Jamais Vu
-309-

第22章
魔王の宴
(11)

 回転する七色の光が、わずかに揺らいだように見えた。萠黄は勢いを得て、思いつくままに悪口雑言を連ねていった。
「真佐吉の世間知らずーっ、真佐吉の内弁慶ーっ、真佐吉のぉー……えーっと、嫌われ者ぉーーーっ」
 子供の喧嘩レベルである。萠黄は自覚していたが、とにかく言い続けるのが大事だと確信していた。
 リアルパワーのおかげで、マイクがなくても彼女の声はよく通った。ぐるりと取り囲む黒づくめの集団は、構えたマシンガンを下ろすことなく、じっと照準を萠黄に向けている。
「やめてくれ!」萩矢が両手を振りながら、萠黄に詰め寄った。「私らみんな、殺されてしまう!」
「大丈夫、ダイジョーブ」
 萠黄は笑い返すと、エアクッションでくるんだ自分の身体を上空へと押し上げた。両の目をひたと武装集団に据えている。銃口は萠黄の動きに合わせて上向いた。
 萠黄は少しも臆せず、両腕を左右に伸ばして、ピーターパンを演じてでもいるかのようにくるっと回ってみせた。そして大きく息を吸い込むと、ダメ押しの一手を指した。
「真佐吉はぁー、世界一のぉー、欠陥人間じゃー」
〈──撃ち殺せ!〉
 どす黒く悪意のこもった号令が下った。
 ガガガと銃弾が連射された。
 その刹那、萠黄はエアクッションを消した。無防備の状態に身を晒し、コンマ数秒の時間で迫ってくる銃弾を待ち構えた。
 最初の弾が腰の辺りをかすめる。萠黄は身体をひねってそれをよけた。さらに脇腹目がけて飛んでくる弾を、紙一重でかわす。決して遊んでいるわけではない。彼女は必死だった。
 そして集中力が極限にまで高まった時、一発の弾丸がまっすぐ正面から接近してきた。
(これで行く!)
 光の速度で目星を付けると、片手を伸ばしたまま、身体をコマのように回転させた。かつて京都工大でハジメがやってみせた銃弾キャッチの技だ。
 銃弾は彼女の手の中に収まった──はずだった。
 回転にブレーキをかける。手の平を開くと、そこには何もなかった。痕跡すら存在しなかった。
「みんな、聞いて!」萠黄は空から呼びかけた。「あの連中は、ぜーんぶニセモノ! 立体映像やよ」
 まさか! という驚きが上空からでも見て取れた。萠黄が骨組みの上に着地すると、六道が信じられんと首を振って迎えた。
「六道さんも、あんな連中、見たことないんでしょ?」
「そりゃそうだが」
「高い所からやと、よく見えました。あの人たちには影がありませんでした。七色の光は、わたしたちの目をくらますため、影がないのをごまかすためだったんです」
「──しかし、撃たれた時、芝が飛び散ったぞ」
「空間に投影されたCG映像でしょう。跳弾の音も、現代の音響技術をもってすれば可能です」
「そんなことまでできるのか……。すると、どういうことなるんだ」
「決まってます」萠黄は黒服たちを睨み据えた。「真佐吉には、もう打つ手はないということです」
 六道は、あの連中は作りモンの映像だとよ、と萠黄の代わりに大声で皆に知らしめた。
 銃撃を避けて芝の上に伏せていたむんがようやく正二十面体にたどり着いた。彼女は背負っていた炎少年を大儀そうに下ろすと、
「この子はホンマに無茶ばっかりして!」
と萠黄を叱りつけ、息が詰まるほどハグした。
 あれほどいた黒づくめの集団が、煙のように跡形もなく消え失せた。場内を七色に彩った光の洪水も、元の平凡な照明に戻った。
 真佐吉も声をひそめている。それだけに不気味だ。
「──?」
 萠黄は、視野の中に動くものを認めた。数本のロープが天井にある滝の流出口から垂れ下がっており、迷彩服たちが下降しつつある。ひとりはシュウだ。おそらく真佐吉も気づいているだろう。何も言わないのは、歯牙にもかけていないからか。
「……兄さん」
 伊里江が呼びかけた。彼の身体は真佐吉の目につくよう、皆の協力で正二十面体の上に担ぎ上げられていた。ひとりで昇ることは体力的に無理だったのだ。
「……聞こえますか、兄さん。私です」
 すると、真佐吉が平常の声色で応じた。
〈真佐夫か。なんだそのだらしのない格好は。だから早く元の世界に戻れと忠告してやったのに〉
「……私は兄さんといっしょでなければ、帰らないつもりです」
〈もしくは、私を殺して、か? 小さな頃から正義漢のお前らしい一途さだな〉
「……兄さん、もう終わりにしましょう。ここには兄さんの味方はひとりもいません」
 沈黙。
「……あなたひとりではもう何もできませんよ」
 また沈黙。
「……せめて姿を見せてくれませんか?」
 しばしの間があって、
〈真佐夫よ。私が常に命を狙われていることは知っているだろう? 姿を現すことは、死の危険に──〉
「無理ですよね」
 兄弟の会話に萠黄の声が割って入った。
「……え?」
「伊里江さん──あなたとしゃべってるのは、本当にお兄さんですか?」
「………」伊里江は戸惑いの表情を浮かべた。「……そうではないと言うんですか?」
「ええ」頷く萠黄。
「……何を根拠にそんなこと──」
「伊里江さん。あなたの耳も身体も、今は普通やない。気づかへんでもしょうがないと思う」
「お兄さんやなかったら、誰やていうの?」
 むんが眉を寄せて訊ねる。
「誰でもない──」
「誰でも……」
 そのセリフは、これまでのどの言葉よりも、まわりにいた者をひどく驚かせた。
「六道さん、萩矢さん」萠黄は問いかけた。「あなたがたは、じかに真佐吉さんに会ったことがありますか?」
 ふたりとも首を横に振った。
 真佐吉の姿を見たものはいないのだ。
「萠黄」むんが萠黄の顔を覗き込んだ。「それだけやないんでしょ?」
 むんの期待のまなざしに、萠黄は笑みで返し、周囲の人々にも聞こえる声で話し始めた。
「さっき、雛田さんは真佐吉さんを怒らせてしまいました」
 雛田の肩がビクッと震えた。
「真佐吉さんの性格は、皆さんも身にしみてご存知でしょう。常に人を人とも思わぬ尊大な態度で、自分を高みに起き、動揺などとは無縁でした。それじゃ、どうして雛田さんに対してあれほどの剣幕で怒りを示したのでしょう?」
「──僕が言い過ぎたから」雛田が抑えた声で答える。
「そうかも知れません。でもわたしは、真佐吉さんがキレる直前の雛田さんの言った言葉を思い出しました」
「僕が言った言葉?」
「はい。雛田さんはこう言いました。──伊里江真佐吉博士ともあろう御人が、実は盗聴マニアで、盗聴ネタを元に人を強請る、世にもチンケな男だったとはな、と」
 雛田は口はぽかんと開いて、目をパチパチとまたたかせた。むんは誇らしげに自分の頭を指さすと、
「萠黄のココは、普通の人とはちょっと、デキが違うねん。記憶力では誰にも負けへん」
 萠黄は恥ずかしげに照れたが、すぐに気を引き締めると、
「つまり雛田さんは、『お前は』ではなく『真佐吉は』という言い方をしたんです」
「同じことじゃないか」六道が口を尖らせて言う。
「内容としては同じです。でも直後に真佐吉がキレたことを考えると、ここに秘密があると見るべきでしょう。二人称で呼びかけても平気なのに、固有名詞では許せない。それは要するに、声の主は真佐吉ではないということではありませんか?」
「………」
「さらに考えを推し進めると──悪口を言われて逆上するほどに、真佐吉さんを心酔している人間がこの世にいるのでしょうか? わたしは伊里江さん──弟の真佐夫さんから、兄弟の逃亡時代にも、庇護してくれる人はいなかったと聞いています。だいいち真佐吉さんはこの世界をすべて破壊しようと企んでいる極悪人。そんなマッドサイエンティストに協力する人間がいるでしょうか」
「………」
「それと、雛田さんの携帯」
「僕の携帯?」
「はい。さっき、PAIがフリーズしてるようなこと、おっしゃってませんでしたっけ?」
「言った、言った」雛田はブンブンと首を振る。
「あれは、PAIのメモリに強引にアクセスしたために起きた現象でしょう。真佐吉さんは、あの時、PAIから雛田さんの個人情報を盗み出したんです」
「そんな……チックショー、やっぱり盗聴マニアじゃないか!」
「しかし」六道が鋭い目を向けた。「他人のPAIの記憶を覗き込むなんて、技術的に難しいんだろ? それに、得た知識をリアルタイムに使って、雛田さんと会話するなんて、人間業じゃないぞ」
「その通りです。だからわたしは『誰でもない』と表現したんです」
「誰……でも……ない……」
「二〇一四年のこの現代において、人がもっとも信頼している存在、信頼を共有し合っている存在、それは何だと思います?」
 ガクンと大きな音がした。全員が振り向いた先に、カプセルの縁に肘をついた清香がいた。まだ麻酔のせいで思うように動けないのだ。
「萠黄さん……それって、もしかして……PAI?」


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