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渡辺温(わたなべ・おん)
探偵小説作家、編集者。明治三十五年八月二十六日、北海道に出生。温という名は本名だが「ゆたか」と読む。大正八年に父の勤務の都合で茨城県日立市へ転居、翌年慶応義塾大学予科文科に入学するため上京。大正十一年慶応義塾高等部に入学、同十五年卒業。
 学生時代に英語の勉強のために原書で読んだポオに心酔し、また声楽やギターを学ぶなど、文学や芸術に傾倒して行き、大正十三年には早くも映画のストーリー募集の懸賞に応募して一等に入選するという才能の閃きを見せている。このとき以来、懸賞の選者であった劇作家で演出家の小山内薫に師事する。
 慶応義塾を卒業後、大日本雄辯会講談社に入社するが即日辞職、昭和二年一月に博文館へ入社し、横溝正史編集長の元で雑誌「新青年」の編集に携わることとなる。その傍ら、同誌や「探偵趣味」誌に探偵小説を発表、翌年七月に博文館を退社して作家生活に入るが、昭和四年一月に博文館へ再入社、再び「新青年」の編集者となる。
 翌五年二月九日、原稿執筆依頼のため西下し谷崎潤一郎邸を訪問、その帰途、載っていた自動車が夙川踏切で貨物列車と衝突し、翌早朝わずか二十七年の生涯を閉じた。渡辺温の不慮の死に、谷崎潤一郎は「春寒 −渡辺温君のこと−」と題する追悼文を「新青年」に発表、その後昭和六年から七年にかけて、温との約束を果たすべく「武州公秘話」を新青年に連載した。
 短い生涯であったため、遺された作品は少なく、また短篇ばかりである。代表作としては「可哀相な姉」や「兵隊の死」「アンドロギュノスの裔」などが挙げられる。
 夢野久作は昭和二年十二月十三日の日記に「渡辺満君よりハガキ来る。原稿のうけとり也。」と書き残した。渡辺満という表記は、悪筆であった久作の日記の解読に当たった杉山クラと紫村一重の誤認であろう。このとき渡辺温が久作から受け取った原稿は「人の顔」である。
 なお、渡辺温の実兄が齢百歳に至るも健在の探偵小説文壇最長老、渡辺啓助であり、その四女が画家の渡辺東である。本項とはあまり関係がないが、筆者は昭和五十七年三月、渡辺東氏の経営する画廊に渡辺啓助氏を訪問したことがある。仲介したのはファンタジー作家として活躍中のひかわ玲子である。彼女は本名渡辺かおる、昭和三十年代の「宝石」誌を舞台に珠玉の短篇を綴った氷川瓏の姪にあたる。同じ渡辺姓ではあるが、渡辺啓助との関係はつまびらかにしない。ただ、ひかわ玲子が渡辺啓助氏を「おじさま」と呼んでいた記憶がある。同行者は朝松健と松尾未来の夫妻(当時は夫妻ではなかったが)ら、黒魔団同人数名であった。

参考文献
●「アンドロギュノスの裔」渡辺温・薔薇十字社・1970
●「日本幻想作家名鑑(別冊幻想文学©)」東雅夫・石堂藍編著・幻想文学出版局・1991