Jamais Vu
-308-

第22章
魔王の宴
(10)

(真佐吉さんは……)
 萠黄が心臓が高鳴るのを覚えた。もしも、彼女の考えが正しければ──。
 男たちが一斉に動きを止めた。耳の中に収めた通信機に聞き入っている。しかし、ひとりが通信機を抜き取って床に叩き付けると、他の男たちもそれを真似始めた。中には、他人の耳に飛びつき、捨てろ、いや待ってくれと押し問答している者もいるが、ほとんどの男は真佐吉に反旗を翻すことを決断したようだ。
「みんなで捨てれば怖くない、か」
 六道はつぶやき、骨組みに指を掛けて身軽によじ登った。そして、ぶら下がった空のカプセルのひとつに腰かけると、両手でメガホンを作って雷のような声を発した。
「お前ら、静かにしろぃ!」
 さすがは刑事。恫喝が堂に入っている。
 辺りが水を打ったように静まり返ると、六道は萠黄を促した。
「そ、それじゃあ、手短にお話しします」
 萠黄は早口で語った。いつ、真佐吉が次のアクションを起こすか判らないからだ。
 男たちが拉致されたのはヴァーチャル世界誕生の直後だったので、真佐吉に関する知識は少なかった。萠黄は、北海道消失事件の犯人は真佐吉であることを教え、そこに至る経緯から話し始めた。
 彼は科学者として多大な成果を収めたが、逆にそれが命を狙われる原因となり、失踪。そして自分を取り囲む状況に絶望し、怒りの矛先が政府に向かった。身の安全と行動の自由を保障するよう要求したが、政府はこれを一蹴。真佐吉は自らの力を誇示するため、北海道を小型ブラックホールによって消してみせた。真佐吉は重ねて要求を突きつけたが、政府、というより「テロに屈しない」山寺総理は耳を貸さなかった。
 そして、このヴァーチャル世界が生まれてしまった。リアル世界を破壊するために。
「……信じられん」
 六道たちは予想どおりの反応を示した。萠黄は訊ねた。
「砂状化──ここにいるかたがたで、怪我で身体が砂になった人はいませんでしたか?」
「いや、特には──」
 萠黄は片手を差し出した。手の平をゆっくり持ち上げると、六道の身体がふわりと浮いた。男たちがワッと叫んで散る。
「これがリアルパワーです。わたしはこの世界の人間ではありません」
 雛田が骨組みの上から萠黄を呼んだ。
「清香を出してやりたいんだが、カプセルの開け方が判らない」
 萠黄は浮いたままの六道を操って、正二十面体の真上に移動させると、雛田の脇に軟着陸させた。
「お願い。カプセルを開けてあげて」
 萠黄の願いに、六道は驚きが治まらないまま、了解したと、手を挙げて応じた。
 男たちもひとりまたひとりと、清香の下に押し寄せる。
 ある老人が雛田の名を呼んだ。顔を上げると、
「私はテレビを観ない人間だ。だから雛田さんのことはよく知らないんだが、さっきのお話はすこぶる面白かった。十年ぶりに笑わせてもらった。ははは」
 若者がその老人の背中を叩いた。
「ダメだなぁ、ジイさん。この人は伝説的な存在だぜ。おいらなんか、もう涙モノだよ。──で、ジイさんの弱みは何だったんだい?」
「なあに、ちょいと昔、三億円をかっぱらっただけさ」
 いつしか雛田コールが湧き上がっていた。雛田は清香のカプセルから顔を上げると、信じられないという顔で男たちを眺めた。数百人全員が彼の名を連呼している。
《ウヒョーっ、一躍人気者じゃないか、雛田サンよ》
「ああ……」
 カバ松のひやかしも雛田の耳に届いていない。
《亡き相棒の言葉を思い出さないか?》
「え──?」
《『まったくお前の話芸だけは予測不能だよ。いつかその笑いが世界を救ったりするんじゃないのか?』》カバ松は、影松の声を再生した。《彼の言ったとおりになったじゃないか》
「やめろよ、僕はそんな柄じゃない」
 ガクンとカプセルの蓋が揺れた。雛田はすかさず蓋の隙間に両手を入れ、気合い一発、重たい蓋をひっくり返した。
「──おじさま」
「清香……」
 男たちは、待ちに待った感動の対面シーンだぞとばかり、歓声とともに拍手の嵐を捧げた。
 ひとり、萠黄は冷静だった。
「六道さん、あっちの齋藤さんもよろしく!」
「よしきた」
 刑事は敏捷に動いた。
 しかし、萠黄が骨組みの上で立ち上がった時だった。
「萠黄ぃぃぃーーーっ!」
 それは、数日ぶりに聞く友の声。萠黄はハッと顔を上げ、目で相手を確認する前に、空中高く飛び出した。
 アリーナの隅の壁には、いつできたのか、四角い穴がぽっかりと空いていた。暗がりを背負ってそこに現れたのは、紛れもない、むん、その人だった。
「むぅぅぅぅぅぅーーーっ」
 十メートルの距離を滑空した萠黄は、勢い余ってむんの胸元に飛び込み、ふたりはごろごろと転がって、後ろの壁に突き当たり、ようやく止まった。
 言葉はいらなかった。互いに流す涙が相手のTシャツを濡らした。
「むん、聞いて聞いて。わたしね、何度もむんの声を聞いたんやで」
「えっ、ホンマに?」
「そう、テレパシーみたいに。わたしも返事したけど、聞こえへんかった?」
「うーん、ごめん」
 萠黄はがっかりはしなかった。何といっても、むんはヴァーチャルなのだ。
「──萠黄、これ」
 むんが差し出したのは、萠黄のリュックだった。
「持っててくれたんやね」
「この子に比べたら軽かったしね」
 むんの後ろには、炎少年が大の字になって寝そべっていた。少年の頭に取り付けた携帯がしゃべり出す。
『あんまり同じ格好で放っておくなよ。床ずれしちまうじゃないか』
「もうちょっとマシな冗談を言いなさい。坊や」
 むんは相手にしない。
 と、その時、うわあーっという悲鳴が、穴の奥、斜め上方から落ちてきた。
「わたしらが落ちてきた通路や。萠黄、危ない!」
 ドンとむんに胸を突かれ、ひっくり返った萠黄と入れ違いに、悲鳴の主が転がり落ちてきた。
「伊里江さんやない!」
 かろうじてエアクッションで身を守ったのか、怪我はしていないようだ。彼は荒い息の下、すぐに目を開けると、
「……ここは……ここは、どこですか?」
「一番底にある競技場──どうやってここに来たん?」
「……むんさんが落ちるのを見て、すかさず私も飛び込んだのです……ところで、兄には……逢いましたか?」
 萠黄はすぐに伊里江を起こし、自分の肩に背負った。
「自分の目で確かめなさい」
 そう言って、伊里江の長い足を引きずりながら、アリーナへと出た。振り向くと、むんも炎少年を背負って立ち上がろうとしていた。
「わたしは大丈夫」むんが微笑んだ。「先に行って」
 萠黄は頷くと前を向き、雛田たちのところへと歩き出した。
「体調はどうなん?」
 萠黄が見た伊里江の横顔は、血の気が全くなかった。伊里江の噴き出す汗が、萠黄のシャツにも染みてくる。
「……劣悪です。歩くのもままならなくて……迷惑をおかけします」
「それはかまへんけど」
「……こうなることは、初めから判っていました」
「?」
 萠黄の足が止まった。
「……私がこの世界に来るのに使った転送装置は……完全じゃなかったのです」
「!」
「……この世界に来たリアルは、転送の際、身体の細胞の一個一個に微細なブラックホールを内包することになります。……それがリアルパワーの源になるのですが、同時に身体には非常に大きな負担ともなります。完成版の転送装置には、おそらく解決プログラムが導入されていたはずです。ですが、あの無人島にあったのは──」
「知ってて使ったん!?」
 萠黄の詰問に、伊里江は苦しげな笑みを返した。
「……こんなにぎりぎりの日数になるとは思ってもいなかったので」
「どアホッ!」
 人垣を掻き分け、ふたりが正二十面体に到着すると、開いたカプセルの中で、齋藤が伸びをしていた。
「萠黄はん。お久しぶりぃ」
 こんな時にものんきなジジイである。いや、現状を知らないのだ。
 その時だった。場内の照明が一瞬消えた。とすぐにまた灯った。灯った明かりには色が付いていた。
「なんだァ」
 虹色に彩られた光だった。光は天空から降り注ぎ、やがて巨大な歯車が回転するように回り始めた。
〈ハッハッハ、我が弟も含め、いよいよオールスターの集合か。この時を待っていたよ〉
 アリーナや正二十面体が、人々の顔までもが七色に移り変わる。まともに見ていては酔ってしまいそうだ。
「あ、あそこ!」
 起き上がった萩矢が驚愕の目で何かを指さした。
 観客席の通路口から武装した一団が現れたのだ。どれも同じ黒いヘルメット、黒い服装、そして黒いマシンガンを抱えている。彼らはみるみる数を増やすと、アリーナを取り巻くように並び、萠黄たちに対して銃口を向けたではないか。
「あんな連中がまだ隠れてたなんて」
 萠黄が吐き捨てるように言うと、
「俺だって見たことがない」
と六道が言った。
〈これが本当に最後の指令だ。親愛なる男たちよ。リアルたちをカプセルに戻せ〉
 タタタッとマシンガンのひとつが火を噴いた。
「ひいっ!」
 アリーナの上を、掃射の線が走った。男たちは頭を抱えて逃げ惑う。狙う側は客席を完全に制圧していた。隠れるところはどこにもない。
 誰もがおびえて正二十面体に身体を寄せた。
 しかし、萠黄だけは違った。彼女は妙に気の抜けたような声を張り上げると、真佐吉をなじる言葉を並べ出したではないか。
「真佐吉のボケーっ、カスーっ、変態ぃーっ!」


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