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私の名は、シュウ・クワン・リー。 傭兵として長らく海外の危険地帯を渡り歩いてきたが、いまは現役を引退し、米カリフォルニア・オークランドで妻子と共に平穏な暮らしを送っている。 第二の人生を始めるにあたって、地元の高校で教鞭ととる道を選んだ。地域に根ざした強力なネットワークを持つ妻の口利きによるものだが、始めてみると意外にも性に合っていることに気づいた。生徒や親たちの評判も悪くなく、気を良くした私は、近所の大学でも、非常勤講師として週一回の授業を持つことになった。元傭兵のキャリアを活かして、テロ対策やセキュリティ、世界の紛争の詳しい実情などについて講義してほしいと請われたのだ。 学生たちがとりわけ強い興味を示したのは、三年前の『真佐吉事件』だった。 あの事件には私もリアルキラーズの一員として関わったわけだが(身近な人間は誰も知らない)、ヴァーチャル世界ができた直後には、用済みとなって解散した。働くのはヴァーチャル世界の私であって、こちらではやることがないからだった。 だからどんなことがあったのか、具体的にはほとんど知らなかった。ただ、傭兵時代によく行動を共にした真崎の失踪原因が、ヴァーチャル世界に連れ去られたためと判明してから、自力でいろいろと調べてみたのだ。 ヴァーチャル世界から無事に生還したのは、十九歳の女性と十四歳の少年のふたりだけだった。真崎が向こうでどんな行動をとったのかについては、ふたりの証言だけが頼りだったが、彼らから得られるものはほとんどなかった。 女性は帰還した五日後に覚醒したが、記憶には欠落部分が多々あった。さらに遅れること二週間、ようやく目覚めた少年は植物状態であったため、意思の疎通を回復するのに時間がかかった。そして、回復後に母親を通じて発表したコメントによれば、女性以上に覚えていることは少なかった。 それでも女性の語ったヴァーチャル世界での出来事は、世の中を驚愕、興奮させるに十分だった。 リアル対リアルキラーズの息詰まる戦いに人々は目を輝かせたし、米軍の容赦ない攻撃には誰もが怒りを覚え、一時期、日米関係に暗い影を落とした。もっとも、先月製作発表されたハリウッド映画『鏡の国の少女』は、帰還したふたりの証言を元に、ヴァーチャル世界での出来事を忠実に再現するということで、米軍が撮影に全面協力するということもあり、両国間の険悪ムードもしだいに解消されつつある。 ある日、意外な人物が我が家を訪ねてきた。落ち着いたダークブルーのスーツを着た女性は、なんとヴァーチャル世界からの生還者、光嶋萠黄その人だった。 TVや新聞でしか見たことのない彼女の来訪に、私は呆然とし、「入ってもいいですか?」と問われるまで、彼女の顔を見続けていた。 その日、妻と娘は買い物で隣町まで出かけていたので、私はお茶の準備をするのにあたふたとした。彼女はその様子をずっと笑顔で眺めていた。まるで旧知の友と久しぶりに再会したかのように。 すると、リビングのソファに腰かけた彼女は、開口一番にこう言った。 「ええ、わたしはシュウさんのことをよく知ってます。ヴァーチャル世界でわたしとシュウさんは、何日か行動を共にしてましたから」 またしても私は絶句した。そんな話は公にはされていない。そう言うと、 「だって、誰にも話してませんから」 と彼女はいたずらっぽく笑った。 私は日本語を話すことができたが、彼女はとても流暢な英語を話した。 「この三年ものあいだ、海外のかたとも交流することが増えたので、必死で勉強したんです」 知っている。彼女は帰還後に入院していた病院を一ヵ月で退院すると、通っていた大学を自主退学し、父親の推薦もあって、京都工大のエネルギー工学研究所に就職した。人工ブラックホール生成の研究に、自分も関わりたいと願ってのことだった。 以来彼女は、エネ研における父親の有能な助手として働いている。父親は近い将来、もう一度ノーベル賞を取るのではないかと噂されていた。 「雰囲気が変わりましたね」 私が言うと彼女は、えっと驚いた顔をした。 「いえ、もちろんお写真などでしか知りませんが、帰還直後に比べると、ずいぶん大人っぽくなられた」 彼女はフフフと微笑むと、 「髪を伸ばしたんです。それにちょっと痩せましたし」 そんなことではないと思った。ニュースなどで見る彼女は、最初こそ幼く映ったものの、この三年で随分と大人びた物腰を身につけていた。 「向こうの世界では、シュウさんに本当にお世話になりました。何度も危ないところを助けてもらったし」 それを聞き、私は素朴な疑問を口にした。 「私には腑に落ちません。リアル狩りという任務を帯びた私が、なぜあなたと?」 「聞いてもらえますか? 長い話になりますけど」 私はもちろんと頷き、その前にお茶のお代わりを作ろうと立ち上がると、 「コーヒーがあれば、そっちのほうが」 と黒い瞳が私を見上げた。その顔には一層親しげな感情がこもっていた。 すべてを聞き終えた私は、ため息をつく以外に感動を表す方法を知らなかった。 そしてその内容は、公表されていた話とはあまりにも違っていた。 隊長代理となって現場の実権を握った真崎が、最後には自らのリアルパワーに乗っ取られて怪物に変貌したこと。 笹倉防衛庁長官の暴走や、総理自らが演じてみせた巧妙な罠のこと。 そして、父である光嶋博士や野宮助教授、エネ研と伊椎研究所の連中のあくなき策謀のこと。 「リアル世界に帰還する際のショックで記憶の一部をなくした──もちろん嘘です。わたしは嘘をついて、事実のいくつかを話さずにいました。それは、こちらの世界に不必要な混乱を招きたくないからではなく、わたしに、ある計画があったからです」 あらためて彼女を見た。つぶらな瞳は、地底湖の水面のように冴え冴えとしていた。 「生還して目覚めたベッドの上で、わたしは自分に課された新たな使命を実感しました。それはわたしに味方し、助けてくれた人たちへの恩返しでもあります」 水面が泡立ち、彼女の口調が熱を帯びていく。 「わたしは大学を退学しました。娘のわたしに手に掛けた父に協力することも厭いませんでした。覚醒直後の炎君にも大事なことはしゃべらないでと説得しにさえ行きました」 むんにも迷惑かけたなかったから、会わへんようにしてたし、と最後はぼそっと日本語でつぶやいた。 彼女の全身から強い決意が伝わってきた。メディアを通じては伝わってこないものだった。私はそんな彼女に興味をそそられた。ヴァーチャルの私も同じ思いだったのかもしれない。 「……優等生的な生還者を演じ続けてきたのは、すべて、その計画を遂行するためです」 彼女は一気にしゃべると、興奮したことを恥じたのか、左手で持ったソーサーの上に右手のカップを置いた。 私は少し落ち着かせるべく、話を変えた。 「左腕の調子は、どうですか?」 「おかげさまで、すっかり馴れました」 彼女はソーサーをテーブルに置くと、左の手の平を開いたり閉じたりしてみせた。彼女の左腕が義手であることは世間によく知られている。 生還した際、左腕の付け根から大量の血を流していた彼女の助かる可能性は五分五分だと言われた。長時間に渡る手術がおこなわれ、五日後に目を開いたとき、世間は彼女に対して拍手喝采を送った。勝利のヒロインとして英雄視した。以来、時の人となった彼女に目をつけた企業は多く、無償で義手を提供しようという申し出が世界中から押し寄せた。彼女はその中で最も技術力の高いメーカーを選び、左腕を取り戻したのだった。 「でも調整が難しくて。スペアもないから、何とかしてもらおうと思って、今回わざわざこちらの本社まで出向いてきたんです。シュウさんのところに寄れたのも、そんな口実があったからです」 「よく私の家が見つけられましたね」 実は、シュウ・クワン・リーは本名ではない。傭兵をやっていると、さまざまな恨みを買うことがある。後々命を狙われる怖れもあるので、仕事の際はあくまで偽名を通していた。 彼女は待ってましたとばかりに微笑むと、バッグの中から携帯電話を取り出した。開くと液晶画面にPAIが現れた。 「ほう。それが噂に聞く、モジ君ですか?」 「モジ2号にバージョンアップしました。こちらのネット世界に棲んでいたギドラを捕獲して、モジの一機能として取り込んだんです。身体は少し金色がかっているでしょう? それにほら」 彼女が指さしたモジの頭には、三本の角が生えていた。 「なるほど」私は頷いて、先を促した。 「ギドラの能力を得たモジに見つけ出せないものはありません。それでもここだという確証を得るのに一週間かかりましたけど」 私は降参するように両手を上げた。 「そうまでして、私を捜したのはどういうわけで? ただ懐かしくてオリジナルに会いにきたという風には見えませんが?」 そう言って水を向けると、彼女は少し俯いて、じっとコーヒーカップを見つめた。傾いた西日が当たった頬からは、さっきまで浮かんでいた柔らかい笑みは消え失せていた。私は立ち上がってカーテンを引くと、彼女のカップにコーヒーを注ぎ、黙ってソファに戻った。 窓の外を子供たちがバスケットボールを弾ませながら駆け抜けていった。 彼女はようやく顔を上げると、 「助けてほしいんです。ここから先はリアルパワーもないわたしひとりでは無理なんです」 |
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