『アメイジング・スパイダーマン2』:2014、アメリカ

ピーター・パーカーが4歳の頃、オズコープの研究者だった父のリチャードは重要な機密を知った。彼はピーターを兄のベンとメイの夫婦に預け、妻のメアリーを連れて姿を消すことにした。飛行機に乗り込んだ彼はパソコンを使い、極秘情報をアップロードしようとする。しかし副操縦士に化けていた殺し屋が拳銃を構え、パーカー夫妻に襲い掛かった。メアリーが撃たれ、リチャードは重傷を負うが、殺し屋を始末した。飛行機が墜落する中で、リチャードは何とか情報のアップロードを完了させた。
現在、ピーターはスパイダーマンとなり、ニューヨークで犯罪者の逮捕に取り組んでいる。卒業式の日も、彼はオズコープのプルトニウムを積んだトラックの強奪犯を追っていた。トラックを暴走させてパトカーの追跡を受けているのは、アレクセイ・シツェヴィッチと2人の手下だ。ピーターは暴走トラックに巻き込まれそうになった電気技師のマックス・ディロンを救い、胸の認識票を見て彼の名前を呼んだ。マックスが「僕なんかに」と遠慮がちに言うと、ピーターは「君が必要だ。僕の目と耳になって」と述べて立ち去った。
ピーターは2人の手下を捕獲した直後、グウェンからの電話を受ける。既に卒業式が始まっていることを知らされたピーターは、「渋滞に巻き込まれているけど、もうすぐ着く」と話した。追跡するパトカーに目をやった彼は、グウェンの亡き父であるステイシー警部の幻覚を見た。アレクセイを捕まえたピーターは、ギリギリで卒業証書の授与に間に合った。ピーターは壇上へ赴き、総代としてスピーチしたグウェンに熱烈なキスをした。式の後、またピーターはステイシー警部の幻覚を目にした。
ピーターはグウェンから、家族との外食に誘われる。レストランへ赴いたピーターだが、会食の場には行こうとしない。グウェンは彼の元へ行き、悩んでいることを見抜いた。「どうしたらいいか分からないんだ」と涙目で吐露するピーターに、グウェンは「私を愛してるんじゃなかったの?」と問い掛ける。しかしピーターは、ステイシーから言われた「娘を巻き込むな」という言葉を気にしていた。グウェンは「この話を貴方は何度もした。こんなの続けていられない。貴方と別れるわ」と述べた。
ピーターがスパイダーマンとしての活動を続ける中、マックスは同じコスチュームを着てコンビニに出掛けたりする。彼はスパイダーマンに対して一方的に友情を抱き、妄想を膨らませていた。彼はオズコープの電気技師であり、電磁波を利用した世界初の配電システムを開発したのも彼だ。しかし上司のアリスター・スマイスたちは、彼を冷淡に扱っていた。自身の誕生日、マックスはオズコープのエレベーターでグウェンと遭遇する。スパイダーマンについて熱く語るマックスに、グウェンは困惑の表情を浮かべた。
ノーマン・オズボーンは余命わずかだと察知し、息子のハリーを呼び戻した。11歳で寄宿学校に送られたハリーは、自分を捨てた父親を憎んでいた。ノーマンは自分の病気が家系の遺伝だと明かし、ハリーにも症状が出ていることを指摘した。彼はハリーに、病気を治すための研究を引き継ぐよう促した。ピーターはテレビのニュースで、ノーマンが死んでハリーが会社を継ぐことを知った。マックスはスマイスから、ラボの配電を直すよう命じられた。マックスはギルバートという社員に電話を掛け、電源を切って欲しいと頼む。しかし断られたため、仕方なく電源が入ったまま修理する。しかし電気がショートしてしまい、彼は電気ウナギの水槽に落下した。
ハリーはオズコープの会議に出席し、自身の社長就任を快く思わない重役たちと対峙した。ハリーは父の秘書だったフェリシアを助手に任命し、重役ちは全て彼女の部下になるよう告げた。ピーターは旧友のハリーを訪れ、8年ぶりの再会を喜び合った。2人が会話を交わす様子を、重役のドナルド・メンケンが密かに監視していた。メンケンはオズコープからハリーを追い出して、実権を握ろうと目論んでいた。側近である黒服の男からマックスの事故を知らされた彼は、その存在を消したままにするよう命じた。
マックスがオズコープの処置室で目を覚ますと、電気を操る怪物のエレクトロに変貌していた。彼は自分の力を制御できないまま、部屋から脱走した。ピーターはグウェンから電話を受け、浮かれた気持ちで会いに行く。しかしグウェンから「そろそろ友達になってもいいと思ったの」と言われ、落胆しながらも平静を装った。ピーターはグウェンとヨリを戻してキスしようとするが、「オックスフォード大学のスカラーシップでイギリスへ行くつもりなの」と言われてショックを受けた。
街の異変を察知したピーターは、すぐに現場へ向かう。マックスは市街に出現してトラブルを起こし、人々をパニックに陥れていた。彼は警官隊に包囲され、「やめろ、俺のせいじゃない」と叫んでパトカーを吹き飛ばした。そこへスパイダーマンに変身したピーターが到着すると、マックスは「俺のことを覚えてるか?」と問い掛けた。マックスの説明を受けたピーターは、彼のことを思い出した。ピーターは説得して落ち着かせようとするが、警官の狙撃を受けたマックスは暴れ出した。
野次馬はスパイダーマンを応援し、マックスに攻撃的な言葉を浴びせる。マックスはスパイダーマンに激しい恨みを抱き、「お前は俺を利用した」と激昂する。ピーターは戦闘に巻き込まれそうになった人々を助けるが、マックスはパワーアップして街を破壊する。ピーターは消防士と協力し、放水によってマックスを弱らせた。戦いを終えたピーターは、現場に来ていたグウェンを見つける。彼はグウェンに歩み寄り、改めてイギリス行きについて尋ねた。
ハリーはノーマンの研究内容を記録した映像を見つけ、自分の病気を治すにはスパイダーマンの血が必要だと考える。彼はピーターを呼び出して事情を説明し、スパイダーマンに会わせてほしいと頼む。ピーターがスパイダーマンの写真を撮影し、新聞社に売っていたからだ。ピーターは「写真は撮ったけど、知り合いじゃない」と困惑しながら言うが、ハリーは「死にたくないんだ」と懇願する。ピーターは「分かった、捜してみる」と告げ、その場を去った。
グウェンはオズコープの端末を使い、マックスについて調べようとする。しかし黒服の男がアクセスを制限し、グウェンを捕まえようとする。気付いたグウェンが逃げ出したところで、ピーターと遭遇する。グウェンはピーターを連れて身を隠し、遺伝子研究所の事故が隠蔽されていること、マックスのファイルが消されていることを話す。ピーターはグウェンにキスして、彼女を逃がした。その頃、マックスはメンケンの指示でレイヴンクロフト収容所に送り込まれ、アシュレイ・カフカ博士の研究材料にされていた…。

監督はマーク・ウェブ、原作はスタン・リー&スティーヴ・ディッコ、映画原案はアレックス・カーツマン&ロベルト・オーチー&ジェフ・ピンクナー&ジェームズ・ヴァンダービルト、脚本はアレックス・カーツマン&ロベルト・オーチー&ジェフ・ピンクナー、製作はアヴィ・アラッド&マット・トルマック、製作協力はトム・コーエン&ベアトリス・セケイラ、製作総指揮はE・ベネット・ウォルシュ&スタン・リー&アレックス・カーツマン&ロベルト・オーチー、撮影はダン・ミンデル、美術はマーク・フリードバーグ、編集はピエトロ・スカリア、衣装はデボラ・L・スコット、視覚効果監修はジェローム・チェン、音楽はハンス・ジマー&ザ・マグニフィセント・シックス。
出演はアンドリュー・ガーフィールド、エマ・ストーン、ジェイミー・フォックス、サリー・フィールド、ポール・ジアマッティー、デイン・デハーン、コルム・フィオール、フェリシティー・ジョーンズ、エンベス・デイヴィッツ、キャンベル・スコット、マートン・チョーカシュ、ルイス・キャンセルミ、マックス・チャールズ、B・J・ノヴァク、サラ・ゲイドン、マイケル・マッシー、ホルヘ・ヴェガ、ビル・ヘック、テディー・コルーカ、ヘレン・スターン、カル・マックリスタル、アンスレム・リチャードソン、マーク・ドハーティー、ジェームズ・コルビー、カリ・コールマン他。


2012年に公開された『アメイジング・スパイダーマン』の続編。
監督は前作に引き続いてマーク・ウェブが担当。脚本は『カウボーイ&エイリアン』『スター・トレック イントゥ・ダークネス』のアレックス・カーツマン&ジェフ・ピンクナーと、『エイリアス』や『FRINGE/フリンジ』といったTVドラマの製作総指揮を担当していたジェフ・ピンクナーによる共同。ジェフ・ピンクナーはTVドラマで脚本を手掛けているが、映画はこれが初めて。
ピーター役のアンドリュー・ガーフィールド、グウェン役のエマ・ストーン、メイ役のサリー・フィールド、メアリー役のエンベス・デイヴィッツ、リチャード役のキャンベル・スコット、幼少期のピーター役のマックス・チャールズは、前作からの続投。
他に、マックスをジェイミー・フォックス、をポール・ジアマッティー、ハリーをデイン・デハーン、ドナルドをコルム・フィオール、フェリシアをフェリシティー・ジョーンズ、カフカをマートン・チョーカシュ、黒服の男をルイス・キャンセルミが演じている。
アンクレジットだが、ノーマン役でクリス・クーパーが出演している。

冒頭、緊迫感の溢れる中で、リチャードとメアリーが命懸けで情報を守った出来事が描かれる。
そこから現在に切り替わると、ピーターがスパイダーマンのコスチュームに身を包み、チャラチャラした態度で犯罪者を追い掛ける様子が描かれる。
明るく楽しいスーパーヒーローがいても構わないが、それにしても彼は軽薄すぎる。
ただし、それならそれで、徹底して「明るく楽しい活劇」にすりゃあいいものを、そうじゃないもんだから、余計にピーターの軽薄さが悪い意味で際立ってしまう。

ピーターは調子に乗った様子でアレクセイを追い掛けている途中、ステイシー警部の幻覚を見る。そこだけ急にシリアスな雰囲気が漂うが、見事なぐらい中途半端だ。
しかも、そこで幻覚を見るぐらいだから、前作で言われた「お前には敵が出来る。だから娘を巻き込むな」という言葉を気にするのかと思いきや、直後に卒業式の壇上でグウェンと熱烈なキスをするんだから、「全く気にしてねえじゃん」と呆れる。
ホント、心底から軽薄なのよね、ピーターって。
そもそも前作でも、ピーターは自分を救って命を落としたステイシーから死の間際に「娘を巻き込むな」と頼まれていたのに、あっさりと「守れない約束もあるよね」ってことでグウェンとの交際を続行した不義理な男なのだ。だから今回も、ステイシーの幻覚を序盤から何度か見ているけど、お構いなしでグウェンと付き合っている。
良く言えば「図太い奴」ってことになるのかもしれないが、まるで好感が持てないことは確かだ。

さすがに最後までピーターを「ステイシーの頼みなんて完全シカトする能天気な野郎」ってことにするのはマズいと思ったのか、一応は悩んでいる様子も申し訳程度に見せる。
ただし、それは「グウェンを危険に巻き込むかもしれない」という悩みではなく、「ステイシーに頼まれたことを守っていない」ってことに対する悩みなのだ。愛する女性を心配しても悩みではなく、あくまでも自分本位の悩みなのだ。
しかも、それはスーパーヒーローとしての悩みではなく、青春恋愛劇における悩みだ。スーパーヒーロー物としての本筋とは上手く絡み合わない。
っていうか、青春恋愛劇が本筋みたいになっている。

ピーターはグウェンに、「警部には、君に近付かないって約束したんだよ。なのに君の家族と食事するなんて出来ない」と涙目で話す。
しかし、それは明らかに「そんなことない」と否定してもらうための誘い水なのだ。
本気でステイシーとの約束を守ろうとしているなら、そもそも卒業式の壇上でグウェンにキスするなんて絶対に有り得ない。
そこで約束なんて完全に無視した行動を平気で取っておいて、後になって「だって約束したから」とウジウジした態度で話しても、「アホか」と言いたくなるだけだ。

それに、本気でステイシーとの約束を守ろうとするのなら、そもそもグウェンと付き合っている時点でアウトだからね。普通に交際しておきながら「家族との会食は出来ない」と考え、そのくせレストランには赴いて、グウェンに気付いてもらうのを待っているんだから、カッコ悪いったらありゃしないよ。
そんでウジウジするくせに「別れよう」とは言わないもんだから、グウェンが気を遣って「別れる」と言ってくれたるんだけど、それをピーターは受け入れられないんだよね。
もうね、ただウザいだけだわ。
ピーターはグウェンから「別れよう」と告げなきゃ問題が片付かないような態度をテメエで示しておいて、そのくせ彼女に「別れよう」と言われたら未練がましい様子を見せる。彼女の行動を密かに観察するというストーカー行為を繰り返し、ヨリを戻そうと試みる。
だったら最初から「ステイシー警部との約束があるから、ボクちゃんは悩んでるんだよお。どうすりゃいいんだよお」なんてウジウジした態度を見せなきゃいいものを、ホントにイライラする奴だわ。

その青春恋愛模様に全く共感できず、ピーターを応援したい気持ちが湧かないという問題はひとまず置いておくとして、そういう要素を重視するのであれば、「スパイダーマンとヴィランが対峙する構図」はシンプルにしておいた方がいいはずだ。
そこに複雑な関係性とか、ヴィランの人物像を深く掘り下げるドラマなんかを持ち込んだら、それと「青春恋愛劇」が相乗効果を生むことは期待できない。むしろ、互いに邪魔し合う可能性が高くなる。
ただしスーパーヒーロー物としては、「ヴィランの魅力」ってのが重要なので、「そこを単純に」と言っていられない事情もある。
しかし、この映画はヴィランのキャラに厚みを持たせて魅力的に描写しようというアプローチを知らず、「数を増やす」という方法を選択した。エレクトロ(マックス)、グリーン・ゴブリン(ハリー)、そしてライノ(アレクセイ)という3人のヴィランが、この映画では登場する。
その方法は、明らかに失敗である。

ヴィランの数を増やして観客の満足度を高めようってのは、スーパーヒーロー物では「あるあるネタ」と言ってもいいだろう。
しかし、それが上手く行くケースは、ほとんど無い。
高い質を保ったまま数を増やすことが出来ればいいだろうが、上映時間には限りがある。そうなると、おのずと1人1人の質は低くなる。
つまり「質より量」になるわけだ。
じゃあ「量」の部分で満足できるのかというと、それは厳しいわけでね。

これが「以前に登場しているキャラクター」ってことなら、そこの問題は少なくなる。既にヴィランの基本的な設定が分かっているので、最初から説明する必要は無いからだ。
しかしマックスにしろ、ハリーにしろ、アレクセイにしろ、全員が初登場の顔触れだ。
だから、まず「ヴィランになる前の人物設定」を消化しておく必要がある。それから「ヴィランに変貌する経緯」を描いて、その上で「ヴィランとしてスパイダーマンと戦う様子」を処理する必要がある。
そりゃあ、時間的に厳しくなるのも当然でしょ。

例えばハリーなんかだと、サム・ライミ版なら第1作目から登場しているので、そこで「ヴィラン以前」のキャラ紹介は済んでいる。
だが、このシリーズでは今回が初登場なので、「ピーターと旧友」という設定ではあっても、「ピーターと仲良くしている様子」を描く必要が生じる。そこから「ハリーがスパイダーマンに恨みを抱く経緯」ってのを消化しなきゃいけなくなる。
こいつの場合、決着が付かないまま終わるんだけど、それはそれで「片付けねえのかよ」と言いたくなる。
3部作として企画されていたので、次回作に向けて引っ張るネタを用意して起きたいのも分かるけど、だとしても「スパイダーマンに恨みを抱く」という程度でいいわ。
しかも、この映画の興行成績と評価が芳しくなかったので、3作目の予定は潰れちゃったし。

アレクセイに関しては、序盤の大暴れだけで片付けてもいいぐらいのキャラクターだ。
終盤になって、ライノに変貌させて再登場させる必要性なんて全く無い。
一応は「スパイダーマンが復活しましたよ」ってことをアピールするための噛ませ犬的なキャラとして利用されているんだけど、そこにヴィランが必要不可欠なのかというと、そうではないし。
あと、そもそも「スパイダーマンの復活劇」に関しては構成に難があり、そこを変えればヴィランはエレクトロでも成立するのよね。
それに関しては後述する。

ともかく、グリーン・ゴブリンもライノも排除して、ヴィランはエレクトロだけに絞った方がいい。
ただし、ヴィランを1人に絞ったとしても、それと「ピーターとグウェンの恋愛模様」が上手く相乗効果を生みそうな気は全くしないけどね。
ピーターがエレクトロと戦った直後、グウェンにイギリス行きのことを尋ねるというシーンがあるけど、そこを見ても無理っぽいなと。
「そこは分けて処理しろよ」と言いたくなる。なんでエレクトロを恋愛劇の前座扱いしちゃってんのかと。

ピーターはグウェンが黒服の男から隠れている危険な状況の時でさえ、「イギリス行きについて話したい」とTPOを無視したことを言い出し、それどころかキスまでしている。
いつでもどこでも、お構いなしに恋愛劇が始まるのだ。だから、ものすごく疎ましい要素になっている。
グウェンがスカラーシップの最終面接を受ける直前でさえ、ピーターは彼女の元へ行って、まるで関係ないことをグダグダと話しているんだから、まあカッコ悪いこと。
それを「若者らしい恋愛模様」として共感するのは無理だよ。

グウェンがイギリスへ旅立つため空港へ向かうと、ピーターはスパイダーマンの格好で追い掛けて「自分で道を選ぶ。2人でイギリスへ行く」と言い、キスをする。
これが恋愛劇だけで成立する話なら、「出国しようとする相手を追い掛けて云々」ってのもいいだろう。でも、同じ時刻に、ハリーがマックスを解き放って街が大変なことになっているわけで。
もちろんピーターは何も知らないから仕方が無いんだけど、なんか呑気だなあと。
ハリーとマックスが暴走する原因の一端はピーターにもあるので、余計にそう感じるのよ。

「疎ましいだけの恋愛劇」「質より量のヴィラン」という2つの要素だけでも上手く消化できていないのだが、そこに「ピーターが父の死について調べる」という要素まで加わるので、ますます話は散らかってしまう。
「父の死に関する真相を探る」ってのは他の要素と全く連携していないので、ただの余計な要素に成り下がっている。
前作からの流れを考えれば、そこは重要な要素のはずなんだけど、恋愛劇がデカくなり過ぎた弊害が出ている。
その一方、「ベン殺しの犯人を突き止める」という目的は、すっかり忘れ去られている。

ピーターがハリーから「スパイダーマンの血が必要だ」と言われて提供を拒むのは、本人としては「死ぬリスクがあるから」ってのが理由らしい。
しかし、ハリーが言うように「どうせ放っておいたら死ぬ」わけだから、可能性のある方法を試したいと考えるのは当然だろう。
ピーターは「もっと時間を掛けて他の方法を考えた方がいい」と言うけど、ノーマンが時間を掛けて突き止めた最良の策が、蜘蛛の毒素を使う方法だったわけで。
なのでピーターが血の提供を拒むのは、ちっとも友情を感じない行為であり、だからハリーが恨みを抱くのも当然だろうと思うのよね。

ただし、その後でハリーはオズコープが抽出した毒素を隠していることを知り、それを手に入れようとしている。で、それを調べようとして、自分名義でマックスが拘束されていることを知るが、それを企てたメンケンによって追放される。
そこでハリーは収容所に潜入し、マックスに「殺す相手は俺じゃない。敵はスパイダーマンだ」と告げるのだが、「それは違うんじゃねえか」と言いたくなる。
その前の流れからすると、ハリーを陥れたのも、マックスを陥れたのも、いずれもメンケンの一味なわけで。つまり、その段階で、2人の憎むべき敵はスパイダーマンじゃなくて、オズコープになっているはずなんだよね。
だから、その後も彼らがスパイダーマンを憎んで行動するのは、ただの「御門違い」としか思えない。
だったら、そんなヴィランのドラマなんて要らんわ、と思ってしまう。
本来なら魅力的になるはずのエレクトロも、ただのバカな雑魚キャラになっちゃってるし。

スパイダーマンとエレクトロが戦っている現場へグウェンが乗り込むのは、街を救うための行動ではある。
だけど、なんせ死のフラグが立ちまくっているだけに、ピーターから「危険だから」と止められたのにノコノコと現れて死んじゃうのは、同情心が薄れる。
ただし、そこの展開では、もっと大きな問題がある。
グウェンが死んだ後、あっという間にピーターが立ち直るってことだ。
半年ほど経過している設定ではあるんだけど、映画を見ている限りは「すんげえ簡単に立ち直ったな」という印象なのだ。

グウェンを殺すのであれば、それは前半の内に消化して、「ピーターがショックから立ち直り、再びスパイダーマンとして人々を守ろうと決意する」というトコへのドラマを充実させるべきだと思うのよね。
「グウェンの死」という要素を持ち込むのなら、そこが何よりも重要なはずなんだからさ。
っていうか、そもそもグウェンを殺す必要なんて無いし。
原作では死んでいるけど、そこを絶対に踏襲しなきゃダメってわけでもないでしょ。他のトコで色んな改変が行われているんだし。

(観賞日:2016年8月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会