『オール・アイズ・オン・ミー』:2017、アメリカ

1995年、ニューヨーク。クリントン刑務所を訪問したテレビ番組のクルーは、収監されているトゥパック・シャクールと面会した。彼らが刑務所へ赴いたのは、トゥパックにインタビューするためだ。黒人インタビュアーは看守に連行されてきたトゥパックと握手を交わすと、椅子に座った。彼はトゥパックに、「最初の電話で、君は仕事を引き受けてくれた。もし俺が殺されたら、全ての真実を伝えてほしいと言っていたね。私は真実を伝えたい」と告げた。
1971年、ニューヨーク。警官の殺害とビルの爆破を企てた容疑で逮捕されたブラックパンサー党の21人は、長い裁判を経て無実となった。自由の身となったブラックパンサー党のアフェニ・シャクールが裁判所から出ると、多くの支持者が待っていた。記者たちの取材を受けた彼女は、「自由を奪われたままの人もいる。革命はこれから始まる。これから仲間のために本当の自由を勝ち取る」と怒りを込めて訴えた。その時、彼女のお腹にいたのが後のトゥパックである。
トゥパックの実父はビリー・ガーランドだが、母はムトゥルという男と再婚した。1975年、ハーレム。ムトゥルは黒人の権利を主張する活動家仲間としてアフェニの紹介を受け、会場に集まった面々へ熱く語り掛けた。1982年、ブロンクス。ムトゥルは銀行強盗としてFBIの標的となり、アフェニは尾行の捜査官に気付いて糾弾した。ムトゥルは逮捕を避けるため、FBIが家へ突入する前に逃亡した。アフェニはトゥパックに「本当に強盗なの?」と問われ、「どっちでも同じよ。奴らは父さんほ潰そうとしてるだけよ」と述べた。「なぜ潰すの?」という質問に、彼女は「白人社会を脅かす存在だからよ」と説明した。「貴方のお父さんが革命家だから」という言葉を聞き、トゥパックは「僕が革命を起こしてみせる」と力強く告げた。
1987年、ボルチモア。演劇学校へ通うトゥパックは、黒人が白人警官たちに荒っぽく逮捕される現場を目にした。彼は学校でジェイダ・ピンケットと親しくなったが、インタビュアーに対して「恋愛の対象ではなく、本物の親友になれた」と語った。実父との関係についてインタビュアーに訊かれたトゥパックは、「ほとんど会ったことが無い」と答える。アフェニの友人であるレッグスは頻繁にトゥパックの家を訪ね、食品や金を渡していた。
アフェニはトゥパックと妹のセッチに、子供たちだけで活動仲間のいるカリフォルニアへ引っ越すよう命じた。アフェニの「この家の男として責任を果たして」という言葉に、トゥパックは激しく反発した。彼はジェイダに引っ越すことを明かし、詩をプレゼントした。1988年、オークランド。妹を連れて引っ越した当日、トゥパックは目の前で人が殺されるのを目撃した。金が必要になった彼は本気でラップを始め、レイラ・スタンバーグのヒップホップの詩のワークショップに出入りするようになった。
トゥパックはレイラの紹介で、デジタル・アンダーグラウンドのマネージャーに会う。彼はオーディションを受けるため、マネージャーのエイトロン・グレゴリーを訪ねた。ショックGやマネーBの前でフロウを披露した彼は契約を交わし、1990年にはツアーに参加した。彼がツアーから戻ると、後からカリフォルニアに来たアフェニが売人からドラッグを買っていた。アフェニは「ちゃんと調整してる」と言うが、トゥパックは「命に関わるんだぞ。調整は出来ないんだよ」と怒りをぶつけた。
トゥパックはショックBの元へ行き、「ライブを盛り上げるだけの脇役じゃ我慢できない。レコーディングに参加できないなら辞める」と告げる。ショックBは彼の要求を聞き入れ、レコーディングにも参加させた。彼は仕上がりに満足できず、録音を繰り返した。アルバムは大ヒットし、トゥパックの人気も爆発した。トゥパックは友人の付き添いで赴いたオーディションで合格し、映画『ジュース』で俳優としてもデビューした。
テッド・フィールドのレコード会社を訪ねたトゥパックは、彼の娘であるダニエルからサインを求められて快諾した。テッドと重役は12歳の少女が性的虐待を受けて殺される内容の歌について、「今回のアルバムからは外したい。救いが無い」と告げる。トゥパックは「俺は現実を伝えて皆を導く」と主張し、テッドたちに反論した。改めて曲を聴かせると、テッドは契約することを約束した。曲がヒットした後、トゥパックはアフェニを薬物更生施設へ入院させた。
1991年、トゥパックは信号無視をしたとして警官に呼び止められ、怒りをぶつけると乱暴に逮捕された。マリン郡のフェスに赴いた時、黒人グループに因縁を付けられたトゥパックは鋭く罵倒して喧嘩になった。相手グループが発砲し、流れ弾を受けた少年が犠牲になった。刑務所へムトゥルの面会に赴いたトゥパックは、「言葉を流行させるだけじゃなく、革命家とギャングを1つにまとめるなら今だ。求心力を発揮しろ」と説かれた。
トゥパックが「俺はストリートの連中と共にある。苦しむ人々を導くには、そこに身を置かないと」と語ると、インタビュアーは「正論だが、君の言葉には説得力が無い。マリン郡の事件の後、ヒットした曲は?」と尋ねる。意識の高い曲ではなかったことをインタビュアーが指摘すると、トゥパックは「アンタが理解できないからって、俺を非難するな」と言う。トゥパックは女優として活躍しているジェイダを訪ね、再会を喜んだ。
アフェニが更生施設を出たので、友人や親族がお祝いに集まった。トゥパックも花束を持ってホームパーティーに赴き、母と笑顔で抱き合った。アフェニが「少しずつ進まなきゃ」と言うと、トゥパックは母への感謝を語った。トゥパックはダン・クエール副大統領が自分について「ああいう曲を作ったミュージシャンには責任がある。自分の間違いを認め、責任感を持って創作活動をしてほしい。自分たちの悪影響を自覚してほしい」と語る様子を、テレビで見た。アフェニが「黒人のリーダーは目を付けられる。貴方が心配よと」口にすると、トゥパックは「俺はリーダーじゃない」と否定する。アフェニは「副大統領が貴方のことを話したのよ」と言い、「革命家は狙われる。奴らは自滅するように追い込む」と忠告した。
1993年、ニューヨーク。トゥパックは2枚目のアルバムを発表し、ライブを開いた。彼は熱狂するファンに挨拶し、会場に来ていたビギーをステージに上げてパフォーマンスしてもらった。トゥパックは大勢の女を呼んだパーティーにビギーを招き、「ヒップホップで世界を変えられる。みんなを導くんだ」と語った。エイトロンはトゥパックに、「弁護士から苦情が来てる。金が底を突いたんだ」と知らせた。トゥパックは10回も逮捕され、2枚のアルバムはヒットしたが浪費が続いていた。
シュグ・ナイトはトゥパックに「困ったら頼ってくれ」と告げ、1曲書いてくれと頼んだ。クラブへ繰り出したトゥパックはビギーと会い、経営者のナイジェルを紹介された。トゥパックはナイジェルと親しくなり、高級腕時計を贈られた。ビギーは「気を付けろ。あいつはガチだ」と警告するが、トゥパックは「俺もガチだ」と軽く告げた。シュグ・ナイトはトゥパックに、曲の売り上げとして大金を渡した。エイトロンは「裏がある金だ」と疑念を抱くが、トゥパックは「訴訟で金が要るのに、イチャモン付けるなよ」と苛立った。
ワシントンでは黒人女性の団体が会見を開き、攻撃性の強いギャンクスタ・ラップを非難する声明を発表した。女性蔑視だという意見についてインタビュアーから「君の態度や考え方に問題があったから刑務所にいると、少しは考えないのか?」と質問されたトゥパックは、「うるせえよ」と吐き捨てた。1993年、アトランタ。ライブを終えてリムジンで移動していたトゥパックは、2人の白人男性が1人の黒人男性を暴行する現場を目撃したる。トゥパックが「何の真似だ」と怒って詰め寄ると、1人の白人が拳銃で威嚇した。怒ったトゥパックは車にあった拳銃を持ち出し、何発も発砲して逃亡した。撃った相手は非番の警官で、トゥパックは逮捕された。
釈放されたトゥパックはナイジェルのクラブへ遊びに行き、ブリアナという女を紹介された。トゥパックはブリアナと肉体関係を持つが、すぐに彼女のことは忘れた。しかしホテルでナイジェルたちと一緒にいる時、ブリアナが訪ねて来た。トゥパックは彼女に誘惑されるが、別の寝室へ移って就寝した。しかしブリアナはナイジェルたちに強姦され、トゥパックの仕業だと非難した。トゥパックはナイジェルと共に逮捕されるが、分離裁判になった。
ナイジェルは取材を受けたトゥパックが自分たちを「取り巻き」と評したことに、「初めてのロレックスは俺に貰った。あんなことを言いながらも、来週になったら、また女と金せびりに来るくせに」と腹を立てる。しかし仲間が「礼儀を知らない奴だ。やっちまおうぜ」と促すと、彼は「駄目だ。俺が言うまで手を出すな」と釘を刺す。それでも仲間は納得せず、自分たちだけで動くことを決めた。1994年、11月30日。トゥパックはスタジオへ向かう途中で黒人2人組に撃たれ、瀕死の状態に陥った。警察は強盗の仕業だと発表したが、実際はナイジェルの仲間が犯人だった。
トゥパックは医者の指示に従わず、手術の数時間後には退院して裁判に出向いた。強姦では無罪になったが、性的虐待と不法接触では有罪の判決が出た。1995年2月。トゥパックは18か月から4年の刑期を言い渡され、重犯罪刑務所に収監された。彼は服役中にアルバムを発表し、ビルボードで初登場1位に輝いた。トゥパックは控訴したが、なかなか保釈金は用意できなかった。ラジオから流れるビギーの新曲を聴いたトゥパックは、彼やナイジェルが敵だと確信した。トゥパックはシュグに連絡を取って保釈金を出してもらい、彼が立ち上げたデス・ロウ・レコードに移籍した…。

監督はベニー・ブーム、脚本はジェレミー・ハフト&エディー・ゴンザレス&スティーヴン・バガトリアン、製作はジェームズ・G・ロビンソン&デヴィッド・ロビンソン&L・T・ハットン、製作総指揮はウェイン・モリス、共同製作はデショーン・ジャクソン&エルトン・ブランド&デレク・ヒル&ラリー・フィッツジェラルド&ジャヴェイル・マギー&リック・バーロウ&デヴィッド・コーエン、撮影はピーター・メンジースJr.、美術はデレク・ヒル、編集はジョエル・コックス、衣装はフランシーン・ジェイミソン=タンチャック、音楽はジョン・パエザーノ、音楽監修はトリーゲ・トーヴェン。
出演はディミートリアス・シップJr.、ダナイ・グリラ、カット・グレアム、ローレン・コーハン、ジェイミー・ヘクター、コリー・ハードリクト、ヒル・ハーパー、キース・ロビンソン、アニー・イロンゼ、デレイ・デイヴィス、ロナルド・ブルックス、ジャマール・ウーラード、ドミニク・L・サンタナ、クリフトン・パウエル、クリス・クラーク、ジャレット・エリス、エリカ・ピンケット、レイヴェン・シモーン・フェレル、シャネル・ヤング、グレイス・ギブソン、ブランドン・ソーヴ、ジョシュ・ヴェンチュラ、マイケル・トンブレー、ハミド=レザ・ベンジャミン・トンプソン、ライアン・ローツ、ブルース・デイヴィス他。


1996年に25歳で亡くなったラッパー、2パック(トゥパック・シャクール)の人生を描く伝記映画。
監督のベニー・ブームはニッキー・ミナージュやエイコンのミュージック・ビデオを手掛けてきた人物で、映画は3作目。
トゥパック役には新人のディミートリアス・シップJr.が抜擢された。
他に、アフェニをダナイ・グリラ、ジェイダをカット・グレアム、レイラをローレン・コーハン、ムトゥルをジェイミー・ヘクター、ナイジェルをコリー・ハードリクト、インタビュアーをヒル・ハーパー、エイトロンをキース・ロビンソン、レッグスをデレイ・デイヴィス、マネーBをロナルド・ブルックスが演じている。

伝記映画が失敗する典型的なパターンに、この作品は見事なぐらいハマっている。
それは「取り上げる人物の生い立ちを表面的になぞってしまう」というパターンだ。
どういう切り口から掘り下げていくか、どういう部分をスポットを当てるかということをキッチリと定めず、全体を描こうとすると、そういう失敗に陥りがちだ。
どんな人物にも、様々な面がある。仕事で見せる顔もあれば、私生活で見せる側面もある。人生の中で、色んな出来事を体験し、色んな人々と交流して来ただろう。
そういう「主人公の人生」の全てをフォローしようとした場合、おのずと全てが薄っぺらくなってしまう。それをいかに避けるかってのは、伝記映画を作る上で重要なポイントだ。

映画の冒頭、2パックが「アフリカ系アメリカ人は犯罪者に仕立て上げられ、不当な扱いを受けて来た。我々はこの戦いに屈しない」と訴え、聴衆が熱狂して彼の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
本編が始まると、アフェニやムトゥルが黒人の権利や白人からの非道な扱いを主張する様子が描写される。2パックはアフェニに、「僕が革命を起こしてみせる」と力強く宣言する。
そういう導入部にしてあるんだから、2パックを「黒人の権利を主張する熱き革命家」として描くんだろうと想像するのは、ごく自然な感覚だろう。
しかし実際のところ、そこに焦点を絞り込んでいるわけではないのだ。

2パックがラップを始めるようになるシーンは、何しろ彼はラッパーなのだから、ものすごく重要な人生のターニングポイントの1つであるはずだ。
ところが、そこを「トゥパックがインタビュアーに、ラップを始めた理由を語る」というだけで済ませてしまう。
「金が必要になり、本気でラップをやり始めた。そしてレイラ・スタンバーグのヒップホップの詩のワークショップに出入りするようになった」という台詞で片付けてしまうのだ。

2パックは「金が必要になって」と語るけど、どういう事情で金が必要になったのかは教えてくれない。母の知り合いの家で世話になり始めたはずだが、その人は生活費を用意してくれなかったのか。
そもそも、その知り合いも全く登場しないので、オークランドでの生活がとんな感じだったのかは全く分からないし。
あと、「本気で」と言っているんだから、それ以前から遊びではラップを始めていたんだよね。でも、そういう描写も全く無いわけで。
2パックが主役なのにラップとの関わりを雑に扱うって、どういうつもりなのよ。

2パックがレイラのワークショップに出入りするようになったことを語ったら、すぐに「デジタル・アンダーグラウンドのマネージャーに会う」という手順に移る。
そしてショックGのでフロウして、「契約し、気付いたらツアーに加わってた」ってことで1990年のシーンに入る。
2パックがラッパーとしてトントン拍子で成り上がっていく様子が、ものすごく短いスパンで処理される。
伝記映画にありがちな、「ずっとダイジェスト版のような状態」という仕上がりになっているわけだ。

その後も「トゥパックがレコーディングに参加した」「アルバムが大ヒットした」「映画俳優としてもデビューした」ってことが、ただ「そんな出来事がありました」と表面だけをなぞる形で羅列される。
この映画は最初から最後まで、ほぼ「事象の羅列」に留まっている。
たまにドラマ的な箇所も挟まれるが、オマケみたいなモンだ。
本来なら、そっちがメインにならなきゃいけないはず。っていうか、事象の羅列になっている箇所ってのは、無くてもいいのだ。

ちなみに、この映画は「ヒップホップの世界に詳しい人」しか観客層として想定していないので、そっち方面の説明は大胆に省かれている。
レイラ・スタンバーグが何者なのか、デジタル・アンダーグラウンドがどういうグループなのか、そういう説明は一切用意されていない。「この映画を見る人なら、そんなことは百も承知でしょ」というスタンスなのだ。
実際、2パックに興味があるからこそ観賞する人が大半だろうし、説明を大幅に省略していても不便に感じることは少ないだろう。
ただ、そうではあっても、説明不足が物語としての丁寧さに欠けるという印象にも繋がっているように感じる。

テッドが2パックの『Blenda's Got A Baby』について、救いが無いのでアルバムから外すよう求めるシーンがある。
2パックは納得せず、それが実際に起きた出来事を書いた内容であることを熱く語って「俺たちが子供に残してやれるのは文化と音楽だけだ」と言う。彼が「もう一回聴いてくれ」と曲を流して「こんなに深い曲は無いだろ」と言うと、テッドは「ここまで深い曲は初めてだ」と契約を決める。
テッドが外すよう求めてから契約を決めるまで、わずか2分程度の出来事だ。
そんなに簡単に「テッドの意見が変化するまで」を描いてしまうと、その曲自体も「その程度の軽い存在」に思えてしまう。

っていうか、その曲について2パックが熱く語るのなら、そこで取り上げた事件について先に触れておき、「それに感化された2パックが、現実を多くの人々に知らせるべきだと考えて歌詞を書く」という手順も丁寧に描いた方がいいと思うのね。
そういう手順を全く描かず、いきなり「レコード会社の人間に対して曲の内容を熱く語る」というシーンだけを描かれても、ピンと来ないでしょ。
「曲は有名だから、脳内補完してね」ってことなのかもしれないけど、それは観客に委ねる部分が多すぎるよ。手抜きが過ぎるよ。

1993年のシーンで、トゥパックがビギーという男をステージに上げる。そこがビギーの初登場だが、以前から友人関係という設定だ。
っていうかヒップホップ業界に詳しい人なら、それがノトーリアス・B.I.G.なのは百も承知だろう。シュグ・ナイトについても、それが誰かは知っているだろう。ラッパーではないが、ナイジェルがハワイアン・ジャックってことも知っているだろう。
その辺りも、全て知っていることを前提で映画を作っているので、キャラ紹介は皆無だ。
それは置いておくとしても、ビギーのキャラ描写の薄さは大きなマイナスだ。トゥパックとビギーの関係なんて、ものすごく重要なはずなのに薄っぺらいんだよな。

この映画を見ていても、2パックがどんな風に偉大で、どんな風に影響力の大きいスーパースターなのかは全く伝わって来ない。
なぜ彼がラッパーとして尊敬され、広く愛される存在なのかも全く伝わって来ない。
その代わりに、映画を見ていて強く感じるのは、「2パックが全編を通してカッコ悪い言い訳を繰り返している」ということなのだ。
2パックは「悪いのは全て周囲の連中で、俺は何も悪くない」と、何度も声高にアピールしているのだ。

色んな罪で逮捕されたのも、裁判で有罪になったのも、全ては黒人差別だというのが本作品における2パックの主張だ。
そりゃあ確かに、横暴な白人警官や偏見に満ちた政治家、卑劣な黒人たちがいたことは描かれている。でも、「俺は何も悪くない」という主張は、ただの責任転嫁にしか思えないのよ。
例えば、やたらと暴力的なのも、やたらと散財したのも、全て自己責任でしょ。
しかも、そんな様子ばかりが描かれることによって、「黒人の権利を主張する革命家」としての姿は全く見えなくなるし。
そこに正当性があればいいけど、自分の非は棚に上げて「俺が黒人だから酷い扱いを受ける」と言われても説得力は無いよ。

アフェニが2パックに、「革命家は狙われる。奴らは自滅するように追い込む」と忠告するシーンがある。白人の横暴が何度も描かれているし、「白人のせいで黒人は辛い思いをしている」ってことは強くアピールされている。
ただ、終盤に描かれるのは黒人同士の抗争であり、2パックを襲ったのも対立する黒人グループだ。
なので、途中までは白人への怒りが2パックを突き動かす原動力だったはずなのに、それが途中で消えちゃうんだよね。
そりゃあ2パックの人生をなぞったら、途中から黒人同士の抗争にシフトするのは仕方が無いことかもしれない。
ただ、それも含めて、焦点が定まっていないと感じるのよ。

(観賞日:2019年12月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会