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瓦礫の上に降り立ったハジメは、すぐに崩れたコンクリートの塊を取り除き始めた。 大地震の被災者を救出するような悠長なやり方ではなく、イメージしたエアドリルで片っ端から砕き、はじき飛ばしていく。 散発的に黒い光線を撃ってくる兵士がいたが、瓦礫の下からでは遠すぎる。もともと射程距離は短かったし、ハジメは掘り起こした塊を投げ返してくるので、不用意に近づくことができない。 しかしハジメの念頭には狙撃者のことなどなかった。 (萠黄さん、生きてろよ) 心の中で呼びかけながら、ひたすら倒れた壁を引き起こしていく。 一階の床が見えた時、二の腕を冷たい風がスーッと横切った。ハジメはしめたと指を鳴らして、エアドリルの回転を止めた。 (目の付けどころに狂いがなけりゃ……) 彼は温度の異なる風を見分けることができる。冷気のあとをたどって大きな瓦礫の山をひとつ乗り越えると、ついに目指すものを発見した。 地下へと通じる階段。 冷気はその四角い穴から立ちのぼっていた。地階を満たしていた冷房の空気が抜け出していたのだ。 「ハジメくーん」 遠くで呼ぶ声をした。ふわりと空中に浮くと、足場の悪い瓦礫の上を、雛田を先頭にシュウや揣摩らが登ってくるのが見えた。 「危ないぞ、近づくな」 「そうはいかない」雛田は肩で息をしながら、「清香が、拉致されてるんだ、指くわえて、見てられるか」 シュウと柳瀬は銃を持っていた。 「米兵から奪い取った」 「さすが現役の傭兵さんだ。でも少し下がっててくれ」 ハジメは全員に注意を促すと、階段のほうに向き直り、半ば埋まっている四角い穴に神経を集中した。 ボンッ。大砲を撃ったような音がして瓦礫が空に四散した。ハジメは砂埃が晴れるのも待たず、通じたばかりの階段を急ぎ降りていった。 階段の踊り場をまたひとつ巡る。下方の手すりの影に銃口を向ける人影があった。人影は引き金を引いた。黒い光線が射出される。だがその速度はあまりにもノロい。萠黄は周囲とは違う時間の流れの中にいた。 ひとっ飛びに階段を下りる。銃を構えたまま硬直しているようにも見える米兵に対して、右手に溜めた空気を投げる。米兵ははじき飛ばされ、壁に叩き付けられると、ゆっくり床の上に落ちた。おそらく米兵は自分に何が起きたのか理解できないまま伸びてしまった。 目を転じる。 階段から続く廊下は、どの階とも同じく、建物の形に合わせ、大きな円を描いて奥に消えている。 斜め前に大きな扉があった。いまその片側が、中に向かってわずかに開いていた。 その扉の向こうが、以前リアルたちを元の世界に送り返すべく、転送装置の開発がおこなわれていた研究室であることを萠黄は知っていた。そしていま自分が目指す場所であることも知っていた。その中に清香がいることも。 正確には「いるはず」である。 悲鳴のあと、清香の意識は萠黄のアンテナに引っかからなくなっていた。 開いた扉に誘われるように萠黄は歩を進める。部屋の内側には人の気配があった。部屋の様子をまさぐるべく、アンテナを真横に伸ばす。 その時、全ての明かりがふっと消えた。廊下も、扉のあいだから見える研究室の中も真っ暗になった。 ずっと上の階で、誰かの転ける音と、わぁっという悲鳴が聞こえた。突然の暗転に足を取られたのだろう。その声は雛田に似ていた。 再びアンテナの拡張に集中する。 しかし、気配にもかからわず、誰の意識も読み取ることができなかった。その代わり、部屋の中央から、とてつもなく圧縮された力のようなものが伝わってくるのを萠黄は肌で感じていた。 直感が危険を知らせる。近づくなと頭の中で警告ランプが明滅する。 萠黄は壁に背中を寄せ、じっと聞き耳を立てた。 静かだった。さっきまでの混乱が嘘のようだ。 ここへたどり着くまで、萠黄は各階で文字どおり破壊の限りを尽くした。ブラックホール生成に関するものは、一切残してはいけないと思った。何かが残れば、それが災いの種となり、第二第三の真佐吉を生み出す。 そしてたどり着いたのが、敵が頼みとする最後の砦であるここ。数日前、リアルたちをあと一歩で元の世界に戻すところまで迫った場所。それが、この研究室だ。 間接照明のフットライトだけがひんやりと廊下を浮かび上がらせている。逆に研究室の中からは、めらめらと燃えるような感情が闇に混じってしみ出してくる。 罠であることは間違いない。それでも── (行く) それだけだ。 恐怖心はなかった。怒りに駆られて我を失ってもいなかった。ただ、やるべきことをやるだけ。 リアルパワーが心をエアクッションで包んでいる。その実感が、身体を包むエアクッション以上に、彼女を強くしていた。 右手を胸の高さに上げる。見つめる手の平に、高密度のエアボールが出現した。萠黄は振りかぶり、エアボールを開いている扉に向けて投げた。 ドンッと扉は鈍い音を立てた。 たちまち銃弾と黒い光線が降り注いだ。 その間、たっぷり五秒は続いただろうか。 ストップと通る声が叫び、攻撃が弱まった。 萠黄はその瞬間を待っていた。低い体勢で跳躍すると、床にぎりぎりの高さで室内に滑り込んだ。 アッと戸惑う声が上がる。すでに萠黄は書棚の裏にまわっており、体勢を整えると、隙間から室内の様子を静かに観察した。 どちらを向いても闇。コンピュータや装置のインジケータの明かりすらない。なぜ? 隣りの背の高い書棚に昇ってみる。すると、緑色のデジタル数値を光らせた操作パネルを発見した。表示されている数値は、一一八〇〇。 「光嶋萠黄クン!」 突然名前を呼ばれ、萠黄は姿勢を低くした。 「君は友人を助けるために来たのだろう?」 その声には不思議な訛が含まれていた。一体ダレだ? 「お探しの友人クンはここにいるぞ」 小さなライトが灯った。部屋の反対側だ。持っているのは声の主らしい。青い色をきらめかせながら、壁を背に座っている。 「我々はとても気の毒なことをしてしまった。見たまえ、ほら」 青い目の男はペンライトを右手に持ち替え、左手で床の上から黒い物体を持ち上げた。 (ああっ) 萠黄は漏れそうになった声を必死で我慢した。 「君の友人である影松清香クンは、実験の犠牲となり、瀕死の重傷を負った。我々にはもう手の施しようがない。どうすればいいかな?」 最後まで聞いてはいなかった。弧を描いた萠黄の身体が清香のそばに着地したと同時に、青い目の男は天井高く跳ね飛ばされていた。 「しっかり!」 萠黄は清香の身体を抱き起こした。だが、床に落ちたペンライトが浮かび上がらせた清香の姿に、萠黄はそれ以上、声が出せなかった。 半分以上が抜け落ちた長い黒髪は、ほとんど白いまでに脱色していた。皮膚は干上がった川底のようにひび割れ、あちこちから血がしみ出している。 「なんで、こんな……」 萠黄は急いで自分のリアルパワーを注ぎ込んだ。しかし皮膚の色はどす黒くなる一方で、もはや清香の身体がパワーに耐えられなくなっていることは明白だった。 (こんなんで……こんなんでお別れなんてイヤや!) 熱い涙がとめどもなくあふれる。萠黄はTシャツの肩口でそれを拭うと、大きく息を吸って呼吸を整え、清香のまわりをエアクッションで包んだ。 清香を地上まで連れて行く。せめて雛田に一目会わせてやらねば。 「……う……うう」 残った睫毛を震わせて、清香が焦点の合わない目を開いた。 「……誰? ……そこにいるのは」 「も、萠黄です!」 萠黄は右手に持ったペンライトを、自分と清香の顔のあいだにかざした。清香はアワアワと口をわななかせて、 「萠黄さん……そこにいるの? ……暗くて見えない」 萠黄は深い衝撃を受けた。 青い目の男が言った〈実験〉。 「いったい──」声がどうしようもなく震えた。怒りが全身を沸騰させた。「ナニしたんや、アンタら!」 萠黄の声が室内の空気を震わせた。 「撃てっ!」 短い命令が空気を切り裂いた。するとそれに応えるようにヴーンという低音が大きくなった。萠黄はその音が、ずっと鳴りっぱなしだったことにいま気づいた。しかしそれがプラズマ放射装置のアイドリングの音で、彼女の読心能力を邪魔した元凶だとまでは判らなかった。 目の前で小さな火花が散った。 (──なんや?) 引き寄せられるように、身体が前にのめった。 火花が蛇の舌なめずりのようにパチパチと爆ぜる。 その彩りに萠黄は一瞬、心を囚われた。 その萠黄の脇腹を、清香の両手が力いっぱいに突いた。 ドンッ。 萠黄は受け身も取れず、大きく転がって床に肩と後頭部を打ちつけた。それでも勢いが止まらなかったのは、清香の両手にリアルパワーが込められていたからだ。 (どうして???) 助けにきて突き飛ばされたショックが、萠黄をさらに遠くまで転がし、書架に激突してようやく停止した。 その時、視神経の奥まで刺し貫くような光が走った。 反射的に萠黄は目を閉じた。 閉じたまぶたの上からでも判る放電がバリバリと稲妻のような音を立てて起こり、数秒後それは突然消えた。 驚くべきことが起こった。何人もの意識が、いきなり萠黄の頭の中で会話を始めたのだ。 (仕留めたか!?) (このプラズマ噴流で動けなくなったはず。今のうちにとどめをささないと) (もうオレ、イヤだよー。こんなとこ逃げたいよー) 萠黄は放電の意味を理解した。それが自分を狙っていたことも。そして清香がなぜ彼女を突き飛ばしたのかも。 暗闇の中に次々と湧き上がる意識。それらに対して、萠黄は空気のつぶてを片っ端から投げつけた。 「ぐわっ」「OH!」。声が命中を教えた。 全ての意識が途切れ、または痛みに悶絶するのを確認すると、萠黄は清香の意識を目当てに、彼女のそばに駆け寄った。しかし清香の意識は混濁を極めており、ほとんど生気がなかった。 萠黄の手が清香の首に触れた時、 (お父さん……) と、ひと言がイメージとなって浮かび上がった。それは、雛田のようでもあり、影松豊にも似ていた。 意識は線香花火のようにスッと消えた。 そして二度と萠黄のアンテナに引っかからなかった。 |
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