『エア・バディ2』:1998、アメリカ&カナダ

ファーンフィールドに住む少年ジョッシュは、飼い犬バディと大の仲良しだ。バディは天才バスケットボール犬で、ボールを巧みに操ってみせる。ジョッシュ、妹アンドレア、母ジャッキー達と出掛けたプロ・バスケの試合では、コートに乱入して見事なプレーを披露した。
ロシアから来た動物サーカスの団長ナターリャと副団長ポポフは、花形スターを作るために多くの動物を盗んでいた。そんな2人が、テレビでバディのニュースを見た。ナターリャとポポフは、バディを盗んでサーカスのスターにしようと企む。
夫を亡くしてバツイチ生活が長いジャッキーは、会社の同僚とデートするが、上手く行かない。そんな中、彼女は動物クリニックの代理獣医パトリックと知り合い、何度もデートを重ねるようになる。ジョッシュは平静を装うが、あまり快く思っていない。
中学生になったジョッシュは、友人トムに誘われてアメフト部に入部することにした。コーチのファネリの前で強肩を披露したジョッシュは、控えのクォーターバックになった。公園でジョッシュが何気無くボールを投げると、バディは見事に口でキャッチした。
ジョッシュは、サルター校長とファネリの会話を盗み聞きしてしまう。校長は、アメフト部が長く勝利していないことから、シーズン終了後にはチームを解散するか、ファネリを解雇するか、どちらかを選ばなければならないと語っていた。
ジョッシュにとって、最初の試合の日が来た。QBのコールが脱臼したため、ルールも良く知らないジョッシュが途中出場することになった。そこへ、ナターリャ達から逃亡したバディが現れた。ジョッシュが投げたボールを、フィールドに乱入したバディがキャッチした。
ジョッシュはアンドレアと共に、バディ用のヘルメットとプロテクターを作った。そしてコーチやチームメイトの賛同を得て、バディはアメフト部員として一緒にプレーすることになった。バディの大活躍のおかげで、アメフト部は決勝戦まで勝ち進む…。

監督はリチャード・マーティン、"Air Bud"キャラクター創作はケヴィン・ディシッコ、脚本はポール・タマシー&アーロン・メンデルソーン、製作はロバート・ヴィンス、製作協力はイアン・フォディー、製作総指揮はマイケル・ストレンジ&アン・ヴィンス&ウィリアム・ヴィンス、撮影はマイク・サウソン、編集はブルース・ラング&メリンダ・シーブロック、美術はレックス・ラグラン、衣装はパトリシア・ハーグリーヴス、音楽はブラーム・ウェンガー。
出演はケヴィン・ゼガーズ、グレゴリー・ハリソン、シンシア・スティーヴンソン、ノーラ・ダン、ペリー・アンジロッティー、ロバート・コスタンゾ、ティム・コンウェイ、ディック・マーティン、シェイン・ソルバーグ、スザンヌ・リスティック、アリソン・マクラーレン、ウォーレン・ムーン、ジョーイ・ギャロウェイ、ブルー・エドワーズ、フィル・チルカット、ジョージ・リンチ、サム・マック、リー・メイベリー、イヴァノ・ニュービル他。


1997年の作品『エア・バディ』の続編。『天才アメフト犬バディ 幸せのタッチダウン』という別タイトルもある。
ジョッシュ役のケヴィン・ゼガーズは前作から引き続いての出演だが、母親ジャッキー役がウェンディ・マッケナからシンシア・スティーヴンソンに代わっている。他に、パトリックをグレゴリー・ハリソン、ナターリャをノーラ・ダンが演じている。

『エア・バディ』は、ゴールデン・レトリバーのバディが、バスケットボールの天才的な才能を発揮して大活躍するという話だった。それの続編を作るとなれば、普通はバスケの才能を伸ばすか、レヴェルを上げることを考えるだろう。つまり、例えばプロ・バスケのチームにバディが加わるとか、もっと強いチームと戦うとか、そういうことだ。
しかしながら、「またバスケじゃ能が無いだろ」とでも考えたのか、扱うスポーツそのものを変えてしまった。今度は、アメフトに挑戦させたのだ。アメリカの4大スポーツの内、バスケの次に出来そうなのがアメフトだったということなんだろうか。

しかし、犬がアメフトをプレーするってのは、ちょっと無理がありすぎた。何しろ、バスケと違って、アメフトではボールを完全にキャッチする必要があるのだ。
どう考えたって、飛んでくるアメフトのボールを口でキャッチするってのは不可能だ。劇中では見事にキャッチしているが、もちろんキャッチしやすいようにボールに細工してあるのだ。
もう1つの問題は、アメフトの動きである。
バスケットなら、ドリブルやジャンプシュートなどの動きがある。
今回のアメフトの場合、「キャッチする」「走る」の2つぐらいである。走るのは普通の行動だし、キャッチするのも、それほどのインパクトは無い。
つまりバスケットをするのに比べると、犬がアメフトをする様子は、面白味が落ちるのだ。

ジャッキーとパトリックの関係にジョッシュの心が乱れるというストーリーがあるが、そんな人間ドラマは、どうだっていい。どのみち、ショボショボな話とか描かれていないし、無駄な人間ドラマで時間をロスすると、それだけバディの活躍する場面が減る。
何よりも、その「主人公とママと恋人」という人間関係のドラマにおいて、バディは全く関係が無いのだ。だったら要らないだろうってコトだ。パトリックが犬嫌いだったり犬アレルギーだったりという設定であれば、バディを上手く絡めるのも可能だったと思うが。

ナターリャとポポフは、『ホーム・アローン』の泥棒2人組のように、コメディ・リリーフとして登場する。しかし、それほど上手く話に絡んでいない。この2人、「決勝戦で、最後の最後までバディがいない」という状況を作るためだけに登場したようなモノだ。
しかし、前述の状況をつくりたいだけなら、無駄なキャラを序盤から出さなくても、他に方法があったじゃないかと思ってしまう。監禁場所からバディが自力で脱出するなら、まだ「犬の活躍」を描くことに繋がるが、猿が活躍してバディを逃がしてるし。

ファネリがクビになるかもしれないという設定も、全く意味が無い。欲張って「あれも、これも」と詰め込んだはいいが、どれも手に負えなくなっている。
そもそも、家庭のドラマとスポーツのドラマ、この2つだけでもバラバラになっているのだから、そりゃ当然だ。そんでもって、肝心の「主人公と犬の交流」という部分は、おざなりになっているという始末。
終盤、ナターリャ達によって、バディは連れ去られてしまう。普通に考えれば、ジョッシュが気付いて必死に探し回るという流れになる。
ところが、ジョッシュはママとパトリックのことを考えている。で、バディがいなくなったことに気付くが、すぐに決勝戦のシークエンスに移ってしまう。
バディのことは、放置されてしまうのである。

で、その決勝戦だが、ラストのプレーに、バディは参加していない。
フィールドの外で傍観しているだけである。
最後にバディを活躍させないのなら、何のためにアメフトをさせたのか分からない。そこはジョッシュが投げて、バディがキャッチしないと意味が無いでしょ。
まあ色々と書いてきたが、犬が好きなら、それなりに楽しめるかもしれない。
ただし、とにかくバディが出てこないことには、何も始まらない映画だ。
逆に言えば、バディだけを見ていればいい。そういう作品である。
これぐらい分かりやすいことは無い。


第21回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【誰も要求していなかった続編】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会