久作関係人物誌
鯉塚三木之助(こいつか・みきのすけ)
経歴等は未詳。「夢野久作の日記」に何度か名前が登場するが、杉山龍丸の注解では「杉山家の親類」と簡単に記されているだけである。久作自身の記述によれば「my cousin」とあり、従兄弟ではないかと思われる。即ち、父茂丸の次弟、隆造寺隆邦(杉山五百枝)の長男である。
杉山茂丸が著した「百魔」の中に、この弟について書かれた章があるが、その文中、章中章とでもいうべき扱いで、茂丸の父である三郎平の叔父にあたる「鯉沼源右衛門」なる人物の一族に言及している。この鯉沼源右衛門の娘と婿養子との間に生まれた次女が、隆造寺隆邦に嫁いで出生した長男の名が「道之助」であったと茂丸は記す。その道之助は十一歳で茂丸のもとに引き取られ、早稲田を中退した後、某園芸学校を卒業して郷里福岡に戻り、鯉沼家を継いだという。
「百魔」は茂丸が実際に見聞した出来事を、記憶を辿りながら書き記したものであるが、「或は人名地名等を變稱して之を記述せる所もあり」と序文に記されている。「鯉沼道之助」が鯉塚三木之助であっても不思議ではない。
杉山茂丸が著した「百魔」の中に、この弟について書かれた章があるが、その文中、章中章とでもいうべき扱いで、茂丸の父である三郎平の叔父にあたる「鯉沼源右衛門」なる人物の一族に言及している。この鯉沼源右衛門の娘と婿養子との間に生まれた次女が、隆造寺隆邦に嫁いで出生した長男の名が「道之助」であったと茂丸は記す。その道之助は十一歳で茂丸のもとに引き取られ、早稲田を中退した後、某園芸学校を卒業して郷里福岡に戻り、鯉沼家を継いだという。
「百魔」は茂丸が実際に見聞した出来事を、記憶を辿りながら書き記したものであるが、「或は人名地名等を變稱して之を記述せる所もあり」と序文に記されている。「鯉沼道之助」が鯉塚三木之助であっても不思議ではない。
参考文献
●「百魔」杉山茂丸・大日本雄辨会・1926