no.24(最終回)
2124年1月1日
 
 新しい年が始まった。
 日記を書こうなんて、これまで一度も考えたことなんてないのに。
 ただ昨日、ちょっとした発見があったんで、年も変わったことだし、何か新鮮な気持ちで挑戦してみようかなと、まあ単なる気まぐれだ。

 ボクの名前はミラク。
 十七歳の男子。
 家族は、父さん、母さん、それに弟と妹がひとりずつ。ボクを含めて計五人が一つ屋根の下に暮らしてる。

 昨日の大晦日のことから書こう。久しぶりに集まった家族がその日一日かけてしたのが、大掃除だった。
 父さんも母さんも仕事で留守がちだし、ボクはボクでバイトに精出す日々だったので、家のことを省みる者はおらず、掃除を始めたらびっくりするくらいゴミが出てきて、ホント、びっくりした。
 人使いの荒い母さんには、塀や屋根の修繕まで頼まれ、午後はずっと雪の降り出しそうな寒空の下で、トンカチ片手に釘を打っていた。
 ボクは野球部のキャプテンをしてるくらいだし、体力には人一倍自信がある。弟も妹もまだ幼いから、こんな時、肉体労働はいつもボクにお鉢が回ってくるんだ。まあ身体を動かすのは好きだし、寒いのも苦手じゃないからね。
 それに今年、数十年ぶりに紅白歌合戦が再開される。早く終わって、ゆっくりと楽しみたい。
 そんなこんなで気が急いてたのは否定できない。屋根の上を元気良く歩き回ってる最中、うっかり屋根を踏み抜いてしまったんだ。
 築五十年の木造家屋だし、あちこち痛んでることは頭に入ってたんだけど。
 中から点検するため、急いでハシゴを降り、二階から屋根裏部屋に上がった。さいわい、穴は天井を貫通してなかったので、ボクはホッと安心した。もしもポッコリ穴が空いてたりしたら、母さんにぶっ飛ばされるところだ。うちの母さんは気が強いから、怒鳴られた上に、飯抜き+紅白を見せない、くらいの罰は受けただろう。
 とにかく外から穴を塞がなきゃ。そう思って部屋から出ようとした時、足の爪先がタンスに当たって小さな箱が床に落ちた。
 気にせず行こうとすると、後ろから人間の声がしたので飛び上がった。
 へっぴり腰で振り向いたら、声の正体は床に落ちた携帯電話を薄くしたような機械だった。あとで聞いたら、トーク・ダイアリーという名前だった。
 機械から流れてきたのは一組の男女の声だった。男は女に向かって息も絶え絶えにこう言った。
『結婚してくれ』。

 その夜、母さんがボクに話してくれた。
 声の主は、母さんの母さんと父さん、つまりボクのばあちゃんとじいちゃんだった。
 二人のなれそめについては、昔から知識としては知っていた。学校の歴史の教科書にも載ってるし。
 でも、プロポーズしたときの肉声が残ってたなんて、今の今まで知らなかった。
 そう言うと母さんは笑いをこらえながら、
「スピカおばあちゃん、恥ずかしかったから、ずっと隠してたんだって」
 修理も掃除も年が明ける前に終えた食卓には、一家五人が集まって、じっと母さんの話に耳を傾けてた。
「みんな知ってるように、私のお母さん、あなたたちのおばあちゃんはコピードだった。ある時、偶然にもおじいちゃんと出会い、ふたり掛かりで人類を元に戻す実験をおこなったの。実験は無事終了したけど、それが元でおじいちゃんは死んでしまった。ふたりが出会った次の日のことだったのよ」
 授業で習ったボクはすでに知ってたけど、弟や妹は初耳だったようだ。肉親のことだけに、目をらんらんと輝かせて聴き入ってる。
「おじいちゃんは心臓が弱かったから、実験に耐えられないことに途中で気づいたらしいの。それでも無理して続けたせいで命を落としたんだけど、最後の最後におばあちゃんにプロポーズしたのよ」
「なんでー」妹が声を上げた。「死んじゃったら結婚できないじゃないー。お母さんも生まれてこないしー」
「生まれたから、ここにいるんじゃない」
「おかしいよー」
 弟が加勢する。母さんはそんなふたりに微笑むと、
「おじいちゃんの遺体はすぐ病院に運ばれたの。そしておばあちゃんの指示でおじいちゃんの身体から《子供の素》を採ったの。それをおばあちゃんのお腹の中に入れて、おばあちゃんの《子供の素》と合体したおかげで、こうしてお母さんが生まれてきたのよ」
「へー」
 弟と妹はそれなりに納得したようだ。
 ボクはあらためて母さんを見た。
 母さんはザ・デイ以後に生まれた、初めての《人類》だ。
 じいちゃんとばあちゃんの実験は成功した。じいちゃんの精子はザ・デイ以前のものへと変貌したんだ。ばあちゃんはそれを受け入れ、妊娠し、母さんを出産した。
 生まれた母さんは世界じゅうから喝采を浴び、祝福を受けた。再び、人類の時代が戻ってきたんだと。
 その後、じいちゃんの精子は世界の至るところで新たな人類を誕生させた。つまり、母さんの異母弟妹はこの世にいっぱいいる。
 でもさすがは人類。彼ら彼女らは顔つきこそどことなく似ているけど、やっぱり全然違う。声も身長も体型も、それから性格も全然!

 母さんは十九歳で結婚した。相手である父さんは正真正銘のコピードだ。新人類の中には、コピードと結婚するのはイヤという人もいるけど、母さんは気にしない部類の人。
 若い頃から豪快な武勇伝に事欠かない人だったらしく、今じゃ『新人類協会』の代表として世界中を講演して回ってる。コピードの父さんはのほほんとしたもので、そんな母さんのマネージャーとして、常に随行してる。早い話が尻に敷かれっぱなしなのだ。
 じつは父さん、生前のじいちゃんに会ったことがある。
 独り暮らしのじいちゃんとは、ずっとお隣同士だったらしく、自炊ができないじいちゃんのために、父さんの母親が毎食作って用意したのを運んであげてたんだそうだ。
 じいちゃんは子供には優しくて、時には大切なパソコンを触らせてくれたりもしたんだそうな。

「さて」珍しく父さんが口をはさんだ。「お話中、申し訳ないけれど、そろそろ晩ご飯にしないかい」
「さんせー」
 弟と妹が父さんの意見に同意した。

 その夜、ボクは屋根裏で見つけたトーク・ダイアリーの音声データを自分のパソコンへとコピーした。もちろん母さんの許可は得ている。というか、データを扱いやすいよう編集して携帯用のマイクロディスクに焼きつけてくれと、母さん自身がボクに依頼したんだ。次の講演で使いたいらしい。
 コピーしたデータを読み始めたら、紅白歌合戦のことなんかすっかり忘れてしまってた。それくらいじいちゃんの冒険日記には引き込まれるものがあった。
 日記はたったの四日分しかなかった。トーク・ダイアリーのメモリは、残り九十九パーセントが未使用のままで残ってた。
 そうだ!
 残りのメモリにボク自身の日記を綴ろう。もしも許されるならば、だけど。
 じいちゃんは、実験装置を開発した科学者と並んで、世界中から尊敬される存在だ。もちろんボクにとっても鼻が高い肉親でもある。
 そんなじいちゃんが愛用した道具に、その孫が日記を付けるなんて、古くさい言葉でいうなら、クールじゃないか?
 そんなわけで、こうして元日から日記がスタートした。
 当面は三日坊主で終わらないよう、がんばるつもり。

 そういや、じいちゃんの日記はいずれ本にまとめて出版したい、なんて母さん言ってたな。
 母さんは長年、新人類とコピードが仲良く暮らしていける世界を目指して、さまざまな努力を積み重ねてきた。
 新人類は日々増え続け、今じゃ十万人に迫る勢いだ。すでにあちこちでもめ事が起き始めている。もし大ごとになったりしたら、じいちゃんたちの苦労が報われない。
 今から来るべき世界のモデルを提案しておく必要がある。母さんはそのために日々、会議やテレビ出演にと奔走しているんだ。我が母親ながら、本当にパワフルだなと感心する。

 アフリカから広まった伝染病は、全コピードの七割を死に至らしめ、ワクチンが完成する直前、世界は中世の暗黒時代を思わせるような様相だったらしい。
 新たな人類の誕生を知った時、コピードたちは、自分たちがこの地上から消え去る運命にあることを天命として受け入れた。彼らには新人類と争ってでも種を残そうなんて考えはまったくなかった。
 その上、コピードたちは世界の再建に向けて、ボクたち人類に力を貸してくれさえした。新人類が増えることにも平然と対処し、まだ幼かった新人類をあらゆる面で優遇してくれた。こうして、重要なポジションを少しずつ新人類に譲っていったんだ。
 まるで、リレーのバトンを手渡すように。

 母さんたち協会の人々は、ゆるやかな世代交代を求めてる。新人類はコピードが歴史に現れた意義を無駄にしないよう、新しい時代にはコピードの遺産を活かしていくことを願ってる。例えば国境を消し去ったことや、戦争をなくしたことみたいに。

 出版するなら、じいちゃんの日記には、かなり手を入れる必要がありそうだ。
 特に最終日の最後の部分、研究室に乗り込んだあたりからは会話ばかりで、じいちゃんのモノローグが一切ない。編集する暇もなく死んじゃったんだからしょうがないんだけど、これは手こずりそうだ。

 特に気になるのが、じいちゃんのプロポーズ。
 じいちゃんはばあちゃんのことを、心底愛してたんだろうか?
 まさか、装置の開発者に命令されたから、しかたなくプロポーズした?
 ボクにはさっぱり分からない。
 食事時に、それとなく母さんに尋ねたけど「どうだろねえ」としか答えてくれなかった。
 本当のところ、どうなんだろ?

 ノックの音で目が覚めた。
 机の時計は午後三時を指してた。
 すっかり寝坊した。夜更かしのせいだ。でもまあ今日はまだ元旦。あったかい布団の誘惑には勝てない。もうちょっとだけ惰眠をむさぼっていよう。
 またノックの音がした。
「誰?」
「おばあちゃんよ」
 がばっと布団をはね除けた。
 あわててドアに駆け寄る。
 開いた向こうには紛れもない、スピアばあちゃんがいた。
「ど、どうして」
 笑顔のばあちゃんは、コピードらしくない派手な色遣いの和服に身を包み、六十四歳の年齢を感じさせない肌のつややかさで、小さな袋をボクに差し出した。
「はい、お年玉」
《新人類の母》とも称されるばあちゃん。じっさいに生んだのは母さんを筆頭に、三男二女だったけど。
 でも今日のこの訪問は大きなサプライズだった。
 ばあちゃんは先月、急に倒れて病院に運び込まれ、生き残った伝染病に感染したと診断された。
 発見が早かったから命は取りとめたけど、三ヵ月は安静にする必要があると聞いてた。
「ミラクにも心配かけたね。でももう大丈夫」
 ばあちゃんはぐっと腕を上げると、小さな力こぶを作って見せた。
 スピカばあちゃんは、コピードにしてはかなりの変わり者だ。よく冗談を口にするし、母さんほどじゃないけど行動力もある。
 三十歳代に大学職員から映画監督に転身してからは、コピードを中心にした記録映画をたくさん作ってきた。コピードは映画になんか興味はないはずなのに。
 ばあちゃんの姿形は間違いなくコピードだけど、およそ、らしくないんだ!
「ねえ、ばあちゃん。教えてくれない?」
 ちゃっかりお年玉を受け取ると、ボクは尋ねずにはいられなかった。
「なに?」
「プロポーズしたじいちゃんは、ばあちゃんを心から愛してたのかな?」
 ばあちゃんはふっと視線をそらした。そして開いたドアの隙間から部屋の中をのぞいて、まあっと驚きの声を発した。
「トーク・ダイアリーね。ずっと大事にしまってあったけど、お母さんがお仕事に役立てたいというので、貸してあげたの」
 部屋に入ったばあちゃんは、机の上から持ち上げたそれをいとおしそうに撫でた。
「ミラク、あなた、これが欲しいの?」
「ウン。できればだけど」
 するとばあちゃんは、なぜかスタートボタンを押して、マイクを自分の口許に持っていった。
「おじいさんが私を愛していたか、聞きたいのね」
「ウ、ウン」
 ばあちゃんは微笑むと、傾いた陽光の入る窓辺に目を移し、
「あの装置が影響を及ぼしたのは、おじいさんだけじゃなかった。そこにいた私も、装置の作った《場》に飲み込まれてたのね。──すてきな時間だった。おじいさんと私の心はひとつにつながったの」
 ボクはたぶん、目を白黒させてたのに違いない。
 そんな顔を見て、ばあちゃんはクスリと笑い、トーク・ダイアリーをボクに手渡した。
〈おわり〉
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