偽札とラブレター
その3


「子ども?」
 純平は仰天した。声をたてるな、と言うと腕の中の少年はこくりとうなずいた。からめた腕をほどきながら、懐中電灯の光を相手にあてると少年の顔に見覚えがあった。夕刻、ロビーでぶつかった子だ。
「こんなところで何してるんだ?」
「ぼ、ぼくは──おじさんこそ何してるの?」
「俺か、俺はアレだ、警備員だよ」
「ウソだ。さっき窓からこっそり入ったじゃない」
「……見てたのか」
 少年はまたこくりとうなずく。
「しょうがないな──白状するよ。俺はある本を探してる。その本は他じゃ手に入らなくてね。しかも今夜じゅうに手に入れないと間に合わないんだ。もちろん、見たらちゃんと返すつもりだけど」
 純平は適当にウソをまじえて話した。すると少年はしばらくうつむいていたが、やがて顔を上げると純平にこう言った。
「ぼくも同じなんです。どうしても今夜ある本が必要なんです。それで……入れないかなと思って外をウロウロしてたら、おじさんがやってきて」
「ふーん、俺と同じか……だけど」純平は腕時計を見た。「もう午前二時だぞ。親御さんが心配するだろうに」
「だから父と母が眠ったのを見計らって来ました」
 少年は悪びれたふうもなく答える。
「やれやれ、とんだ道連れができたもんだな……。
 これも何かの縁か。それならいっそ、二人で二冊の本を探そうじゃないか。その方が早く見つけられるしな」
「賛成です」
「君の探している本の名前は?」
「……『うつくしい日本語』です」
 なぜか少年は、書名を口にするとき、はにかむようにうつむいた。そして脇の一冊の本を取り上げた。
「これくらいの大きさです」
「そうか。俺のは『賢いお金の使い方』だ。大きさは、君のと同じくらい」
「わかりました」
 立ち上がろうとした少年に、純平は注意を呼びかけた。
「懐中電灯はあまり振り回すなよ。ときどき警備員の怖いおじさんが回ってくるんだ。発見されたら逮捕されて刑務所行きだぞ」
「は、はい」
 少年は純平の脅しに素直に反応した。
「ところで君は名前は何という? 下だけでいいが」
「慎一です」
「慎一君か。俺は純平だ。よろしくな」
 純平が手を出すと慎一もおずおずと手を差し出した。しっかりと握手を交わした二人はさっそく本探しを再開した。

 慎一は純平と同じく、やはり閉館直前にその本を返却したのだという。あわてて戻ったがすでに門は閉じられていた。
 懐中電灯で積まれた本の書名をのぞき込みながら、純平は慎一に話しかけた。
「それにしても、中学生が『うつくしい日本語』なんて本を読むんだね。まだまだ日本の若者は捨てたもんじゃないな。感想文でも書くのに使うのかい?」
「いいえ……」
 返事の歯切れが悪い。思いつめた顔はこんな状況に飛び込んだからというのでもないらしい。
「慎一君、話してみないか。なぜ君はこんなにまでして、その本が必要なのかな」
 慎一はしばらく無言で、動きの止まった懐中電灯の光を見つめていたが、やがて重い口を開いた。
「ぼく、好きな子がいるんです」
「え?」
「とっても素敵な子なんです。ぼくはその子に付き合ってほしいと告白しました。そしたらその子──佐田京子さんにこう言われました。あなたのことは嫌いじゃないけど、この前の国語の授業で発表した作文、あれはいただけないわ、って」
 慎一は、せき込むような早口で一気にしゃべってしまうと、今度は一転、押し黙ってしまった。
 純平はわざとらしいせき払いをひとつして間をとった。
「いただけないわ、だなんて、なかなかこましゃくれた女の子じゃないか」
「こましゃくれた──美人って意味ですか?」
「それは、こまたが切れ上がった、だ。……さて」
 もう一度、小さな声でせき払いして、慎一のつむじに問いかけた。
「その京子ちゃんは君に、次の作文で汚名返上してみろと、こう言うのかい?」
 すると慎一は弾かれたように顔を上げ、再び猛然と語り出した。
「そうなんです! 彼女をうっとりさせるような名文が書けたら付き合ってもいいって……。でも今のぼくなんかにそんな文章が書けるわけないし……。その日から勉強を始めました。彼女がうなるようなすてきな言葉を書いてやろうって」
 しおれたと思ったら、突然血気盛んにまくしたてる。なんだか浮き沈みの激しい男の子だ。コンプレックスと初めて体験する恋心の間で揺れているわけか。まさに青春だ。純平は慎一に好感を持った。
「それで『うつくしい日本語』というわけか。京子ちゃんに胸を張って発表できるような作文を書こうと」
 ところが慎一はまた、はにかむようにうつむいた。
「……いいえ、ぼく、考えてるうちにもっといいことを思いついたんです」

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