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文献覆刻・同時代から見た杉山茂丸

幇間政治家杉山茂丸論

久津見蕨村    

   (一)
明治の盛世も其齡不惑を超ゆること已に四、誠に働き盛り也。誠に男の盛り也。旭日昇天、宇宙六合に其の光明勢威を輝すに足らん。
 人も猶ほ斯の如し、働き盛あり、男の盛あり、旭日昇天の時あり、滿潮盈進の時あり。此時に當りてや得意滿服幾んど唯我獨尊の感ある可し。而して此時や必ずしも其名の顯晦に拘はらず、其意の揚縮弛張に存す。
 寺内や後藤や其名の顯揚に於て旭日昇天の人也。月の滿てるに似、潮の張れるが如き時に會す、其御盛んなること權勢の餓鬼共をして羨望に耐えざらしむ可し。當評論の主人公杉山茂丸は比較的其名の顯揚ならざるに於て、寺内や後藤やの比にあらず。或は旭日昇天的人物ならざるが如くに想はん。焉ぞ知らん、茂丸彼れが今日は是れ滿潮の人也。亦御盛んの人たるを失はざる也。
 滿潮の人たるに於て、彼れや寺内、後藤に讓らずと雖、然れども其性質に於て同じからず、前者は陰性を以て滿潮也。後者は陽性を以て滿潮也。故に前者は外見に於て旭日昇天的ならず、後者は見るからに陽光赫炎たり。隨て寺内や後藤や政治座の舞臺に登つて盛に舞蹈す。愚かなる多くの觀客等は之を大俳優視して一切に拍手喝采して已まず。彼等が此衆愚の喝采に醉ふて時に大ひに苦しき息をつきながら、敢て縱横に舞ふの間、杉山彼れは政治座の樂屋にありて、俳優の扮粧、背景の組立、扨ては此興行の顛覆破壞の魂膽に迄も參加す。茂丸は蔭の役者也。樂屋の人也。道具方の如く狂言作者の如く、或は又或る意昧に於て興行主の如く、爾く政界に縱横しつヽあり。此點に於て彼れは今滿潮也。

   (二)
 杉山茂丸、一名法螺丸とも稱さる。蓋し大ひに法螺を吹き立てヽ人を煙に卷くの技に通じ、方今の名士と雖往々之に罹り飜弄せられたるを以て也。元九州福岡の産にして玄洋社の壯士也。鐵拳を得意とせりきと雖、亦一方に風流洒落、滑稽諧謔の才あり。鐵拳を懷にすれば即ち幇間たることを得可し。
 頭山滿が玄洋社の壯士頭にして豪傑の氣宇を具ふと評され其徒の推す所たりと雖も、一面より視れば彼れ甚だ世才に長ぜず、風流韻事を解しつヽも、而かも壯士と幇間とを兼ぬるが如き藝當を演ずる能はざるに反し、杉山彼れは斯の如く能く之を兼ねたり。
 英語にアジテーターなる語あり。普通之を譯して煽動者、煽惑者と云ふ。要するに社會人心を攪拌して以て其動亂を見、以て其改革進歩に資したりとして快とするの徒を稱す。頭山等玄洋社一派は自から愛國者を以て任ずべけんも、他よりして見る時は即ち唯是れ也。
 アヂテーターたる彼等は初め明治政府に反抗を試みて外よりして之を騷がさんと企てたり。而かも概して失敗に歸しぬ。爾後政府部内に結んで彼等の所謂經綸——他より見れば舊式極まれる帝國主蒲——を行はんとせり。
 藩閥者流の某々亦彼等を懷柔して以て之を利用するあらんと企てたる結果、二者は茲に祕密の結婚をなせり。杉山茂丸が頭角を顯はして藩閥政治家の幇間となれるは此間にあり。
 藩閥政治家と親しむに當りて、頭山にては其温柔郷裏に出入して流連荒亡の癖あるにも拘はらず、幇間的才能に乏しき適才に非ず。故伊藤の如き井上の如き元勳政治家に親しむ、必ず緑酒紅燈の間に於て幇間的技能を以てするを最上とす。此公然の祕密なる妙計を看破せる彼等は乃ち此大任を壯士にして幇間なる茂丸彼に托せり。
 茲に於て彼れは先づ高等幇間として故伊藤に取入れり。井上にも亦甚だ惡しからず。時に前者の愛妾を預り奉つりて自己の邸に置き、日夕是に事へて敢て其主人公の通ひ給ふに待す。宛として奴僕の如く、宿屋の主人の如く、又待合の女將の如くせることありき、堂々五尺の男子、曾て壯士を以て任ぜるの人、何ぞ其卑屈なる甚だしきや。
 今日寺内、後藤等の友人を以て居り、隱れたる大政治家を以て任ずる彼れも、顧みて當年を思へば唯是れ一個の幇間のみ、亦甚だ憐むに耐えたり。

   (三)
 高等幇間たる法螺丸は之よりして朝野の名士に交れり。桂、寺内、後藤等今日の政治座の役者と親しくなせる、亦之よりなる可し。而かも彼れは法螺を吹くことに於て、人を煙に卷くことに於て、將又御髯の塵を拂ふことに於て妙を得、幾んど其手腕神に通ず。桂以下の政治家等をして彼れを復たなき者の如くに感ぜしむるに至れる、幇間哲學の奧義より見れば眞に天晴れの技倆也。
 此幇間哲學の博士、御髯の塵拂ひの名手、法螺吹きの隊長たる彼れは爾來政冶座の樂屋に於ける一個の狂言方として幾んど缺く可らざるが如き位置に達せり。
 伊藤公の死後政治座の舞臺は一變し、藤公系の俳優は次第に姿を匿くして、今は幾んど其勢力を認むる能はず、世は擧げて山縣系の天下となれり。彼れは本來より云へば伊藤の幇間也。斯の如き形勢に於ては即ち政治座の樂屋よりして斬首にせられざる可らざるに、彼れが幇間哲學の技倆は遂に侮る可らず。
 彼れ近時大法螺を吹いて曰く、『一筆の手翰能く桂より一萬二萬の黄金を融通せしめ得べく、十萬二十萬の巨額と雖乃公一たび彼れに談ずれば立所に便するを得べし。政界の機微乃公即ち其鍵鑰を握りたれば也』と。
 彼れの言や半ば法螺と聽く可し。然れども三分の實必ずしもなかるべからず。其云ふ所全分は當てにならずと云ふと雖、而かも今彼れの經營する『サンデイ』が微々たる一雜誌を以てして會計の甚だ豐かなる。他の貧乏雜誌社をして垂涎三尺ならしむが如き、彼れが其故郷福岡に於て主幹する『九州日報』の極めて能く賣れざる新聞なるにも拘はらず同じく其會計の豐かなる、九州第一の『福岡日々』新聞をして隱然一敵國の觀を懷かしむるが如き。徴し來れば彼れが懷中の温かなるを推す可く、而して彼れ本來資産の豐かなるものにあらずして畢竟彼れ壯士の上りなるに想ひ及べば這乎の消息必ずしも知るべからざるに非ず。
 彼れが藤公以來取り來りたる御髯の塵拂ひの名手も亦甚だ巧妙を極めたるものにあらずや。寧ろ其怪腕は當代の珍とすべし。

   (四)
 彼れは今『サンデイ』を經營して毎號二段半に及ぶ論文を草しつヽあり。其文字の蕪雜なる、措字の當を得ざる、甚だ憐むべきものありと雖、思想、着眼の奇警なる稍や見る可きありと。是れ彼れの友人の評する所、敢て當れりとすべからず。即ち贔負目の割引を要すと雖、彼れ今の身を以て文筆に親しむ、亦一稱に價ひせん乎。
 彼れは『サンデー』を經營しつヽ、自から稱して現内閣秘密の顧問たりと。乃ち寺内や後藤や其主務省若しくは内閣に出頭する前、必ずや毎朝彼れが邸宅に集り主人公と併せて三人鳩首して事を議し、然る後ち各々其勤務に出づ。彼れが邸宅は即ち今や内閣の一分局たる觀を呈すと。
 彼れは法螺丸也。此消息も亦必ずしも悉く信とすべからずと雖、火なくして煙ある可らず。寺内、後藤の馬車が朝旦暮夜彼れの邸に來往するを見るに徴すれば或は想ひ半ばに過ぐるものあらん乎。
 然れども忖度するものは曰く、寺内、後藤の馬車の彼れが邸を訪ふは決して政治上の意味あるにあらず。蓋し必ず杉山一流の幇間的藝當あるに由る可しと。
 藝當とは何ぞ。表門よりは即ち大臣堂々として來り、裏門よりは藝妓や待合の女將や人目を忍びて至る。主人公は紳士にして而かも其取持役也。幇間也。大臣醉ふて戯るれば藝妓其膝に靠れて媚を呈す。而して主人頭を叩いて笑ふて追從す。是れ曾て法螺丸が伊藤の爲に演じ井上の爲にも演じたる所、今夫れ之を寺内と後藤の爲に再びする所以にあらずやと。忖度子の云ふ所是れ也。
 法螺丸の人格より見れば方に然る可し。然れども彼れ今や一個の政客たり。手紙一本を以て總理大臣に萬金を融通せしむ可しと號する人物となれり。蓋し昔日の高等幇間にあらざるべければ忖度子の言の信ずべからざるやも知る可らず。然る時彼れの邸は果して内閣の一分局か、敢て精査を要す。

   (五)
 九州人の性格は一概に評し易からずと雖、杉山の出身地なる福岡人士に至りては、外剛にして内柔、權勢に抗するが如くにして而も極めて朱門を愛す。聊か侠氣あるが如くなるも亦極めて利福を好めり。而して概ね虚嚇に長じ侫媚に巧み也。杉山は誠に方に此性格を代表して餘す處なきものヽ如し。是れ故に能く部下を愛し任侠の行爲を示すを以て得意とせり。然れども眞に果して彼れ自己の心中を他の腹裏に措くべき乎。多策も亦福岡人の一性格也。彼れを見んとせば即ち此一性格を忘るべからず。
 彼れ近日人に密に語りて日く『内閣の久しく續くは吾人金儲の道にあらず。現内閣も亦徐々として破壞に着手する甚だ妙ならずや』と果然『サンデイ』紙上平田内相、大浦農相、小松原文相等寺内、後藤兩系以外の大臣連に對する惡口勝手たる可しとの命を其編輯局に下せり。
 而して彼れは一方に於て其得意の祕密運動を以てして政界縱横の策を講じつヽありとか。若し夫れ彼れの法螺を半分に聞くも亦是れ侮るべからざる怪人物にあらずや。
 然れども寺内は武斷政治家の標本也。後藤は野心と衒氣の結晶のみ。彼等に眞の文明の政治、人道正義の談を解すべき知識あらんや。而かも彼等に結んで而して公明正大ならざる手段術策を以てし、政冶座の樂屋に狂言方たるを榮とする杉山彼れの人格理想は其重量素より測知し得べし。
 假令彼れ政治座の一隅に重きをなしつありと誇るも、彼れは廿世紀文明の政治を解するものに非ず。ドロップの前に立つて舞ふべき新時代の役者にあらずして『書き割り』の蔭に匿れて昔の芝居を仕組むべき舊式の作者也。
 今は旭日昇天的也。滿潮の人也。得意の帆を上げて走る可し。然れども一朝武斷の旋風已むとき、眞に立憲政治の春風至るときは、其末路知り難からじ。
 幇間の厭ふべきは古今東西一也。幇間政治家の今日に至る迄運命の惡神に見舞はれざるは、如何に官僚政治家の御髯の塵拂ひに巧みなるが故とは云へ、千里眼の透視と共に現代不思議の一也。
 敢て茲に杉山茂丸の爲に其旭日昇天的なると滿潮の人なるとを祝福して已まん哉。


 久津見蕨村(1860〜1925)は本名息忠、幕府旗本の家に生まれ、ジャーナリストとなった。東京曙新聞や萬朝報などの記者として活躍し、特に教育、社会問題などに造詣が深かった。日本にアナーキズムを紹介した人物として知られる。著書には「自由思想」「無政府主義」などがある。
 本篇は「眞人僞人」(丙午出版社・1912)に拠った。