『オータム・イン・ニューヨーク』:2000、アメリカ

友人ジョンと共にレストランを経営するウィル・キーンは、女性との恋愛をその時その時で楽しむ主義で、長続きさせる気はまったく無い。 彼は新しい恋人リンと公園でデートをするが、急に別れを告げる。「まだ1ヶ月も交際していないのに」と驚くが、ウィルの意志は固い。 リンに別れを告げる時、ウィルはボートを漕いでいる少女が気になっていた。
ウィルはレストランで客に挨拶し、友人エリコに声を掛ける。そこへ、ドリーという老婦人が近付いてきた。ドリーは、事故死したウィル の友人ケイティーの母親だ。ドリーは孫娘、つまりケイティーの娘シャーロットの誕生日パーティーでレストランに来ていた。ウィルはドリー から、シャーロットが帽子のデザインをしていることを聞かされる。
翌日、ウィルはシャーロットに電話を掛け、美術館主催のパーティーへ一緒に行く女性のために帽子をデザインしてほしいと依頼した。 シャーロットはデザインした帽子を抱え、ウィルのマンションへ出向く。ウィルは女性がドタキャンしたと告げ、代わりに行かないかと 誘う。シャーロットは喜び、ウィルと共に美術館へ行く。ウィルがシャンパンを取りに行っている間に、美術館職員リサがシャーロットに 話し掛けて来た。しかしウィルが気付くと、慌ててリサは立ち去った。
ウィルはシャーロットとキスを交わし、そして体を重ねた。翌朝、ウィルは「君に与えられるのは、こういう時間だけだ」と言い、長い 交際を約束できないと告げる。シャーロットは「分かってる」と口にして、自分が胸の病気で薄命であることを明かした。ウィルはドリー から「あの子はダメよ」と言われ、シャーロットに「やめるなら今の内だ」と言うが、彼女は笑って受け流した。
シャーロットが苦しんだため、ウィルは彼女を病院へ連れて行く。ウィルは担当医から、シャーロットが急速に転移する腫瘍を胸に抱えて おり、それが大きくなっていることを聞かされる。既に手は尽くしており、手術しても助かる可能性はゼロに等しいのだという。そして シャーロット自身が手術を受けないという書類にサインをしており、余命は長くて1年だという。
ウィルとシャーロットは交際を続け、ジョンのホーム・パーティーに出掛けた。リンと再会したウイルは、屋上で体を重ねた。帰りの タクシーでシャーロットに問い詰められたウィルは、「寝ていない」と笑って否定する。だが、シャーロットは心臓の鼓動でウィルのウソ を見抜いた。ウィルは「俺はこういう男だ」と開き直り、その場を立ち去った。
帰宅したシャーロットは、ドリーからケイティがウィルを好きだったことを聞かされる。さらにドリーは、ウィルがケイティーの友人ミリー を妊娠させたことを明かした。一方、ウィルのマンションにはリサがやって来た。リサは、ウィルとミリーの娘だった。リサと話した後、 ウィルはシャーロットに会いに行き、関係を修復した。だが、シャーロットの病状は悪化していく…。

監督はジョアン・チェン、脚本はアリソン・バーネット、製作はエイミー・ロビンソン&ゲイリー・ルチェッシ&トム・ローゼンバーグ、 共同製作はアンドレ・ラメル、製作総指揮はテッド・タネンバウム&ロン・ボズマン、 撮影はクー・チャンウェイ、編集はルビー・ヤン、美術はマーク・フリードバーグ、衣装はキャロル・オーディッツ、 音楽はガブリエル・ヤレド、音楽監修はピーター・アフターマン。
出演はリチャード・ギア、ウィノナ・ライダー、アンソニー・ラパーリア、エレイン・ストリッチ、ヴェラ・ファーミガ、シェリー・ ストリングフィールド、ジル・ヘネシー、J・K・シモンズ、サム・トラメル、メアリー・ベス・ハート、カリ・ローチャ、スティーヴン ・ランダッツォ他。


『ラストエンペラー』やTVシリーズ『ツイン・ピークス』に出演した女優で、『シュウシュウの季節』で監督業にも進出したジョアン・ チェンがメガホンを執った作品。
監督2作目にしてハリウッドのメジャー映画ということになる。
ウィルをリチャード・ギア、シャーロットをウィノナ・ライダー、ジョンをアンソニー・ラパーリア、ドリーをエレイン・ストリッチ、リサをヴェラ・ファーミガ、 ジョンの妻をシェリー・ストリングフィールド、リンをジル・ヘネシーが演じている。

この映画は、滑り出しから失敗していると思う。
ウィルは最初の内、悪びれることなく遊びまくっているイヤな奴としてのイメージを見せておかないと、「シャーロットと触れ合うことで変化していく」というものが見せられない。
にも関わらず、彼がリンに別れを告げるシーンからして、申し訳無さそうな表情のままで全く崩れることが無い(つまりポーズではないということだ)。
最初からウィルをシャーロットを意識しているという描写も違うだろう。最初の内は、シャーロットが一方的に気にしているという関係にしておくべきだ。
あと、シャーロットがウィルのどこに惚れたんだか良く分からないのだが、そこは「リチャード・ギアはモテモテ男の役 が多いモテ俳優だ」というパーソナル・イメージに頼っているんだろうと解釈しておこう。

シャーロットがウィルの浮気に怒るシーンがあるが、その態度はやめた方がいい。
それは、「最初から相手が遊び人だと知っていて付き合ったのだから怒るな」ということではない。
そこは何も言わず笑顔で受け止める、耐え忍ぶという態度にしておいた方が、「ウィルが遊び人から真剣な気持ちに変わる」という部分での効果が大きくなると思うからだ。
シャーロットが訴えることによって変化を要求するのではなく、ウィルが自発的に変化していくという形の方がいいのではないか。

使い古されたネタを寄せ集めて、何の捻りも無い陳腐な話として仕立て上げたシナリオもダメなんだろうが、監督が話の捉え方を根本的に 間違っているんじゃないかと思う。
ウィルを最初から「女性に対する気持ちが真面目な人」として描写するのは違うだろう。
紳士的に振舞うのはいいとしても、全くイヤミが無いのはイカンだろう。
とにかく「女たらしだけど憎めない人」では困るのだ。
むしろ女の敵であるべきだ。
これは『ある愛の詩』じゃなくて、『ギター弾きの恋』のような話になるべきではなかったのか。

ウィルがシャーロットを口説き落とす描写にしても、普通のロマンスとしてのモノでしかない。
「遊び人が軽い気持ちで」という印象は無い。
「女を泣かせる救い難い男」とジョンに称されているような奴にしては、ウィルのシャーロットに対する態度には最初から誠実さがありすぎる。
シャーロット1人に対してでさえ、「最初は軽いノリ、遊び感覚だったものが次第に真剣な気持ちになっていく」という変化が見られないのだ。
ようするに、これは「イケメンのオッサンと薄命の少女の悲恋」の部分だけで成立する話になっているのだ。
オッサンが女を取っ替え引っ換えしている遊び人だったという設定や、オッサンが少女の母親と友人だったという設定や、その母親の友人を妊娠させて娘がいると いう設定は、話の展開において何の影響も与えないのである。

だからウィルとリサの関係にしても、「最初はウィルが会うことを拒否したりギクシャクした関係だったりしたものが、シャーロットと 交際する中で心情に変化が生じ、リサへの態度も変わっていく」ということで使えるはずなのに、全く絡めていない。
リサは極端に言えば、シャーロットの外科医を探す手伝いのためだけに出てきたようなものだ。
ウィルのケイティーやミリー、リサに対する気持ちも、サッパリ分からない。ウィルとシャーロットの関係に、ケイティーのことが絡んでくることも無い。


第21回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低スクリーンカップル賞[リチャード・ギア&ウィノナ・ライダー]


第23回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の主演女優】部門[ウィノナ・ライダー]
<*『オータム・イン・ニューヨーク』『ロスト・ソウルズ』の2作でのノミネート>
ノミネート:【最悪のカップル】部門[リチャード・ギア&ウィノナ・ライダー]

 

*ポンコツ映画愛護協会