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山上。亡き野宮助教授に山中、山下らといっしょくたにされていた研究員だ。やはり── 「やっぱりエネ研か……」 「エネ研だと?」 萠黄の独り言をハジメが聞き咎めた。萠黄は頷いて、テレパシーで交わした清香の話を伝えた。十六歳の青年は烈火のごとく怒りを爆発させた。 「奴らは俺たちリアルを研究材料としか考えてないんだろう。ふざけやがって!」 拳がうなりを上げて、そばにあった大木に襲いかかった。大木は殴られた部分から小枝のようにぽきりと折れた。 「行こう! 助けに」 ハジメは急かすと、早くも宙に浮いていた。萠黄はその後に続くと、思い出したように声をかけた。 「Tシャツ、ありがとうね」 「盗んだんだぞ」 「そっか」 「降りろ」 命令されて幌付きの輸送車を降りた雛田は、離れたところに停車したトレーラーに駆け寄ろうとした。彼の両手は背中で手錠をかけられていた。 「どこへ行く」 雛田の前に大柄の男が立ち塞がった。米兵だ。ここまで雛田たちを運んだ車輛も明らかに米軍のものだった。 「どこって、娘のところだ」 「君たちには歩き回る自由はない」 そう言うと、肩に下げた銃口を雛田の肩口に向けた。日本語が流暢なだけに不気味である。手を挙げて引き下がるしかない。 輸送車から続いてシュウや久保田らが降りてきた。 「またここに戻ってきたか」 彼らが護送されたのは京都工大だった。ヴァーチャルたちを乗せた輸送車は通常の駐車場に止まったが、堅固そうなトレーラーだけは、ずっと奥に見えるエネ研に横付けされた。トレーラーには清香、炎少年、伊里江の三名が乗せられていた。 「リアルを早いとこ処分するつもりだな」 「処分なんて言うなよ」 雛田がシュウに食ってかかった。 「すまん」 「……清香は殺させん。俺が命に代えても助けてやる」 雛田はシュウの襟をつかんだまま、顔をトレーラーに向けた。遠目に担架が三つ、エネ研の中に運び込まれていく。 久保田が背後からシュウに身体を寄せた。 「なあ、妙だと思わんか」 「米軍のことか?」 「そうだ。奴らが我が物顔でここに出入りするなんて、どう考えてもおかしい」 「取り引きがあったんじゃないかな」 「取り引き──」 「何らかの、な」 米兵が久保田たちの背中を小突いた。 「お前たちは、こちらだ。ついてこい」 ヴァーチャルたちは銃口を突き付けられたまま、別の建物へと歩かされた。そこは以前、萠黄たちが軟禁された建物だった。他の建物はリアルたちの脱走の際に起きた地震によって崩れたり傾いたりしていたが、固い地盤に救われたその建物だけがほとんど無傷で生き残っていたのだ。 五階に到着し、シュウ、久保田、揣摩、柳瀬、和久井はひとり一室ずつに分けて押し込められた。これでは逃げ出す相談もできない。 久保田は部屋に入ると、すぐに窓を開いて、東の空に目をやった。 (きっと萠黄さんは来る。きっと来る) その頃、萠黄とハジメはすでに京都に侵入し、清水寺のあの有名な〈舞台〉の下に潜んでいた。 京都工大まで、ここからだと目と鼻の先だ。 「そんなことがあったのか……」 ハジメは大いに驚き、憤り、舞台を支える柱を殴ろうとした。萠黄はあわてて制止した。たとえヴァーチャルでも、ここは世界遺産だ。 驚くのも無理はなかった。ハジメが聞かされたのは、山寺総理から萠黄が読み取った話だった。もちろん心を読み取る能力については少しも触れず、総理は裏切られたと知って動転し、思わず自分に向かって小声で暴露したのだと苦しい嘘を追加した。。 ハジメは丸ごと信用した。 「エネ研と米軍が結託してたなんて……これだから、オトナっていう生き物は──」 右の拳を左の手の平に打ちつける。 ふいに、萠黄の中に鮮烈な光景が流れ込んできた。ハジメの思考だった。 狭い部屋の中で食卓を囲む風景。中年夫婦、そして高校生くらいの男の子と女の子がひとりずつ。夫婦の子供たちだろう。男の子はハジメに似ていた。女の子にもハジメの面影があり、なかなかの器量良しだ。 夫婦は時折こちらに笑顔を向けてくる。家族団欒。しかし彼らはハジメの本当の家族ではなかった。ハジメは両親を事故で失い、彼ら親戚夫婦に引き取られていたのだ。子供らはハジメに話しかけるどころか視線を向けようともしない。良好な関係を築いてはいなかったらしい。 部屋はかなり狭そうだ。文化住宅と呼ばれるものかもしれない。何となく『昭和』のにおいがした。 場面が変わる。ふすまのあいだから一家の主が髪の薄くなった頭を何度も畳にこすりつけているのが見えた。彼の前であぐらをかいて座布団に座る男が、貸した金をネチネチとした声で催促していた。主は数日の猶予を頼んでいる。ハジメにとって見飽きた光景だった。主は機械部品を作る小さな町工場の社長だった。ハジメは放課後学校から戻ると、毎日その工場でバイトとして働いていた。 主の娘が不用意に部屋に入ってきた。男は娘を見て、何ごとか言い放った。主があわてた顔で、男に向かって両手を合わせる。男は笑いながら主の頬を張った。娘は硬直したまま動けない。男のにやけた口が動いた。こんな上玉を隠していたとはな。 娘は泣き顔になって、ふすまの向こうに逃げ込んだ。男が立ち上がる。待ちなさい、お父さんを助けたくはないのかい? おじさんの話を聞いておくれ。悪い話じゃない。キミに紹介したい仕事があるんだ。 男の前に主の息子が仁王立ちした。両手で包丁を握っている。息子は男に向かって真っ直ぐに突進した。男は腹を押さえて崩れ落ちる。呆然とする主。冷たい目で男を見おろす息子。 また場面が変わった。主の涙にまみれた顔がこちらに向かって何ごとか訴えている。主はこう言っていた。 ハジメ。お前がやったことにしてくれ。息子を助けてやってくれ。あの男は死んじゃいない。ほんのかすり傷だ。それにお前は未成年だから決して罪は重くならない。私が腕のいい弁護士を付けてやる。だから頼む。このとおりだ。それにな、お前が刑期を果たして無事戻ってきたら、娘を嫁にやろう。どうだ? お前が娘に気があるのは前々から知っていた。だから、な、悪い話じゃあるまい? ハジメは血まみれの包丁を握った。パトカーと救急車がやってきてハジメは手錠をかけられた。 裁判が始まった。ハジメについた弁護士は事務的で、全く頼りにならなかった。面会に来た主は、金がなくていい弁護士を雇えなかったとしきりに謝った。しかし主が面会に来たのは一度だけだった。ハジメは刑に服した。 ある日、塀の中でハジメは刺された男の部下だというチンピラに出会った。チンピラは、主の会社はある機械部品がヒットしたせいで、今や飛ぶ取り落とす勢いだという。さらに娘を犯罪者の嫁にやるわけなかろうと妙な噂を否定し、玉の輿狙いで、今じゃ娘の許嫁探しに奔走しているのだという。 「お前の弁護人は国選だったんだぜ。アイツは自分の懐を一円たりとも痛めちゃいないさ」 ハジメの心は、やり場のない憤りで満ちあふれた。 ある日ハジメは自分の周囲の光景がひっくり返ったことを知った。と同時に、不思議な力を身につけたことも。数日後、ハジメはネット広告を見た。萠黄たちが流したものだ。彼はこの世界に仲間がいることを知った。 ハジメは脱走した。理由はふたつあった。ひとつはリアルについてもっとよく知るために。もうひとつは──育ての親である主の考えを糾すために。 ところが。 気まぐれで立ち寄った寺の緑深い庭で、変わった老人に出くわした。 それがビッグジョーク齋藤こと齋藤道節だった──。 「聞いてるのか? 萠黄さん」 我に返った。するとハジメが面食らった顔をしていた。 「なんだよ、なに泣いてんだよ? どっか痛むのか?」 萠黄は打ちのめされていた。ハジメを襲った不当な事件の一部始終に、抑えられないほど身体がわなないた。 (あなたは犯罪者なんかやなかった。そやのに……) 目が開けられない。開けると涙が止まらなくなる。 「うん──そう──左腕がちょっと」 適当にごまかすと、真に受けたハジメはそっと自分の手で萠黄の左脇に触れた。 ハジメのリアルパワーがどくどくと流れ込んでくる。 (こんなに優しい子やったのに) 涙腺がさらに弛む。萠黄はハジメの手を押し戻すと、柱と柱に渡された横木の上ですっくと立ち上がった。萠黄はもう泣いてはいなかった。 「エネ研じゃわたしらを捕えようと、清香さんらを餌に罠を張ってると思う。覚悟せなアカンよ」 「判ってるって」 ハジメもにっこり笑って腰を上げた。年齢は二つ三つ下のはずなのに、萠黄には今のハジメがひどく大人っぽく見えた。 「どうなっとる! ちゃんと報告せんか!」 伊椎製作所の副社長は、赤ら顔を沸騰させる勢いで怒鳴っていた。 エネ研の地下研究室。誰も副社長の声に振り向きもしない。白衣の研究員たちは大声で議論し合い、またはモニターを食い入るように覗き込み、あるいは右へ左へと大あわてで駆けていた。 副社長はその中に光嶋博士の姿を認めた。他の者をはじき飛ばす勢いで走り寄ってくると、 「光嶋クン。いったいどうなっとるんだ?」 「あ、副社長」 「あ、じゃないよ、キミ。さっきの揺れは何だったんだね? 聞けば、震源地は不明だというじゃないか」 「はあ。分析によりますと、揺れたのは地面ではなく、地上だそうです。それもエネ研の上空辺りで」 「この上か!」 副社長は思わず剥いた目を上に向けた。そこには白い天井があるだけだった。 「現在、ブラックホール発生装置との関連を調査中です。あとしばらくお待ち下さい」 ぼそぼそとした声で答えた博士は、モニターの前から顔を離すと、研究室中央に建造された巨大な装置に目をやった。 小型ブラックホール発生装置。今やそれは完成目前だった。 |
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