『アンナと王様』:1999、アメリカ

1862年、バンコク。夫を亡くした英国人のアンナ・レオノーウェンズは、10歳になる息子のルイを伴い、船で港に到着した。宮殿から迎えが来ないので、彼女は人力車で向かうことにした。シャムのモンクット王は、チュラロンコーン皇太子に西洋の教育を学ばせたいと考えた。貧しい生活を余儀なくされていたアンナは、家庭教師の仕事に飛び付いたのだ。宮殿に到着した彼女は、クララホム首相と面会した。クララホムは自分の前で跪かず、個人的なことへの質問を嫌がるアンナに腹を立てた。
アンナは宮殿の外に住まいを用意するという条件で仕事を受けていたが、クララホムは宮殿で暮らすよう指示した。アンナは約束を破ったモンクットに憤慨し、「非文明的で無礼よ。英国人は家とプライバシーが必要よ」と吐露する。しかしルイはインドで生まれ育ったため、英国での暮らしを全く知らなかった。モンクットの弟のチョファは、女子供も含む大勢の村人が惨殺され、死体が吊るされた村を訪れた。生き残りの村人は彼に、ビルマの軍隊が吊るしたままにするよう脅迫したことを説明した。
バンコクに着いて3週間後、ようやくアンナはモンクットと面会できることになった。案内役のクララホムは、国務が多忙だったと告げる。王の前では額が床に着くまで平伏するよう指示されたアンナは、「この習慣には慣れても、祖国の習慣は捨てません」と拒んだ。彼女がモンクットの元へ行くと、フランスの軍人たちと会っていた。クララホムは日を改めるよう告げるが、アンナは勝手にモンクットに近付く。護衛が剣を抜くと、モンクットが制止した。
モンクットはアンナの無礼な態度に不快感を見せるが、同行を許可した。彼はアンナに、全ての子供たちの指導を要求する。モンクットはアンナに、23人の妻と42人の側室、58人の子供たちがいて10人が増えることを話した。彼は子供たちにアンナを紹介し、英語だけでなく科学や文明も学んでほしいと述べた。モンクットは第一夫人のティエンもアンナに紹介し、彼女にも勉強を教えてほしいと頼んだ。そして彼は、「この国が生き残るためには改革の実現が鍵になる」と語った。
アンナはモンクットに、宮殿の外に住まいを与える約束が守られてないことを告げる。モンクットが宮殿内に住むよう促すと、彼女は抗議する。モンクットが「命令に従え」と言うと、アンナは「私は使用人ではなく客です」と反発する。モンクットは「報酬を貰う客だ」と告げ、対話を打ち切った。翌朝、新しい側室となるタプティムが、駕籠で宮殿へ向かった。恋人のバラットが追い掛けて「君を愛してる。いつまでも思い続ける」と訴えるが、兵士たちに止められた。
アンナは学校で授業を始めるが、些細なことでルイとチュラロンコーンが喧嘩になった。アンナは罰として、2人に文字の書き取りを指示する。ルイは従うがチュラロンコーンは拒否したため、アンナが終わるまで待つことにした。夜になっても父が助けてくれないと悟ったチュラロンコーンは、仕方なく罰に従った。彼はアンナと話し、素直に耳を傾けた。苦悶する女性の声を聞いたアンナが様子を見に行くと、侍女が鎖で繋がれて屋外に放置されていた。
次の日、アンナは奴隷の一件について、クララホムに抗議した。繋がれていたのは、側室のマンダウンの侍女だった。マンダウンは有力な一族の娘で、侍女が自由を求めて金を渡すと、受け取った上で不届き者として鎖に繋いだのだ。クララホムは「時が解決する問題だ」として、アンナの抗議を却下した。モンクットはアラク将軍の前で、ビルマ軍の残虐な行為への懸念を口にした。「ビルマ軍の背後で英国人が糸を引いている」と彼が言うと、アラクは「争いに介入するためです」と話す。「お前は繁栄と平和を望まぬようだ」とモンクットが告げると、彼は「平和が続けば国民は軟弱になります」と語った。
アンナはチュラロンコーンから、なぜ同じ人間で主人と奴隷の違いがあるのかと質問される。アンナは返答に困り、「同じ疑問を持った人が書いた小説がある。まずは読んで」と『アンクル・トムの小屋』を渡した。タプティムは涙を堪え、モンクットを迎えた。アンナは侍女を逃がし、その代わりとしてマンダウンに指輪を渡した。マンダウンの抗議でモンクットに呼び出されたアンナは、「私を採用する手紙に、シャムの近代化を計りたい、法の統治国にしたいと書いてありました。だからお受けしたのです」と述べた。
マンダウンが奴隷を返すよう要求すると、モンクットはクララホムに指示して「奴隷でも自由を買い戻す権利がある」という法について説明させた。モンクットはルイとチュラロンコーンの喧嘩の仲裁に関して、アンナに「息子を保護しすぎる」と告げる。アンナは「殿下非を悟ってほしかったのです」と述べ。自分の正当性を主張した。彼女はティエンからタプティムを紹介され、英語を教えるよう頼まれた。タプティムから英語を書けるようになってモンクットを喜ばせたいのだと言われ、アンナは快諾した。
船で川を移動する時、アンナはルイから王の旗にある白いゾウの意味を問われた。それを知ったモンクットは幼い娘のファー・インに促し、「旗の色は勇気と思いやりを意味している」と説明させた。彼はルイに、「白いゾウは珍しい。豊穣祭へ行く途中で出会えるかも」と教えた。モンクットはアンナとルイのため、宮殿の外に大きな家を用意していた。使用人のモンシーやビービたちが先に入り、アンナたちを迎える準備を整えていた。
モンクットは豊穣祭へ向かう途中、アンナに『アンクル・トムの小屋』を見せて「この本は息子に勧めないでくれ。あの子なりに疑問はあるだろうが、改革には時間が必要だ」と告げた。その夜、英国人が売却を拒んだ相手に腹を立てて家を去る時、木陰から様子を見ていた武装集団のリーダーは手下たちに「あの英国人は傷付けるな」と命じた。英国人は武装集団に気付き、その場から去った。武装集団は家に押し入り、住人を惨殺した。
翌朝、モンクットはチョファから、「英国人との商売を拒む者は殺されます。ビルマの殺し屋の背後には英国人の匂いがします」と報告を受けた。アラクが将校を招集しようとすると、モンクットは「英国が敵なら、戦場で勝敗が決まるような他界にはならない」と止めた。彼はアンナに、「英国の貴族と外交官を招いて夜会を催す。仏領インドシナは我々の脅威だ。シャムが英国と外交関係を強めれば、フランスはシャムに手を伸ばすことを控える」と述べた。
アンナはモンクットから、夜会でももてなしを任された。3週間という短い期間でアンナは準備を進め、夜会の日だけは王の前で家臣が立つことを容認してもらった。夜会の日、英国からは貴族のジョン・ブラッドリー卿と夫人を始めとする大勢の来賓が出席した。アラクはブラッドリー夫人の前で、タクシン王への崇拝とモンクットへの不信感を口にした。東インド会社のマイクロフト・キンケイドは悪酔いし、「大勢の女を独り占め。不公平だな」とモンクットに嫌味を浴びせた。モンクットは腹を立てず、穏やかに受け流した。
キンケイドが「英国は優れた民族だ」とシャムを見下す態度を取ると、アンナは憤慨して「誰が文化や伝統に順位を付けるんですか?銃で脅して決めている順位では?」と反論した。意見を求められたモンクットは、「同意する」と静かに告げた。ブラッドリーはシャムとの友好について演説し、乾杯の音頭を取った。モンクットは来客に対し、「英国の習慣にならって食後のワルツを」と告げた。彼はアンナを誘い、一緒にワルツを踊った。その様子を見た参加者は、アンナがモンクットの新たな妻だと解釈した。
翌日、アンナはビービを伴って市場へ買い物に行く。アンナを目撃したバラットは近くにいた少年に頼み、タプティムへの手紙をアンナに渡してもらった。チョファはアラクに、敵はタクシンがビルマを攻める時に使った道を利用する恐れがあると告げる。アラクは彼に、軍の招集を約束した。アンナは差出人の正体を知らないまま、タプティムに手紙を渡した。モンクットはアンナを呼び、「ビルマに軍を出動させないといけない。背後には英国がいる」と告げた。
モンクットは夜会を手伝ってくれた礼として、アンナに指輪を差し出した。アンナは驚き、「これは受け取れません」と断る。タプティムはバリットが仏門に入ったことを手紙で知り、僧侶の一団として宮殿に来た彼と目を合わせた。アンナはクララホムから、ファー・インがコレラに感染したことを知らされた。バンコクでは珍しい病気であり、家臣たちはファー・インの魂を天国へ送るために読経した。ファー・インはモンクットに抱かれ、息を引き取った。アンナはファー・インが自分の名を何度も呼んでいたことをクララホムから聞かされ、涙をこぼした。
ファー・インの葬儀を終えたモンクットは、子供たちの前で激しく苛立つ様子を見せた。アンナは彼に、子供たちを連れてピクニックへ行こうと持ち掛けた。アンナは「夫のトムが死んだ時、ルイが救いになった」と言い、心を閉ざしたモンクットの力になろうとする。だが、モンクットは「まだ夫の死を受け入れていないから、息子を守り、贈り物を拒否するのだ。私に説教するな」と怒鳴った。その夜、彼はアンナにリンカーン大統領から届いた手紙を見せ、「貴方の諌めは正しい」と告げた。モンクットはアンナにキスしようとして思い留まり、「これからは貴方の望むことを子供たちに教えてくれ。ただし私に報告を」と述べた。
チョファはアラクと部隊を率いて、ビルマの陣営へ乗り込んだ。すると陣営には誰もおらず、アラクは「殿下の勘が的中した」と祝福する。チョファは「敵の逃げ足が早すぎる」と疑念を抱くが、アラクは祝杯を挙げるよう促した。チョファがアラクを怪しんでいると、酒を口にした兵士が倒れた。アラクは酒に毒を混ぜ、チョファと部隊を抹殺しようと目論んでいたのだ。チョファは逃亡を図るが、アラクに射殺される。アラクは自分も殺されたように偽装し、ビルマとの戦争を煽った上でモンクットの子供たちを皆殺しにしようと企む…。

監督はアンディー・テナント、原作はアナ・リオノウンズ、脚本はスティーヴ・ミーアソン&ピーター・クリクス、製作はローレンス・ベンダー&エド・エルバート、製作総指揮はテレンス・チャン、共同製作はジョン・ジャシュニ&G・マック・ブラウン&ウィンク・モーダウント&ジュリー・カークハム、製作協力はエリック・エンジェルソン、撮影はキャレブ・デシャネル、美術はルチアーナ・アリジ、編集はロジャー・ボンデリ、衣装はジェニー・ビーヴァン、音楽はジョージ・フェントン。
出演はジョディー・フォスター、チョウ・ユンファ、バイ・リン、トム・フェルトン、ジェフリー・パーマー、ランダル・ダグ・キム、シード・アルウィ、リム・ケイ・シュー、メリッサ・キャンベル、キース・チン、マノ・マニアム、シャンシーニ・ヴェヌゴーパル、ディーナ・ユソフ、アン・ファーバンク、ビル・スチュワート、ショーン・ガジ、K・K・モギー、ダーマ・ハラン・アル=ラシード、ハリス・イスカンダル、ユソフ・B・モハド・カシム、アフドリン・シャウキ、スウィー=リン、ロバート・ハンズ、リム・ユー=ベン、ケネス・ツァン他。


アナ・リオノウンズの手記『英国婦人家庭教師とシャム宮廷』を基にした作品。
監督は『愛さずにはいられない』『エバー・アフター』のアンディー・テナント。
脚本は『バック・トゥ・ザ・ビーチ』『ダブル・インパクト』のスティーヴ・ミーアソン&ピーター・クリクス。
アンナをジョディー・フォスター、モンクットをチョウ・ユンファ、タプティムをバイ・リン、ルイをトム・フェルトン、ブラッドリーをジェフリー・パーマー、アラクをランダル・ダグ・キム、クララホムをシード・アルウィ、チョファをリム・ケイ・シュー、ファー・インをメリッサ・キャンベル、チュラロンコーンをキース・チンが演じている。

「気が強くてプライドが高く、相手が総理だろうが王様だろうが生意気な態度を取る」というヒロインとしては、ジョディー・フォスターはピッタリのキャスティングと言ってもいいだろう。
しかし古き懐かしき雰囲気を感じさせるようなロマンスに関しては、まるで似合っていない。
っていうか、どうやら本人もロマンスに対する意欲は乏しかったようだ。だからチョウ・ユンファとのキスシーンは拒否し、手の甲へのキスに変更させたらしい。
だったらロマンスの要素を排除して、アンナとモンクットの関係は「身分を超えた友情」という形に割り切ってしまった方が良かったかもね。

チョウ・ユンファには、王様としての気位の高さや威厳が今一つ足りていない。
一応、アンナの無礼な態度を咎めたりする様子もあるけど、最初から優しさや柔和な部分が見え過ぎているんだよね。
ホントなら、モンクットは「アンナに影響されて大きく変化していく」というキャラじゃないとダメなはず。
これはアナ・リオノウンズを主人公にした伝記小説の映画化である『アンナとシャム王』や『王様と私』じゃなくても、共通する部分のはずなのだ。

しかし実際のところ、本作品のモンクットは最初から心が広くて開放的だ。
「英国の方が優れているし、自分は常に正しい」というアンナの高慢な態度に対して、意見を述べたり苦言を呈したりすることはあるものの、厳しい処分を下したり激しい怒りをぶつけたりすることは無い。常に穏やかに接し、寛容な態度を取る。
アンナが勝手な言動を見せても、それを受け入れて許容する。
そんなモンクットがアンナに感化されて変化する部分は、そんなに多くないのだ。

モンクットがアンナの態度について、軽く笑いながら「王と同格だと思っている」と評するシーンがある。この解釈は、その通りなのだ。
アンナは自分が雇われの身という意識が乏しく、常に自分が正しいと思っている。
「郷に入りては郷に従え」という言葉があるが、アンナには通用しない。彼女はシャムの流儀に順応する気など皆無で、英国式の方が優秀だから、そっちを選ぶべき」という認識だ。
っていうか、彼女が唱える英国式ってのは、実際は「アンナによるオレ様主義を貫く」ってことだ。

途中で大勢が惨殺されている村をチョファが訪れるシーンや、タプティムが宮殿へ来るシーンが挿入される。
だけど、こういうのが邪魔にしかなっていない。
そこを無くし、モンクットがビルマ軍の行動に言及するシーンと、アンナがタプティムを紹介されるシーンに入っても、そこまで大きな支障は無いんじゃないかと思ってしまう。
それで生じるデメリットよりも、前述のシーンを挟むことで流れが遮断されるデメリット方が遥かにデカいんじゃないかと。

豊穣祭の後、アンナはルイから「パパは良く葉巻を吸ってた。パパに似てるからママは王様が好きなの?」と質問され、うろたえる様子を見せる。肯定はしないが、その反応からするに、明らかにアンナはモンクットに惚れている。
だけど、どの辺りで恋愛感情が芽生えたのか、それはサッパリ分からない。
不快感が好意に変化したのは分かるけど、恋心までは感じ取れなかったぞ。
どうやら古典的なメロドラマをやろうとしているみたいだけど、だとしたらジョディー・フォスターはミスキャストじゃないかな。

夜会のエピソードでは、モンクットがアンナを誘ってワルツを踊る展開がある。わざわざワルツのシーンを用意するぐらいなので、そこはミュージカル『王様と私』で使われた『Shall We Dance?』を流すんだろうと思っていた。
ところが、まるで別の曲が流れるのだ。
いや、そこは絶対に『Shall We Dance?』じゃないとダメでしょ。それを使わないのなら、ワルツを踊るシーンなんて要らないよ。
あと、その前にモンクットがアンナからワルツを教わる手順も無くて、普通にリードしているんだよね。練習する手順も無いので、それも含めて「それならワルツのシーンなんか要らないわ」と言いたくなるぞ。

夜会の翌朝、アンナが市場へ出掛けるとバラットが登場する。でも、その時までバラットの存在なんて完全に忘れ去っていたわ。そして彼だけでなく、タプティムの存在も忘れていたよ。
バラットの出番が少ないのはともかく、タプティムの存在感が弱すぎるのは大いに問題だ。
後半の展開やモンクットとアンナの関係を描く上で、タプタィムは大きな鍵を握る存在になるのだ。
それを考えると、もう少し彼女の出番を増やしてストーリーに絡めておかないと、構成としてマズいでしょ。

タプティムが仏門に入ったバリットと視線を合わせるシーンからカットが切り替わると、クララホムがアンナに「ファー・インがコレラになった」と伝えている。バンコクでは珍しい病気ってことで助けるのは無理ってことで、家臣たちは魂を天国に送るお経を唱えている。
なので、そこから「アンナがファー・インを救うために何か行動を起こす」みたいな展開でもあるのかと思ったら、直後にファー・インは死亡する。
すげえ淡白だなあと思っていたら、「アンナが娘を亡くしたモンクットの力になろうとする」という部分を描きたかったようだ。
ファー・インは、そのために都合良く使い捨てにされる存在と言ってもいい。それまでも出番はあったけど、そんなにガッツリって感じでもなかったしね。ほぼ死ぬために登場するキャラと化している。

他にも色々なことを描かなきゃいけないので、ファー・インに多くの時間を割いている余裕は無いってのも分かるよ。
ただ、そもそも手を広げ過ぎているんじゃないかと。壮大なスケールで描きたかったのかもしれないけど、もう少しフォーカスを絞り込んでも良かったんじゃないかと。
その後にはアラクが本性を現してチョファを暗殺する展開があり、こちらが佳境に入っているのに、タプティムの不義が露呈して裁判に掛けられるエピソードが入っちゃうし。
もうさ、そんな場合じゃないだろうと。

その裁判では、アンナが判事を批判し、「陛下も許しませんよ」と怒鳴る。そんな余計な行動を取ったせいで、モンクットはタプティムに恩赦を与えて死罪から救おうとしていたのに、それが出来なくなる。
外国人女性であるアンナが「王を動かせる」という発言をしたせいで、恩赦を与えてしまうと「モンクットは彼女の言いなりになる情けない王様だ」ってことになるからだ。
だが、それを知らされてもアンナは全く後悔せず、モンクットを「貴方の面目のために何人が死ぬの?」と批判する。
いやいや、テメエのせいでタプティムとバリットは処刑されるんだよ。
反省しろよ。罪悪感を抱けよ。

(観賞日:2022年3月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会