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萠黄は湧き上がる涙越しにモジを見た。まさかまた会えるとは想像もしていなかったからだ。 《エンジェル・フォールを作った時に、湖水が結構よけいなところに流れ込んでたらしいわ。おかげでWIBAはかなり不安定になって湖上を漂ってたみたいやね。その上、局所的に大きな衝撃を受けたおかげで、浅瀬に乗り上げてしもた、そういうことらしいわ》 「地下の一番深いところにいてた割には、事態がよう飲み込めてるんやね」 《モニター装置があったからなぁ。ほんでも、衝撃の理由が米軍のミサイルやったとは思いもせなんだ。米軍は自分で自分の墓穴を掘りよったんやな》 普通、PAIが他の携帯に移動することはできない。モジにそれができたのは、メモリの中に消え残っていたギドラの断片を掻き集め、組み合わせたからだという。いわば無人島から脱出するのに、木を伐ってイカダを作ったようなものだ。 「萠黄さん、行くぞ」シュウが催促した。 「待って」萠黄は手を挙げた。そして引き締めた表情になると、「なあ、モジ。アンタが見てたモニターには、どんな情報が映っとったん?」 《そら、いろいろやで》 「米軍の配備状況とか」 《地上は無理〜。最下層以外を管理してたPAIは、全部初期化されてしもたやんか。そやからギドラも上の階には移動でけへんかったやろ?》 萠黄は肩を落とした。すると目の前にスッと手が伸びてきた。 「初期化をおこなったのは、この私だ」シュウはにやりと笑うと、「PAIにかけたセキュリティを解除するパスワード、それが知りたいんじゃないのか?」 「お、お願いします」 萠黄は携帯をシュウに渡した。シュウはキーを英文字モードに切り替え、タタタと三十個ほどの文字を打ち込んだ。 「どうぞ」 萠黄は受け取ると、 「モジ、これで他の階に侵入してきて。そんでWIBAのまわりを探ってみて」 《息つく暇もないの〜》 言いつつ、語尾が消えるのと同時にモジの姿も消えた。 「うまくいけばいいのだが」 萠黄は頷いた。その頃には全員が萠黄を取り囲んで、成り行きを見守っていた。 《ただいま〜》 わずか数十秒後、モジは帰ってきた。 「どうやった?」 モジは威張るように胸を突き出すと、 《WIBAの全カメラをチェックしてみたで。三分の二は問題なく作動しよったわ。ほいで敵の様子やけど、だいたいは判ったで。敵さんは、かなり混乱してるみたいやけど》 萠黄は満足して微笑んだ。やはり自慢のPAIだけのことはある。 「わたしら、これからWIBAを脱出するねん。きっちりサポートしてな」 《ほ〜、こら、オモロなってきたな》 「アホ!」 萠黄と清香が協力して作ったエアボールが、仲間たちを乗せ、斜めになった廊下をぐんぐん上昇していく。 午後九時──。 ついに彼らは、地上へとつながる排気筒の横に出た。とはいえ排気筒もそこを登る梯子も、先のミサイル攻撃によって激しく破壊され、見る影もなく変形していた。 モジの報告によると、現在、WIBAの周囲には、何一つ動くものの姿はないとのことだった。 「いよいよ、核攻撃か」 ハジメは言うと、手のひらをぎゅっと握った。 萠黄が先頭に立って瓦礫の上を這い上がり、地上に顔を出してみた。辺りの様子をそっとうかがう。 外は真昼のように明るかった。おびただしい数の投光器が強烈な光を投げかけている。崩れたビルや剥き出しになった鉄骨がいびつな陰影を作っている。それが映画やニュースで見たどこかの戦場を思い出させた。 しかしそんな風景も、ついさっきの驚きに比べれば、物の数ではなかった。 短いあいだに萠黄は二度仰天されられたのだ。 ひとつ目は、モジとカバ松によって。 モジは、例のパワードスーツの米兵が、本部と連絡を取り合ったレシーバーがまだ活きていると言うのだ。そして最前から着信する声が「生きていたら、急ぎ退却しろ。核ミサイルが発射されることになった」と訴え続けているらしい。おそらく生体反応を示す装置が故障して、本部には米兵の生死が確認できないのだろうとシュウは言った。 すると、それまで黙っていたピンクのカバ松が、アッと驚く提案をしてのけたのだ。 《俺が代返しようか?》 代返。つまり、亡くなった米兵に成り済まし、代わりに応答しようというのだ。 言われて皆は判断に窮した。ところが雛田は彼らの態度を勘違いしたようで、おずおずと進み出ると、 「可能だと思います。実はコイツ、カゲの生前に何度か彼に成り済まして仕事を手伝ったことがあるらしいんです。実際、僕だって騙されたことがあるくらいですから」 そりゃあ、ますますオモロそ〜と喜んだのは、モジだった。カバ松の声をレシーバーに転送するのは簡単だし、マイクを通じてだから、声の違いは気づかれないとまで断言した。 《──現在──WIBAより撤退中──現状はどうなってる》 『生きていたか! 急げ。核ミサイルの発射が決定された。できるなら、一刻も早くそこを離れろ』 本部の人間は、カバ松を米兵と思ってくれたようだ。 《──止めることは──できないのか?》 通信状況の悪さまで巧みに演じている。萠黄は気づいていた。カバ松の声や話し振りは、あの影松豊に生き写しだった。カバ松が最初に声を発した時、清香が驚愕の表情を浮かべたのを萠黄は見逃さなかった。 『……無理だ。決断は既に下されたのだ』 相手は無念そうに言った。米兵は彼の友達だったのかもしれない。 《──着弾の予定時刻は?》 『日本時間で、午後九時五分だ!』 ぞっとした。時刻はその時点で八時五十五分。いくらエアボールでも、仲間全員を乗せれ逃げれば、当然動きは鈍くなる。とても安全圏外まで運ぶのは困難だ。 「となると、俺の作戦に耳を貸すしかないな」 ハジメは暗い目を光らせ、自ら考えた作戦を披瀝した。それはさらに皆を仰天させるような内容だった。 その作戦とは……。 ──萠黄は雛田から預かった携帯をかざして、現在時間をハジメに示した。 九時一分。 悪魔の槍が天から降ってくるまで、あと四分。 「いよいよね」 清香が両手を萠黄の肩に乗せた。脇には炎少年もいる。伊里江を除く四人のリアルがそろい踏みだ。 「そんじゃ、行きますか」 まるで遊びにでも行くようにハジメが言うと、それを合図に四人は地面を蹴り、空高く舞い上がった。 ハジメのぶち上げた作戦とは、リアルパワーでミサイルを受け止めようという、とてつもないものだった。 そんなことが果たして可能なのか。リアルパワーにそれほどの威力があるのか、萠黄には判断できなかった。もちろんハジメも勝算なんてないと言い放った。 「敵に一泡吹かせられれば、それでいいのさ」 萠黄にはとてもそんな風には考えられなかった。核ミサイルが自分を狙って飛来する。そんな経験を一生のうちにするなんて、誰が思いつくだろう。 数分後にはそれが現実になる。するとどうなるのか。 WIBAは粉々になって消滅するだろう。琵琶湖の水は蒸発してしまうのか? 放射能で汚染されて、関西の人は水飢饉に陥るのか? それとも関西全域が吹っ飛んでしまうのか? いずれにせよ、相当の死者が出るはずだ。 萠黄がハジメの作戦に乗ったのは、それが理由だった。 ヒロインになりたいわけじゃないし、本当は今すぐ逃げ出したい。それでも……。 筵潟教授の奥さん、和歌山加太の旅館の女将さん、その他、この世界で触れ合った人々の顔を思い出すと、ミサイルに立ち向かうのが、自分の使命のような気がしてくるのだ──。 WIBAが遥か下で小さくなった。 月の光に照らされて、湖水が遠くできらめいている。 さらに高度を上げると、琵琶湖の形が眺められた。地図帳で見たのとは正反対の形をしているが。 「そろそろだよな」 炎少年が萠黄を見上げた。つないだ手がひどく汗ばんでいた。 キュイン。 突然だった。 頭の先から足の爪先へと鋭い痛みが走った。 ついに来た! 目視ではまだ捉えられない。あくまで萠黄の直感だった。 緊張は全員にすぐ伝わった。 (チャンスは一度だけ!) 四人は一斉に宙返りすると、地面に向かって落下し始めた。 |
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