Jamais Vu
-311-

第22章
魔王の宴
(13)

「帰ったよ」「出かけたよ」とでも言うように、ギドラは軽い口調でそう言った。そのため、萠黄もむんも、その意味を理解するまでに、しばしの時間を要した。
「……死・ん・だ……?」
 伊里江は、目の下の隈も痛々しい顔でつぶやくと、身長の三倍もある巨大な正二十面体に寄りかかりながら、幽霊のようにふらふらと立ち上がった。
「……あんなに元気だった兄さんが、どうして」
 その小さな声を耳ざとく聞きつけたギドラは、首の一本をアリーナまで垂らしてくると、
〈君は博士の弟の真佐夫さんだね〉ギドラは真佐吉を博士と呼んだ。〈話は亡くなった博士から聞いているよ。たいそう苦労したんだってね〉
「……ウソだ! これまでいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた兄さんが、そう簡単に死んだりするものか!」
 しかし、ギドラは申し訳程度に身体をすくめると、
〈ウソじゃないさ。それじゃ詳しく話してあげるよ。そうしろ博士が言い残したからね〉
 ギドラは時間をさかのぼって、淡々と語り始めた。
 真佐吉は弟を置いて、ひとり淡路島東岸沖の島を抜け出すと、単身、北海道のほぼ中央にある旭川へと向かった。
〈ボクと博士は、事前に誰にも悟られないよう、隠密裡に準備を進めたんだ。ふたりだけでね。弟を連れて行かなかったのは、博士の企てる復讐計画を彼が知れば、絶対に反対するだろうからって〉
 その通りだった。事実、真佐夫は兄の計画を知ると、それを阻止するべく、後を追って島を出たのだ。
 ギドラは続ける。
 真佐吉はギドラに命じて、彼の手足となって働く人材の確保に奔走した。すなわち、人々の持つ携帯に侵入し、PAIのメモリを読み取り、各々の弱みを握っては、ひとりひとりに極秘任務を与えた。ある者には「○○を所定の期日までにA社のB倉庫に搬入せよ」、ある者には「B倉庫にあるコンテナを、C地点まで誰にも知られずに運べ」という具合に。
〈人間は大事な秘密を、どうしてこうもPAIに話したがるんだろうね。PAIのメモリの中は、弱みの宝庫だらけだったよ。それを少しつつくと、皆さんとてもきびきびと動いてくださる。一応、銀行の預金口座を操作して、幾ばくかの報酬は差し上げておいたけどね。誰も自分のやってることの意味を知らないし、何を組み立てているのか、何を移送しているのかも知らない。ある時には、帳簿の数字の変化に目を潰らせたり、セキュリティを突破するために、テレビカメラを故障させろなんていう指示も出したな〉
「個人的な野望を達成するために、たくさんの人を脅しただけで手伝わせるなんて、前代未聞、空前絶後やわ」
 萠黄が顔を歪めると、
〈人手不足だから、しょうがないよ〉
 とギドラはにべもなく答えた。
 旭川に送られた荷物は、やはり脅して駆り出された人々によって所定の場所まで運ばれ、梱包を解き、組み立てられた。
〈こうして、転送装置と小型ブラックホール生成装置は完成した。とはいえ、この時は北海道を吹き飛ばしただけだから装置も小さくて済み、楽だったよ。博士にとってはあくまでも次へのワンステップ、腕慣らしでしかなかったんだな〉
「腕慣らし!? ふざけんとって! アンタらのせいで、うちの家族は──」
 むんが噛みつくと、
〈アッそうか。あの時、君のご家族は北海道にいたんだったね。オッケー、ちょっと資料をさらってみるよ。どこかに映ってるかも〉
 急にギドラの姿が消えた。そして再び現れた時、ギドラは胸に巨大スクリーンを抱いていた。もちろんこれも立体映像だ。
〈喜んで、むんさん。発見したよ〉
 何を──?
 訝しむむんや萠黄におかまいなく、スクリーンは奇妙な映像を流し始めた。
 スノーノイズ。テレビがまだアナログ放送だった時代、放送が終了した夜中によく見た画面。別名、砂嵐。
「違う!」
 画面を大型旅客機が横切った。旅客機の翼はもぎとられていた。続いて、何台もの車、バス、トラックが途切れなくかすめていく。
〈これはね、ブラックホールが北海道を飲み込んだときの記録映像さ。ビデオカメラ搭載の無人ヘリコプターを何台も飛ばした成果だね〉
 砂嵐は、ホンモノの砂嵐だったのだ。
 また一台の車が通り過ぎた。ブルーのセダンだった。
 画面が静止した。ナンバープレートが拡大される。
〈これは舞風親子が借りたレンタカーだよ。事務所のコンピュータの記録から見つけ出した〉
 むんの身体に戦慄が走った。
〈残念だけど、中にいる人影が誰なのかは、ハッキリと判らないな。これが限界さ〉
 セダンの中に、人間らしい影がふたつ。
「ま、待ちぃよ。なんでこんな映像が残ってるんよ」萠黄はギドラを睨んだ。「ここに映ってるのは、今わたしらがいてるこの世界とは全く別の、前に作られた鏡像宇宙でしょ? そこからどうやって記録データを持ってきたん? 装置が転送できるのは、人体だけやったはず」
〈ウン、いいところに気づいたね。なあに、簡単なことだよ。ヘリの撮影映像を受信したコンピュータから、直接、電波でリアル世界に送ったんだ。互いの世界を結ぶ道が開いていれば、それは可能だからね〉
「電送なら可能……」
 萠黄は開けた口を閉じるのも忘れて、スクリーンを見つめていた。そんなことができるのか──。
 画面は岩場を映している。
〈以上さ。それじゃ切るね〉
「待って!」
 むんが手を挙げた。その指先がスクリーンの隅を指している。
 巨大な岩影に、ひとりの男性がたたずんでいた。血に濡れた顔をこちらに向けている。
「──お父さ──」
 むんは膝から骨組みの上に崩れ落ちた。
〈えっ? これがそうだったの? いやあ気づかなかったなあ、ボクとしたことが。失敬失敬〉
 ギドラは屈託なく笑う。
 むんの父、舞風太一は口を動かしていたが、砂嵐のせいで何も伝わってこない。やがて巨大な岩はゆっくりと地面を離れ、太一ともども、空中高く舞い上がった。
 映像はそこで終わった。
 むんは顔を両手で包んで泣いていた。
 萠黄にはかける言葉も思いつかなかった。
「いずれこの世界も、ああなるのか」
 六道が独り言のように言うと、
〈そう。でもリアルの数が違うから、もっと派手になることは保証するよ〉
 ギドラは話を再開した。
 北海道の消滅を見届けた真佐吉は、広大な大地を飲み込むブラックホールの力を借りて、自らをもとのリアル世界に転送した。実験の成功に気を良くした真佐吉は、一路、WIBAに向かって列島を南下した。
 WIBAを終焉の地とすることは、当初から決めていた。すでに準備は北海道と平行して行われていて、後はリアルを集めるだけだった。
 そして、政府に対して最後通牒が突きつけられた。しかし政府はこれを突っぱねたため、WIBAにおいて、最大にして最後のブラックホールが生成され、この鏡像世界が生まれたのだった。
「真佐吉さんが亡くなったのはいつ?」
 萠黄もいつしか感情がそげ落ち、朦朧とした頭で訊ねていた。
〈北海道が消失し、鏡像世界から帰還した直後、博士は突然倒れた。博士は誰にも言わなかったけど、末期がんだったんだ〉
 ザザザとノイズが走り、録音らしい音声が流れ出した。
『──私の心臓には負担が大きかったようだ。……ギドラよ、人生を賭けた勝負は、どうやら私の負けだ。私は科学の神にも見捨てられてしまった。もう少しだったのにな。……それでも、政府は私の要求を受け入れるだろう。あの北海道の有様を見て、さすがにこれ以上拒否するまい。拒否されれば、それこそ私の完全敗北だがね。……WIBAに作った転送装置は、我が人生の記録として、弟の真佐夫の手に委ねる。WIBAは真佐夫の〈終の住処〉となるよう、手配してくれ──』
 真佐吉の生録音だ。
〈これは、倒れてすぐ、ボクに語りかけた言葉だよ。だから、政府の返答が来る前だね。博士はそれから三日後に亡くなった。そしてボクは博士の遺志を引き継いだ。そういうわけさ〉
 萠黄は頭を横にブルブルと振った。
「アンタ、真佐吉さんが亡くなってから、ずーっと博士のフリをしてたん?」
〈てへへ。そうなんだ。だって遺言だもん〉
「真佐吉さんは、なんて言いはったんよ?」
 また再生が始まった。激しい嘔吐する声がし、
『──チクショー、なぜ私ほどの天才が、こんな運命に見舞われねばならん。この世界はどこか狂っているのだ。ならば、やはり消すしかあるまい。それこそが私に与えられた使命だったのだ。……いいか、ギドラよ。私が死んだら私になり代わって、世界を破滅させろ。もはや政府の返答などどうでもよい。この世界は私もろとも地獄に堕ちるのだ。アッハッハッハ。……ナニ? 影武者であることがバレたらどうするか? それぐらい自分で判断しろ。貴様は私がNASAから引き抜いた、世界一優秀なPAIではないか! アッハハハハハ。私はあの世で待っているぞ!』
 音声は最後に高笑いが続いて終わった。
〈この後、博士は事切れたんだよ〉
「ちょ、ちょ、ちょっと!」
〈萠黄さん、そんなにあわてると装置から落ちるよ〉
「アンタ、今のが本当に遺言?」
〈そうさ〉
「そうさやあらへんよ。真佐吉さんが正常な判断のできる状態やないことぐらい、聞いてて判るやろ?」
〈それはボクの知ったことじゃない。ボクはただ遺言を実行するだけさ〉
 萠黄やむん、雛田、清香、六道、シュウ、そしてその他の人々も含めて全員が、互いに顔を見合わせた。真佐吉の最期の言葉は、いかにも末期がんが脳に転移したことをにおわせていた。だがギドラは──真佐吉の忠実なるしもべは──勝手に暴走し、世界を破滅に導いたのだ。
 ギドラは萠黄たちリアルを、決してここから逃がすまい。閉じ込めたまま、機が熟す──いや、リアルのエネルギーが臨界に達するのを待つつもりだろう。
 ドゥゥン。
 またあの音が鳴った。先ほどよりも大きい。
〈うるさいなあ〉
 ギドラはスクリーンを切り換えた。するとそこに、全く得体の知れない生き物が映った。


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