『狼の血族』:1984、イギリス&アメリカ

少女ロザリーンは、屋根裏部屋に閉じ篭って眠り続けている。両親が帰宅し、姉がドアをノックしても、全く起きる気配が無い。彼女は、夢を見ていた。自分が中世の村娘になっている夢だ。ロザリーンの姉は、森で狼に殺された。棺が埋葬された日、ロザリーンは祖母に預けられることになった。ロザリーンは、森の中にある祖母の家へ行く。ロザリーンは祖母から、昔話を聞かされる。
その昔、若い娘が眉毛の繋がった行商人と出会い、結婚した。しかし、行商人は小便に行くと行って家を出たまま戻らず。娘は狼に殺されたのだと考えた。時が過ぎ、娘は別の男と結婚して子供にも恵まれた。ある冬の夜、急に行商人が戻ってきたが、性格は凶暴になっていた。彼は狼に変身するが、そこへ駆け付けた娘の夫が首を切り落とした。
ロザリーンは幼馴染みの牧師の息子から、一緒に森へ散歩に行こうと誘われた。ロザリーンは森へ行くが、牧師の息子と離れて木に登る。そこで彼女は、鳥の卵が割れて小さな赤ん坊の像が出現するのを目撃した。一方、牧師の息子は狼を発見し、慌てて村へ戻る。ロザリーンの父は娘を置き去りにしたと激怒するが、彼女は何事も無く戻ってきた。
村の男たちは、狼を退治するために森へと向かった。その間に、ロザリーンは母親に祖母から聞いた話をする。その昔、ある村娘が領主の息子に裏切られた。妊娠した彼女は、その男の結婚披露宴に姿を現した。村娘の呪いによって、披露宴の参列者は全て狼に変身した。村娘は出産し、赤ん坊に狼の声を聞かせた。
ロザリーンの父は狼を仕留めたが、その足は人間の手に変貌していた。ロザリーンは祖母の家へ行くことにしたが、その途中で猟師に出会った。猟師はロザリーンを誘惑し、賭けを持ち掛けた。彼女より先に祖母の家に到着したら、キスを貰うという賭けだ。そして猟師は、ロザリーンより先に祖母の家に到着した。彼は狼男の本性を現し、ロザリーンの祖母を食い殺した…。

監督はニール・ジョーダン、原案はアンジェラ・カーター、脚本はアンジェラ・カーター&ニール・ジョーダン、製作はクリス・ブラウン&スティーヴン・ウーリー、製作総指揮はスティーヴン・ウーリー&ニック・パウエル、撮影はブライアン・ロフタス、編集はロドニー・ホランド、美術はアントン・ファースト、衣装はエリザベス・ウォーラー、特殊メイクアップ効果デザインはクリストファー・タッカー、音楽はジョージ・フェントン。
出演はアンジェラ・ランズベリー、サラ・パターソン、ミッシャ・バージーズ、デヴィッド・ワーナー、グラハム・クラウデン、キャスリン・ポジソン、スティーヴン・レイ、トゥッシー・シルバーグ、ブライアン・グローヴァー、ジョージア・スロウ、スーザン・ポーレット、シェーン・ジョンストン、ドーン・アーチバルド他。


アンジェラ・カーターの短編小説を基にしたダーク・ファンタジー。
モチーフは御伽噺の『赤ずきん』。
祖母をアンジェラ・ランズベリー、ロザリーンをサラ・パターソン、猟師をミッシャ・バージーズ、父をデヴィッド・ワーナー、行商人をスティーヴン・レイが演じている。
アンクレジットだが、テレンス・スタンプが、車で森に現れる悪魔の役で1シーンだけ出演している。ちなみにノーギャラだったらしい。

映画の中で童話『赤ずきん』のストーリーに沿っているのは、残り30分ぐらいになってからの部分。
ロザリーンが酒とパンをバスケットに入れて祖母の家に行くことになり、その途中で猟師に出会う。その猟師が狼男になって祖母を食い殺し、ロザリーンにも襲い掛かろうとする。
その辺りは、『赤ずきん』としての原型を留めている。

『赤ずきん』というのは昔から、メルヘンの中でも特に精神分析に良く用いられた題材だ。
例えば「少女がエディプス的欲求を満足させようとすることへの危険を描いている」とか、「ワインは処女の象徴」とか、「赤い頭巾は月経の象徴」とか、様々な学派から色々な解釈が生まれてきている。
ただし、この映画の場合は『赤ずきん』をヒントにしているとは言っても、かなり異なっている。
例えば童話とは違って父親が登場するし、猟師が狼を退治するのではなく狼そのものとして登場する。少女は食べられた後で狼の腹の中から出てこないし、代わりに石を詰め込むことも無い。
それらのことから考えて、精神分析の方面に対する意識は、監督には全く無かったものと思われる。

それでも、仮に精神分析学的な見方をしようと思えば、出来ないことはない。
例えば森にある巨大なキノコをペニスの象徴と解釈するとか、人間大の人形やヌイグルミは男性への性的興味の表れだとか、木の上で鏡を見るのは自己愛の表現だとか、何度も登場するカエルは変化を望むロザリーンの心情を示しているのだとか。
『赤ずきん』がモチーフなので、当然の如くロザリーンは赤いショールを着用しているのだが、それだけでなく、オープニングで眠る彼女はケバケバしいぐらい赤い口紅を塗っているし、夢の中で木に登った彼女も紅を唇に塗る。
赤は「男を誘う娼婦の色」というイメージの色である。その色にロザリーンの性的好奇心が象徴されているという解釈は、それほど的外れでもないだろう。

シャルル・ペロー版の『赤ずきん』においては、最後に「若い娘が見知らぬ男の誘惑に簡単に乗せられてはいけない」という教訓が用意されている。
その部分に関しては、この映画でも使っているようだ。
ロザリーンは最初から男への強い興味を示しているし、異性に対する好奇心と恐れの間での揺れ動きも見せている(好奇心の方が遥かに強いようだが)。母親に「セックスの時に痛くないのか」と尋ねているし、猟師に抱き締められても全く嫌がらない。

ただしロザリーンは「男」というよりも、「狼」に対する興味を強く示しているように思われる。
例えば祖母から村娘と行商人の話を聞いた後のシーン。
ロザリーンは狼になった行商人ではなく、村娘を平手打ちした新しい夫を非難する。
村の男たちが狼退治に出掛けた後、母親に対して「狼が悪いんじゃない」と擁護する発言もしている。
それは一応、最後に待っている展開(ネタバレだが、ロザリーンは狼になって森へと去っていくのだ)への伏線という意味なのかもしれない。

まあ、あまりマトモにストーリーを解釈しようとか、筋道を追い掛けようとは考えない方がいいと思う。
不条理の連続なので、「なぜ」「どうして」と考えても、たぶん納得できる答えを見つけるのは困難だろう。
メルヘンだったら何をやってもいいのかというと、そういうわけでもないのだが、でも監督がやっちゃってるんだから仕方が無いのである。

 

*ポンコツ映画愛護協会