『アデライン、100年目の恋』:2015、アメリカ&カナダ

2014年12月31日。サンランシスコを走る1台のタクシーに、ある女性が乗っていた。産まれた時の名前はアデライン・ボウマンだが、現在はジェニー・ラーセンと名乗っていた。彼女はマリン郡のアパートへ行き、トニーという青年を訪ねた。トニーはアデラインを部屋に招き入れ、偽造した彼女のパスポートと身分証を差し出す。指定された通りに年齢は29歳に設定してあるが、トニーは「どうせなら2歳ぐらいサバを読んでおけば?貴方なら通るのに」と言う。
アデラインは彼に金を渡し、アパートを後にした。自宅に戻ったアデラインは、愛犬のリースに「次は田舎よ」と語り掛ける。アデラインはタクシーを拾い、勤務する市立資料館へ出向いた。彼女は同僚のコーラとケネスに挨拶し、ニュース映像をデジタル化する作業に取り掛かった。昔のフィルムを眺め、彼女は懐かしそうな表情を浮かべた。1908年1月1日、アデラインはサンランシスコの小児病院で誕生した。1929年6月16日、アデラインは母親と工事の見学に訪れ、若い技師の気遣いに触れた。
87日後、アデラインはセント・メアリー大聖堂で技師のクラレンス・ジェームズ・プレスコットと結婚式を挙げた。3年後、アデラインは女児を出産し、フレミングと名付けた。1937年2月17日、ゴールデン・ゲート・ブリッジの工事中に足場の崩落事故が発生し、クラレンスは命を落とした。それから10ヶ月後、アデラインはフレミングの待つ両親の別荘へ車を走らせていたが、大雪が降り出したせいで事故を起こしてしまう。川に転落した彼女の体は無酸素状態に陥り、心臓は鼓動を止めた。
しかし稲妻が車を直撃するとアデラインの鼓動は復活し、彼女は決して老いることの無い体になった。年月を経ても容姿が変わらない理由について、アデラインは健康な食事と運動と遺伝と運のおかげだと説明した。45歳になった頃、アデラインは軽い交通違反で警官に呼び止められた。警官は不審を抱いて免許証を預かり、出生証明書を持って来るよう指示した。アデラインはサンフランスシコに戻り、医科大学の事務の仕事を始めた。自分の体について調べた彼女は、科学では説明が付かないと知った。
FBI捜査官に疑われて連行されそうになったアデラインは、隙を見て逃亡した。アデラインはフレミングに「誰かに訊かれたら、私はヨーロッパへ行って戻らないと答えて」と頼み、娘と別れて暮らすことを決断した。彼女は住所も見た目も10年ごとに変えながら、誰にも秘密を口外せず60年に渡って生きてきた。7週間後にはサンフランシスコを離れ、オレゴン州で新たな生活を始めることもアデラインは既に決めていた。
アデラインは目の見えない友人のレーガンから電話を受け、大晦日にグランド・ホテルで開かれるパーティーへの参加について確認された。レーガンにとって、アデラインはアマンダという名前の女性だった。アデラインはドレスアップしてホテルへ出掛け、戦時中の自分が写っている写真が飾られているのを見つけた。パーティー会場に入った彼女は、レーガンのいるテーブルを見つけて隣の席に座った。2人が喋っていると、デイル・ダヴェンポートという男性が話し掛けて来た。
アデラインが「貧しい画家なの。裕福な実家の援助を断ってるの」とレーガンに紹介したので、デイルは驚いて「前に会った?」と尋ねる。アデラインが「カルティエの腕時計が初期のモデルだから、裕福な祖父の贈り物じゃないかと思っただけ」と話すと、彼は「曽祖父だよ。でも絵を描くってことは?」と言う。アデラインは「手に絵の具が付いてる」と告げて軽く笑い、レーガンは彼を座らせて一緒に話す。アデラインはエリスという男性に気付くが、女連れだと知って視線を外した。
アデラインがレーガンに声を掛けてホテルを出ようとすると、エレベーターにエリスが乗り込んで来た。エリスは彼女を追い掛けて口説き、一緒にいたのはシェフの姪で恋人ではないと説明する。アデラインは軽く受け流し、エリスが執拗に粘ってもタクシーで去った。誕生日を迎えたアデラインの元を、老齢になったフレミングが訪ねて来た。レストランで一緒に昼食を取ったアデラインは、アリゾナの高齢者専用住宅に引っ越すつもりだとフレミングから聞かされる。フレミングの近くに住むことを考えてオレゴンを選んだアデラインは、落胆を隠せなかった。いずれ同居することも念頭に入れていたアデラインだが、フレミングの考えは変わらなかった。
休みを終えて資料館に出勤したアデラインは、ジョーンズという男性が高額な初版本を寄贈することを知らされる。そこへやって来たのはエリスで、彼が初版本の寄贈者だった。彼は文化遺産保存協会の理事を務めており、アデラインがいることを知って本の寄贈を決めたのだ。「君に本を渡したい」と寄贈式への出席を求められたアデラインは、「写真を撮られたくないの」と断った。するとエリスは「君が受け取らないのなら寄贈しない。本を燃やしてもいい」と言い、寄贈式に出席する代わりにデートを持ち掛けた。
アデラインが仕方なくOKすると、エリスは彼女を地下の鉱山へ案内する。どうしてお金持ちになれたのかアデラインが尋ねると、エリスは「運だね」と答える。彼は大学時代に気象データを解析するアルゴリズムを開発したこと、ルームメイトと会社を設立したこと、会社を売却して利益を得たことを語った。アデラインはエリスから2度目のデートに誘われ、断ろうとしたが結局はOKした。ファイナンシャル・アドバイザーの元へ赴いた彼女は、しばらく旅に出るので口座の署名者を追加したいと告げた。アデラインはゼロックスが社名を変える前から投資し、利益を得ていた。彼女は追加する署名者として、次に自分が使うスーザン・フライシャーの名前をファイナンシャル・アドバイザーに告げた。
アデラインはエリスのアパートへ行き、彼の作った料理を一緒に食べた。エリスは家族のことを語り、父は天文学者で珍しい彗星を発見したと告げる。エリスはアデラインに、パーティーより前に目撃して好意を抱いていたことを明かす。アデラインはエリスとキスを交わし、一夜を共にした。幸せな気分で翌朝を迎えたアデラインはタクシーで帰路に就くが、公園のベンチを見て顔を強張らせた。自宅に戻った彼女は衰弱しているリースを見て驚き、急いで動物病院へ連れて行く。リースは腎臓が弱っており、助けることは出来ない状態だったのでアデラインは仕方なく安楽死させる。
悲嘆に暮れたアデラインは、エリスから電話があっても無視した。資料館で住所を聞いたエリスが訪ねて来ると、彼女は「理由があって住所は教えなかった。私から連絡するのを待ってほしかった。諦めて。引っ越すの」と彼を拒絶した。アデラインは引っ越しの手伝いに来たフレミングに、「いい人たちを騙すのに、もう疲れてしまった」と漏らす。フレミングは「愛する人が欲しいと思わない?」と言い、エリスのことを聞くと彼に謝って関係を修復するよう諭した。
アデラインはエリスの職場へ謝罪に赴き、かつて映画館だった倉庫へ連れて行く。アデラインは映画館を作った女性が倉庫に取り付けた発光フィラメントのプラネタリウムをエリスに見せ、屋内に置いてある車に乗って語り合う。エリスから両親の結婚40周年記念パーティーに招待されたアデラインは、快く承諾した。エリスはアデラインと車で帰郷し、妹のキキを見つけてピックアップした。彼は実家に到着し、父のウィリアムと母のキャシーにアデラインを紹介した。
ウィリアムはアデラインを見て驚き、「アデライン」と呼ぶ。アデラインもウィリアムを知っていたので困惑するが、「ジェニーです」と取り繕う。ウィリアムが「古い友人に生き写しだ」と言うと、アデラインは「私の母です」と誤魔化した。ウィリアムが「お母さんは?」と訊くと、彼女は「6年前に亡くなりました」と答えた。ウィリアムはロンドンの医大に留学していた頃、アデラインと出会った。彼はアデラインに惹かれ、5週間を共に過ごした。アデラインは誓いを破り、ウィリアムに本名を明かした。3週間後、大学が休みに入ったウィリアムは、アデラインを連れて帰国した。そんな思い出を、ウィリアムは1人になって回想した。
次の朝、ウィリアムはアデラインとエリスがいる前で、妻から「アデラインの母親と、どこで出会ったの?」と質問される。ウィリアムはロンドン郊外でアデラインの車がエンストしている時に助けたこと、医大を辞めようか悩んでいた時に彼女が背中を押してくれたことを語った。キャシーはウィリアムがアデラインを本気で愛していたことを知り、泣きながら「私が二番手だなんて思わせないで」と抗議した。「君は大げさに考え過ぎだよ。大したことじゃない」と言い、キャシーの機嫌を取った。
アデラインはエリスから「お母さん、素晴らしい女性だったんだね」と言われ、「その通りよ」と答えた。その夜、アデラインはエリスの家族とゲームに興じていた時、ウィリアムが発見した彗星に「デラC1981」と付けたことを知る。エリスは「僕の大叔母から取ったんだ」と説明するが、アデラインは自分の名前から取ったことを確信する。アデラインはウィリアムがプロポーズを決意した時、何も言わずに彼の前から姿を消したのだった…。

監督はリー・トランド・クリーガー、原案はJ・ミルズ・グッドロー&サルヴァドール・パスコヴィッツ、脚本はJ・ミルズ・グッドロー&サルヴァドール・パスコヴィッツ、製作はシドニー・キンメル&トム・ローゼンバーグ&ゲイリー・ルチェッシ、製作総指揮はアンドレ・ラマル&エリック・リード&デヴィッド・カーン&リチャード・ライト&ジム・タウバー&ブルース・トール&スティーヴ・ゴーリン&アリックス・マディガン、共同製作はブラッド・ヴァン・アラゴン、製作協力はジャッキー・シェヌー、撮影はデヴィッド・ランゼンバーグ、美術はクロード・パレ、編集はメリッサ・ケント、衣装はアンガス・ストラティー、音楽はロブ・シモンセン、音楽監修はブライアン・マクネリス&エリック・クレイグ。
出演はブレイク・ライヴリー、ミキール・ハースマン、エレン・バースティン、ハリソン・フォード、キャシー・ベイカー、アマンダ・クルー、リンダ・ボイド、ヒュー・ロス、リチャード・ハーモン、フルヴィオ・セセラ、アンジャリ・ジェイ、ヒロ・カナガワ、ピーター・ジェームズ・グレイ、イザベル・A・ピアース、ケイト・リチャードソン、ジェーン・クレイヴン、ノエル・ヨハンセン、アーロン・クレイヴン、プリモ・アーロン、ダレン・ドリンスキー、クリス・ウィリアム・マーティン、マーク・ガニーメ、シャンカー・パレハ、ダニエル・ベーコン他。


TVドラマ『ゴシップガール』で人気となったブレイク・ライヴリーの主演作。
監督は『ビンテージ・ラブ 〜弟が連れてきた彼女〜』『セレステ∞ジェシー』のリー・トランド・クリーガー。
脚本は『かけがえのない人』のJ・ミルズ・グッドローと、これが2本目となるサルヴァドール・パスコヴィッツの共同。
アデラインをブレイク・ライヴリー、エリスをミキール・ハースマン、フレミングをエレン・バースティン、ウィリアムをハリソン・フォード、キャシーをキャシー・ベイカー、キッキをアマンダ・クルーが演じている。

ちょっと気になったのは、脚本家の表記。
「screenplay by」として「J. Mills Goodloe & Salvador Paskowitz」と出るんだけど、その下に「and J. Mills Goodloe」と書いてあるんだよね。
いや、J・ミルズ・グッドローが2人いるじゃねえか。
同姓同名の別人とか、そういうことでもないからね。Jの部分が片方は1人目はジェームズの略で2人目はジュリアスの略とか、そういうことでもないし。
単なる誤植なのかとも思うけど、自主製作の低予算映画じゃあるまいし、誰か気付くはずで。
そこは謎だなあ。

映画の冒頭、ナレーターが「2014年12月31日のこと。1台のタクシーがサンランシスコを走っていた。チャイナタウンからマリン郡へと。タクシーが運んだのは、1人の女性だった」と話し始める。そしてアデラインがタクシーを降りると、ナレーターは彼女について説明する。
この時点で、何となくヤバそうな雰囲気が漂っている。
ようするに「ダメな映画っぽい」ってことだ。
ナレーションで進行する映画が、全て駄作ってわけではない。でも、この映画のナレーションは、のっけから駄作の匂いを強烈に感じさせる。
「わざわざ詳しく説明する必要性を感じさせない情報や、「それはドラマや会話の中で説明しろよ」と言いたくなる情報ばかりなのだ。

アデラインが市立資料館で仕事に取り掛かった時も、ナレーターは彼女の出生について説明する。
ここでのナレーションによって、「これは駄作だな」という印象は、さらに強まる。
それも、一気に上昇している。
その理由は、「アデラインが老いなくなった理由」について科学的なことを丁寧に説明するからだ。
「凍て付くような川に浸かり、体は反射的に無酸素状態に陥った。心拍が弱まり、2分も経たない内に深部体温は30度5分まで降下した」とか、「稲妻が車を直撃して5億ボルトもの電気を放出し、6万アンペアもの電流を流した」とか、「電気エネルギーでアデラインの心臓が復活した」などと、具体的な数字も織り交ぜながら、詳細に解説するのだ。

そしてトドメに待っているのが、「2035年にトム・レーマン博士によって発見されるDNAの電子圧縮論の通り、アデラインは時間の経過による破壊作業を一切受けない体になった」という説明だ。
ここで「ああ、やらかしちゃったな」と強烈に感じさせられるのだ。
具体的な数字や科学的な講釈を重ねることで、「永遠に老いないヒロイン」という設定にリアリティーを持たせ、説得力を高めようとしたんだろうってのは良く分かる。
でも、どんなに頑張ったところで、それが荒唐無稽であることは決して変えられない事実なのだ。

この映画が用意した設定によって、「なるほど、有り得るかも」と思ってくれるお人好しは、決して多くないはずだ。
どうせ荒唐無稽なのだから、絶対に不可能なことに無謀な挑戦を仕掛けるのではなく、「これはファンタジーですよ」と割り切ってしまえば良かったのだ。
そして、御伽噺としての世界観や雰囲気作りに、力を注げば良かったのだ。
この映画は荒唐無稽で現実離れした決定が失敗なのではなくて、内容に対するアプローチを完全に間違えているのだ。

ヒロインが老いなくなっているので、何歳になっても若い男が惚れるってのは当然だろう。これで「老いないけど容姿がイマイチ」ってことならともかく、何しろブレイク・ライヴリーだからね。
っていうか、「永遠に老いなくなったブサイク」が主人公の映画って、それはコメディーじゃないと成立しないだろうし。
それはともかく、アデラインがエリスに惚れられるのは分かるが、ここで大いに引っ掛かる問題がある。
それは、アデラインの方も彼に恋してしまうことだ。

アデラインが永遠に老化しない体に変貌したことは分かるのだが、それはあくまでも見た目だけのはず。年齢的には、当たり前だが1年ごとに年を取っているわけで。
つまりエリスと出会った時の彼女は、もう年齢だけなら完全なる老婆なのだ。
見た目はともかく精神的には、すっかり高齢化しているんじゃないのかと。
それで青年に惚れるってのが、ちょっと気になるのだ。
それは老婆として惹かれているのか、それとも「自分はまだエリスと同年代の若いまま」という意識で恋しているのか。

これがエルフだったら、「人間とは年齢の取り方が違う」ってことになる。でもアデラインの場合は、ゆっくりと年を取るわけじゃなくて、「人間と同じように1年が過ぎて行く感覚はあるけど、容姿だけは全く変わらない」という状態にあるわけで。
それでも見た目が変化しないから、「自分は年を取っていない」という感覚なのか。それとも、内面的には「すっかり年を取った」という意識があるのか。
ここに本作品は全く切り込んでいないんだけど、実は重要なポイントになるんじゃないかと思うんだよね。
だから本人が何も意識していないにしても、彼女の秘密を知っているフレミングが指摘したり、問い掛けたりする手順はあってもいいんじゃないかと。

っていうかさ、パーティー会場のシーンで、明らかにアデラインの方が、先にエリスを意識しているんだよね。
それが「クレランスの面影を感じさせる男性だった」ってことならともかく、そうではない。ってことは、つまりアデラインは最初にエリスを見た時から、異性として意識しているってことだ。そのくせ「もう恋なんてしない」という意識で、彼のアプローチを軽く受け流しているのだ。
それは主人公の動かし方として、失敗しているとしか思えない。
「もう恋なんてしない」と思っているのなら、自分からエリスに注目しちゃダメだよ。「最初から男を恋の相手として全く意識しないように努めている」という状態にしておいて、「でもエリスの方が積極的にアプローチしてくるので、最初は断っていたけど次第に」という流れにしておかないと。

アデラインはエリスとのデートを承諾するけど、これも「最初から彼に惚れていて、だからOKしてるよね」とツッコミを入れたくなる。
本気でエリスと深い仲になることを避けようとしていたら、本の寄贈と引き換えにデートするよう誘われても絶対に断るはずだ。
高額な本の寄贈なんて、「そのためなら仕方なくデートも引き受ける」という行動をとるほどのことじゃないでしょ。アデラインにとって、その本が寄贈されたところで、何の価値も無いんだから。
どうせ、もうすぐ去る職場なんだし。

それと、エリスとの恋愛劇を描くことに関しては、もう1つ引っ掛かることがあるんだよね。それは「アデラインにとってクラレンスの存在って何なのか」ということだ。
アデラインは若い頃、クラレンスと熱烈な恋をして結婚し、しばらくは幸せな日々を過ごしたはずだ。そんな彼を不幸な事故で亡くし、悲嘆に暮れたはずだ。
もちろん、いつまでも死んだ旦那に操を捧げる必要があるのかと問われたら、そうではないよ。
だけど、この映画のテイストや内容を考えた時に、アデラインの中でクラレンスの存在が完全に抹消されているようにしか感じられないのは、果たしてどうなのかと。

っていうかさ、アデラインがエリスに惹かれていく様子が、彼女の状況を考えると、あまりにも軽率に見えちゃうのよね。
設定としては、「もう恋なんてしないと心に決めている」ってことのはず。でも彼女は、パーティー会場でエリスを意識し、デートに誘われて承諾する。それで終わらず、2度目のデートも簡単にOKする。
心のブレーキが全く機能しておらず、すっかり壊れているのよね。
そこに逡巡や葛藤がほとんど見えないので、「もっと慎重に考えろよ」と説教したくなるわ。
そんなに安易にエリスと親密になるのなら、「クラレンスに似ているから」ってことにでもした方がいいんじゃないかと思ったりするし。

リースが死んで、ようやくアデラインはエリスと距離を取ろうとするけど、それまではノホホンと恋を楽しんでいるのよね。リースの死で気付くのも、「いや遅すぎるだろ」と言いたくなるし。
アデラインにとって、これが初めての恋なら分からんでもないよ。だけど、彼女は他の人より遥かに長い年月を生きて、それだけ多くの経験を積んでいるわけで。つまり、「周囲の人が自分より先に死んでいく」という事実も充分に分かっているはずで。
今さら「リースの死で気付く」というのは、学習能力が低すぎるでしょ。
おまけに、そこから「フレミングの言葉でエリスとヨリを戻そうとする」という手順に入るまでも、あっという間だし。

ウィリアムが登場すると、「彼がアデラインと出会ったころのことを振り返る」というシーンが入る。これは話の進め方として、絶対的に間違っていると断言できる。
理由は簡単で、そこだけ「ウィリアム視点からのパート」になるからだ。
だけど、そこまでは「アデラインの物語」として進めており、エリス視点のパートさえ無かったのだ。それなのに、なぜウィリアムだけ、彼をメインにしたパートを用意しているのかと。
「アデラインとウィリアムの恋物語」の回想シーンを挿入するにしても、それはアデラインが振り返る形を取るべきでしょ。むしろ、そういう方法を選ばない理由がサッパリ分からんよ。

終盤、アデラインが交通事故で車から投げ出されると、「地球に起こる出来事の多くは、月に原因がある。1178年、コースを外れた隕石が月に衝突した。その激しい震動が、アルゼンチン南端で高潮を引き起こした。その夜の平均潮位は23%も上昇し、太平洋沖3千キロで嵐が発生した。そのことによって、待機中の分子のイオン化促進された。雪が降って、体温を上げようとして失敗すると死に至る」といったナレーションが入る。
そしてナレーターは、アデラインの心臓が低体温で停止したことも語り、救急隊員の電気ショックで蘇生する様子が描かれる。
ここでも「具体的な数字を含んだ科学的説明によって、アデラインの身に起きた出来事のリアリティーを出そう」という狙いが感じられる。
そして序盤と同様、「そんなの全く要らない」という感想が湧き上がるのである。

(観賞日:2019年10月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会