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翌日の新聞やネットニュースは、三年ぶりにブラックホール関連のネタで埋まった。中でも『ヴァーチャル世界からの生還者、光嶋萠黄さん行方不明』の見出しの大きさは、他を圧倒した。 数日後の報道では、現場検証の結果、爆発の原因は、電源部のショートによって装置が勝手に動作し、エネルギーが臨界点を超えたための暴発説が有力とあった。彼女の思惑どおり、爆発は事故として処理されそうだった。 しかし私にとってそんなニュースはどうでもよかった。 〈光嶋萠黄さん、事故死か?〉 その見出しを見つけると、続く記事を私はむさぼるように読んだ。記事はこう書いていた。現場から萠黄さんの左腕(義手)が発見され、義手や装置からは彼女のものと思われる皮膚の断片が多数採取された。おそらくひとりで装置を点検していた時、運悪く爆発に巻き込まれてしまったのだろうと。 ただこの見解には疑問があるとの意見も載せられていた。爆発に巻き込まれたにしては、遺骸の量があまりに少ないというのだ。ただそれも、プラズマ放射を浴びれば考えられないこともないと締めくくられていた。 事態は光嶋萠黄が思い描いたとおりに進行した。 ブラックホール生成装置の開発は、関係者が一斉に検挙されたことで頓挫し、やがて否定的な考え方がマスコミを賑わせ始め、引き継いでやろうというものは現れなかった。 『ブラックホールは悪』。 再び世間は声高に叫び始めた。伊里江真佐吉がかつて浴びた罵声と同じ風潮が世の中に蔓延した。 勝手なものだなと私は嘆きにも似たため息を吐いた。二〇一七年の今日、世界の価値観はますます迷走するばかりだ。教職の身分となった私は、傭兵時代には考えもしなかったことに悩む自分を振り返り、苦笑した。 ただ、ひとつだけ中止されなかったものがある。彼女を主人公にした映画製作である。 最後には装置開発に協力していたにもかからわず、光嶋萠黄という存在は、死んだことによってますます神格化されていった。意外にも日を追うごとに「彼女は人工ブラックホールの危険を身をもって示したのだ」という意見が主流を占めていった。そのあまりの人気沸騰ぶりに、なんと映画は三部作で公開されることに変更された。ちなみに私も登場するそうだが、本名が知られていないため、我が家にインタビュアが押し寄せる心配は、残念ながら、ない。 光嶋萠黄は本当に死んだのか? 自らのしたことに責任を感じ、我が身をプラズマにさらして自殺したのか。そう考えることにいささかの無理もないし、彼女らしいとも思えるが、ひょっとして彼女は私にさえ死んだと見せかけて、どこかで生きているのではないか。私の心は根拠もなくそんな見方に傾いたりするのだ。 もやもやとした気分がつのり、授業をおこなっていても集中することができず、凡ミスを連発した。 「疲れてるのよ。有休を取って休んだら?」 妻の意見に私は賛成した。そして娘も連れて三人で一週間の休暇を取ることにした。先だっての夏休みは日本での作戦に忙殺されたため、今回は思い切って、家族サービスも兼ねて旅行に出かけることにした。とは言え、疲れる長距離ドライブは避けたい。そう思っていた矢先、あるニュースを読んで、私は叫んでいた。 「ハリウッドに、映画撮影を見学しに行こう!」 私を捉えたニュースは『鏡の中の少女』のメインキャストオーディションがおこなわれることを告げていた。 娘も妻も賛成してくれたので、我々は愛車に乗って、一路、映画の街を目指すことになった。 実のところ、私はオーディションなどに興味はなかった。私を動かしたのは、日本から駿河炎少年が審査員として招待されるという一点だった。 彼には一度会って、話してみたいと以前から思っていた。その彼がすぐ近くに来るのだ。これを逃す手はない。 『うわっ、リアルのシュウさんだあ!』 突然の夜の訪問にも、炎少年は快く部屋に招じ入れてくれた。場所はハリウッドの超豪華ホテルの一室。少年も萠黄に劣らず世界的な有名人であるため、部屋の前には護衛が付いている。そのひとりはかつての私の部下である、私は彼に頼み込み、こうして会うことができたのだった。 「そんなに似ている?」 『当たり前じゃないか。でも微妙に違うな。やっぱり人間の顔は左右逆にすると変なもんだね』 初対面なのに、彼の声には特別な親しみがこめられていた。彼の母親もそれに安心したのか、「買い物に出かけてくるわ」と気を利かせて席を外してくれた。 あらためて少年を眺める。ヴァーチャル世界では自力で歩くことができ、自分の目で見て、しゃべることができたらしいが、こちらに戻った途端、リアルパワーの加護が消え、元の全盲の身体に戻ってしまった。だから現在も車椅子と機械の目、耳、鼻、口に頼る日々なのだ。 『でもね、二年前には人差し指が動くようになったし、去年は首を動かすことができるようになったんだ。だからどんなに忙しくても、毎日のリハビリは欠かさないよ』 彼はいま、母親の設立した炎医学研究所で、自分の病気を自ら克服すべく、研究に没頭する日々を送っている。さらには講演の要請にも積極的に応じ、自らの体験を人々に語ることにも生き甲斐を感じているという。 『わがままボーイは卒業さ。そんな遊んでる暇はないからね』 私は彼を訪ねた理由を切り出した。もちろん私のもやもやの原因である、光嶋萠黄の生死に関してだ。 『俺も聞いた時は落ち込んだよ。向こうの世界じゃ、どんなにピンチになっても、しぶとく生き延びてたのになあ』 今回も彼女の生きている可能性はあるだろうかと問うと、 『えっ、死んだんじゃないの?』 と驚きの声を発した。 もし生きているなら、爆発以後、彼の前に姿を現したのではと、若干の期待を持って訊ねたのだが、どうやらそんなことはなかったようだ。もっとも人工音声では、声色から少年の心の内を覗くことなどできないが。 『でも生きてたら隠れる必要なんかないだろ。お父さんが逮捕された機密の漏洩事件だって、あの萠黄さんが関わってるわけないしさ』 同感だった。そうなるとますます彼女の生存説に根拠がなくなってしまう。 『そういえば萠黄さん、亡くなる一ヵ月前に俺を訪ねてきてくれたんだ』 「へえ」私は心の驚きを隠しながら少年の表情のない顔を見上げた。「どんな話をしたのかな?」 『こんなこと言ってたっけ──わたしはブラックホールの秘密をとことん追求したいと思てんねん。何でも飲み込んでしまうあの黒い星の向こうには、まだ誰も気づいてない、この宇宙の真理とか秩序みたいなものがあるような気がする──萠黄さんは、将軍って呼ばれた五十嵐のジイさんの言葉が印象に残ってたらしい。〈この世に必要でないものはない。私らがリアルに選ばれたのも偶然ではない〉。きっと宇宙が萠黄さんを選んだと感じたんじゃないかな。俺だってそう感じることがあるよ。一度あの光の道を通過した者だけが抱く感覚かもしれないけどね』 私には彼の言うことが理解できなかった。少年はアハハと笑うと、 『俺だって理屈の上ではそんなことあるかと思うさ。でも萠黄さんは、あの世界から帰還する途中で、俺以上にいろんなものを見たのかもしれない。 ワケの判らないことだらけの世の中だけど、人間の起こすゴタゴタも、宇宙の果てはどうなってるのかも、全部ひっくるめて説明できるような論理がどこかにあるとしたら、彼女はその一端を垣間見たのかもしれないよ』 ふむ、と私は妙に納得できるような気がした。 「もしそうなら、不幸なヴァーチャル世界の人々も救われるかもしれないな」 『死んじゃったら元も子もないけどね』 そうだ。彼女は死んだのだ。何を思いわずらうことがある。私は腰を上げた。 「会えてうれしかったよ」 『俺もっ』 私はアームレストに置かれた彼の手の甲に自分の手を重ねた。すると少年の指がぴくりと動いた。 『ほらね。ほんの少しだけど、自分の意思で動かせるんだ。いつかヴァーチャル世界で自由に動けたように、自分の足で他人を蹴って、自分の口で思う存分誰かの悪口を言ってやるんだ』 「その時は、私が世界じゅうの悪玉を案内して回ってあげるよ」 私は少年と再会を約し、ホテルを後にした。 街はネオンの洪水にあふれていた。 さすがにハリウッドだ。陽が落ちてますます街は活気に満ちている。私は夜の道をホテルに向かってとぼとぼと歩いた。 炎少年とのやりとりを思い出す。すると、一度は萠黄の死を受け入れたはずなのに、もしやという気分がジュラシック・パークでよみがえった恐竜のように頭をもたげてきた。 研究に意欲を燃やしていた光嶋萠黄。 すべてを消し去ろうとした光嶋萠黄。 ふたつがどうしてもひとつに合わさらない。かといって、どちらか一方を否定することもできない。 いつしか私は小さな公園に迷い込み、薄汚れたベンチに腰かけていた。すぐ前をタクシーがひっきりなしに通り過ぎていく。 何気なく見上げた道路向こうのビデオショップに、怪獣をあしらったポスターがでかでかと貼ってあった。ハリウッド版ではない、日本のゴジラ映画だ。 私はハッとした。モジ2号はどこへ行った? 作戦終了と共に、PAIまで消されたのか? 私が彼女なら、数々の貴重なデータをPAIを使って一カ所に集めておく。世界から全データがなくなったいま、それは天文学的な価値を持つだろう。 石油など足許にも及ばない無限エネルギー。私のような凡人は、データをオークションにかけて値段を吊り上げて売り飛ばし、一生遊んで暮らすことを考えてしまう。 彼女に限ってはそんな俗物めいた感情とは無縁だ。 三年前、体調が回復すると各メディアはこぞって彼女に取材攻勢をかけた。そんな時、彼女が折りに触れて訴えたのは、同じリアルとして闘った友の名誉回復だった。その甲斐あって、今では真佐吉の弟・真佐夫を悪く言う者はいない。また、小田切ハジメにあっては、刺傷事件の再捜査がおこなわれ、真犯人が自首してきたことでハジメの疑いは完全に晴れた。そして、京都在住の芸術家、ビッグジョーク齋藤の娘に会ったこともスクープされ、遺髪を直接手渡したことが感動的な話として紹介された。 メディアに登場する時、彼女は常にノーギャラを条件に受けていた。時の人となっても売名行為と非難する声はほとんどなく、世間は常に彼女の訴えを後押しした。 そうなのだ。どんなに意地悪い色眼鏡を通しても、彼女からは俗物的なイメージは湧いてこない。私はわずかな時間でも彼女を疑ったことを恥じた。 彼女は全てのデータを持って、どこか誰も知らない場所で研究を続けるいるのだろうか。自らの感覚の命じるままに──。 それでも腑に落ちないことはある。失踪した彼女が自由に研究できるような、そんな都合のいい場所があるのか? 淡路島洲本沖の伊里江兄弟の秘密基地でさえ、彼女の話を裏付ける捜索隊が徹底的に調査し、いまは解体され、消滅している。 ましてや彼女は片腕である。義手にスペアはないという言葉を信じるなら、彼女は片手で生きていかねばならない。なぜなら、役に立つ精巧な義手を新たに作ろうとすれば、人前に自分の身体をさらす必要がある。そうでなければ自分に適合した腕など得られはしまい。当然顔も割れよう。世界的有名人の彼女である。今回の映画化でも、主役には彼女に酷似するアジア系の女優が求められているくらいだ。 私はベンチを離れた。 結論は依然として出ないが、それでも少しは気が晴れた。それは彼女が生きていることを信じる気になったからだ。 きっと今頃、どこかでコンピュータと格闘しているに違いない。 そして、また困った事態が起きたなら……きっとまた、我が家のドアをノックしてくれることだろう。 私はよしと叫ぶと、ホテルに向かって歩き出した。 |
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