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萬漫評




研究余滴・知られざる夢野久作の小説作品の新発見
戦後ながらく忘却の彼方にあった夢野久作が再評価されるきっかけとなったのは、その父杉山茂丸の親友であった後藤新平の外孫にあたる鶴見俊輔が、雑誌「思想の科学」昭和三十七年十月号に発表した『ドグラ・マグラの世界』であったとされるが、本格的にその作品世界の全容が明らかにされたのは、三一書房が昭和四十四年六月から翌四十五年一月まで刊行した『夢野久作全集』全七巻まで待たねばならなかった。
 この三一書房版全集は、夢野久作が杉山萌圓や海若藍平などの筆名で「九州日報」に発表した童話や、様々な随筆類、未発表小説『赤猪口兵衛』などを網羅し、編者の中島河太郎が「著者自身の執筆したものの九分以上を集録した」と書き記したように、その時点において夢野久作の全貌を明らかにするに十分な内容であった。
 しかし、昭和四十八年に至り、その後の夢野久作研究を先導することになる西原和海が、雑誌「情況」同年六月号に発表した『夢野久作ノート 冥府からの廻状に応えて』において、杉山茂丸が実質的オーナーであった雑誌「黒白」にそれまで知られていなかった久作の小説作品『傀儡師』と『蝋人形』が連載されていたことを明らかにした。
 それ以後、西原和海の手によって夢野久作の初期文学活動の発掘が進められた。昭和五十三年十二月には雑誌「暗河」第二十一号に未発表小説『ゴージャン・ノット倶楽部』の草稿が西原の解説とともに掲載され、さらに翌五十四年二月からは、葦書房版『夢野久作著作集』全六巻の刊行が始まった。葦書房版『夢野久作著作集』は、三一書房版全集と若干重複するものの、大部分は西原によって発掘された新資料で満たされ、筆者も含めた久作ファンを熱狂させるに十分な内容であったが、全六巻の完結は平成十三年七月であり、実に二十二年もの長いながい歳月を経ることとなったのであった。
 西原和海は『夢野久作著作集』の最終配本となった第六巻の解題の最後に、雑誌「黒白」に触れて「同誌のバックナンバーが完全に揃わないため、ここに連載された長篇小説と中篇小説の二つを、『著作集』収録の対象から外さざるをえなかった。殊に、同誌の一九一九(大正八)年度刊行分は殆ど見ることができず、そこには、題名すら未知の久作の作品が必ずや眠っていることと推測されるのである」と記した。
 西原の一文には確信と希望と諦念とが綯い交ぜになった熱烈な思いがある。そして、さすがに西原の炯眼は誤っていなかった。『夢野久作著作集』第六巻巻末に収録された『夢野久作作品年表』から漏れている「黒白」発表の久作の作品は、確かに存在したのである。
 雑誌「黒白」は大正六年四月から昭和三年七月までの間に、百二十余号が発刊されたと思しいが、そのうち十数号は現存しないものと推定される。そして西原の記すように、大正八年に発行されたものは殆ど現存しないと考えられていた。
 筆者は杉山茂丸の主著『百魔』についての書誌学的関心から「黒白」の調査を進める過程で、偶然にも同誌の大正八年十月号が現存することを知り、そこに萌圓生の署名がある小説『探偵奇談 首縊りの紛失』を発見した。しかし本編には「續篇」との記載があり、内容も明らかに一つの小説の後半部分である。
 前篇の内容が不明であるためストーリーの全体像は見当もつかないが、富豪とその娘、そして早稲田大学に在学する優秀な学生をめぐる探偵奇談ということであろう。しかし作品の質そのものは残念ながら論評の限りではないようである。
 しかし不完全なものながら、夢野久作の未発見の作品は存在した。筆者はここに、西原のかつての文章の一部を引用して、この発見を記念したいと思う。
「ここに新たに私たちの眼前に浮上してきた二作品は、いまだ死ぬに死にきれないでいる久作が、冥府からこの世に寄越してくれた一通の廻状である。(中略)そして、次なる廻状は、いつ、どこに、どのようにして現れるか」(『夢野久作ノート 冥府からの廻状に応えて』より)
(2008.12.01)