた。テッドは「子ザルはペットじゃない、全く知らない」とシラを切るが、壁には テッドと子ザルが手を繋いでいる絵が描かれていた。
テッドは子ザルと共に、アパートを追い出された。テッドは博物館に出向き、記者に見つからないよう裏から自分の部屋に入った。テッド が悩んでいる様子を、ジュニアが目撃していた。ジュニアは石像がミニサイズだということを知り、ほくそ笑んだ。テッドの部屋に発明家 クロヴィスが現れ、2千ドルの請求書を渡した。館長が巨大石像の展示のために、ステージを新設したのだ。テッドは館長に石像を見せ、 事実を説明した。
テッドと館長が話していると、記者を引き連れたジュニアが乗り込んできた。テッドはジュニアから記者会見を要求されるが、なかなか 真実を明かせない。テッドは子ザルは恐竜の骨組みに乗って遊んでいるのに気付き、「それはダメだ」と叫ぶ。慌ててテッドは駆け寄るが、 子ザルは恐竜の展示物を壊してしまった。テッドと子ザルは、ジュニアによって博物館から追い出された。
テッドは動物管理局に電話を掛け、子ザルの保護を頼んだ。しかし、その日の業務は終了しており、引き取りは翌日になると言われる。 アパートに戻ることも出来ず、テッドは公園で野宿をするハメになった。子ザルは寝床を用意し、テッドを招いた。子ザルはホタルを彼の 口に入れ、イタズラをする。苛立っていたテッドは、子ザルに付き合う内、笑顔になっていた。
翌朝、目を覚ましたテッド、近くの動物園から「サルがいるぞ」という子供の声がするのを聞いた。慌てて動物園に駆け込んだテッドは、 誤ってペンギンの水槽に転落した。水槽から出たテッドは、子供たちを連れて見学に来ていたマギーと遭遇した。子供たちの中に、あの子ザル がいた。子ザルはテッドを見つけると、すぐに抱き付いて来た。子供たちからサルの名前を聞かれたテッドは、「名前は無い」と答える。 名前を付けるよう要求されたテッドは、「ワシントン」という意見を反対され、「ジョージ」と名付けた。
子供たちがジョージと遊んでいる間に、テッドはマギーと2人きりになった。いい雰囲気になったところで、子供たちがテッドに呼び掛けた。 ジョージが幾つもの風船を持ったまま、空に飛ばされたのだ。テッドは自分も大量の風船を持ち、空を飛んでジョージを追う。ジョージと テッドは、そのまま街まで飛ばされる。ジョージの風船は割れてしまうが、テッドが救出した。
空から博物館を眺めたテッドは、「石像を巨大化できれば全て解決だ」と考え、クロヴィスの元へ向かった。テッドがクロヴィスと話して いる間に、ジョージは発明品の一つを操作した。それは、物体を巨大なホログラム映像として映し出す機械だった。それを見たテッドは、 機械を使って石像を巨大化することを思い付いた。彼はクロヴィスにトラックを借り、機械を運ぶことにした。
テッドはトラックに機械を乗せ、博物館へ向かう。同じ頃、博物館の前には石像目当ての行列が出来ていた。館長はイベントの中止を発表 するようジュニアに指示したのだが、ジュニアは聞いていないフリをしたのだ。困っている館長の元へテッドからの電話が入り、「解決 方法が見つかりました。イベントは出来ます」と告げた。ジョージは機械のスイッチを押し、自分を巨大化した映像を出現させた。その せいで交通麻痺が発生するが、運転しているテッドはジョージがやったことに全く気付かなかった。
博物館に到着したテッドは、館長に機械を見せた。館長は機械で巨大化した石像を見て喜んだ。ジュニアは「お客を騙すなんて」と批判的 な意見を述べるが、館長は「お宝を見せると約束し、それを見せるんだ」と意に介さなかった。また館長がテッドばかり可愛がるため、 ジュニアは苛立った。彼は飲んでいたコーヒーを、密かに機械へ流し込んだ。そして、コーヒーのカップをジョージに持たせた。機械は 壊れてしまい、それはジョージのせいにされた。
外に出たテッドは、集まっていた人々に「博物館は閉鎖します。石像はありません」と発表した。テッドは気楽な様子のジョージに腹を 立て、「お前とは暮らせない」と追い払おうとする。そこへ動物管理局の局員が現れ、ジョージを捕獲した。局員は「アフリカへ送り返す」 と告げ、テッドの前から去った。テッドは街を歩きながら、ジョージと過ごした楽しい時間を思い起こした。テッドはジョージを取り戻す ため、アフリカ行きの貨物船が停泊している港へ向かった…。

監督はマシュー・オキャラハン、原作はマーガレット・レイ&H・A・レイ、原案はケン・カウフマン&マイク・ワーブ、脚本は ケン・カウフマン、製作はロン・ハワード&デヴィッド・カーシュナー&ジョン・シャピロ、製作総指揮はボニー・ラドフォード&ケン・ ツムラ&ジェームズ・ウィテカー&デヴィッド・ベルナルディー、編集はジュリー・ロジャース、美術はヤーロウ・チェニー、音楽は ヘイター・ペレイラ、オリジナル歌曲はジャック・ジョンソン、音楽製作総指揮はハンス・ジマー&キャシー・ネルソン。
声の出演はウィル・フェレル、ドリュー・バリモア、デヴィッド・クロス、ユージン・レヴィー、ジョーン・プロウライト、ディック・ ヴァン・ダイク、フランク・ウェルカー、エド・オロス、ビリー・ウエスト、ジェフ・ベネット、マイケル・チニャムリンディー、クリント・ハワード、 マイケル・ソーリッチ、キャス・ソージー他。


ハンス・アウグストとマーガレットのレイ夫妻による絵本“ひとまねこざる”シリーズを基にしたアニメーション映画。
監督は、これまで『シュレック』や『リトル・マーメイド』など多くのアニメ映画にスタッフとして参加していたマシュー・オキャラハン で、これが長編第一作。
テッドの声をウィル・フェレル、マギーをドリュー・バリモア、ジュニアをデヴィッド・クロス、クロヴィスをユージン・ レヴィー、プラッシュボトムをジョーン・プロウライト、館長をディック・ヴァン・ダイクが担当している。

原作のエピソードは幾つか使っているが(ペンキで壁にジャングルを描くのは第2作の『ひとまねこざる』、ロケットに乗るのは第4作の 『ろけっとこざる』)、絵本のシリーズとは切り離して考えた方がいいだろう。ジョージ&黄色い帽子のおじさん(原作では名前が付いて いない)のキャラクターだけ借りてきて、ほぼオリジナルで作られていると解釈すべきだ。
「原作と比べて云々」という見方になると、ちょっと厳しいものがあると思う。
原作では、ジョージは勝手にニューヨークへ付いて来るわけではない。第1作『ひとまねこざるときいろいぼうし』で、おじさんが ジョージを無理矢理に捕まえて船に乗せ、街の動物園に連れて行くのだ。それに、おじさんは博物館員でもない。
っていうか、第2作『ひとまねこざる』では映画業界にいたが、何の仕事をしている人なのか、ちょっと良く分からない。

その辺りを原作と違う設定にしたのは、悪くない判断だと思う。
無理矢理にジョージを都会に連れて来て動物園に入れるような男が主役では、その手の団体から抗議が来るだろうし、子供に付き添う 保護者も眉をひそめるだろう。
でも、原作では、そうなっているのよね。まあ、時代が、それを許したのかもしれないな。
今だったら、そんな設定の絵本は企画段階でボツだろう。

原作のジョージ(私が読んでいた絵本では「じょーじ」と平仮名表記だったが)は、人間に近い扱いをされることも多かった。
第2作『ひとまねこざる』では窓拭きのアルバイトをするし、第3作『じてんしゃにのるひとまねこざる』では新聞配達を手伝う。
つまり、半ば擬人化されている部分も見られたのだ。
しかし本作品のジョージは、あくまでも「サル」としての扱いになっている。

本作品のテッドは原作とは異なり、ドジばかりやらかしているキャラ設定になっている。
しかし、これはやめた方が良かった。その一方でジョージの悪戯キャラもあると、笑いを作り出す際の焦点がボヤける。テッドは、 あくまでもジョージのイタズラに翻弄されるキャラにしておくべきだ。
この映画だと、ジョージが悪戯を仕掛けなくても、テッドが勝手にドジをやらかして色々なトラブルを巻き起こしている。
ジョージが関与しないところでも喜劇を転がしていけるというのは、作りとして違うでしょ。
テッドの部屋を覗いていたジュニアが転落してしまうシーンなども、彼が勝手に落ちているが、そこはジョージを絡めるべきだ。とにかく 、どんなシーンであっても、「トラブルのあるところにジョージあり」という形にすべきなのだ。
また、巨大化したジョージ映像のせいで交通麻痺が起きているのに、テッドが気付かないままシーンが終わるのも、どうかと思うぞ。

ジョージが恐竜の骨組みを壊すのは、イタズラの域を超えている。
そこは例えば、館長を小悪党キャラにでもしておけば、ジョージのイタズラのせいでテッドがクビになっても、「あんな職場なら辞めて 正解」と思えるので、そのイタズラの悪質さも軽減される。
それに、破産の危機を迎えているのに、先走ってステージ代に高額を使った館長の行為も、善玉キャラでなければ納得しやすくなる。

テッドはマギーと動物園で2人きりになった時に、彼女から自分目当てで博物館に来ていたことを仄めかされ、いい雰囲気になる。
でも、序盤にも同じように自分目当てで訪れていることを仄めかされていたのに、その時は全く気付かない鈍感ぶりだった。なのに、今度 は分かるってのは、ちょっと違和感を覚える。そこでも、また気付かない方が自然に思える。
あと、2人の恋仲が成就する際にも、やはりジョージを絡めるべきだと思うんだよな。

テッドはホログラムによる巨大映像マシーンを博物館に持ち込んで「これで全て解決」と言っているが、何も解決していないでしょ。それ は小さい石像を映像で巨大に見せているだけのインチキだ。
なぜか館長は納得しているが、ジュニアの言う「お客を騙すなんて」という意見の方が正しいよ。
装置を壊したジュニアが悪者になっているが、テッドがやろうとしていた行為も悪いぞ。
でも、そのことに関して、後で罪悪感を抱いたり、反省したりする様子は全く無いのよね。

この映画では、上映時間の3分の2ぐらいは、テッドがジョージよりも博物館のことで神経を使っている。
テッドの気持ちは、それほどジョージに向いていない。
「イタズラばかりのジョージに困らされていたテッドが、離れてみて初めて寂しさを覚える」という全体の大枠は見えるが、前半部分に おいて「イタズラを繰り返すジョージ」より「博物館の問題」にテッドの気持ちが向いている。
そっちがメインになっているために、ジョージが去った後にテッドが寂しさを抱くという展開に、上手く繋がっていない。

最後にテッドは、集まった子供たちに向けて「本当の学習というのは、経験と好奇心から生まれるものです」と語る。
その言葉自体は、別にいい。
ただし、だからって子供たちに「経験による学習」をさせるために、博物館に落書きコーナーやフリー クライミングのコーナー、ロケットのコーナーを設置するのは違うでしょ。
博物館なんだから、あくまでも博物館という範囲の中で、自分の考えを実践する施設を作るべきだ。落書きとかフリークライミングとか、 博物館と何の関係も無いじゃねえか。
それと最後、ジョージがロケットに乗り込み、「クロヴィスが本物の燃料を入れていました」ということで動き出し、テッドも乗り込んで 宇宙へ飛び出すというのは、展開が飛躍しすぎでしょ。
そりゃ原作でも『ろけっとこざる』で、なぜかジョージが宇宙飛行士に選ばれてロケットに乗る展開があるけど、そんなトコだけ原作から エピソードを拾って来なくてもいいのに。

サーフ・ミュージックの大物ジャック・ジョンソンによる優しい声、穏やかな曲調の歌が、幾つかのシーンで挿入されている。
その場面ではセリフが無くなり、完全に「歌を聞かせる」という演出になる。
そのジャック・ジョンソンの歌が入ると、グッと印象がアップする。
っていうか、この映画の最大の売りは、そこだよな。
子供向けアニメ映画で、それじゃダメなんだけど。

(観賞日:2009年1月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会