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「何が老人が先だ! 古くさい映画みたいなセリフ、吐きやがって!」 ハジメは体勢を整えもせず、すぐに齋藤の後を追った。 萠黄もハジメに続いて急降下する。この時点で真崎の身体の一部は、まだ水中に没し切ってはいなかった。サナダムシのように細長く伸びた身体は、齋藤に引きずり込まれながらも、そうはさせじと必死でもがいていたのだ。 萠黄はその一端をつかもうと右手を伸ばした。ところが、どこに目があるのか、敵はたちまち臨戦態勢をとった。身体の一部が膨らんだかと思うと、見覚えのある円盤状になり、本体を離脱して彼女に向かってきた。 周囲に生えたノコギリ刃がTシャツを裂いた。萠黄は何とか攻撃をかわした。そして後ろに回り込むと、狙い定めてエア爆弾を見舞い、場内の果てに吹き飛ばした。 目を戻す。すでにふたりの姿は真崎とともに水中に消え去っていた。 大変なことになった。全身が総毛立つ。 「モジッ! 蓋を止めて!」 携帯のところまで戻っている余裕はない。萠黄はありったけの声で叫んだ。 モジの声が、ギドラの使っていたスピーカーから聞こえてきた。 《アカン、緊急停止装置が故障しとるぅ》 蓋は無情にも閉まり続ける。萠黄にはなすすべもない。 その時だ。装甲板の向かい合う中心にブクブクと水泡が浮かんでくると、続いて、大きく水を蹴散らしながら、ハジメが飛び出してきた。両腕に齋藤を抱きかかえて。 直後、ガコンッと空気を震わせて、アリーナの蓋の閉鎖が完了した。 真崎を閉じ込める作戦は成功したのだ。 「スゴい!」 萠黄はふたりの行動力に心から感心し、感謝しながら、急いで彼らのそばへと舞い降りていった。 (えっ) 齋藤の様子がどことなくおかしかった。 目を閉じ、両手をだらりと垂らして、ハジメの肩にもたれかかっている。その姿はどこか普通でないものを予感させた。 「………」 三人は皆のいる中に、静かに着地した。 ハジメは老人の介抱を清香らにまかせると、ぷいと背を向けた。 「おじいさん」 萠黄の声に齋藤は薄く目を開いた。 「……こりゃあ、お嬢さんがた……なんや迷惑をかけたみたいやな」 「ううん。おかげで真崎を封印することができました」 「ほっほっほ。そりゃあ良かったわ……こんな老体でも少しは役に立ったみたいやな」 「少しどころやないよ。ねえ、ハジメさん」 ハジメは黙ってアリーナのほうを見ている。 齋藤の顔にかかった水を、萠黄が手の甲で拭うと、老人はゆるめた頬を彼女に向け、 「シャレやないけど、年寄りの冷や水やったな。ワイの命運もここまでのようや」 誰もが息を飲んだ。齋藤の顔には死相が浮かんでいた。 「八十年の生涯。その最後の最後でこんなオモロイ体験をさせてもろうて、冥土の土産としては上出来や。ははは……ほんでも」老人は眉をひそめた。「ワイの行くあの世は、リアルの天国やろか、それともヴァーチャルのやろかいな?」 冗談とも本気ともつかない言葉を漏らすと、最後に、 「ハジメよ……ありがとう」 そう言って目を閉じ、二度と開くことはなかった。 ゴーン。 ゴーン。 老人を送る鐘の音が谺した。 だがそれは鐘などではなく、アリーナを蓋した装甲板の立てる音だった。水の下で真崎が暴れているのだ。 ゴーン、ゴゴーン。音は執拗に続く。 《萠黄ぃ〜。コイツ、どないする〜?》 モジに促されて、萠黄は立ち上がった。 「真崎はまだ生きてるんやね」 《見せよか?》 天井から下ろされたままのスクリーンにスイッチが入った。モジは競技場のコントロールを、完全に掌握したらしい。 水中カメラの映像だった。ライトが灯されており、真崎のひらひらとした姿が、何度も蓋の裏側に体当たりしている様子を捉えていた。 「しぶといな。まだ生きてやがる」 シュウが憎々しげに言った。 《どないしよか》 「──始末できる?」 萠黄が暗い声で訊ねた。 《できると思うよ。電気を使えば──》 それを聞いて、萠黄は無表情で断を下した。 「やって」 《了解。みんな、水から離れといてや》 スクリーンが明るくなった。火花が走ったように見えた瞬間、ビリリと映像が乱れた。 場内の明かりがふっと暗くなったが、すぐに元の明るさが戻った。 だがスクリーンの映像はまったく異なる様相を呈していた。 そこにはもう真崎の姿はなかった。ただ無数の紙の切れ端のようなものが漂っているだけだった。 高電圧によって、真崎はついにその息の根を止められたのだった。 シュウはひとり、元上司の霊に対して黙祷を捧げた。 怪物は滅びた。 しかし危地を脱したわけではない。 「どっかにわたしたちの逃げ道はないのっ?」 萠黄が大声で問いかけると、 《ちょっと待ってや》とモジは答え、すぐ《お待たせ》と今度はスクリーンに戻ってきた。緑色の頭から、CGの汗をたらしている。 「どう?」 《ないわ》 あまりにすげない返事だった。 「なかったらアカンのよ。わたしら、溺死するしかないやん!」 《そう言われても〜》 「設計データは閲覧できないか?」シュウだった。「壁の薄い箇所を調べてみてくれ」 モジは何も答えない。 「ダメですよ。PAIだから、わたしの声にしか反応しません──モジ、データを調べて、壁の薄い部分がないかどうか、チェックして」 《休む間もないなぁ。ほな、待っててや》 これ以上待てん。男たちは口々にわめいた。いつの間にか床はなくなっていた。齋藤老人がゆらゆらと水の上を流れて行くがどうしようもない。萠黄は足首まで浸かったまま、モジがいい返事を持ってくることを期待して待った。 《ただいま》 たっぷり三十秒は待ったろうか。モジの声がした時、皆のあいだに歓声が上がった。 「で、で?」 萠黄が急かす。しかしモジはフーッと鼻息をつき、 《残念。データ自体、存在してへんかったわ。数日前に消されたみたい》 ギドラだ。WIBAの完成を期して、不要なデータを削除したのだろう。 一斉にああというため息が漏れる。期待させた手前、萠黄は肩身をせまくした。 そんな男たちに対して唇を尖らせたのは雛田だった。 「アンタら、ここの建設を手伝ったんだろ? 誰か知ってるんじゃないのか?」 男たちはは困った顔をして、互いを見合った。六道が代表して手を挙げると、 「そう責めないでくれ。俺たちが知ってるのはアリーナ横の出入口だけなんだ。それ以外は見たこともない」 彼らが出てきた所だ。今やそこは蓋の下、水の下である。 水かさはどんどん上昇する。それが人々の気持ちを追い込んでいく。中には、蓋をもう一度開いて、出入口まで泳ごうと提案する者もいた。だが「たどりついても、ずっと先まで水浸しさ」と言われては引っ込むしかなかった。 《ん……なんや?》 モジが妙な声を発した。 「どないしたん?」と萠黄。 《いや、誰かが壁を叩いとるぞ。しかも外側から》 「外側から──」 全員が耳をすました。滝の音が邪魔だったが、萠黄のリアル耳がかすかに聞こえる「ガン、ガン」という音をキャッチした。 不規則なそれは、まさに人間が叩いているようなリズムだった。 「そっち!」 萠黄は駆け出した。他の者たちも追従した。 水が足にまとわりつく。WIBAが揺れるせいと、滝のせいで、水面が常に波立っているためだ。 転けては起き、転けては起きで、ようやく彼らは叩かれている壁の前に到着した。 「聞こえるっ」 「確かに聞こえるぞ!」 「間違いない。壁の向こうに誰かいるんだ!」 「そいつはどうやって入ったんだ?」 「別の入口があるんだろ」 「どこにある?」 「中の奴に聞いてみろよ」 男たちはめいめい勝手に壁を叩き始めた。おーいと呼びかける者、ここから出してくれと叫ぶ者とさまざまだった。 この辺りは水深が腰まで達している。泳げない者はなおさら必死の形相だった。 だがこれほど混乱していては、壁の向こうの音がかき消されてしまう。シュウは空に向けて銃を撃つしかなかった。 「静かにしろっ」 すると、それに呼応するかのように、どこかでカシャリと音がした。そして驚く彼らの見ている前で、突然、壁が上昇し始めたではないか。 「きゃっ」「うわっ、水だ」 (誰?) 萠黄はその声に聞き覚えがあった。 足が見えた。迷彩服だ。 さらに壁が上がる。 人影は四人。そして、その中にいるのは──。 「久保田さん!?」 |
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