『アナスタシア』:1997、アメリカ
1916年のロシア。皇帝のロマノフ一族は、王制300年を迎えて祝賀会に沸いた。だが、妖僧ラスプーチンの呪いによって、ロシア革命が勃発する。ニコライ二世は玉座を追われ、8歳になる末の娘アナスタシアは暴動の中で行方不明となった。
10年後、サンクト・ペテルベルグ。18歳になる孤児アーニャには、幼い頃の記憶が無かった。過去についての唯一の手掛かりは、「パリで会いましょう」と刻まれたネックレスだ。孤児院を出ることになった彼女は、パリへと向かうことにした。
かつて宮殿で働いていたディミトリは、今は元貴族のウラジミールと組む詐欺師となっていた。アーニャと出会ったディミトリは、彼女をアナスタシアに仕立てて、ロマノフ家のマリー皇太后から巨額の礼金を巻き上げようと企み、パリへの旅に同行する。
アーニャはバルトークから、貴族としての教育や知識を教え込まれた。一方、ラスプーチンは子分であるコウモリのバルトークから、アナスタシアが生きていることを知らされた。アーニャ達はラスプーチンの妨害を受けながらも、パリへと辿り着いた。
ディミトリは、アーニャが宮殿の隠し扉について話したことで、彼女が本物のアナスタシアだと気付く。ディミトリはマリーにアーニャを引き合わせ、謝礼を受け取らずに去った。記憶を取り戻したアーニャは社交界にデヴューするが、ラスプーチンが襲って来る…。監督はドン・ブルース&ゲイリー・ゴールドマン、脚本はスーザン・ゴーシャー&ブルース・グレアム&ボブ・ツディカー&ノニ・ホワイト、アニメーション・アダプションはエリック・タックマン、製作総指揮はモーリーン・ドンリー、編集はフィオナ・トレイラー、劇中歌作詞はリン・アーレンズ、劇中歌作曲はスティーヴン・フラハーティー、オリジナル音楽はデヴィッド・ニューマン。
声の出演はメグ・ライアン、ジョン・キューザック、クリストファー・ロイド、アンジェラ・ランズベリー、ケルシー・グラマー、ハンク・アザリア、キルステン・ダンスト、バーナデット・ピータース、リック・ジョーンズ、アンドレア・マーティン、グレン・ウォーカー・ハリスJr.、デブラ・ムーニー、アーサー・マレット、チャリティ・ジェームズ、リズ・キャラウェイ、レイシー・シャベール、ジム・カミングス、ジョナサン・ドキッツ他。
ディズニー出身のドン・ブルースとゲイリー・ゴールドマンが監督を務めたアニメーション映画。20世紀FOXが設立したアニメーション・スタジオの第一回作品。ブロードウェイ・ミュージカルの世界で活動する作詞家リン・アーレンズと作曲家スティーヴン・フラハーティーが、初めて映画の劇中歌を担当している。
アナスタシアの声をメグ・ライアン、ディミトリをジョン・キューザック、ラスプーチンをクリストファー・ロイド、マリーをアンジェラ・ランズベリー、ウラジミールをケルシー・グラマー、バルトークをハンク・アザリア、幼い頃のアナスタシアをキルステン・ダンストが担当している。なお、この映画はアフレコではなくプレスコである。アナスタシア、ディミトリ、ラスプーチン、幼いアナスタシアの歌に関しては、声の担当者とは別の人物が担当している。アナスタシアの歌声を担当したリズ・キャラウェイはブロードウェイで活躍しており、『キャッツ』などに出演した人物だ。
多くのディズニー出身者が製作に携わっているせいなのか、FOXの独自性はあまり感じない。キャラクターの絵柄がディズニーっぽいし、ミュージカル映画という形式もディズニーを感じさせる。
FOXのアニメというより、ディズニー改訂版といった感じ。アナスタシアに、あまり魅力を感じない。可愛げの無い、性格のひねた娘にしか見えない。彼女とディミトリの恋にしても、「反発しながらも惹かれていく」というのを見せたいのかもしれないが、「悪態をつきながらも所々で優しさをみせる」というわけでもないし、どこで何故に惹かれるようになったのか、ちょっと良く分からない。
ラスプーチンとバルトークは、個人としてのキャラクターは立っている。しかし、アナスタシアがパリに行って祖母と会うラインが強すぎるのか、ラスプーチンがアナスタシアとマトモに絡むのは終盤だけ。最後は、あんまり盛り上がらずに終わる。最新のコンピュータ技術を駆使し、幾層もの合成が行われている。1600万種類のデジタルカラーで彩色されている。しかし、金と技術を使うポイントを間違えたのか、どうも安っぽい印象を受ける。何よりも、手描きのセル画とCGが上手く溶け合っていない個所が目立つ。背景からキャラクターが浮き上がって見える所も少なくない。
俳優を使ってライブ・アクションを撮影し、それをアニメーションに作り変えている。デフォルメを少なくしてリアルな動きを表現したかったのだろう。だが、それなら実写で作ればいいのであって、アニメで実写に近付こうとする意味があるのかどうかは疑問だ。人物の動きの実写っぽさ、実写で言う所のカメラの動きが少ないこと、それとロングショットの多さも手伝って、「背景はそのままでキャラクターだけを動かしています」という、悪い言い方をすれば「手抜きしている」ことが目立ってしまう。構図が目まぐるしく動くのは、暴走列車のシーンとクライマックスぐらいだろう。
ミュージカルシーンでさえ、動きの面白さに乏しい。例えばパリの街でのミュージカルシーン、実写っぽくキャラクターが動くのだが、だったら実写でも似たようなシーンは作れるだろうと思ってしまう。
そうなると、それをアニメで見せる意味はどこにあるのかと。