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エネ研では、リアルたちが脱走した後も、彼らから採集したデータをもとに研究が続けられていた。野宮助教授が開発した、リアルを無力化する黒い光線もそのひとつだったが、それはあくまでも副産物だった。 研究チームは今から数時間前、ついに本来の目標である、小型ブラックホールの発生装置を完成させるに至ったのだった。 ただし、その過程で彼らは大きな問題に行き当たった。電力である。真佐吉の影武者騒動で建造中の電力施設は破壊された。破壊に協力したのは研究チームの山上らだったが、彼らは脅された上でのやむを得ない行動だったということで、チームに戻ることを許された。有能なスタッフが不足していることも理由の一つだ。 ブラックホール発生装置の完成は、ヴァーチャル世界を救うことに直結していた。装置が動き出せば、たとえ米軍がリアルを仕留め損ねても、小型ブラックホールの放つパワーによって、地球上にいるリアルを〈破壊〉することができると予想された。そのため、発生装置の開発は急務だった。 そんな状況で電力の提供を申し出たのはアメリカだった。他に頼るべき筋はない。そのため、完成したあかつきには、装置と研究チームは米国に渡る取り決めが交わされた。ただし、そこから得られる技術やパテントは、伊椎製作所が独占する。 光嶋博士は、アメリカ側の目的はいずれ研究を我がものにする布石だと反対した。しかしリアルの爆発まで残された時間はあまりにも少ない。結局エネ研はアメリカ側の言われるままに、申し出を受けざるを得なかった。 博士の顔色が晴れなかった理由は、もうひとつ、萠黄のことだった。装置は実の娘を始末するために作られるのだ。 『あくまでもヴァーチャル世界の平和のためだ』。 したり顔で語る副社長に、博士は返す言葉を思いつけなかった。ただひたすら心の中で娘に許しを乞うていた。 「博士、連れてきましたが」 山中の顔が覗き込んだ。何度も声をかけていたらしい。博士は額から手を離した。 「ああ、それじゃあ、装置の中に──」 運び込んでください。言いかけて言葉を飲み込んだ。 数人の研究員がキャスターのついたベッドを押してきた。その上に伊里江真佐夫が横たわっていた。 病院のようなお仕着せに着替えさせられた伊里江は、誰が見ても重病人にしか見えなかった。顔色は鑞のように白くなり、うつろな目は時折明かりに反応する以外は動くことがない。肌はざらざらにかさついて皺が寄り、髪はちょっとした振動でも抜け落ちた。 (まるで老人だ) 伊里江真佐夫は兄の残した転送装置によってヴァーチャル世界にやってきた。しかし装置は不完全だった。弟はこの世界によって、日々身体を蝕まれていったのだ。 (萠黄と行動を共にしていたというが) 弟が自らを転送したのは、兄の行動を阻止するためだったという。とすれば彼は決して敵ではない。敵ではないが……。 伊里江は山中らによってブラックホール発生装置の横に担ぎ上げられた。そこには別に銀色のベッドがしつらえてあった。手枷足枷が伊里江を固定する。衰弱し切った彼には不要ではないかと言いかけて、また飲み込む。腐ってもリアルはリアル。油断は禁物なのだ。 「それでは……始めましょうか」 研究員たちが装置から離れた。スイッチが入る。 エネ研初の小型ブラックホール発生装置。 かつて伊里江真佐吉が作り上げたものとは明らかに異なっていた。単にブラックホールを作るだけの代物ではない。そこから噴出するプラズマエネルギーの方位を重視し、装置は高さ、直径共に五メートルの円錐形に作られた。ブラックホールはその円錐の先端に発生するので、これにより、プラズマ噴流の放出する向き、量などを調節することができる設計だ。だが── (まるで大砲だ) アメリカ側が用意した図面を見た時、博士は背筋に冷たいものが走るのを覚えた。居場所のつかめないリアルを退治するためなら、プラズマを拡散させればいいだけだ。こんな形にする必要はない。必要があるとすれば、それは明確な標的があった場合だ。 誰も口にしないが、この初号機は〈武器〉だった。 史上最大にして最悪の兵器だ。 兵器でもある発生装置に、いまスイッチが入れられた。動力が次第に音を高めていく。 円錐が支柱のあいだで縦に伸び始めた。円錐に見える立体は、じつは細い輪の集合体だった。それが各個に等しい距離を保ちながら離れていく。 グーンと通低音を鳴らしながら円錐が傾いていく。やがて横倒しになり、斜め下を向いた時点で動きが止まった。 先端のすぐ前に、伊里江のベッドがあった。 「行きます」 山中が制御パネルのレバーを手前に引いた。 先端に光が集まり始めた。同時に液晶パネルにデジタル表示された数値が目まぐるしく駆け上がっていく。 博士は伊里江から目を逸らした。 これは人体実験以外の何ものでもない。成功すれば、伊里江が体内にため込んだリアルパワーを除去することができるとしても。 数値が停止した。一〇〇〇〇。最大出力のコンマ〇〇〇〇一パーセントだ。 光を吸収した先端に黒い雲が現れている。超小型ブラックホールだ。 「放射しなさい」 「放射します」 山中の指が赤いボタンを押した。 火花のようなものが、ブラックホールと伊里江のあいだを走った。伊里江の顔がぴくりと歪んだ。 それだけだった。 博士は装置の停止を命じた。円錐が上向きながらゆっくりと縮まっていく。 ブラックホールは消えた。 すぐさま、伊里江の身体がチェックされた。リアルパワーの計測器が研究員たちによって接続される。 「計測完了。五〇〇です!」 博士は頷いた。伊里江が実験前に持っていたパワーの数値は五五〇〇。ほぼ十分の一に落ちたことになる。 「行けますね、博士!」 山中が拳を高々と上げた。博士は黙って頷いた。 目を閉じた伊里江は、完全に気を失っていた。 「静かに!」 背中に硬い物が突き付けられ、久保田は飛び上がるほど驚いた。 「ハハハ、俺ですよ」 ポンと肩が叩かれる。その声にコノヤローと叫んで振り向くと、両手で相手を羽交い締めにした。 「ハジメっ、いつ来たんじゃ?」 「たった今。アンタがのほほんと外を眺めてるうちに、頭上をサッとね」 そういえば、小さな風が通り過ぎたような気がしていた。気のせいではなかったのだ。 ここは建物の五階だ。忍者かリアルでなければできない芸当である。 「おっさん、いい加減に放せよ」ハジメは久保田の腕の中でもがいた。「俺は萠黄さんじゃないんだぜ」 「バカヤロー、何言ってやがる。……で、萠黄さんはどこだ?」 ハジメは自由になった手でくしゃくしゃになったTシャツを伸ばすと、見上げる目をしてにやりと笑った。 「そんなに心配なわけ?」 「バカヤロ、お前らふたりとも、ミサイルと一緒に消えたまんまだったろうが。さんざん心配させやがって」 「まーまーお静かに。外の見張りに気づかれますよ」 久保田はあわてて口をつぐんだ。ハジメも真顔になって、これまでのことを手短に話した。 「清香さんらが黒い光線を浴びて、エネ研に連れ込まれたことは知ってる。萠黄さんは別の場所にいて、侵入路を探ってるんだ」 ハジメはキャンパス内の様子を聞きたがった。おおかた、一気に突入しようとして萠黄に止められ、情報を仕入れてくるよう命じられたのだろう。久保田はそう推察した。 「敵を甘く見るな。キャンパスの中には、なぜか米兵がウヨウヨしてやがる。武器や装備なんかもリアルキラーズの比じゃないぞ。シュウの見立てじゃ、ほぼ全員が黒い光線銃を所持しているらしい」 ハジメはチッと舌を鳴らした。 壁際の机から勢いよく尻を離すと、 「だいたい判ったよ。んじゃ俺、もう行くな」 久保田の肩を気安く叩いて窓辺に向かった。 「おい、待ってくれ。俺たちはこのままかよ」 するとハジメは振り向くとクスッと笑って、 「扉を開けてみな。ここに来る前に片付けといたよ」 まさか。久保田はおそるおそる扉に近づいて、ノブを回してみた。外から施錠されていたはずの鍵が開いている。扉を開けてみる。廊下と階段では三人の米兵が倒れていた。 「いつの間に──」 振り向いたが、ハジメの姿はすでになかった。 「来たようです。副社長」 青い目がノートパソコンの画面から赤ら顔へと写った。録音したばかりのハジメの声をパソコンが再生している。 『扉を開けてみな。ここに来る前に……』。 隣りのノートパソコンでは、キャンパスの地図が広げられていた。建物を飛び出した赤い点が、中庭の公園へと高速に移動していくのが映っていた。迷彩服たちも使っていたリアル探知機である。 「でもまだ、ひとりだけですな、大尉」副社長は汗を拭き拭き言った。「侵入路を探してるとか言っていたが」 「まあ、いずれ見つかるでしょう」 大尉と呼ばれた米兵は余裕の笑みで応えた。 「光嶋クン」副社長は膝を伸ばすと、研究室の中央に向かって呼びかけた。「調整はどうなっとる?」 「はあ……少々、具合の悪いことが起こりまして」 「具合が悪いだァ?」 赤い顔が膨れ上がり、そのままズンズンとやってくる。 「ハッキリ説明したまえ」 「はあ、じつはプラズマ噴流の誘導がうまくいきませんで……予定どおりの能力を発揮するには、あと数日は必要です」 「数日ぅ? リアルはすぐそこまで来とるし、捕えてある奴らも明日にはドカーンなんだぞ!」 「原因は、やはり今朝の地震のようです。あれが機械に微妙な狂いを生じさせたらしく、三百六十度放射は、現状では不可能です」 「言い訳などいらん!」 副社長は地面を踏み抜かんばかりの剣幕で怒鳴ったが、恥ずかしくなったのだろう、自分で自分の胸を抑えると、冷静さを取り戻し、問いかけた。 「今のままだと、どこまで使えるんだ?」 「精一杯広げて、三十度……くらいです」 つまり、リアルに円錐先端を直接向けなければ、プラズマを当てることはできないということだ。 「面白い」青い目の大尉が横に立った。「戦いはそうでなければいけない。我々も久しぶりに腕が鳴るというものです。まあご覧になっていてください。名古屋港でのお返しに、目にもの見せてやりますよ」 |
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