『アフターライフ』:2009、アメリカ
小学校教師のアンナ・テイラーは最近、弁護士であるポール・コールマンとの交際に気持ちが覚めていた。ポールから理由を問われても、彼女は「分からない」と答える。ポールに「君は幸せか」と問われると「幸せよ」と答えるが、その表情に幸せの色は無かった。学校でイジメの対象になっているジャックという生徒は、アンナがピアノ教師の葬儀に行くことを話すと「僕も行きたいな」と興味を示す。アンナは「葬儀は知り合いが行くものなのよ」と説明し、彼を残して車に乗り込んだ。
アンナはジェームズ・ハットンの葬儀に参列し、夫人に挨拶した。ポールはアンナに求婚しようと決意し、レストランへ呼び出した。しかしシカゴ本社へ誘われたことを彼が告げると、アンナは別れ話だと早合点する。ポールが誤解を解こうとしてもアンナは耳を貸そうとせず、彼を口汚く罵った。レストランを飛び出したアンナは車を走らせている途中、事故に遭ってしまった。ハットンの葬儀を執り行ったエリオット・ディーコンは、検死台に乗せられたアンナの上着を切り取った。意識を取り戻したアンナが「ここはどこ?」と尋ねると、エリオットは「ここは葬儀場だ。君は死んだ」と答えた。
アンナは「死んでないわ」と言うが、エリオットは「8時間前に死が確認された。体も腐敗しつつある」と告げる。「死んでない」とアンナが再び否定すると、エリオットは彼女のに死亡証明書を見せた。アンナの体は全く動かず、エリオットは「みんな死んでいないと言うんだ。少し休みなさい」と告げた。翌朝、ポールはアンナの携帯電話に連絡し、「誤解だ。会社へ行く前に君の所へ寄る」と告げる。その言葉を聞いていたエリオットはアンナの所持品を全て袋に入れ、棚に保管した。
小学校へ赴いたポールは、アンナが無断欠勤していることを知った。彼はアンナの実家へ行き、母親のベアトリスと会った。するとベアトリスは、アンナが交通事故で亡くなったと告げる。困惑するポールに、家政婦のダイアンは警察から連絡があったことを説明した。「なぜ連絡をくれなかった?」とポールが言うと、ベアトリスは「娘を奪ったくせに。あの子に近付かないで」と敵意を示す。エリオットは解放を求めるアンナの額の傷を縫合し、「死後硬直を防ぐためだ」と告げて注射を打った。面会に来たベアトリスは、目を閉じて動かなくなっているアンナを見た。彼女はエリオットに、髪の色を元の茶色に戻すよう頼んだ。
エリオットは事務所でグレアム神父に電話を掛け、アンナの葬儀について確認する。目を覚ましたアンナは地下室を出ようとするが、扉は鍵が掛けられていた。ポールは葬儀場を訪れ、アンナに会わせてほしいとエリオットに頼んだ。エリオットが「家族ではないので」と言うと、彼は声を荒らげて食い下がる。ポールの声を耳にしたアンナは、必死で叫ぶ。しかしポールの耳には届かず、彼は面会を諦めて立ち去った。地下室へ赴いたエリオットはアンナに批判されると、「他の人には死体にしか見えない。本当の君は見えない」と告げた。
警察署を訪れたポールは、無断で押収品の保管室に侵入した。そこには激しく損傷したアンナの車があり、彼は事故があったことを理解した。彼は刑事のトムに、アンナと会いたいのでエリオットを説得してほしいと頼む。しかし「それは出来ない」と断られ、「全て僕のせいだ」と落ち込んで立ち去った。アンナは地下室の隅に置かれているホワイトホールという老女の死体を見て、「死にたくない」と漏らした。
アンナはハサミを隠し持ち、エリオットが地下室へ来るのを待ち受けた。アンナはエリオットを突き刺して逃げようとするが、扉の鍵が閉まっていた。改めてアンナはエリオットを攻撃しようとするが、「やりなさい」と静かに言われると出来なかった。「私は昏睡してるだけ。こうやって貴方と話してるわ」とアンナが訴えると、エリオットは「私は特別なんだ。さまよえる魂と話すことが出来る。死を認めさせるためだ」と告げた。
「私は呼吸してるる生きてるのよ」とアンナが言うと、エリオットは苛立ちを示して「呼吸と排泄だけが生きている証拠か?それほど価値のある人生か?死んでいたも同然だろ」と告げる。彼は「時間は無いぞ。葬儀は2日後だ。君は棺に入れられて埋められる。声は届かず、話も出来なくなる」と述べ、地下室を出て行った。ホワイトホール夫人や幼い頃の自分が出て来る悪夢で目を覚ましたアンナは地下室を荒らし、「ポール」と叫んだ。
ジャックはホワイトホール夫人の葬儀へ行き、エリオットと会話を交わした。アンナのことを尋ねるジャックに、エリオットは「地下室だ。まだ準備が出来ていないからね」と述べた。地下室へ行ったエリオットは室内が荒らされているのを見て、アンナに腹を立てた。エリオットはアンナに、ベアトリスが持って来た葬儀用の服を渡す。「まだ心の準備が出来ていない」とアンナが言うと、エリオットは「すぐに戻る」と告げて車で外出した。
エリオットが地下室に鍵を忘れたので、アンナは逃げ出そうとする。しかし地下室の扉を開けるのに手間取り、その間にエリオットは鍵を忘れたことに気付いた。アンナが屋敷を脱出しようとした時、エリオットの車が戻って来た。アンナはポールに電話を掛け、助けを求める。しかしポールはアンナが生きていると信じず、すぐに電話を切ってしまった。エリオットはアンナを見つけ、その声は届かない。彼を愛しているなら解放してやれ」と説いた。
エリオットは姿見の前にアンナを立たせ、全身を写した。自分の姿を見たアンナが「まるで死体みたい」と呟くと、エリオットは「実際に死体だからね。真実を受け入れなさい。君は死んだ」と言う。アンナが「私は死んだ」と受け入れる様子を見て、エリオットは満足そうな表情を浮かべた。アンナの吐く息で鏡が曇ったのに気付いた彼は、すぐにハンカチで拭き取った。「私が死んでポールは泣いた?」とアンナに質問されたエリオットは、ポールの涙を見ていたが「いや、泣かなかった」と嘘をついた。なぜ人が死ぬのかアンナが問い掛けると、彼は「人生の価値を知るためだ」と答えた…。監督はアグニェシュカ・ヴォイトヴィッチ=ヴォスルー、脚本はアグニェシュカ・ヴォイトヴィッチ=ヴォスルー&ポール・ヴォスルー&ヤクブ・コロルチュク、製作はブラッド・マイケル・ギルバート&ウィリアム・O・パーキンス三世&セリーヌ・ラトレイ、共同製作はダニエラ・タップリン・ランドバーグ、製作協力はマミ・アカリ&ロバート・ソーティノ、製作総指揮はクーパー・リッチー&パメラ・ハーシュ&ギャルト・ニーダーホッファー&キャサリン・ケルナー&エドウィン・L・マーシャル&ジェームズ・スウィッシャー、共同製作はジョイ・グッドウィン&リヴァ・マーカー、クリエイティヴ・コンサルタントはマット・ガーナー、撮影はアナスタス・ミコス、編集はニーヴン・ハウィー、美術はフォード・ホイーラー、衣装はルカ・モスカ、音楽はポール・ハスリンジャー。
出演はクリスティーナ・リッチ、ジャスティン・ロング、リーアム・ニーソン、ジョシュ・チャールズ、チャンドラー・カンタベリー、セリア・ウェストン、シュラー・ヘンズリー、ラズ・ラモス、ローズマリー・マーフィー、マラチー・マッコート、アリス・ドラモンド、サム・クレスナー、ドーン・ライ、ジャック・ロヴェロ、プルーデンス・ライト・ホームズ、セリーン・ケラー、バーバラ・シンガー、ローリー・コール、ジョニー・フィドー、ウィリアム・O・パーキンス三世、クリス・ジャクソン他。
2001年に初監督した短編映画『Pate』で数々の映画賞を獲得したポーランド系アメリカ人、アグニェシュカ・ヴォイトヴィッチ=ヴォスルーが初めて手掛けた長編映画。
アンナをクリスティーナ・リッチ、ポールをジャスティン・ロング、エリオットをリーアム・ニーソン、トムをジョシュ・チャールズ、ジャックをチャンドラー・カンタベリー、ベアトリスをセリア・ウェストン、ダイアンをラズ・ラモス、ホワイトホール夫人をローズマリー・マーフィーが演じている。アンナとポールの関係は、そこまでの経緯が全く分からないので、この映画を見ている限りは明らかにアンナの方に非がある。
ポールは幸せになりたいと感じているのに、アンナの気持ちは完全に冷めている。だったら別れる意思があるのかと思いきや、そうではなさそうだ。ポールが別れ話を切り出すつもりだと早合点すると腹を立てるんだから、別れる気は無いんだろう。
だったら、なぜセックスの時にマグロ状態で、まるでポールへの愛を感じさせないのか。
あと、シカゴへの異動を聞かされただけで勝手に別れ話だと誤解し、ポールを罵るのも不愉快な女だと感じさせるし。そんな風に、序盤の段階でヒロインが全く魅力的ではなく、むしろ不快な人物になっているのは大きなマイナスだろう。
なぜなら、そんな女が酷い目に遭おうとも、同情心が沸き起こりにくいからだ。
レストランから車で去る時に泣いているけど、その涙さえ同情心を誘わない。
前述したように、テメエが冷めた態度を取っていたくせに別れ話だと感じると腹を立てるわ、そもそも別れ話じゃないのに早合点してポールを罵るわと、ものすごく面倒で疎ましい女だからだ。っていうか、なぜアンナを「理由は分からないけどポールとの関係に冷めている」という設定にしてあるんだろう。その理由やメリットが、サッパリ分からんぞ。
どうやらアンナは精神的に不安定になっているようだけど、その理由も教えてくれないんだよな。なぜアンナが葬儀の前に髪の毛を真っ赤に染めたのかも意味不明だし。
後から「実は」という種明かしがあって、それがストーリー展開と絡んで来るのかというと、そんなことは全く無いんだよな。
一応、終盤になって「幼い頃、人を愛すると傷付くと母から教わり、だからポールに冷たくした」ということが明らかにされるけど、既にアンナは死を受け入れているし、物語の進行には全く影響しないのだ。この映画で最も「厳しいなあ」と感じるのは、ミスリードに失敗しているってことだ。
「アンナは本当に死んだのか、生きているのか」という部分を曖昧にしたまま物語を進めて、基本的には「死んでいる」という部分をミスリードとして機能させようとしているんだろうけど、彼女が生きているのがバレバレなんだよね。もっと突っ込んだ表現をすると、まだアンナが死んでいるのに、既に死んでいると思わせようとしていることがバレバレだ。
エリオットがアンナに「お前はもう死んでいる」と思い込ませようとしている男だってことも、生きているのに死んだと思わせて埋葬しようと目論んでいることも、ハットンも同様の手口で生き埋めにされたことも、やはり序盤でバレバレになっている。
例えば、アンナの携帯電話にポールから連絡があっても完全に無視するが、ただの葬儀屋なら事情を説明してあげようとするだろう。死後硬直を防ぐためという理由でアンナに注射を打つのも、面会に来たベアトリスの前で喋られたらマズいから薬で眠らせたことはバレバレだ。「アンナが本当に死んでいるのかもしれない」と観客に思わせたいのなら、そのための雰囲気作りや仕掛けが色々と必要なはずだ。
だが、その映画には、そのための作業が全く見えない。
「エリオットの弁舌によってアンナが心を操られ、自分が死んだと思い込む」というトコだけが成立すればOKという映画なら、そんな作業は無くてもいいだろう。
だけど、観客も「生きているのか死んでいるのか分からない」と感じるようにしておかないと面白味が極端に減退するような作品なのよ。だから、そこの作業が無いのは大きな手落ちだ。最初は「明らかにアンナが生きている、エリオットが死を偽装しようと企んでいる」と思わせておいて、話が進むにつれて「実は本当にアンナが死んでいるのではないか」と観客に感じさせるような流れにするのであれば、序盤でバレバレ状態になっていても、まだ取り返すことは可能だろう。
しかし時間が経過しても、「アンナは生きている。エリオットが死を偽装している」という印象は全く変わらず、確信のままで揺るがない。
アンナは少しずつ「本当に死んでいるのかも」と思い込むようになっていくが、そこに観客の気持ちはシンクロしないので、どんどん乖離していくことになる。
それが映画にとってプラスだとは到底思えない。あと、序盤からオカルト的な雰囲気を漂わせているのは、かなり卑怯な手口だ。
アンナがシャワーを浴びていると急に鼻血が出たり、学校の廊下を歩いていると向こうから次々に照明が消えたり、なぜか扉が開かなかったりする。照明に関しては「ジャックが消していた」という答えが出ているけど、鼻血や扉が開かないことに関しては答えが用意されていない。
でも実際にはオカルト的な要素なんて全く関係が無い話なので、それはミスリードでも何でもなくて、ただのアンフェアな要素になっている。
ポールがアンナの幻影や悪夢を見るとか、アンナがホワイトホール夫人や幼い自分の登場する悪夢を見るとか、そういうのも卑怯なだけ。1時間ほど経過した辺りで、姿見で自分の姿を確認したアンナがエリオットの洗脳に屈して「私は死んだ」とガックリきた直後、彼女の吐く息で鏡が曇ったのに気付いたエリオットが慌てて拭き取るという描写がある。その行為は、「アンナは生きているのに、エリオットが死んだと思い込ませようと企んでいる」ということを明確に示すものだ。
つまり、そこは「アンナは生きている」という真実を観客に明示するシーンになっているのだが、そういう手順を用意するのなら、そこまでは「アンナは死んでいるかもしれない」と思わせておくべきでしょ。そこまでも「アンナは生きている」と確信させておいて、そこで改めてアンナが生きていることを明確にする証拠を示されても、「いや、そんなの最初から分かってますけど」という感想しか出て来ないよ。
「アンナは生きている。エリオットは彼女に自分が死んだと思い込ませようとしている犯罪者だ」ということは序盤で明らかになっているけど、そこから「アンナがエリオットの企みを知り、何とか逃げ出そうとする」とか、「ポールがエリオットの正体やアンナの居場所を突き止め、アンナを救い出そうとする」とか、そういう展開にするのであれば、早い段階でネタバレしていても、まだ充分に取り戻せる余地がある。
しかし、そういう展開は用意されていないのだ。アンナはエリオットの作戦に取り込まれ、後半に入ると「自分は死んだ」と思い込んでしまう。
一方のポールも事故車を見てアンナが死んだと思い込み、彼女からの電話があっても切ってしまうし、生きているアンナを目撃したジャックの証言も信じない。
そして、「アンナが生きているか死んでいるか良く分からない」と観客に思わせていないと成立しないような(何の面白味も無いような)展開が待ち受けているわけで。
だったら、「序盤でネタバレしているのはダメでしょ。終盤になってポールはアンナが生きていることを確信するけど、そこからアンナを救い出す展開に移行するわけではない。それどころかトムに説得されて、「やっぱり死んでいるのかも」と簡単に気持ちが萎えてしまう。
その後で本当にアンナが生きていると確信するけど、それは次の獲物を狙っていたエリオットの罠に陥れられただけだしね。
とにかくホラーやサスペンスとしての怖さは皆無だし、ミステリーとしての面白味も皆無だし、何か特定のジャンルに分類できる映画じゃないとしても、じゃあ何をどう受け取ればいいのか全く分からないし。
もしもウィリアム・ワイラー監督の『コレクター』的なサスペンス映画にしたいのなら、アンナの死を曖昧にしておくのはマイナスでしかなくて、もっと「サイコ野郎の犯罪」を描くことに意識を集中すべきだし。(観賞日:2015年2月13日)