Jamais Vu
-319-

第23章
光道の果て
(6)

 怪物は撃たれるごとに身体を引き攣らせ、ダメージを受けた身体をトカゲのごとく斬り捨てながら逃げ続けた。ハジメは空を飛びながらこれを追った。すでに怪物の大きさは、最初の四分の一ほどにまで縮んでいた。
 ハジメの撃つ〈小型プラズマ照射装置〉は、確実に怪物のパワーを奪い取っていた。その証拠に、逃げる怪物は、徐々に元の人間の姿に戻りつつあった。
「本当に真崎らしいな。──信じられん。奴がリアルだったとは」
 そのうちに、光線の出力がガクンと落ちた。エネルギーが底をつきかけているらしい。舌打ちしてハジメは真崎に接近した。残ったエネルギーでとどめを刺さねば。
 と、その時──。
 ズズズーン。脳みそが揺さぶられるほどの地震が競技場を襲った。そのためハジメの指は狙いを定める前に引かれてしまい、光線は標的を大きく外してしまった。
「クソッ」
 悔しがっている場合ではない。揺れは治まるどころか、広がりを見せ、彼の目には場内が二重三重にダブって映った。
 何が起きているのか?
 判らないまま、ハジメは上下の感覚をなくし、失速して客席の上に背中から墜落した。
 エアクッションがなければ即死か大怪我というところだ。
 すぐに起き上がり、体勢を立て直す。常に周囲の警戒を怠らない。そして人を信用しない。彼が不良少年としての生活や、少年院などで培った習性だ。
 揺れる床の先が水に浸っている。彼の目は、まさに真崎の身体が水の中に消えようとしている一瞬を捉えた。
 すぐに追いかけたかったが、とても立ち上がることができないほど、床の振動は凄まじかった。
 滝の膨大な水量によって、穴の中の水位はすでにアリーナの周囲の壁をやすやすと越えていた。その様子は客席の後部にいたハジメからもよく見えた。
「どうしたってんだ──水が傾いてるぞ──いや、壁も何もかもだ」
 滝の落水のおかげで現状を把握することができた。
 WIBAは明らかに傾いていた。壁と滝とのあいだに角度ができていたからだ。
 もしや米軍の攻撃が予定より早まったのか! と疑ったが、ズズズと引きずるような音は足の下から聞こえる。ということは──。
 真崎の追跡をあきらめたハジメは、一跳躍で萠黄のところに戻った。
「オイ、この地震は──」
「おそらく滝のせいだ」シュウはすぐに答えた。「地下に流れ込んだ湖水が限界を超え、WIBAの喫水線が上昇したんだ。おかげでWIBAは沈降し始め、海底にぶつかって傾いたんだろう」
 なるほどとハジメは納得した。
「それより、真──怪物はどうした?」
「水中に逃げた。ほとんど人間の大きさまで縮んだんで、ヤツにはもう何もできないだろう」
「逃がしたのか……」
 シュウは舌打ちした。ハジメはむっとして眉を寄せると、シュウの腕の中にいる萠黄を顎で指し、
「どこへ連れてく気だ?」
「正二十面体とやらへ、な。あれがリアル世界と繋がる唯一の装置だ。さっきから齋藤のジイさんがひとりで踏ん張ってる。お前も行って手伝ってやれ」
「命令すんな」
 ハジメはガンを飛ばしたが、年季の入った分、眼光の鋭さはシュウのほうが上だ。フンと鼻を鳴らして顔を背ける。
「そして、早くこの世界から消えてなくなれ。後の始末は俺たちでやる」
 傾いた穴からこぼれ出した水と、落ち続ける滝の水は、次は観客席を水面下に沈めていく。
 場内はどこもズタズタだった。怪物によって押し倒され、潰された座席、崩れたり剥がれたりと無惨な壁。そして空中を漂う霧。
 そんな惨憺たる場内から、ハジメやシュウのところに生き残った人々がぞくぞくと集まってきた。意志に反して連れて来られた六道たちや、将軍五十嵐を慕って付いてきた中村たちである。
「正二十面体に仕組まれた機械の操作については、少しは聞いている」六道が言った。「ただし、真佐吉の計画だった爆破用で、元の世界に戻す方法は判らんが」
「やってみてくれ。アンタに地球の未来が懸かってる」
 シュウが励ますように言うと、六道は困った顔で、
「たぶん、教えられたのとは反対にやればいいと思うんだけどな」
 WIBAが傾いたおかげで、逆に立体は壁のそばへと移動し、滝を避けて乗り移るには絶好の位置にあった。
 六道が立体を構成する三角形のひとつに取りついた。ボタンを押すと蓋がスライドし、制御装置のようなものが現れた。
「さあ、リアルは順次、開いたカプセルの中に寝そべってくれ」
 迷彩服を着たシュウの指示に、リアルたちは素直に従った。齋藤のひと言が効いているようだ。彼は気絶したままの萠黄の頭を優しく撫で、
「逃亡の合間にチラリと言うとったよ。シュウっちゅう人だけは信用してええってな」
 シュウは何と答えていいか判らず、苦笑した。
 傾いたWIBAが、この後どうなるのか、誰にも判らない。それを考えるとグズグズしてはいられない。
「これだ!」
 六道の声が人々の耳を打った。誰もが期待の目で彼を見た。
「オートモードの中に〈転送〉という項目がある。このコマンドを実行すれば、後は勝手に装置がやってくれるはずだ」
 ようやった、と齋藤が拍手した。周囲もつられて手を叩いた。
 六道は急いで準備に取りかかった。
「あ……清香……」
「………」
 呼びかけたのは雛田だった。清香は一拍の間があってから振り向いた。彼女の目には、それまでにない色が含まれていた。
「その……つまり……」
「本当のお父さんなのね?」
 ストレートに訊かれて、雛田はたじろいだ。WIBAに到着するまでは、どうやって告白すればいいのか、あらゆる状況を想定していたつもりだった。しかし、こうなってしまって、あらためて彼は混乱していた。
「お父さんなんでしょ?」
 清香の顔がぐんと近寄る。雛田は耐えきれず、ポケットから携帯を取り出し、カバ松を呼んだ。
 ピンクの動物はにべもなく言った。
《この期に及んで取り乱すな。みっともないぞ》
「そ、そうは言ってもだな……」
《おい待て。ありゃ何だ?》
 カバ松が短い前足で彼方を指さした。雛田と清香はそちらに顔を向けた。
 正二十面体の向こう、何もないところで、奇妙にも大きな水しぶきが上がっていた。


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