『アリータ:バトル・エンジェル』:2019、アメリカ

西暦2563年、没落戦争(ザ・フォール)から300年後。 空中都市ザレムの下にあるクズ鉄だらけのアイアンシティーで、サイバネ医師のダイソン・イドは使えそうな部品を探していた。彼はクズ鉄の山に酷く損傷したサイボーグ少女を発見し、生体反応があることに気付いた。彼は診療所へ連れ帰り、助手のガーハードと共に少女を修復した。翌日、寝室のベッドで目を覚ました少女は自分が修復されていることを知り、イドとカーハードの元へ赴いた。イドは発見した時の状況を詳しく説明するが、少女は何も覚えていなかった。
少女が悲しそうな様子を見せると、イドは力になることを約束した。外に出た少女はザレムを見て興奮し、イドは科学によって浮遊する最後の空中都市だと教えた。少女から名前を付けてほしいと頼まれたイドは、「アリータ」と呼んだ。彼はアリータに街を案内し、世界中から人々が集まって来たこと、誰もザレムには行けないことを説明した。街頭ビジョンで放送される「モーターボール」というスポーツを見たアリータが強い興味を示すと、イドは「君には向いていない」と告げた。
イドが用事で少し目を離した時、アリータは野良犬を見つけて抱き上げた。6人を殺した女性の指名手配書を拾った直後、向こうから警備ロボットのセンチュリオンが歩いて来た。アリータは戦闘態勢を取るが、ヒューゴという青年が飛び付いて路肩に避難させる。アリータは素早くロボットの足元に滑り込み、野良犬を救出した。ヒューゴはアリータの腕を見て、イドが直したことを見抜いた。イドが戻って来ると、ヒューゴは軽く挨拶して立ち去った。その夜、帰宅しようとした女性が、何者かに殺害された。一方、アリータは深夜に帰宅したイドの左手が血だらけになっているのを目にした。
翌日、アリータは手足を奪われたサイボーグを治療するイドを手伝い、部品がモーターボール用に闇市場で売買されていることを知った。ガーハードが昨夜の事件について語ると、患者は被害者の部品が奪われていたことを教えた。イドはアリータに、深夜の外出は避けるよう警告した。イドに不信感を抱いたまま外へ出たアリータは、チレンという女性に呼び止められた。アリータは彼女に腕をじっくりと見られ、不気味さを感じて去った。
チレンは元夫であるイドと会い、亡き娘のボディーをアリータに使ったことを指摘する。「娘は死んだ。忘れた方がいい」とイドが諭すと、チレンは「私は絶対に忘れない」と反発した。アリータはヒューゴと仲間のコヨミやタンジたちがモーターボールの練習をしている場所を通り掛かり、参加させてもらった。チレンはイドに手を組むよう持ち掛け、ザレムに戻ろうと誘った。イドは「ここに降りたら二度と上には戻れない」と言うが、チレンは「ヴェクターなら出来る」と耳を貸さなかった。
イドが協力を断ると、チレンは「必ずザレムに戻る」と断言した。彼女は迎えに来たヴェクターの車に乗り、その場を後にした。アリータはモーターボールの練習で、優れた能力を発揮した。ヒューゴはアリータが過去を何も覚えていないと聞き、露店で買ったチョコレートを食べさせた。ザパンという剣を持った男を見掛けた彼は、賞金稼ぎのハンター・ウォリアーだとアリータに教えた。ヒューゴはザレムに行くのが夢だと語り、「イドはクズ鉄山で君を見つけた。きっと君は上から来たんだと思う」と述べた。
深夜、アリータは大きなスーツケースを持って外出するイドを尾行し、彼が女性を観察して武器を組み立てる様子を目撃した。彼が女性を襲う気だと誤解したアリータは、慌てて制止した。女性は姿を消しており、イドが罠だと気付いた直後、サイボーグ殺人鬼のグリュシカが現れた。グリュシカはイドがハンター・ウォリアーだと知っており、仲間のニシアナやロモに襲わせる。イドはアリータに逃げるよう指示するが、彼女はニシアナとロモを退治する。グリュシカはアリータにダメージを負わされ、復讐を宣言して退散した。
アリータはグリュシカと戦っている時、月面で仲間と戦っていた時の記憶が一瞬だけ蘇っていた。イドはアリータに、犯罪者の懸賞金で診療所を経営しているのだと告げた。「他にも理由があるが、それは話せない」と彼が言うと、アリータは「話すべきよ。戦いが私の記憶の鍵になる。これは誰のボディーなの?」と尋ねる。イドは娘の名がアリータであること、車椅子生活を送る彼女のためにサイボーグのボディーを作っていたこと、診療所に侵入したモーターボーラーに殺されてしまったことを語る。チレンは娘の死を受け入れられず、イドの元を去った。イドは犯人を殺害したが、責任を感じてハンター・ウォリアーになった。
イドはアリータの心臓が特殊であることを教え、戦前に作られたのだろうと述べた。ヴェクターはモーターボールで自分のチームを必ず勝たせるため、最強の戦士を連れて来るようチレンに要求した。グリュシカはチレンの元に転がり込み、アリータにやられたことを告げた。グリュシカの体を調べたチレンは、ザレムから何者かが小型装置でコントロールしていることを知った。そのことを彼女がヴェクターに知らせていると、ボスであるノヴァが装置を使って語り掛けた。チレンの報告を聴いたノヴァは、アリータを連れて来るよう命じた。ヴェクターはチレンに、命令に従えばザレムへ戻すと告げた。
イドはグリュシカが指名手配されていないことを知り、上の人間が守っているのだと確信した。アリータはハンター・ウォリアーになって一緒に戦うことを志願するが、イドが「危険だ」と許可しないので反発した。アリータはヒューゴと共にモーターボールの会場へ赴き、試合を観戦した。ヒューゴは彼女をバックヤードへ連れて行き、モーターボーラーのジャシュガンが王者に近いこと、王者になればザレムに行けることを教えた。チレンはアリータに気付き、ヴェクターに知らせた。
ヴェクターはモーターボーラーのキヌバが優秀な武器になると感じ、チレンはグラインドカッターが利用できると考えた。ヒューゴは仲間たちに呼ばれ、アリータと別れて会場を去った。彼らはキヌバを襲撃し、腕のグラインドカッターを切断した。ヒューゴはヴェクターにキヌバを引き渡し、金を受け取った。翌日、アリータはヒューゴ&コヨミ&タンジと共に、市外へ出掛けた。ヒューゴたちは彼女を密林へ連れて行き、大戦時に敵である火星連邦共和国(アーム)が使った宇宙船を見せた。アリータは船内に入り、そこに残っていたサイボーグのボディーを運び出した。
アリータはボディーを診療所へ持ち帰り、「グリュシカとの戦いに使える。私との繋がりを感じる」とイドに言う。イドは何も教えようとしなかったが、アリータが怒りをぶつけると知っている情報を明かした。そのボディーはアームの人型兵器「バーサーカー」で、かつてのアリータの姿でもあった。アリータはイドに内緒でハンター・ウォリアーの登録を済ませ、ヒューゴだけに教えた。彼女はヒューゴと共にハンター・ウォリアーの集まる酒場へ出掛け、ザパンからマクティーグやマスター・クライヴ・リー、スクリュー・ヘッドといった面々を紹介される。アリータはグリュシカを倒すための協力を要請するが、誰も相手にしなかった。
アリータは馬鹿にするザパンを挑発し、襲って来る彼に力の差を見せ付けた。彼女は店にいる面々も挑発し、「戦って私が勝ったら仲間になってもらう」と告げる。アリータが乱闘を繰り広げていると、イドが駆け付けて制止する。そこへグラインドカッターを装着して改造されたグリュシカが現れ、アリータを引き渡すよう要求した。ハンター・ウォリアーは誰も戦おうとせず、野良犬を惨殺されたアリータはグリュシカに立ち向かう。両脚と右手を切断された彼女の脳裏に、過去の記憶が蘇った。
ノヴァこそが倒すべき敵だと思い出したアリータは、追い詰められながらもグリュシカに反撃する。そこへイドやヒューゴ、マクティーグたちが駆け付け、グリュシカを攻撃して退散させた。イドはアリータを診療所へ連れ帰り、バーサーカーのボディーに接続した。アリータは新しいボディーに適応し、ヒューゴの元を訪れた。ヒューゴは彼女を散歩に連れ出し、キスをした。一方、ノヴァはグリュシカに「失望した」と告げ、アリータを破壊して心臓を持って来るよう命じた…。

監督はロバート・ロドリゲス、原作は木城ゆきと、脚本はジェームズ・キャメロン&レータ・カログリディス、製作はジェームズ・キャメロン&ジョン・ランドー、製作総指揮はデヴィッド・ヴァルデス、撮影はビル・ポープ、美術はスティーヴ・ジョイナー、編集はスティーヴン・E・リフキン&イアン・シルヴァースタイン、衣装はニーナ・プロクター、コンセプト・デザイン監修はベン・プロクター&ディラン・コール、シニア視覚効果監修はジョー・レッテリ、視覚効果監修はエリック・サインドン&リチャード・ホランダー、音楽はトム・ホルケンボルフ。
出演はローサ・サラザール、クリストフ・ヴァルツ、ジェニファー・コネリー、マハーシャラ・アリ、エド・スクライン、ジャッキー・アール・ヘイリー、キーアン・ジョンソン、ラナ・コンドル、ジョージ・レンデボーグJr.、エイザ・ゴンザレス、ジェフ・フェイヒー、アイダラ・ヴィクター、リック・ユーン、デレク・ミアーズ、レナード・ウー、レーサー・マクシミリアーノ・ロドリゲス・アヴェラン、マルコ・サロール、ウーゴ・ペレス、キャスパー・ヴァン・ディーン、ビリー・ブレア、ジェイミー・ランドー、ディミトリウス・プリード、パトリック・ガスロン、エリー・ラモント他。


木城ゆきとの漫画『銃夢』を基にした作品。
監督は『マチェーテ・キルズ』『シン・シティ 復讐の女神』のロバート・ロドリゲス。脚本は『タイタニック』『アバター』のジェームズ・キャメロンと『アレキサンダー』『シャッター アイランド』のレータ・カログリディスによる共同。
ジェームズ・キャメロンが自身の監督作以外で脚本を担当するのは、1995年の『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』以来となる。
アリータをローサ・サラザール、イドをクリストフ・ヴァルツ、チレンをジェニファー・コネリー、ヴェクターをマハーシャラ・アリ、ザパンをエド・スクライン、グリュシカをジャッキー・アール・ヘイリー、ヒューゴをキーアン・ジョンソン、コヨミをラナ・コンドル、タンジをジョージ・レンデボーグJr.、ニシアナをエイザ・ゴンザレス、マクティーグをジェフ・フェイヒー、ガーハードをアイダラ・ヴィクター、リーをリック・ユーンが演じている。
アンクレジットだが、ノヴァをエドワード・ノートン、ジャシュガンをジェイ・コートニー、ゲルダをミシェル・ロドリゲスが演じている。

まず導入部からして、観客を引き付ける力が弱い。そもそも「いきなりですか」と言いたくなるが、そこの説明は後に回すとして。まずは、イドがアリータを回収し、修復するシーンについて触れよう。
イドとガーハードが修復作業に取り掛かり、シーンが切り替わると翌朝になっていて、アリータが目を覚ます。この時、昨晩の時点では頭部もマネキン剥き出しのような状態だったアリータが、すっかり頭髪の揃った少女の容貌に変身しているのよね。
「そんなに短時間で、そこまで変身させられるのかよ」と言いたくなるのよ。腕がいいのかもしれないけど、そこは料理番組の「1時間経った物が、こちらにあります」という鍋やフライパンの差し替えと似たようなモノを感じてしまうのよね。
例えば、ここでタイトルでも入れてしまえば、そんな印象は抱かなかっただろうと思うんだけどね。

もう1つ、アリータが目を覚ましたシーンでは、「目がデカすぎるなあ」というトコにも違和感を覚える。もちろんローサ・サラザールの実際の目ではなく、VFXで大きく誇張しているのだ。
ロバート・ロドリゲスは原作漫画の雰囲気に近付けるため、意図的にそういう細工を施している。
これに関しては、「最初は気になったけど、見ている間に慣れた」と評している人も少なくないようだ。
でも個人的には、ずっと違和感が拭えないままで終わってしまった。他のキャラは普通の人間のままだから、アリータだけが浮いているしね。

あと、「わざわざ目を大きくする意味ってあるの?」ってのが引っ掛かるのよね。
漫画に近付けると言っても、他の部分は人間なわけで。「そんなに漫画に近付けたいのなら、アニメで良くね?」と言いたくなっちゃうぞ。
目の部分だけを大きくしたところで、原作のアリーとは全く違うわけで。それに、ローサ・サラザールに何の加工もせずに演じさせたとしても、「目が大きくないからダメ」なんてことは誰も思わなかっただろうし。
むしろ中途半端に近付けたことで、余計な違和感を生んでいるんじゃないかと。

序盤、「アリータがイドに不審を抱く」という要素がある。そこから彼女がイドを尾行する展開に繋がって行くが、「こんなトコで手間と時間を費やすのは無駄だなあ」と感じる。
アリータは「イドが女性を殺して部品を奪っているのでは」と疑っているけど、「そんなわけがねえし」と呆れたように言いたくなっちゃうんだよね。
イドがそんな奴じゃないのは、最初から明白なのよ。だから、そこでミスリードを狙い、緊張感を高めてドラマを盛り上げようとしても、「目の付け所を間違えている」としか思えないのよね。
そもそも尺が全く足りていないのに、なんで無駄なトコで時間を浪費しているのかと。

チレンは登場した直後から、ずっと「ザレムに戻りたい」と熱望している。彼女はザレムに戻るためにヴェクターと手を組み、汚い行為に手を染めている。
チレンだけでなく、ヒューゴもザレムへ行くことを夢見ている。そして彼もまた、ザレムへ行くためにアリータを利用することを企む。
本来は2人とも善玉なので終盤に入って翻意するけど、そんな人を悪の道に引きずり込むほどザレムってのは魅力的な場所のようだ。
でも、こっちには全くザレムの良さが伝わって来ない。いかに素晴らしい場所とされているのか、そこに何があるのかを全く説明していないので、チレンやヒューゴのモチベーションがサッパリ理解できないのよ。

もう1つの問題として、「アイアンシティーの生活って、そんなに酷くて今すぐ逃げ出したいぐらいのレベルなのかな」ってことがある。
どうやらスラム的な場所として設定されているみたいだけど、そんなに劣悪な環境には見えないんだよね。
例えば、犯罪が異常なほど多発しているのかというと、そんな様子は見られない。政府によって徹底的に監視され、些細なことでも処刑されてしまうような社会なのかというと、そんな様子も見られない。そして市民の暮らしぶりを見ても、「飢えている」「苦しんでいる」「困窮している」といった様子は全く伝わって来ない。
なので、「無理してザレムを目指さなくてもいいんじゃないのか」と思っちゃうのよね。

特殊な世界観で色んな専門用語が飛び交うのだが、ほとんど説明は無いまま物語をどんどん進めている。例えばモーターボールなんかも、ルールがサッパリ分からない。
原作を読んでいない人が観賞したら、話に付いて行くのに苦労する可能性が高い。
SF映画やファンタジー映画では「世界観を説明するための手間や時間が必要」という問題が必ず付きまとうのだが、そこを上手く処理できていない印象だ。
まあ上手く処理できていないっていうか、「ほぼ放棄している」って感じだね。

世界観の説明を放棄したんだから、物語の方は充実しているのかというと、これが見事に崩壊している。
簡単に言うと、詰め込み過ぎだ。
アリータがイドと出会い、ここで疑似親子関係が生じる。アリータがヒューゴと出会い、恋愛劇が生じる。イドにはチレンとの夫婦関係があり、チレンはヴェクターと組んで悪事に加担している。
ハンター・ウォリアーがいて、モーターボールがある。アリータの記憶を巡る要素があり、彼女と敵の戦いがあり、ノヴァの野望があり、ヴェクターの目的がある。
色んな要素を上手く絡み合わせることが出来ず、綺麗に風呂敷を畳むことに失敗している。

途中でノヴァが「全ての黒幕」みたいな感じで登場し、アリータも「倒すべき敵はノヴァ」ってのを思い出す。
だけどノヴァがいるのはザレムなので、そこまで行かないと彼を倒すことは出来ない。
それにしてはアリータがザレムへ向かいそうな気配が皆無で、「このペースでラスボス戦まで辿り着くのは無理だろ」と思っていたら、やっぱり無理だった。
まるで打ち切りになった週刊少年ジャンプの漫画みたいに、「俺たた(俺たちの戦いはこれからだ)」ってな感じで映画は終わっていた。

これが最初から前後編や3部作として作られているなら、途中で話が終わっていても仕方がないとは思うのよ。だけど、この映画は1本で成立する作品として、一応は公開されているはずで。
仮に「ヒットすれば続編も」と考えていたとしても(っていうか確実に続編を想定していたんだろうけど)、ひとまず話は完結させておくべきでしょ。
最初から「第2作に続く」ってのを露骨にアピールする結末にしたら、もしヒットせずに終わった時に「単に尻切れトンボなだけの映画」として残っちゃう羽目になるんだぞ。
実際、この映画もどうやら続編の話は無くなったみたいだし。

(観賞日:2021年1月13日)


2019年度 HIHOはくさいアワード:第8位

 

*ポンコツ映画愛護協会