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久作関係人物誌




浜尾四郎(浜尾四郎)
子爵、貴族院議員。明治二十九年四月二十四日、東京麹町に出生。父は男爵で医学博士の加藤照麿で、四郎はその四男に当たる。加藤照麿は当時著名の小児科医であって、昭和天皇の東宮時代の侍医であったという。また祖父は東大総長などを歴任した教育家の加藤弘之であり、四郎の弟は昭和期にエノケンこと榎本健一と人気を二分した喜劇俳優の古川録波(本名加藤郁郎)である。
 大正七年東京帝大に入学、この年祖父同様に東大総長を務め文部大臣、枢密院議長などを歴任した子爵浜尾新の養子となった。同十二年に東京帝大卒、検事となり東京地方裁判所検事局に勤務するが、昭和三年に退官して弁護士を開業。文筆活動は大正末期から既に始まっており、同十二年に「犯罪人としてのマクベス及びマクベス夫人」を「日本法政雑誌」に発表している。昭和四年一月「新青年」に「誰が殺したか」を発表して、探偵小説家としてデビュー、同年「改造」に発表した「殺された天一坊」は短篇における浜尾の代表作である。また長篇には「殺人鬼」と「博士邸の怪事件」、「鉄鎖殺人事件」がある。浜尾四郎の作風は、当時の探偵文壇には珍しい本格派に属し、とりわけ長篇にはヴァン・ダインの影響が色濃く投影されている。昭和8年、貴族院議員に選ばれて以降、創作の筆が途絶え、昭和十年十月二十九日に弱冠四十歳で早世した。昭和四十六年に桃源社から、未完の長篇「平家殺人事件」や随筆を含む全集が刊行された。
 死去の年の一月に開催された夢野久作のドグラマグラ出版記念会に出席し「押絵の奇蹟」と題するスピーチを披露、同日の久作の日記には「会ふて嬉しかりし人」として江戸川乱歩らとともに名前が挙げられている。浜尾四郎と夢野久作とを較べてみると、作風は天地ほども異なるが、どちらもヘビースモーカーで、将棋と麻雀が好きであったことなど、私生活における趣味嗜好は共通している。江戸川乱歩は浜尾の将棋を評して「山本七段に手ほどきしてもらったというのだけれど、へぼの私に輪をかけたへぼであった」と言う。久作と乱歩は、昭和十年一月二十八日、乱歩邸で将棋を三番指し乱歩の二勝一敗、互角程度であったろうと推定される。久作と浜尾四郎が将棋を指したことはなかったであろうが、指していたなら久作の日記に欣喜雀躍としてその結果が記されていたような気がする。因みに乱歩のいう山本七段とは小菅剣之助名誉名人門下の山本樟郎七段、その弟子に加藤治郎八段があり、現役の小林宏七段は曾孫弟子にあたる。

参考文献
●「浜尾四郎の人と作品」大内茂男・桃源社「殺人小説集 浜尾四郎全集1」「殺人鬼 浜尾四郎全集2」1971所収
●「ミステリ・ハンドブック」中島河太郎・講談社・1980
●「将棋百年」山本武雄・時事通信社・1976