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ここはどこだ──? ああ、いつもの押し入れか。また放り込まれてしまった。チクショー、親父のヤツ、呂律がまわらないくらい酔っぱらっても、俺を捕まえる時だけは鬼みたいに足が速いんだから始末におえん。それでとっ捕まれば、押し入れに一昼夜閉じ込めの刑だ。毎度お決まりのパターン──。 俺、今回は何をしでかしたんだろ? 思い出せない。身体のあちこちがヒリヒリするし、見ればなまなましい火傷の痕もある。よほど大掛かりないたずらをしたか、悪い連中相手に大暴れしたのか。俺が他人をつかまえて「悪い」なんて言えた義理じゃないが。あぁ、また飯抜きだな。弟のヤツのしかめっ面が目に浮かぶぜ──。 弟。生年月日は俺と同じ、たったひとりの兄弟にして双子。一卵性双生児。 だがそんなこと、信用する奴はいない。なぜなら俺たちは、背格好も違えば、性格も正反対。声だって全く似てないからだ。 弟は生まれついての優等生。小さな頃から神童と呼ばれ、学校に上がってからは、勉強、スポーツ、全ての点で常にトップクラス。おまけにハンサムで愛想がいいから、先生やPTA、先輩や同級生たちの覚えもめでたい。 弟は成長とともに長所にさらに磨きをかけ、学校も有名中学、有名高校、そして一流大学へと進み、今じゃ外務省のお偉いさんと来たもんだ──。 俺は弟とは正反対の道を歩いてきた。それは生まれた時点で運命づけられたと言っていい。 すんなりとこの世に生まれた弟とは違い、俺はなかなかお袋の腹の中から出てこなかった。そのせいで、お袋は手術を受けることになり、へたくそな医者は、俺を手荒に引きずり出しやがった。お袋は俺の命と引き換えに死んだ。俺の顔に傷跡の置き土産を残して──。 親父は俺を徹底的に忌み嫌った。『お前がお袋を殺した、お前など生まれてこなけりゃよかった』と、ことあるごとに俺を罵った。まあ、ひいき目に見ても、俺には弟の小指の先ほども、存在する値打ちはなかった。 出生時の後遺症のため、発育のよくなかった俺は身長がなかなか伸びなかった。加えて人相は悪い、頭は悪いで、小学校を卒業する頃には、すでに街の悪ガキたちの仲間入りを果たしていた。補導歴も数知れずだ。 それでも中学をなんとか卒業したのは、親父に対する意地だった。 『お前が学校なんか行ったって意味はない。力が有り余ってるんなら働け。どこか目の届かない遠くで働け。お前がいるだけで弟の将来に傷がつく』 クソ親父! そんなことを言われて、ハイそうですかと家出するわけにいくか。俺はギリギリのところで、退学だけはしないよう注意を払って過ごした。 肝心の弟は……あいつはものごころついて以来、ずっと俺を無視し続けていたっけ──。 中三の冬、俺は家の物置で一枚のディスクを見つけた。それには生前のお袋の動く姿が記録されていた。撮影したのは親父らしい。お袋は大きな腹を抱えてベッドの上に腰かけていた。 お袋は腹の中の俺たち兄弟に向かって、優しく話しかけていた。 じつは、俺はその時までお袋の顔を知らなかった。親父が写真も映像も全て処分してしまったからだ。それでも俺にはそれがお袋だとすぐに判った。 お袋は美しかった。そして神々しいまでに優しい人だと思った。まだ見ぬ我が子たちに向かって、自分がいまどれくらい幸せか、どれほど我が子との対面を楽しみにしているのかを切々と語っていた。そして家族が揃って過ごす未来の様子を、とてもうれしげに空想していた。 俺は十五年の人生で初めて泣いた。声を上げて泣いた。 そして、俺がどれほどお袋の愛に飢えていたのか、そのとき初めて知った。 映像にはときたま若い親父の姿も映った。親父は、今の姿からは想像もできないほど快活だった。そして、子供たちとお袋のことを宝物だと何度も口にした。母親の顔を覗き込んで、一生守り抜くと断言した。 記録された映像は、出産の前日で終わっていた──。 俺は周到な計画を立て、それを実行に移した。 お袋の手術を執刀したヤブ医者は、信じられないことに、その病院の院長に出世していた。俺は深夜、病院に侵入すると、ヤブ医者をロープで椅子にくくりつけ、さんざん恨み言を聞かせた上で刺し殺した。お袋を殺した罪、親父から笑顔を奪った罪、家族から幸せを奪った罪。 『貴様が生まれ変わっても、俺は未来永劫、何度でも繰り返し、貴様を殺してやる』 そう宣言して、ヤツをなぶり殺しにしてやった。 逃げる時には、物盗りの仕業と思わせるよう細工した。俺が捕まるのは覚悟の上だったが、お袋が愛した親父や弟にまで累が及ぶのを避けたかったからだ。 警察もまさか十五年前のことが引き金になったとは想像もしなかったらしく、事件の犯人は捕まらなかった。 だが──。 ヤブ医者殺害が大々的に報じられた一週間後のこと。弟が珍しく俺の部屋に入ってきた。彼はこう言った。 『兄さんに出し抜かれちゃったな。いつか僕がそれなりの権力を握ったら、彼に強烈な社会的制裁を加えてやろうと思っていたのに』 弟のヤツ、それまで一度も見せたことのない、残忍な笑みを浮かべていたっけ。 俺たちは紛れもなく、実の兄弟だった──。 中学を無事に卒業すると、予定どおり俺は家を出た。以前から考えていた道に進むことを決心したのだ。 傭兵。それこそが俺の天職だと信じて疑わなかった。 ヤブ医者をこの手に掛けてからというもの、俺は命というものが軽く思えてしかたがなかった。このままだと、何かの拍子にまた人を殺めてしまいそうな気がした。それならいっそ、それを生業にすればいい。そんな短絡的な動機だった。 アメリカに渡った俺は傭兵学校に入学し、地獄の特訓を受けた。そして誰よりも優秀な成績で卒業すると、すぐに危険な紛争地帯に赴き、いかんなく能力を発揮した。 命のやりとりの中で、友達もできた。新しい仲間には、顔の傷は戦闘で受けたんだと偽り、ハクをつけた。 それから数年、俺は経験と実績を積み重ね、世界でも指折りの傭兵へと成長していった──。 思い出したぞ。 ある日俺は、日本政府の非公式なFAXを受け取った。そこには『リアルキラーズ募集』と書かれていた。 日本はいま未曾有の危機に直面している。日本国民を救うため、勇気ある戦士を募るといった内容だった。 母国を後にして丸十年。俺は一日としてお袋の眠る国を思い出さない日はなかった。俺の故郷は自然に恵まれた土地だった。最近では夢にまで見るようになっていた。いわゆるホームシックだ。恥ずかしい話だが。 そんな時にこのFAXだ。報酬は十分に魅力的な額だったし、それ以上に『国民栄誉賞の授与』『自衛隊に要職として迎え入れる』にも心が動いた。 またあの国の地面を踏める。しかも国を挙げて歓迎される身分として。そうなりゃ親父も俺を見直さずにはいられないだろう。 FAXの最下段には、外務省の担当部署の長として、弟の名前が書かれていた。 俺にはヤツが、そしてその向こうにはお袋が「帰ってこい」と言っているように思えてならなかった──。 編成されたリアルキラーズでは副隊長に任命された。隊長の男は、前時代の遺物のような頑固者だった。俺はどうにか奴を追放したが、最大の誤算は、俺自身がリアルになってしまったことだった。 何としても任務を成し遂げ、元の世界に帰らねば。だがもし最悪のケースを迎えることになったら、その時は全てのリアルを殺し、自分も死ぬだけだ。手段を選ばずに──。 待て、待て。そんな俺がどうして押し入れに閉じ込められてるんだ? これは夢か? 薄暗い光の中では、頭の中までぼやけちまう。 身体を少しねじってみる。壁に体当たりもしてみた。 ドゥン。いやに硬い壁で、びくともしない。そのわりに音だけはよく響く。壁の向こうには広い空間がありそうだ──。 ガコン。ズズズズズ……。 あっ、壁が動いたぞ。まるで引き戸のように開いていく。まばゆい光が差し込んでくるじゃないか。 やっと親父の怒りが解けたんだ。また外に遊びに行けるぞ。 違う違う。それは子供の時の話だ。 今の俺は、リアルキラーズ隊長代理の真崎だ。もっともこれは傭兵としての偽名だが──。 真崎は光の中に転がり出した。 身体が妙にだるいな。ここんとこ睡眠が足りてないせいか。チッ、俺もヤキがまわったかな。 アッ、あそこにいる小娘には見覚えがある。確か……そうだ、光嶋萠黄だ。小生意気なリアルの娘だ。 わっ、顔に水が! なんだこりゃ……滝? こんなもので俺様に対抗できるとでも思ってるのか。小娘の考えそうなことだぜ。 伝説のパンチをお見舞いしてやる。 そらっ、喰らえ! |
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