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「あれ、総理じゃないのか」 問うまでもない。 蛍光灯の光がスキンヘッドに照り映える。鼻の下と顎にはスーツの色に合わせたような黒い髭。 歴代総理大臣の中でも飛び抜けて個性的なルックスの山寺鋭一は、自分に注目が集まっていると知るや、ゆっくりとした足音を響かせながら、萠黄たちのほうへと近づいてきた。 「CGだったりして……」 揣摩が言うのも無理はなかった。伊里江やむんと学園前のモデルハウスに潜んでいた時、揣摩の携帯で見たCGの総理に服装までそっくりだったからだ。 「皆さん、こんばんは。山寺です」 バリトンの豊かな声に、萠黄や雛田は思わず頭を下げていた。 「お嬢さん」総理は一番前にいた清香に話しかけた。「ひょっとして君は、あの有名なアルパ奏者の──」 「影松清香……です」 「そうそう、清香さん。君のCDはよく聴いてますよ」 「あ、どうも」 清香はしどろもどろで礼を述べた。 「あなたもリアルなんですね?」 「は、はい」 「他のリアルの皆さんもお揃いですかな」 「ええ、ここには全員──」 「バカッ、素直に答えんな!」 ハジメが怒鳴った。その声に萠黄は我に返った。その通りだ。政府は敵のはずなのに。 「失礼した」総理は軽くお辞儀すると、「唐突に現れ、驚かせてしまったようだね。申し訳ない」 山寺は萠黄がテレビで観たままの、悠揚迫らない物腰と笑顔を向けた。しかしハジメはそんな空気に呑まれるかとばかりに憤慨をあらわにし、山寺ににじり寄った。 「我慢できずに総理自ら、リアル狩りに出向いてきたのか?」 しかし山寺はハジメから視線を外さずに首を横に振ると、一語一語諭すように口にした。 「安心してほしい。私はね、君たちを助けに来たんだ」 助ける? 総理大臣がわざわざ足を運んで? さらに言い募ろうとするハジメを山寺は押しとどめ、 「言いたいことは判る。リアルキラーズを組織したのは私。そして笹倉防衛庁長官のリアル狩り発言を黙認したのも私。君たちリアルが政府を恨むのも当然だ。だがね、聞いてほしい。それもこれも伊里江真佐吉というマッドサイエンティストが我々に刷り込んだ恐怖のなせるワザだったんだよ」 山寺はまなざしには気迫がこもっていた。これまでに何万人もの国民を魅了してきた眼だ。 「北海道があんな形で消された。それでも『テロに屈せず』をモットーにしてきた我々政府は最後まで真佐吉の勝手な要求を拒否した。その結果、君たちは無慈悲にもリアルとしてこの世界に送り込まれ、我々はヴァーチャルとして誕生させられてしまった。どちらも同じ被害者なんだよ。そして──」 山寺は大仰に両手を広げた。 「我々には国民を守る義務がある。ヴァーチャルがいくらリアルのコピーであるといっても、ひとりひとりは尊い命を持っている。そうでしょう?」 前に出た山寺は、雛田の両手をつかみ、その顔を覗き込んだ。雛田は恐慌を来したように髪を逆立てると、そうですそうですと何度も頷き返した。横では清香が涙ぐんでいる。 「ありがとう」 総理は雛田の肩を叩くと、再び一同の顔を見渡した。ハジメだけは、ずっとそっぽを向いている。 「とは言え、リアルのかたがたも同じ我が国民であることには違いない。偽らざる本心を言わせてもらえば、彼ら彼女らも助けてあげたい! ──幸いにも悪の根源、伊里江真佐吉は亡くなったことだし」 「どうしてそれを?」 シュウが初めて口を開いた。山寺はシュウの汚れた迷彩服を眩しげに見つめて、 「君たちリアルキラーズが突入した直後、待機させていた陸自の精鋭を増援部隊として送り込んだんだ。彼らは最深部の湖水の注ぎ口までしかたどり着けなかったが、真佐吉の声はよく聞こえた。私も中継で聴き取ることができたんだ。まさかPAIが真佐吉になり変わっていたとはなあ。今でも信じられん」 腕を組んで渋面を浮かべた山寺は、いつの間にか萠黄たちの中心に立っていた。萠黄はいつか見たテレビ映像を思い出した。有名人の若い頃を特集した番組で、デザイナー時代の山寺が、ファッションショーの会場でファンの若者たちに囲まれ、喜々としてブランド・コンセプトを語りかけていた。 まずは相手の懐に飛び込む。 尻が軽い、過度なパフォーマンスと陰口を叩かれたその姿勢は、選挙運動の際も、政治家になってからも変わらなかった。 「この通路の存在は、誰からお聞きに?」 シュウが幾分和らげた口調で訊ねると、 「このWIBAの社長、宝井さんがわざわざ訪ねてきて教えてくれたんだ」 なるほどと萠黄は納得した。しかしそんなことより気になることがある。萠黄は思い切って声を出した。 「総理、わたしたちリアルを助けてくださるといっても、どうやって?」 すると山寺は「おお」と歓声を上げて、萠黄を驚かせた。 「お嬢さん。君はあの光嶋博士の娘さんだね?」 「は、はい」 総理は萠黄の右手をとった。 「お父さんに感謝しないといけないよ。君たちを救う方法を発見したのは誰あろう、博士なんだ」 萠黄には何が何やら判らなかった。 「つい昨日のことだ。京都工大のエネ研で、研究の陣頭指揮をしていた博士は、ついにリアルのエネルギー拡散法を完成させたのだ」 「何だって!」 全員が叫んでいた。 「ウソじゃないぞ。本当だ。元の世界に帰ることができなくなった君たちは、これでこの世界で生きていくことができるんだ。堂々とこのヴァーチャル世界で暮らせるんだよ」 雛田が膝をついた。シュウも頭に手を当てて総理の言葉を反芻している。ハジメさえ寄せていた眉を開いていた。 山寺は萠黄に顔を戻した。 「君は本当に素晴らしいお父さんを持った。国民を代表して敬意を表したい。……ん? 君、その腕は?」 萠黄の左肩に置こうとした山寺の手が止まった。 「これは──」 「名誉の負傷です」シュウが代わりに答えた。「彼女は皆を守るために怪物と闘い、腕を失ったのです」 「そんな……まさか」 山寺は絶句すると、いきなり萠黄を抱きすくめた。 「さぞや苦しかったろう。つらかったろうね」 萠黄は身体から力が抜けていくのを感じた。山寺総理が謝罪の言葉を述べたのだ。リアルの自分を受け入れてくれたのだ。ほんの少しだが、これまでの苦難の日々が報われた気持ちがした。 元の世界に帰れない残念さは号泣したいほどだったが、この世界に居続ける上での大きな障害が、たった今、取り除かれたのだ。なんと父親によって。 これが運命なのか……。きっとそうなのだろう。 萠黄は目を閉じた。 つんと鼻先を軽い刺激臭が通過した。 パッとまぶたを開く。すぐそばに山寺のスキンヘッドの頭があった。ヘヤトニックのにおいでもなさそうだ。 〈……もえぎ〉 その時だった。 またしても、むんの声が聞こえた気がした。 (霊魂の声が……成仏でけへんの?) 萠黄の神経が周囲の空間をまさぐった。 すると、いきなり彼女の心の中に、とてつもなく巨大な違和感が舞い降りてきた。 何かが違う。何かが──。 |
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