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「全然ダメ! あの人たち、いくら止めても、てんで聞こうとしないのヨ。腹が立ったから、二、三人投げ飛ばしてやったワ」 柳瀬は荒々しく階段を降りてくると、息を整えながら報告した。 ここは最下層から二階分ほど昇ったところだ。 揣摩と久保田は困った顔をして互いに顔を見合わせた。 「急ぐとマズいことでもあるのか?」 シュウが地下脱出組を代表して訊ねた。その詰問調に久保田はやや気分を害したような顔をして、 「トラップがあるんだよ。監視ロボットとでもいうのか、ラジコンカーみたいなのが走り回ってるエリアが、このずっと上にな」 「危ないじゃない!」 清香が押さえて叫んだ。萠黄も頷いた。 「しかたがないさ。この世界の掟だ」 揣摩が吐き捨てるように言う。 「掟?」 「そう。砂状化現象が日常のこの世界では、あわてたり、油断したり、取り乱したりすることが、即、命にかかわるんだ。ヴァーチャル世界が誕生して二週間近くが経つ。ずっと生きてたいのなら、そろそろ自覚すべきだね」 「ずっとって……わたしたちがいる限り、ここは明後日になったら爆発しちゃうのよ」 そうなのだ。爆発して粉々になるのだ。萠黄はTシャツの裾をぎゅっとつまんだ。 柊の言葉を思い出す。彼は、ずっとエネルギーを発散していれば、この世界でも生き続けることができると言った。萠黄はその技を身につけることができた。彼の計画は、あるいは可能かも知れない。だが清香やハジメや炎少年、そして伊里江はどうなる? リアルの数は減ってしまったが、四人でもその威力は桁外れのものとなる。 「……散らばるのです」 久保田の背におぶられた伊里江が言った。彼はすでに自力では歩けないまでに体力を失っていた。 「……リアルたちは互いに距離を取り合うのです……爆発力はお互いの距離に反比例します。互いに遠く離れるほど干渉力は低くなり、個々の爆発を通常レベルにまで落とすことができます」 「北海道が消えたくらいじゃ、ただの通常レベルですってか?」 揣摩は揶揄するように笑うと、階段の手すりを蹴った。カンと金属音が辺りに響く。 「……兄が他界した今となっては、再びこのような事態が起こることはもうありません。リアルたちが自爆しさえすれば……めでたく問題は解決です」 「メデタイのは、テメエのドタマだ」 炎少年だった。萠黄はビクッと肩を縮めた。 少年は久保田の前にまわると、その小さな手で背中の伊里江を指さした。 「脳ミソ腐ってんじゃないのか? なんで俺たちがそんなに物わかりよく自爆しなけりゃならないんだ。まだ時間はあるだろ。助かる方法を考えるのが立派な大人の役目ってもんだろが。自爆したけりゃひとりでやれ!」 拍手が起こった。雛田だった。 「エラい! クソガキも言うじゃないか」 「茶化すなよ、オッサン」 「茶化してなんかいないさ。元々俺はボケ担当だ。ただ純粋に応援したい気持ちになっただけだ」 萠黄も心の中で拍手した。そのとおりだ、まだあきらめてはいけない。 だが伊里江は暗い声で反論した。 「……助かる方法などありません。それとも萠黄さんのように、体内に溜めたエネルギーを発散できますか?」 「うう──練習すれば、そのくらい」 「……清香さんも、ハジメさんも、陰で特訓していたのではありませんか?」 無言。 「……それに、タイムリミットは、もう目の前ですよ。悠長なことをしていては、皆が遠く散らばる時間さえ失ってしまいます。空を飛んでいったとしても、地球の裏側までは、すぐにはたどり着けません。少なくとも私には飛ぶだけの体力は残っていません。歩くのがやっとの君だって、そうではありませんか?」 「その必要はない」今度はハジメが発言した。「遠くまで出かけなくても、このまま地上に上がっていけばいい。それで『俺たちリアルは生きて、まだここにいるぞ』とアピールすればいい。親切な米軍が、すぐに核ミサイルを撃ち込んでくれるさ」 バカっと言って清香がハジメに迫った。 「本気で言ってるの? そんなことをしたら、他の人たちが巻き添えになるじゃない! それにあなたは、たとえひとりになっても生き延びるって、言ってなかったかしら?」 「言ったさ。俺はただ、死にたい連中はこうすりゃ楽だぞって提案してやっただけ──」 パンッ。清香はハジメの頬を叩いた。 「フザけないでよ! わたしたちはこれだけ人数がいるのよ。リアルもヴァーチャルも含めて、みんな仲間よ。団結して真面目に考えれば、きっといいアイデアが出てくるわ。それでもバカなことを言いたいなら、最後の瞬間まで我慢していてくれない!?」 かなりの剣幕だ。雛田が待て待てと取りなすように割って入った。 みんなイライラが極限に達しているのだ。 当てにしていた転送装置は破壊され、元の世界に戻る道は完全に断たれた。世間からは「見つけ次第、殺せ」と指名手配犯、いやそれ以上の扱いを受け、米軍には攻撃予告までされてしまった。 かつて歴史上、これほど忌み嫌われた存在があるだろうか。まるで中世の魔女狩りだ。それも比較にならないほど大きなスケールで。 (魔女か……) 軽々と空を飛び、銃弾を跳ね返し、怪我をしてもすぐに治すことができる。まさに魔女だ。左腕を失ったというのに傷口はアッという間に塞がり、こんなに平気な顔をしている。気持ち的には平気ではないけれど。 そんな化け物じみたリアルが、この世界に安息の場所など見つけることができるのだろうか? 溜まったエネルギーを定期的に発散しながら、無人島かジャングルの奥地で、誰にも知られずにひっそりと暮らす。 (全然リアリティ、あらへん) そんな世捨て人みたいな人生。どんな価値がある? なんとか、ヴァーチャルの人々と共存する道はないものだろうか。いろんな意味で、そのほうがはるかに現実的だ、と萠黄は思った。 仲間たちを見る。 階段を昇る足取りはどれも重い。 ここを抜け出せても、問題を先送りするだけで何ひとつ解決しないし、新たな障害が待ち受けていることを知っているからだ。 階段がやがて尽きると、そこからは廊下を歩いた。薄暗い蛍光灯がある以外は灰色の壁が延々と続いている。WIBAが傾いたせいで、わずかに登り坂になっているが、歩きにくいほどではなかった。 角をふたつ折れ、階段をひとつ昇ると、頭上を太いダクトの走る廊下に出た。さらに進んだところで、前方から柳瀬が駆け戻ってきた。 「連中、やっと思い知ったわヨ」 彼は悔し気にこぼした。 到着したのは狭い部屋だった。揣摩がバッファゾーンと呼んだ部屋の床には、先に行った男たちが疲れた顔で倒れていた。それでも萠黄たちが入っていくと、取り囲むようにそばに寄ってきた。 その数に萠黄はアレッと思った。わずかに十数人しかいなかったのだ。 (他の人は警備ロボットに──) 彼らは口々に訴えるようなことはせず、六道を前に押し出してしゃべらせた。まるで彼が代表とでもいうように。 薄笑いを浮かべた六道はぺこりと頭を下げると、上目遣いで萠黄たちににじり寄り、 「あの、ここから先には行けないんです。ラジコンカーみたいなのが追いかけてきて、スタンガン攻撃を仕掛けてくるんです。何人かはそれでやられちまいました」 後ろの男たちが判で押したように何度も頷く。 要するに、リアルパワーで警備ロボットを撃退してほしいというのだ。そのためにここでリアルの到着を待っていたのだ。 (勝手な話や) 萠黄は幻滅した。 しかし──ひょっとすると、これこそが〈共存〉の唯一の形態かもしれない。 萠黄の脳裏にそんな考えが浮かんだが、すぐに眉をひそめて拭い去った。考えた自分がイヤになった。 「行くぞ」 動いたのはハジメと炎少年だった。少年は煮え切らない萠黄に見切りをつけたのか、階段を昇り始めてからは、ずっとハジメにべったりとくっついている。 少年はハジメに従うようにトコトコと前に出たが、その肩を久保田がつかんだ。 「何すんだよ」 「やめとけ」 有無を言わさぬ久保田の声だった。少年は不満そうに口を尖らせたが、素直に足を止めた。 男たちは後ずさり、スッと道をあけた。ハジメは彼らなど眼中にないかのように突き進む。 問題のフロアへは、壁に垂直に取り付けられた梯子を昇る。ハジメはさっさと昇り始めたが、途中でくるっと男たちに視線を向けると、 「ついてこいよ。カッコいいとこ、見せてやる」 そう言って、頭上の蓋を軽々と押し上げると、その先に姿を消した。 六道たちはおっかなびっくりで開いた蓋を見上げている。 その時だった。ゴンと金属同士のぶつかる音がした。さらにもう一度。そしてハジメの笑い声。 「早く上がってこいよ! コイツら、全然大したことないぞ!」 たちまち男たちはワッと梯子に殺到した。萠黄たちも後に続く。 マンホールの上はうだるように暑かった。萠黄は片腕で器用に昇り切ると、目の前の光景を見て、愕然とした。 数人の男たちが倒れている。先を急ぐあまり、警備ロボットにやられたのだ。早くも手足の砂状化が始まっている。 周囲の景色は、さながらミニチュアの工場だ。短い煙突からは終始煙が噴出し、暑さで空気がユラユラと揺らいでいる。 四角い物体が空中に舞い上がった。と、そのまま萠黄の前に落下して、ぐしゃりと壊れた。外れた車輪が煙突にぶつかって転がっていく。 警備ロボットだった。 萠黄はハジメを探した。彼ならばロボット群を潰滅させるくらい、朝飯前だろう。それでも萠黄には彼の真意が判らなかった。あれほどヴァーチャルに対して嫌悪感を抱いていた彼が、どうして味方に──。 煙の向こうから当人が現れた。頭の上に二階建てバスのような警備ロボットを持ち上げている。だらりと伸びたマジックハンドはすでに機能停止したことを表していた。 ハジメはそれを六道らの前に叩き付けると、片足で踏みつけながら高らかに勝ち鬨を上げた。 「どうだ! こんなモンが束になったって、俺に敵うわけがない。よく見ておけ!」 ひしゃげた二階建てバスはふわりと浮くと、そのまま、煙を吐くミニチュア工場の煙突に突っ込んだ。黒い粉塵が激しく舞い上がる。 男たちは驚喜し、惜しみない拍手を送った。するとハジメはにこりともせず、おもむろに腕を上げると、 「上に通じる梯子はあっちだ。みんな、行け!」 と後方を指さした。男たちは歓声とともに走っていく。 「どうだ、カッコ良かったろ?」 萠黄はまじまじとハジメを見つめた。 「判らないか? この世界で生きていくなら、このくらいのデモンストレーションは必要だということだ」 |
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