『アレキサンダー大王』:1956、アメリカ

紀元前356年、ギリシャ。アイスキネスはアテナイ人の聴衆に対し、戦いの必要性を強く訴えた。デモステネスは彼に真っ向から反論し、フィリッポス2世の征服計画に抗議すべきだと訴えた。遠征先のフィリッポスは、妻のオリュンピアスが男児を出産してアレキサンダーと名付けたことを使者から聞かされた。彼がマケドニアに戻ると、オリュンピアスはアレキサンダーのことを「小さな神」と呼んだ。予言者のアリスタンドロスは、「世界を食い尽くすのが王の息子」と告げた。フィリッポスはアレキサンダーを始末しようと企むが、側近であるパルメニオンがギリシャ全土を支配し続けるために考え直すよう諭した。
青年に成長したアレキサンダーはアリストテレスの下で勉学に励み、仲間のフィロタスたちと共に戦闘訓練を重ねた。仲間で1人だけ遠征に参加していたクレイトスが戻り、フィリッポスがペルシャに侵略したことを語った。クレイトスが帰還したのは軍の訓練と再招集のためだが、アレキサンダーは従軍の話が無いので不満を抱いた。アリストテレスは「征服しても統治は出来ない」と忍耐の必要性を説いても、彼は「短命でも栄光を選ぶ」と考えを曲げなかった。
フィリッポスは戦地から戻り、アレキサンダーに「首都ペラの宮殿で反乱が起きている」と述べた。彼は自分が戦っている間、代わりにペラを統治するようアレキサンダーに指示した。側近のアッタロスやアリストテレスは反対していたが、アレキサンダーは承諾した。彼が宮殿に着くと、オリュンピアスは「王は陰謀を企てていると言って長年の友人たちを処刑している」と話す。彼女は何年も前から王が自分を邪魔に思っていると語り、フィリッポスがアッタロスの姪であるエウリュディケーと再婚するのだと教えた。
アレキサンダーはオリュンピアスから、「王に逆らわず、摂政になったら私たちで統治するのよ」と告げられた。フィリッポスに呼ばれた彼は、「王妃が陰謀を企てている。あの女は統治したいのだ。アンティパトロスも言いなりで、軍を送らせない」と言われる。摂政として王妃を追放するよう指示されたアレキサンダーは、反発して拒否した。フィリッポスはアレキサンダーを摂政に任命してアンティパトロスを顧問にするよう告げ、「王権の法則を教えよう。誰も信じるな。そして孤独に慣れろ」と説いた。
アレキサンダーはアンティパトロスたちに、「都市アレクサンドロポリスを再建する」と宣言した。戦地へ赴いた彼は、フィリッポスから勝手な行動を批判された。フィリッポスが足の負傷に苦しむと、アレキサンダーは「数々の栄光の証拠となる傷だ。誇りに思うがいい」と言い放った。フィリッポスは彼に左翼の騎兵部隊を与え、「今度こそアテナイを倒す」と口にした。彼は「エウリュディケーは私の大事な女性だ」と丁重な対応を促すが、アレキサンダーは冷淡な態度を取った。
マケドニア軍はカイロネイアでアテナイ軍と戦い、アレキサンダーは窮地に陥ったフィリッポスを助けた。マケドニア軍が勝利を収めると、フィリッポスは酔っ払って「私のギリシャだ。お前のじゃない」とアレキサンダーに告げた。眠り込んだ彼を見て、アレキサンダーは「愚かな老いぼれ」と呟いた。フィリッポスは和平条約を結ぶため、遺灰の警護役としてアレキサンダーをアテナイに送った。アテナイ軍の将軍であるメムノンから妻のバルシネを紹介されたアレキサンダーは、心を奪われた。アレキサンダーは捕虜を解放する条件として、ペルシャ侵攻のために兵士や武器を提供するよう要求した。アテナイは承諾し、和平条約が締結された。
帰国したアレキサンダーは、オリュンピアスから国王令によって離婚したこと、フィリッポスが全国民に「王妃は不誠実だ」と言ったことを聞かされた。アレキサンダーは祝宴の場でフィリッポスを非難し、オリュンピアスと共にペラを出た。エウリュディケーに男児が誕生すると、アレキサンダーは恩赦によって帰国した。フィリッポスは部隊を組織するよう命じ、1週間以内にフィロタスを含む側近4名を追放するよう要求した。アレキサンダーは憤慨するが、フィロタスたちは受け入れた。側近のパウサニアスはフィリッポスに嘲笑され、腹を立てた。それを知ったオリュンピアスは、フィリッポスを殺すようパウサニアスに吹き込んだ。
アレキサンダーはオリュンピアスから、フィリッポスがエウリュディケーの息子を後継者にするつもりだと示唆される。次の日、父に同伴して外出したアレキサンダーは群衆の中に紛れるパウサニアスに気付くが、そのまま放置した。パウサニアスはフィリッポスを刺殺して逃亡を図るが捕まり、その場でアレキサンダーが処刑した。王位を継いだアレキサンダーは各都市の代表者を集め、自分に忠誠を誓うよう要求した。アテナイ代表のメムノンが拒否すると、彼はギリシャからの追放を通告した。
紀元前334年春、アレキサンダーは3万の兵を率いてヘレスポントス岸に到着し、大陸の征服を目論んだ。ペルシャ軍を率いるダレイオス3世に雇われたメムノンは、沿岸の町を焼いて撤退し、戦地を1つに絞り込むよう助言した。しかし将軍たちは怒って反対し、ダレイオスも留まって戦うことを決定した。メムノンは仕方なく従うことを決め、アレキサンダーの軍勢に挑んだ。しかし途中で多くの兵士が逃亡したため、メムノンは部下への寛大な処置をアレキサンダーに求めた。アレキサンダーは拒否し、ギリシャの兵隊を全滅させた。彼は各地の港でペルシャ艦隊を撃破し、捕虜には奴隷として強制労働に従事するよう命じた…。

脚本&製作&監督はロバート・ロッセン、撮影はロバート・クラスカー、編集はラルフ・ケンプレン、美術はアンドレ・アンドレイエフ、衣装はデヴィッド・フォークス、音楽はマリオ・ナシンベーネ。
出演はリチャード・バートン、フレドリック・マーチ、クレア・ブルーム、ダニエル・ダリュー、バリー・ジョーンズ、ハリー・アンドリュース、スタンリー・ベイカー、ナイアル・マクギニス、ピーター・カッシング、マイケル・ホーダーン、マリサ・デ・レザ、グスタヴォ・ロホ、ルーベン・ロホ、ピーター・ウィンガード、ヘルムート・ダンティーン、ウィリアム・スクワイアー、フリードリッヒ・フォン・レデブール、ヴィルヒリオ・ティシェイラ、テレサ・デル・リオ、フリオ・ペーニャ、ホセ・ニエト他。


マケドニア王国のアレキサンダー大王の生涯を描く歴史劇。
脚本&製作&監督は『オール・ザ・キングスメン』『マンボ』のロバート・ロッセン。
アレキサンダーをリチャード・バートン、フィリッポスをフレドリック・マーチ、バルシネをクレア・ブルーム、オリュンピアスをダニエル・ダリュー、アリストテレスをバリー・ジョーンズ、ダレイオスをハリー・アンドリュース、アッタロスをスタンリー・ベイカー、パルメニオンをナイアル・マクギニス、メムノンをピーター・カッシング、デモステネスをマイケル・ホーダーン、エウリュディケーをマリサ・デ・レザ、クレイトスをグスタヴォ・ロホが演じている。

冒頭、「激闘に耐え、危険を冒す者が栄光を手にする。勇気を持って生き、名声を残す死こそ素晴らしい」というナレーションが語られる。つまり、「そんな生き方をしたアレキサンダーは立派な英雄だ」と言いたいわけだ。
ところが、明らかに彼を侵略者として描いている部分もある。
なので、映画としてのスタンスが中途半端に感じる。
もちろん、「功罪両面があった人物でした」と描くことも出来なくない。ただ、そういう深みのあるドラマを構築できているとは到底思えない。

冒頭、デモステネスとアイスキネスが群衆の前で弁論するシーンが描かれているが、ここから物語を始める意味を感じない。
デモステネスはフィリッポスのギリシャ制圧計画を批判しているのだが、アレキサンダーはそんな父を手伝い、引き継ぐことになるわけで。
そうなると、アレキサンダーの計画も批判されるべきってことになるはずで。フィリッポスとアレキサンダーのやり方って、そんなに大きな違いがあるようにも描かれていないし。
なので、どういう意図で弁論家のシーンから始めたのかが良く分からない。

フィリッポスは最初、アレキサンダーを遠征に参加させていない。かつてのアリスタンドロスの言葉もあるし、大事な仕事を回さずに冷遇しているのかと思ったら、摂政に命じて首都の統治を任せる。
さらに、アレキサンダーが戦地へ来ると、部隊を任せて戦闘にも参加させる。
ってことは、どうやら疎んじて冷遇しているわけではなさそうだ。
どういう判断基準でフィリッポスがアレキサンダーに仕事を任せているのか、その辺りはボンヤリしている。

アレキサンダーはクレイトスが帰還した時、戦争に参加させてもらえないことで「父を愛しているが栄光を独り占めしている」と不満を漏らす。しかしフィリッポスが戻ると喜び、ペラの統治を任されると快諾する。
オリュンピアスの元へ行くと不快感を示すが、彼女の味方をしてフィリッポスに反発する。しかし、オリュンピアスに「王権は生得の権利だ。誓いたいのなら、それを誓え」と苛立ちをぶつける。でも、その後には笑顔で抱き合うシーンもある。
「父にも母にも愛憎がある」ってのを描きたいのかもしれないが、その複雑な心情を丁寧に掘り下げることは出来ていない。
だから、その場に応じてコロコロと態度が変わる、掴み所の難しい男になっている。

アレキサンダーがアレクサンドロポリスの再建を宣言した後、カットが切り替わると街で人々に歓迎されている。そこからカットが切り替わると、今度は彫像のある丘でオリュンピアスと嬉しそうに抱き合っている。
ここ、何を伝えようとしているシーンなのかが分からない。
そこからシーンが切り替わるとアレキサンダーが戦地のフィリッポスを訪ねて摂政の座を返還しているが、これも「なぜアレキサンダーが戦地に赴いているのか。なぜフィリッポスはそれを容認しているのか」ってのが良く分からない。
省略するにしても、そこの経緯が全く伝わらないのよね。

フィリッポスは戦地へ来たアレキサンダーに対し、「山岳部族を処刑し、捕虜を勝手に解放した」と批判する。そんな大事なことを、台詞による説明だけで簡単に片付けてしまうのかよ。
あと、アレキサンダーとオリュンピアスのハグは彫像を完成したことに対するハグであり、それは「アレクサンドロポリスを再建した」ってことらしい。でも、それも推理して何となく理解できただけであり、ホントはもっと明確に伝わるような描写があるべきじゃないのか。そこも丸ごとカットってのは、どういうセンスなのかと。
あと、アレキサンダーは戦地に来た時、急にフィリッポスへの態度が生意気に変化している。そこまでに何があって、どう変化したのか。
何年も経過している設定かもしれないが、それも全く伝わらないし。

アレキサンダーがオリュンピアスに「今夜、ペラを出る」と告げてからシーンが切り替わると、「エウリュディケーに男児が誕生したので追放者を家に帰らせる恩赦が出た」という情報が示される。
つまり、ここの経緯もバッサリとカットされているわけだ。
ペラを出た後のアレキサンダーの生活は、全く描かれないのだ。
省略している箇所は、全てアレキサンダーの変化や成長を描く上で重要なターニング・ポイントばかりだと思うのだが、そこが無いのでドラマとして弱くなっている。

メムノンはダレイオスの命令に従って戦うことを決めた後、バルシネに「アレキサンダーを倒して専制政治を終わらせる」と言う。
するとバルシネは、「ペルシャ帝国は古くて腐敗している。新しい力と思想が必要よ」と述べ、アレキサンダーの征服計画を全面的に肯定する。
ギリシャを征服したことも、「そのおかげでギリシャは変わった」と好意的に捉えている。
バルシネは本作品でヒロインのポジションを担うキャラクターなのだが、この時点でヒロイン失格だと感じる。

で、バルシネは夫に反対して肯定するぐらいアレキサンダーの征服計画を歓迎していたのに、自分が人質にされると途端に批判する。でも、すぐアレキサンダーの女になって寄り添うようになる。
ただのメムノンを裏切ったドイヒーな女でしかない。
メムノンはアレキサンダーへの忠誠を拒否して追放され、ペルシャ軍に金で雇われた奴として批判の対象になっているけど、アレキサンダーに比べりゃ遥かに立派な将軍だよ。
アレキサンダーは自分を神の子と称して増長し、侵略や殺戮を正当化しているだけだ。
彼には賛同できる大義など何も無い。独裁国家の首領のような奴なのだ。

(観賞日:2022年9月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会