no.1 2086年1月1日 (1) |
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新しい年が始まった。 そこで。 いつまで続くかわからないが、これを期に、日記をつけてみようと思い立った。 とはいえ、単に日々のできごとを書き連ねるのが目的ではない。 これから私は、とんでもないことをしでかそうと計画している。 人生で初めての大ごとである。 ただ、それ本当に正しいことなのかどうか、いまだに悩んでいる。 しかし、残された時間はきわめて少ない。 ここに至って、私は重い腰を上げることにした。 この日記は、やわな決心が揺らがないように励まし、また我が行動をチェックするためにも有効に働いてくれるに違いない。そう願っている。 2086年の元旦。 数日後、私は63歳を迎える。この年齢まで入院するほどの大病を患わずにきたのは、私向きにカスタマイズされた健康管理システムのおかげである。 システムは、私の住む三階建ての一軒家のすみずみにまで行き届いている。年間を通じて適切な冷暖房や換気を提供し、ハウスドックは毎晩ベッドに寝ながら身体全体をスキャンしてくれ、変化の兆候を発見するや、すぐに対処してくれる。 だからこの十数年、家から出る機会はほとんどなかった。何を好き好んで、病原菌のウヨウヨする戸外に出たいものか。とはいえ、21世紀半ばに地球上のほとんどの病原体は死滅している。風邪の苦しみなど、体験したくても二度とできないだろう。 住環境に関しては、細かい点を差し引けば、文句のつけどころがない。 ただ、「この地球に生き残った最後の人間」にとって、それがどれほど価値のあることなのか? 話は50年ほど前にさかのぼる。 2035年の4月1日。 シカゴのとある大病院で、奇妙な現象が起こった。 この日生まれた赤ん坊、十数人の身長、体重の計測数値がすべて同じだったのだ。 ニュースがネット上に掲載されると、あちこちの病院からも同じ報告がなされた。 やがてこの珍事がアメリカのみならず、全世界的に起きていることが判明してくると、最初はほのぼのと受け止めていた人々の首を傾げさせた。 前代未聞の事態に、世界中のあらゆる有識者が意見を求められたが、誰も答えることができなかった。 12歳だった私は、当時の様子をはっきりと覚えている。 連日の報道は、その深刻の度合いを深めていった。 なぜなら、ザ・デイ(“その日”を、いつしかこう呼ぶようになった)以後に生まれた赤ん坊たちも、すべて、ザ・デイ生まれの子とまったく同じ身長と体重だったからである。さらに三日目の夕方に確認されたことだが、先祖代々、褐色の肌を持つ、ある両親から生まれた赤ん坊の肌は、明らかに褐色ではなかったのだ。 一年後、世界保健機関の調査委員会がまとめた報告書が公開された。そこに書かれていたのは、人々が予想していた以上に驚くべき事実だった。 ザ・デイ・アフター・チャイルドは、一人の例外もなく、外見的特徴が同一である。 栗色の髪、暗緑色の目、薄褐色の肌。血液型はおろか、DNAレベルまで精査しても、個体間の相違は確認できなかった。 成長速度についても、まったく個人差はなく、満一歳を迎えた子供らの写真を並べたところ、両親でさえ見分けることができなかったという。 思い出した。最初の恐慌は、彼らが義務教育年齢に達したときに起こったのだ。 テレビ画面に映った教室の光景は異様だった。 同じ顔、同じ体型、同じ声。唯一異なるのは、親からもらった名前だけ。担任はいちいち名札を見なければ誰が誰なのか判別できなかった。 そして担任は、同じ筆跡で書かれた答案に、同じ点数を与えるしかなかった。誰もがまさかと思ったが、子供たちは学力や科目の得意不得意はおろか、その思考過程まで同じだった。 付け加えると、趣味や嗜好も同様で、給食に出た肉料理に、子供たちはひとりとして手をつけなかった。全員がベジタリアンだったのだ。 混乱は年々、増加の一途をたどっていった。 同じ顔の子供らが、やがて中学、高校と進学するにしたがい、混乱はピークに達した。 人類は、自らの構築した自慢の社会機構が、じつは同じ外見をした人間を受け入れるようにはできていないことを痛感させられた。 人々は自主的に産児制限をおこなった。つまり、産みたがらない夫婦が増えた。ところがその分、別の夫婦の間に双子、三つ子が生まれた。 救いがまったくないわけではなかった。 同じなのは外見だけではなく、内面においても同様で、彼らは一人残らず従順でおとなしく、やさしい性格の持ち主だった。 2053年3月、東京都内の高校で銃乱射事件が発生した。 ちょうど卒業式の真っ最中で、同じ顔をした三年生たちの十数名が銃弾を浴び、死傷した。犯人はノイローゼが原因で退職した元教師だった。「彼らは今に世界を乗っ取るつもりだぞ」。犯人はそう叫んだという。 痛ましい事件だったが、現場にいた人々はさらに驚嘆すべき光景を目にした。冷静な行動で犯人を取り押さえたのは、同じ顔をした三年生の生徒たちだったのだ。現場にいた父兄たちは「まるで組み体操を見ているようだった」と後に証言したように、見事な連係プレーで犯人を取り押さえたのだった。 以前から彼らはテレパシーで意思の疎通ができるのではないかと囁かれていたが、この事件はそのうわさに拍車をかけることになった。 コピード。 2035年3月以前に生まれた人々は、恐怖と揶揄の意味を込めて、彼らをこう呼んだ。オリジナルはきっと人類そのものだろう、彼らは我々の平均値に過ぎないと。 だが、彼らの発生した要因は、そもそも何なのか? 振り返れば、発端となった出来事は2034年の春に起きていた。それが発端だと気づいたのはずっと後になってからのことだが。 その夜、空には昼間と見まがうほどの光が満ちあふれていた。 巨大な彗星が地球のそばをかすめ飛んだのだ。十分に安全な距離があると天文学者は太鼓判を押したが、彗星のちっぽけなかけらのひとつが、母星を離れて地球に引き寄せられ、不運にも中国の原子力発電所に落下した。 空中に放出された放射能は気流に乗って、世界の空をおおうことになった。 中国側がしぶしぶ提出したデータをもとに、あらゆる生態系への影響が調査されたが、結論は「たいしたことはないだろう」で締めくくられた。 ところが、コピードが母親の胎内に宿ったのは、それ以後のことだったのである。結びつけて考えないわけにはいかない。再び調査がおこなわれた。しかし原因はついに解明されなかった。 上記のことがらは、すべてネットニュースで得たものばかりだ。私自身、科学者でも何でもない。平凡な一会社員に過ぎなかった。だから情報はすべて又聞きである。 私も、広がる混乱と不安に振り回された、ただの一市民でしかない。 そんな私が社会との交流を断ったのは、まだ40歳前半のことだった。以後、自宅から100メートルと離れたことはない。 上にも書いたが、人類最後のひとりとなってしまっては、何をする気にもなれない。ひたすら、孤独と戦うだけの日々なのである。 玄関の呼び鈴が鳴っている。 どうやら来客のようだ。腕も疲れたし、ひとまず休憩することにしよう。 |
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