|
萠黄は自分が巨大化していることにも気づかないまま、怪物の上に馬乗りになって、怒りを塗り込めた鉄拳を幾度も幾度も振り下ろしていた。 「こいつ! こいつ! こいつ!!」 ボコンッ、ベコンッ。ボヨンッ。 殴っても殴っても、まるで餅をこねているような感触しか返ってこない。 「なんとか言うたらどないや! ホンマに真崎やったら、嫌みのひと言もしゃべってみい!」 怪物は、反抗するのをあきらめたように、ゲフッなどと空気の抜けるような声を漏らすばかりだ。 張り合いのない相手に怒りの収まらない萠黄は、怪物の背中に指を食い込ませると、力を込めて引きちぎった。怪物は身をよじって痛みを訴えたが、萠黄は意に介さない。 切れ端は手の中でモコモコと動いた。あまりの気味悪さに、壁際に投げ捨てると、まるでひな鳥が親鳥を求めるように、ササッと本体に帰ってこようとする。萠黄はそばに落ちていた青い破片を拾い上げ、切れ端に突き立てた。切れ端は本体に合流する直前で、針で止められた標本の虫のように動けなくなった。 青い破片は、ミニチュアの椅子だった。 (なんでこんなオモチャが?) その時、誰かが萠黄の名を呼んだ。 ──? 声のほうに顔を向けた途端、萠黄の右耳を白いものがかすめた。あわてて手を持って行く。指に血が付いた。 飛行物体は、はっきりした形もつかませないまま、航空機のような滑空音を響かせて弧を描き、今度は正面から向かってくる。 ──ブーメランか? 正体を探っている余裕はなかった。萠黄は身体を倒して飛行物体をよけた。物体は反転して、三度目の接近を試みる。萠黄は別のオモチャ椅子をつかむと、物体がギリギリまで近づくのを待ち受け、ラケットでボールを打ち返す要領でこれをはたき落とした。物体は壁に突き刺さって止まった。舞台の外周には刃が二重に付いていた。平べったい部分はパン生地の怪物と同じ色と質感を持っている。萠黄は怪物の本体に目を落とした。コイツが分離した自分の一部を遠隔操作していたというのか? ──なんちゅう奴っちゃ……。 萠黄は身体から力が抜けていくのを感じた。 「すげぇ……」 シュウの部下はため息をついた。シュウは頷くだけだったが、部下は続けて、 「どっちを応援したらいいんでしょう? あの怪物は隊長代理ですよね?」 「………」 シュウにも答えられない。いずれにせよ戦いは萠黄の勝利に終わったようだ。シュウは部下の様子に、 「おい、あんまりジロジロ見てやるな」 「はあ。あのコ、ひょっとして気づいてないんですかねえ」 萠黄はようやく異変に気がついた。 「うわっ、なんでなんで!」 彼女は全裸だったのだ。下着すら付けていなかった。身体が巨大化し始めた時点で破り去っていたのだが、敵に気を取られて全く気づいていなかったのだ。 両手で胸を押さえながらうつむく。周囲の景色が小さくなっていることにも、やっと注意が行った。 (どないなってんの、わたし──) 羽織るものを探しても、布の切れっぱし一枚落ちていない。代わりに苦笑混じりで見上げるシュウたちの視線とぶつかっただけだ。互いに視線を逸らす。 そこに油断が生じた。 空気がほんのかすかに震えた。 本能的に危険を感じたシュウは、瞬時に腰を屈めて難を逃れた。しかし部下は不幸にも、自分の身に何が起きたのか、知る暇もなかったろう。真ん中を縦に分断された部下の身体は、霧のように砂をまき散らしながら、左と右に泣き別れていった。 しかし狙われたのは彼らではなかった。 萠黄の左腕に、突然、焼きごてをあてられたような激痛が走った。 「──っ!」 耐えきれず、萠黄は乗っていた怪物の上から転げ落ちた。集中力の吹き飛んだ身体を受け止めたミニチュアの座席が脇腹に食い込む。 やられた、油断した! 一個目の丸ノコ型円盤はオトリだったのだ。安心させておいて時間差で相手にダメージを与える、二段構えの攻撃。 激痛に頭の芯が熱くなった。かなりの深手だ。動こうにも、足許に横たわる怪物のぬるぬると滑る皮膚のせいで、なかなか身体を起こせない。 ギュイーンと不快なノコギリ音が左へと移動していく。しかめた眉の下の瞼を無理して開く。白い物体がエンジェルフォールの向こう側を迂回しながら、再びこちらに戻ってこようとしている。再アタックをかけるつもりだ。 萠黄は背中を支点にして壁際に怪物から離れた。傷口に座席が当たって、思わず仰け反る。これではエアスーツを身に着けたくても、精神の集中がままならない。 ──リアルパワーで傷口をカバーせんと。 萠黄は壁に背を押しあて、飛翔する円盤から目を離さずに、右手で左腕をさすろうとした。 しかし手の平が触れたのは脇腹だった。手の甲に温いものが垂れた。萠黄は呼吸するのを忘れた。 ──ない! 腕がない! |
|