Jamais Vu
-331-

第23章
光道の果て
(18)

 標的、ピンポイント、爆撃。
 山寺が頭の中に並べた単語は、どこか遠くの国の紛争を伝えるニュースを思い起こさせた。
 ピンポイント……ピンポイント……
 無意識に声に出していたらしい。山寺が目を大きく見開き、恐怖とも嫌悪ともつかない表情を浮かべた。
「お前っ──人の心が読──」
 そう言いかけるのを遮って、萠黄は右手で相手のネクタイの根元をつかみ、手荒く引っ張ると、
「標的ってここ? ここには一般人もよおけいてるんやで! アンタもおるし」
 すると山寺は思考だけで返答する。
『オプションの2はそういうことだ。本来なら私の作戦が失敗し、それでも無事帰還した場合の選択だったはず。私が戻らなければ発動されない──はずだ。なのに、この娘は、なぜ』
「SPがレシーバーに向けてしゃべってたんよ」
『──そうなのか? するとやはりそうか……米軍はリアルが集結している今こそ絶好の時と爆撃を開始するつもりなのだ』
 今やて!? 萠黄は叫びそうになった。
 それを押しとどめたのは、萠黄のアンテナを通じて流れ込んできた映像だった。山寺の回想だ。
 大勢の白衣の男女に囲まれている。背後には精密機器やコンピュータ、そして丸みを帯びた壁。
 その場所には見覚えがあった。
 京都工大のエネ研地下室。
 山上、山中、山下が最前列にいる。背中の腰の辺りで手を組み、妙に反り返って笑みを浮かべている。
〈野宮くんが亡くなる直前に開発した技術が実を結んだ。これで彼の魂も浮かばれるだろう〉
 視線が右に動いた。目を拭う老人が立っていた。筵潟教授だ。今のは教授の声だったのだ。
〈だが、使用には細心の注意を……〉
 教授が言い募るのに、隣りの男が口をはさんだ。
〈大丈夫ですよ、教授。米軍もこうして約束してくれたんですから〉
 ダルマのような体型の背広の男が、酒焼けした赤ら顔をほころばせている。父親の会社、伊椎製作所の副社長だ。さらにその右隣には──
(お父さん!)
 痩せぎすの身体を折り曲げるようにして面を伏せているのは、父の光嶋博士だった。
 副社長は手を伸ばして、背の高い博士の肩を叩きながら、
〈これで君はもう一度、ノーベル賞をもらえるかもな。今度は平和賞かな。ワハハハハ〉
〈私はただ野宮君を手伝っただけですから〉
〈卑下など無用。我が社の一員が世界を救った。それでいいじゃないか。君と野宮君が共同開発した、リアルを退治する兵器。これを積んだ米戦闘機が空母に待機中。あとは総理の御決断待ち……と、こういうわけですな?〉
 萠黄は脳天を金槌で殴られた気がした。
(退治──お父さんが──わたしを──)
 まるで害虫駆除の相談でもしているかのように。
〈あくまでも私の単身潜入工作が失敗したらの話です。そうですな〉
 山寺の声がそう言って、隣りを向いた。軍服を着た青い目の白人が彼に白い歯を見せた。
〈もちろんです。そして我々は陰ながら、総理の安全をお守りします〉
 彼は流暢な日本語でそう言った。総理の視線が再び光嶋博士に向く。
〈博士。あなたには感謝しています。よくぞ兵器開発にご尽力下さいました。リアルの中にはあなたのお子様もおられるというのに〉
〈いえ、この世界を守るためには、しかたがありません〉
 博士はそう言い切ると、白人が手を伸ばして博士の手を強く握った。
〈あなたの志は無駄にはしませんよ〉
 アッハッハと副社長が耳障りな高笑いを重ねる。
〈ぜひ大統領にもお伝え下さい。これは貸しです。大きな貸しですぞ、と〉
 いっそアンテナを折ってしまいたかった。
 世界中のみんながリアルを排除したがっている。
 一時は仲間とさえ思った人々も。
 そして、肉親さえも。
 いつしか萠黄はうなだれていた。
 清香や炎少年が声をかけたが、彼女の本物の耳にはひと言も届かなかった。
 山寺の回想が場面転換した。
 濃紺のワンピースを着た女性と、空色のドレスを着た中学生くらいの女の子が現れた。どこかの室内だ。
〈ふたりとも、待っていてくれ。きっと成功させて戻るからな〉
 そうだ、このふたりは山寺の妻子だ。
〈お父様、リアルなんかやっつけちゃって〉
 女の子は、はしゃぐように叫んだ。
 ああ……。
 萠黄は自分の目が潤むのを感じた。
 これがみんなの声だ。そして国民のナマの声なのだ。
 早く消えてなくなれ。死んでくれ。
 そう思っている。願っている。誰もが。
 ハジメが提案したような、地球のどこかで生きていくなど無理な話だ。ヴァーチャルたちは決してリアルが同じ世界に存在することを許したりはしない。
 すーっと深呼吸をした。
 萠黄は頭を振って、現実に戻った。そして山寺に問いかけた。
「着弾はいつですか?」
 総理はやはり答えず、思考した。
『もう、じきだ。リアルたちに逃げる時間など与えないために……これも読まれているのか?』
 山寺自身、自分も攻撃の巻き添えで命を落とすことを覚悟していた。その思いが明確に伝わってきた。
 立派なものだと萠黄は思った。総理は最後の最後で腹をくくったのだ。それで世界が救われるのならと。
 使命のために死ぬつもりなのだ。いや家族のためかもしれない。
(お父さんは、どんなことを考えて、私を滅ぼす兵器を作ったんやろか。心の中で、娘ひとりと、何十億人というヴァーチャルの命を天秤にかけたんやろか)
 清香が萠黄の肩を激しく揺らした。
「ねえ、萠黄さん。どうしたのよ?」
 萠黄は黙っている。このままミサイルが落ちてきて、全員がここで死ねば、すべては解決。
 世界の総人口って、七十億? 八十億? ふたつの世界を合わせて百五十億人くらいか。それだけの命が助かるならVIPでもないわたしらの命なんて軽いもんや。
「あ?」
 炎少年が突然天井を見上げ、指先を突き上げた。
「どうした……ン?」
 ハジメも鋭い目を天井に向けた。
「何かが近づいてくる」
 少年も、自らのアンテナで飛翔体を捉えたらしい。
「おおかた、総理の救出部隊がやってきたんじゃないのか」
 ハジメは言ったが、山寺の心の声はそれを否定した。
『あり得ない。いよいよ最期の時が来たのだ』
 ──最期。
 一年にも二年にも感じたこの十二日間、萠黄は逃げるだけ逃げた。そして真佐吉に挑むべく、危険を省みず、その中枢へと飛び込んでいった。
 それらの努力はすべて無駄だった。何の意味もなかった。ただいたずらに事態を混乱させただけだった……。
 頭上に重しを乗せたような重圧感が迫ってきた。
 ピンポイント爆撃は、予定どおり決行されたのだ。
 わたしの人生はここで終わる。
 そして世界は平和な日々を続けていく。
 萠黄は冷静に〈その時〉を迎えようと無心になった。
 考えることも、悩むこともやめた。
 解き放たれた心は、リアルパワーによるアンテナさえ広がるのを抑えはしなかった。
 だから、山寺の心に影を落とす小さな雲が、その先端に引っかからなければ、萠黄の物語はここで終わっていたことだろう。


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