Jamais Vu
-310-

第22章
魔王の宴
(12)

 カプセルが開いたとき青白かった清香の顔は、すでに生気を取り戻していた。リアルパワーのなせる技だろう。萠黄はそう思った。すでに清香は忌まわしいカプセルを出て、雛田に支えられながら体力の回復を待っていた。萠黄は〈真佐吉の正体はPAI?〉という清香の言葉を受け、
「わたしはそう断定します。──歴史上、人類が初めて獲得できた完全無欠の〈親友〉、人間と揺るぎない信頼で結ばれた存在。それは、PAIを置いて他にないでしょう」
「よしてくれよ」PAI嫌いの雛田が吐き捨てた。「親友っつっても、PAIはペットの犬や猫のような生き物ですらない。ただのソフトウェアだ。それが人間様のご機嫌を取るよう、都合良くプログラミングされてるだけじゃないか。信頼もクソもない」
「待って」むんが言葉を挟んだ。「つまり、萠黄がさっき真佐吉に向かって悪態をついてみせたのは、その仮説を検証しようとしてのことなんやね?」
 萠黄は、うんと頷き、
「真佐吉さんの名前を出して、テッテー的にこき下ろしてみた。ワザと子供みたいな言葉を使ってね」
「ワザとだったのか……」つぶやく萩矢。
「PAIは商品として市場に出回るにあたり、いくつかの基本設定が施されました。そのひとつが『オーナーの意見は全面肯定』です。PAIは決してオーナーには反論しません。冷静な他人が聞けば理不尽に思われる言葉でも、すべて受け入れてくれます。だからこそ爆発的なヒット商品となり得たことは、皆さんもよくご存知でしょう。……発売直後のこんなコピーを覚えてませんか? 『PAIは常にあなたの味方です。あなたを慰め、励まし、時には一緒に怒ってくれます』」
「あっ」雛田が顎を突き出して叫んだ。「だから、〈あの声〉は〈真佐吉〉の悪口に対して、過剰な反応を見せたのか!」
「おそらく。もちろんそれだけじゃ根拠が薄弱なことは否めません。そして、PAIのもうひとつの基本設定は、『画面登場時の姿形は変更できない』ですが──伊里江さん」
「……はい」
「お兄さんは、携帯電話を持ってた?」
「……ええ」
「PAIは?」
「……飼っていました」
「どんな?」
「……三本の首をもつ怪獣です。私は知らないのですが、マニアのあいだでは有名なキャラクタだそうです」
 むんと清香が揃って、エーッと叫んだ。
「萠黄、まさか、真佐吉のPAIって──」
「ズバリ、ギドラやね」
「でも、わたしらがコテージで初めてギドラを知ったとき、伊里江さんもいてたやん。伊里江さんもギドラを見てたはずやん。なんで──」むんがキッと伊里江を睨む。「なんでその時に教えてくれへんかったん!?」
「……いえ」首を振る伊里江。「すみません。気づかなかったのです。あの時私は、すっかり体調を崩していたせいで視力も格段に落ちており、横になったソファからでは、何か動いてるな、くらいしか認識できませんでした。それに……言葉がまるで違いましたし」
「言葉……しゃべりかた?」
「……いいえ、兄のPAIはいつも英語で話していました」
 萠黄はポケットから携帯を取り出した。画面を開くと、モジだけが画面の中央で寂しげに座っていた。ギドラの姿はない。
 六道が立ち上がった。その燃えるような目は天井を見据えている。
「オラオラッ、声だけのオッサンよぉ、答えろ! お前は本当にPAIなのか!?」
 場内はしんとなった。
 人々は頭上に潜む、黒雲のように邪悪な意思に、背筋をぞくりとさせずにはいられなかった。
 ──俺たちを脅した上で集め、無理矢理働くよう命じた相手がPAIだって? そんなこと信じられねえ。
 ──〈声〉は次にどんな怒りの鉄槌を振るうだろうか。こんな地下深くにいるんだ。俺たちは袋のネズミだぞ。
 ──ずっと黙ってやがる。何を考えてるんだ?
(ここは魔王〈真佐吉〉の城、そして宴はクライマックス……)
 萠黄の汗ばんだ指が、髪を梳き上げた。髪は滝の水を吸い込んだままで、べったりと頭に貼りついていた。
(仮説を支えるのは状況証拠ばかりだ。否定されればどうしようもない。果たして〈彼〉はどう出る?)
 ドゥン、ドゥン。
 突如、太鼓のような大音声が場内の空気を激しく震わせた。緊張で神経を張りつめていた人々は、大砲の音かと勘違いし、ある者は悲鳴を上げて人工芝の上に伏せ、ある者はあわてて正二十面体の下に潜り込んだ。
「言い過ぎたかな」
 萠黄が首をすくめて音源を探ると、
「もう遅いって」
 萠黄の両肩を、頬を引きつらせたむんがつかんだ。
 ドゥン。
 音は観客席の後ろ、壁のどこかから聞こえてくる。音の鳴る間隔は一定ではなく、まばらだ。
「あれも立体音響とやらかね?」
 六道が訊ねたが、萠黄にも判らなかった。判らなかったが、なぜかとてつもなく忌まわしい圧力を感じていた。
 とてつもなく。
〈あっはっはっはっは!〉
 唐突に〈真佐吉〉の声が舞い戻ってきた。
「野郎!」
 六道が持った銃を天井に向けたが、相手の姿はない。
〈萠黄さん。君はじつに面白い人だね。今日まで、とても楽しませてもらったよ〉
「!」
 萠黄の全身が硬直した。むんが丸く見開いた目を彼女に向ける。
「この声──このしゃべりかたは──」
 するとそれに答えるように、
〈ご指摘のとおりさ。ボクはギドラだよ。いつ気づかれるかと、ヒヤヒヤ、ワクワクの日々だったなぁ〉
 競技場の上空におぼろげな映像が現れた。半透明の立体映像は、萠黄が携帯の中で見たギドラに姿に間違いなかった。
(ああ、やっぱり……)
 萠黄はふっと気が遠きかけた。正体を暴いた萠黄にしてみれば、どこかに『真佐吉自身であってほしい』気持ちがあった。まさか自分と馴れ馴れしく会話を交わし、ずっとそばにいて、自分を観察していた相手だったとは。
「そやから……他人にはしゃべるなて言うたんやね?」
 ギドラはクスクスと笑う仕草をして、
〈そうだよ。だからコテージで皆さんに紹介された時は、最大のピンチだったのさ。伊里江真佐夫君がボクをまともに見たら、気づいたはずだからね〉
「なんで、わたしの携帯に来たりしたん?」
〈ハハハ、言ったじゃないか。君には非常に大きな興味を感じたからだよ。それだけ〉
 言うとまた子供のような笑い声を上げ、巨大なギドラの映像は、三本の首を震わせながら、くるりと宙返りした。
「真佐吉さんは、どこにいてんのよ!?」
 むんが吠えるように問うた。するとギドラの答えは、たったひと言、
「死んだよ」


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