『アルビン/歌うシマリス3兄弟』:2007、アメリカ

アルビン、サイモン、セオドアというシマリス3兄弟が、森で暮らしていた。「食べることで精一杯の暮らしなんて御免だ」とアルビンが愚痴をこぼした時、3匹の住んでいる木が業者に伐採された。業者は網に包んだ木をトラックに乗せて運ぶ際、3匹に全く気付かなかった。一方、売れない作曲家のデイヴ・セビルは予定より遅く目覚めてしまい、慌てて出掛ける準備をする。だらしない暮らしぶりのせいで、彼は恋人のクレアに愛想を尽かされて振られている。しかしデイヴは全くめげていないし、生活を改めようともしていない。
デイヴはジェット・レコーズへ赴き、大学時代の友人である社長のイアンと会った。いつもならロビーで門前払いを食わされるが、イアンとアポを取ってあるので社長室へ行くことが出来た。ビルのロビーにはシマリスたちの木が運ばれ、電飾で飾り付けられていた。デイヴは社長室へ行き、自作の曲を吹き込んだデモCDをイアンに聴いてもらう。するとイアンは「聴くに堪えない。斬新さが無い」と一蹴し、「正直に言うが、お前にはセンスが無い」と告げた。
デイヴはインターンたちに冷たくされて憤慨し、マフィンのバスケットを盗んで立ち去った。ビルから外へ出ようとしたシマリスたちがバスケットに紛れ込むが、デイヴは全く気付かず帰宅した。食料を漁るシマリスたちに気付いたデイヴは、人間の言葉を喋っていることに驚愕した。すぐに家から追い出したデイヴだが、シマリスたちの歌を聞いて考えを変えた。彼は3匹を家に招き入れ、自分の曲を歌うという条件で住まわせることにした。
シマリスたちのいびきを耳にしたデイヴはメロディーを思い付き、すぐに新曲を作った。翌朝になってから、彼は3匹に歌を練習させた。デイヴはシマリスたちを連れてイアンの元を訪れ、歌を聴かせようとする。しかし3匹は緊張してしまい、まるで歌えなかった。デイヴは落胆しつつ、勤務している広告会社へ赴いた。彼はスナック菓子をプレゼンしようとするが、用意していたボードはシマリスたちの落書きで台無しにされていた。デイヴは上司のゲイルに睨まれ、会社を辞める羽目になってしまった。
デイヴが帰宅すると、シマリスたちが部屋をメチャクチャに荒らしていた。デイヴはシマリスたちに文句を言うが、クレアから留守電に「7時に夕食へ行く」というメッセージが入っているのを知り、慌てて準備に取り掛かる。シマリスたちも手伝い、たちまち部屋は綺麗に片付いた。デイヴは3匹に、夕食の間は出て来ないよう要求する。しかし、お節介なアルビンは雰囲気を盛り上げようと考え、音楽を掛けたり照明を落としたりした。
誤魔化し切れなくなったデイヴは、クレアに「喋るシマリスのせいで破滅しそうになってる」と打ち明ける。しかしクレアは信じようとせず、「前と同じね」と呆れて立ち去った。シマリスたちはデイヴに恩返ししようと考え、イアンの家を訪れて歌声を披露した。後日、デイヴがスーパーへ買い物に出掛けると、いきなり3匹が歌う自分の曲が流れて来た。驚く彼の元へ、イアンから電話が入った。上機嫌のイアンは、「衛星ラジオでヘビーローテーションだし、ユー・チューブにも流して大人気だ」と告げた。
シマリス3兄弟「アルビン&チップマンクス」によるデビュー曲『The Chipmunk Song』はヒットし、チャートでも1位を記録した。3匹は雑誌の表紙を飾るなど、大人気となった。ずっと楽しみにしていたクリスマスが訪れると、デイヴとシマリスたちはプレゼントを交換した。お互いに困惑を誘う物品だったものの、とりあえずデイヴと3匹は喜んだ。そこへイアンが現れ、3匹に大量のプレゼントを渡した。彼はデイヴに「新曲CD発売記念パーティーを開く。1週間で新曲を書いてくれ」と要請した。
1週間後、イアンは盛大なパーティーを開き、デイヴとシマリスたちは新曲『Witch Doctor』をステージで披露した。会場に集まった大勢の人々は熱狂し、サイン会も盛り上がった。チップマンクスの取材を担当することになったクレアも、パーティーにやって来た。イアンはデイヴと2人になると、「音楽は金を稼ぐための手段に過ぎない。今後は毛皮や香水のブランドを立ち上げよう」と持ち掛ける。デイヴは「あいつらは、まだ子供だ」と反対するが、イアンは諦めなかった。
イアンはシマリスたちの元へ行き、デイヴが自由気ままな3匹を厳しく躾けようとしていることを知った。そこでイアンは、「彼は足枷だ。俺なら大金を稼がせる。デイヴは陰で君たちをネズミと呼んでいる。俺は君たちを家族だと思ってる」と吹き込んだ。その後もイアンは3匹にTVゲームを買い与えたりメイドを雇ったりして、徹底的に甘やかした。デイヴから気ままな暮らしぶりを注意された3匹は、反発を示した。そこに些細な誤解も重なり、シマリスたちはデイヴの元を去ってイアンの邸宅で暮らし始める…。

監督はティム・ヒル、キャラクター創作はロス・バグダサリアン、原案はジョン・ヴィッティー、脚本はジョン・ヴィッティー&ウィル・マクロブ&クリス・ヴィスカルディー、製作はジャニス・カーマン&ロス・バグダサリアン、製作総指揮はカレン・ローゼンフェルト&アーノン・ミルチャン&ミシェル・インペラート・スタービル&スティーヴ・ウォーターマン、撮影はピーター・ライオンズ・コリスター、美術はリチャード・ホランド、編集はピーター・バーガー、衣装はアレクサンダー・ウェルカー、アニメーション監修はクリス・ベイリー、音楽はクリストファー・レナーツ、音楽監修はジュリアンヌ・ジョーダン、歌曲プロデュースはアリ・ディー・テオドール。
出演はジェイソン・リー、デヴィッド・クロス、キャメロン・リチャードソン、ジェーン・リンチ、アリソン・カーマン、ティアラ・パーカー、キラ・ヴェラストロ、ヴェロニカ・アリシーノ、ベス・リースグラフ、アドリアーニ・レノックス、ドン・ティファニー、ローン・グリーン、ケヴィン・サイモンズ、フランク・マハラジャ、グレッグ・シーベル、オリヴァー・ミュアヘッド、ジェイデン・ランド、エリン・チェンバース、ジリアン・バーベリー、クリス・クラシック他。
声の出演はジャスティン・ロング、マシュー・グレイ・ガブラー、ジェシー・マッカートニー他。


ミュージシャンでレコード・プロデューサーのロス・バグダサリアンが生み出したキャラクター、アルビン&チップマンクスを主役とする映画。
監督は『ゴンゾ宇宙に帰る』『ガーフィールド2』のティム・ヒル。
脚本は『ザ・シンプソンズ MOVIE』のジョン・ヴィッティー、『スノーデイ/学校お休み大作戦』のウィル・マクロブ&クリス・ヴィスカルディーによる共同。
デイヴをジェイソン・リー、イアンをデヴィッド・クロス、クレアをキャメロン・リチャードソン、ゲイルをジェーン・リンチが演じている。
アルビンの声をジャスティン・ロング、サイモンをマシュー・グレイ・ガブラー、セオドアをジェシー・マッカートニーが担当している。

映画の批評に入る前に、ちょっとアルビン&チップマンクスについて解説しておく。
1958年、ロス・バグダサリアン(この映画の製作を担当している「ロス・バグダサリアン」は彼の息子)は、自身の声をピッチアップした音とデュエットする『Witch Doctor』を発表して大ヒットした。
彼は新曲にキャラクターを使おうと考え、シマリス三人組が歌うノベルティー・ソングという形で『The Chipmunk Song (Christmas Don't Be Late)』を同年に発表した。
これが前作を上回る大ヒットでグラミー賞まで獲得し、作曲家のデヴィッド・セビルとシマリスたちの人形劇がエド・サリヴァン・ショーに登場した。セビルとシマリスたちの声は、バグダサリアンが担当した。
1959年12月にはチップマンクスのコミックスが発売され、1961年にはTVアニメ『The Alvin Show』が放送された。

ロス・バグダサリアンが1972年に心臓麻痺で死去すると、チップマンクスの活動は途絶えた。
しかし1979年、NBCが土曜の朝に『The Alvin Show』の再放送を開始すると、これが人気を得た。
1980年には1969年以来となる新しいアルバム『Chipmunk Punk』がリリースされ、バグダサリアンの息子であるロス・バグダサリアン・ジュニアがキャラクターの声を演じた。
1981年12月14日にはNBCのクリスマススペシャル番組『Chipmunk Christmas』が放送され、1983年から1990年に掛けてTVシリーズの『Alvin and the Chipmunks』が放送された。その際、グループ名が「The Chipmunks」から「Alvin and The Chipmunks」に変更された。
その後もTVアニメやビデオ作品が製作され、そして本作品に繋がるわけだ。
つまりアメリカでは広く知られたキャラクターなのだが、日本では馴染みが薄い。だから、その時点でアメリカとは大きな差があると言っていい。

この映画は「アルビン&チップマンクスを知っている」という前提で作られているので、そういう意味でも日本人からすると少しハンデがあると言っていいだろう。
とは言え、日本語吹替版で使われるシマリス3兄弟のグループ名を公募し、「アルビン&チップマンクス」を「ザ・しまっピーズ」に変更しちゃう配給会社のセンスは、どうかしてると思うぞ。
そっちの方が観客に受けると本気で思っていたんだとしたら、かなりヤバいぞ。
日本人には馴染みが薄いにしても、普通に「アルビン&チップマンクス」でいいでしょ。むしろ、「いかにも受けを狙いました」という「ザ・しまっピーズ」に変更しちゃう方が、訴求力を減退させることに繋がる気がするんだが。

序盤、3匹を捕まえようとして気絶したデイヴは、目を覚ました時にシマリスたちが人間の言葉を話すのを聞いて驚く。
だが、そのシーンが訪れるまで、観客は「3匹が人間の言葉を喋っている」という設定であることが分からない。
3匹は登場した時点で台詞を話しているが、それが「リスの言語を人間の台詞で表現している」ってことなのか、「実際に人間の言葉を喋っている」という設定なのかが不明確な状態なのだ。
しかし、アルビン&チップマンクスについて知っていれば、そこは「3匹は人間の言葉を喋り、歌が得意なシマリス」という設定も把握しているので、何ら戸惑うことは無いのだ。

ただ、「アメリカではアルビン&チップマンクスが広く知られているので、いちいち説明する必要も無い」という事情があるにせよ、序盤の展開は上手くないと感じる。
3匹が登場した後、デイヴのパートに移り、両サイドから物語を進行させるという構成にも引っ掛かる。
前述した「3匹が人間の言葉を喋っているのかどうかが判別できない」という状態にも、それは影響している。
そういう意味でも、序盤の構成には問題があると感じるのだ。

デイヴに家から追い出された3匹は、大雨の中で急に歌い出す。
「歌が大好きなシマリスたち」という情報が事前にインプットされているなら、それは何の問題も無く受け入れられるのかもしれない。ただ、この映画だけを単独で捉えた場合、違和感が強い。
そもそも、大雨の中で邪険に追い出されたのに、なぜ明るく歌い始めるのかと言いたくなる。
「3匹が歌えると知ってデイヴが受け入れ、仲良くなる」という展開に持って行きたいのは分かるし、それは間違っちゃいない。ただ、その運び方が強引極まりないのよ。

シマリスたちはデイヴから冷たく追い出されたわけだから、それなのに明るく歌って愛嬌を振り撒くのは、どうにも引っ掛かる。3匹がデイヴの家に固執することからして、違和感が否めない。
例えば、「追い出されたので他の家を当たろうと考え、元気を出そうと歌い出す。それを聞いたデイヴが、興味を抱いて招き入れる」という形にでもしたらどうかと。
歌を聴いたデイヴが、急に「自分の曲を歌ったら住まわせる」と提案するのも違和感がある。
イアンからは「斬新さが欲しい」と言われていたけど、「シマリスに歌わせれば必ず受ける」と確信を持てるようなモノが見えないのよ。せいぜい、「試しに歌わせてみたら想像していた以上に受けた」という程度にしておいた方が、3匹が歌手デビューする発端としては適しているんじゃないかと。

それと、デイヴがシマリスたちを住まわせる時に「自分の曲を歌ってくれたら」と条件を付けるのではなく、「一度は気味悪がって追い払ったけど、外は大雨なので不憫に思い、招き入れる」という形にしておいた方が、彼の優しさをアピールできるんじゃないかと思うのよ。
それは「一晩だけの約束で泊めるが、そのまま住み着いてしまう」という形でもいいだろう。
で、「シマリスたちの歌を耳にしたデイヴが、そんなに期待せずに自作の曲を歌わせてみる」という流れにしたらいいんじゃないかなと。
その後は、例えば「デイヴが自作のデモCDをイアンに持ち込むが相手にされず、やぶれかぶれでシマリスたちの歌を聴かせたら興味を持ってもらえる」とか、「デイヴが自信のある曲を聴かせようとするが、誤って3匹の歌を聴かせてしまう。でもイアンに気に入られる」とか、そんな形にでもすればいい。
あるいは、「デイヴの留守中、シマリスたちが勝手に歌う。誤った操作など何らかの理由で動画サイトに映像がアップされ、それが人気を集める」といった形でもいいだろう。

ともかく、この映画における「デイヴがシマリスたちを住まわせる手順」も、「デイヴがシマリスたちに歌わせる手順」も、どちらも「なんか違うなあ」と感じてしまうのだ。
それ以降も、「子供向けに脚色している」ということではなく、ただ雑なだけだと感じてしまう箇所が幾つも出て来る。
3匹を住まわせると決めた後、デイヴの態度が急変するのも違和感が強い。
そこに「シマリスたちの歌が受けると感じたので機嫌を取っている」という裏があるならともかく、そういうことではなさそうなんだよね。それなのに、招き入れた途端に3匹の名前を呼んで笑顔で接するってのが、「急に距離感を詰めちゃったな」と言いたくなるのよ。

「シマリスたちがイアンの前では緊張して歌えない」という手順は要らない。
そんなトコで手間を掛けるぐらいなら、もっとデイヴと3匹の距離が近付く過程や、作曲と歌唱で手を組むようになる経緯に時間を割いた方が遥かに有意義だ。
デイヴがプレゼンに失敗して会社を辞める手順も要らない。それを入れるのなら、「デイヴが3匹に歌わせる」という手順の前に済ませるべき。
っていうか、デイヴが会社員として勤務している設定なんて要らないし。単に売れない作曲家ってことで何の支障も無いんだから。

デイヴがシマリスたちの歌声を聴き、自作の新曲を練習させる段階まで到達しているのに、そこから「チップマンクスの歌が世に出る」という地点へ行くまでに、「3匹が緊張して歌えない」とか、「デイヴが広告会社をクビになる」とか、幾つも手順を入れるのは余計な道草にしか思えない。
途中で手順を入れるとすれば、それは「チップマンクスの歌が世に出る」というトコに向かうモノであるべきだ。
だからデイヴがクレアと夕食を取るシーンも邪魔なだけ。
ここのロマンスを絡めたいのは分かるし、それ自体は悪いことじゃないけど、「夕食のためにデイヴが準備して云々」という手順に入ると、「またシマリスたちの歌が広まる展開が遅れるのかよ」と思ってしまう。

そんなに色々な手順を盛り込みたいのであれば、そもそも「デイヴが3匹に自作の曲を歌わせようと思い付く」という手順を後回しにしておけばいいのだ。
それを早い段階で片付けておきながら、そこから進むべき道を歩まずにフラフラするから、ダラダラしているようにしか見えないのだ。
で、クレアとの夕食が終わった後には「デイヴが3匹を森へ帰そうと一度は考えるが思い直す」という展開が訪れるので、ますます「そりゃ違うだろ」と言いたくなる。
デイヴが3匹を森へ帰そうとする手順を入れるのであれば、それは歌が大ヒットして人気者になった後にすべきだわ。

ようやくチップマンクスのデビュー曲が世に出る展開が訪れても、その後の処理が雑になっている。
曲が大ヒットして3匹が人気スターになる過程をダイジェストで処理するのは、ある程度は構わない。ただし、最初からダイジェストってのはダメでしょ。
3匹とデイヴが大勢のファンに囲まれるとか、テレビ番組に出演するとか、有名人と絡むとか、そんな風に「曲が大ヒットして一気に人気が出たことで生活が急変する」ってことを示す描写が全く無い。
チャート1位のページと、雑誌の表紙を3匹が飾るカットと、それぐらいなのだ。

歌がヒットして雑誌の表紙を飾るようになっても、デイヴと3匹の暮らしぶりは、ほとんど変わっていない。今までと同じ家で、普通に暮らしている。
ファンが押し掛けることも無いし、クレアがデイヴに対して反応を示すことさえ無いのだ。
人気者になって生活が一変するはずなのに今までと同じなので、「イアンがデイヴから3匹を横取りする」という展開にも影響が出てしまう。
そんなに卑怯な手を使ってまで横取りしたくなるほど、3匹が金を生み出す道具には見えないからだ。

「シマリスたちが人気スターになる」という部分の描写を痩せっぽっちにしている代わりに、デイヴと3匹の絆を充実して描いているのかというと、そこも薄っぺらいのよね。
そして、そのことが、これまた終盤の展開に影響を及ぼしている。
一度は袂を分かったデイヴと3匹が、互いの大切さに気付いて関係を修復するという展開があるんだけど、「そんなに関係を深めていなかったじゃねえか」と言いたくなってしまうのよ。

2曲目を発売する時になって、イアンが大きな会場を借りてパーティーを開き、大勢の人々がデイヴとチップマンクスのパフォーマンスに熱狂する様子が描かれる。
だが、既にデビュー曲が大ヒットして、彼らは人気スターになっているはずなのだ。
だから、2曲目を発売する時になって、初めて「大勢の人々がデイヴと3匹に熱狂する」という様子を入れるのは、明らかにタイミングが遅すぎる。
それより遥か以前に、デイヴと3匹が「自分たちはスターになり、大勢のファンが出来た」ってことを認識するする手順を入れるべきなのだ。

3匹がデイヴの家を出てイアンの元へ走った後、「ツアーがスタートして多忙な日々が続く」という状況が訪れるが、これもタイミングとしては違和感がある。
繰り返しになるが、デビュー曲が大ヒットして幾つもの雑誌で表紙を飾っているんだから、その段階で忙しくなっているはずでしょ。
「デイヴと離れて急に忙しくなった」ってのは、違和感が強いぞ。デイヴが3匹のスケジュールを上手く調整していたわけでもないんだからさ。
「イアンが仕切るようになり、多忙になった3匹が疲れてしまう」という筋書きを、「デイヴと3匹が関係を修復する」という着地に連結させたいのは分かるのよ。
ただ、そういう状況を用意するために、そこからの逆算によって、デビュー曲が発売されてデイヴと3匹が一緒に暮らしている頃は、まだ「大勢のファンが熱狂する」「たくさんの仕事が入って忙しくなる」という状況を描写できないってのは、デメリットの方が遥かにデカいでしょ。

っていうかさ、「仕事が忙しくなったせいでデイヴと3匹の関係が悪化するけど、互いの大切さに気付いて仲直りする」ってのは、仮にデイヴと3匹が一緒にいた頃から忙しくなったとしても、何の問題も無く描写できるドラマでしょ。
だから、「後の展開があるから、まだ前半の間は3匹がファンを熱狂させたりスケジュールが多忙になったりする様子を描くことが出来ない」ってのは、何の言い訳にもならない。
「デビュー曲の大ヒットで人気者になるが、そのせいで3匹が調子に乗ってしまう。デイヴはイアンのやり方に反発するが3匹は甘言に騙され、その関係にヒビが入る」ってことでも、普通に成立するわけでね。

終盤、3匹が過労で喉を傷めると、イアンは「コンサートはリップ・シンクでやろう」と言い出す。サイモンやセオドアは「インチキじゃないの?」と反発するが、結局は指示に従う。
ようするに、この映画ではリップ・シンクが悪いことのように描かれているわけだ。
だけど、「お前ら、そもそも口パクじゃねえか」と言いたくなってしまうんだよね。
そういうツッコミまで含めてのネタなら構わないんだけど、どうやらマジで「口パクは悪いこと。ちゃんと生で歌うべき」という主張になっているので、バカバカしさの極みだわ。

(観賞日:2016年4月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会