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雛田の話し振りはますます熱を帯びていく。上着を脱ぎ去り、ワイシャツの袖のボタンを外してたくし上げ、ネクタイを乱暴にゆるめながら、尽きることなく話し続けている。 その内容は、自らの半生を振り返って思い出される「恥ずかしい話」「失敗談」「ここだけの話」といったものばかりだった。その半数は、持って行きようによっては雛田を強請ることができそうな、キワドいネタばかりだった。 萠黄は雛田の正気を疑った。 真佐吉があげつらう前に、すべての弱みをさらけ出してしまおうとでもいうのか? 傍らで、嫌でも彼の話を聞かされる清香のことが気がかりだった。動けない上に、耳を塞ぐこともできない彼女にとって、今の状況は、まさに針のむしろではないか。 (やめたげてほしいけど……) 萠黄は骨組みにぶらさがったままの自分の身体を上へと、雛田の近くへと押し上げた。 また、どっと爆笑が起きた。萠黄は高みから男たちの様子を眺めた。 先ほどまでアリーナに沈殿していた重たい空気は、すでにどこかに消え失せていた。男たちは正二十面体を中心に距離を詰め、半数近くが人工芝に腰を落としている。 雛田のしゃべりが彼らの心を溶かしたのだ。 緊張を和らげた男たちに対して、雛田は狭い骨組みの上を、右へ行き左へ行きと身体を移動させ、取り囲む男たちに等分に語りかけている。汗みずくの顔はにこりともしない。萠黄はカゲヒナタの漫才を思い出さずにはいられなかった。 『笑うのはお客さんの役目。我々が笑ったら、それを奪うことになっちゃうでしょ?』 影松豊の名言である。バスター・キートンを敬愛する彼らならでは、といったところだ。萠黄が惹かれたのも、彼らがお笑いに対して、常に一途で真摯なところだった。 それはともかく。 雛田のテンポが少しずつ落ちてきた。ピンで切れ目なくしゃべり続けているのだ。疲れて当然だろう。 チャンスと見て、萠黄は雛田の傍らにすり寄った。 「もう十分ですよ。そのくらいにしておかないと、喉を痛めて、砂状化を起こすかも」 萠黄が言うと、雛田はハッとして言葉を切り、湯気のたつ頭を何度も頷かせた。 骨組みの上からは、アリーナがよく見える。男たちは、次に雛田がどんな話をしてくれるのかと、目を輝かせている。 「あー、ゲホゲホ、以上で私の話を終わりにしたいと思います。ご清聴、どうもありがとうございました」 雛田が締めの挨拶をした。たちどころに、えーっという非難の声と拍手が巻き起こった。 雛田にとっては意外な反応だったらしい。のけぞりながら三百六十度をぐるっと見渡している。 さらに大きな拍手が頭上で鳴った。真佐吉である。 〈ブラボー、素晴らしい! どれもこれもバカバカしい話なのに、つい聞き入ってしまったよ。いやはや、話芸というのも侮れないものだな〉 真佐吉はそう言って、ひとしきり笑うと、六道の名を呼び、命令した。 〈お楽しみはここまでだ。光嶋萠黄をカプセルに放り込め〉 男たちから笑みが消えた。再び真佐吉の恐怖政治が復活しようとしている。 〈光嶋萠黄よ、悪あがきはするな。今度こそ君の友人が死ぬことになるぞ〉 最後通牒が突きつけられた。 雛田が「待ってくれ!」と怒鳴るが、すでにマイクは切られていた。 萠黄はひとまずエアクッションで自分と雛田を包み込んだ。悪あがきではあるが、時間を稼ぐしかない。 〈六道、さあ、目にもの見せてやりたまえ〉 命じられた六道は一歩前に出ると、銃を持つ腕を高々と上げた。 萠黄は固唾を飲んで、彼の挙手を注視した。 しかし、六道はそのままの姿勢で手の平を開いた。銃は六道の手を離れ、足許へと落下した。 (──!) 時間が止まったように感じられた一瞬だった。六道はわずかに歪めた唇を開くと、はっきりとこう言った。 「雛田さん。聞いてくれ……俺はアンタとは比べ物にならない、最低の男だ。なぜなら──俺は人を刺しちまったんだからな」 六道はフーッと息を吐くと、どっこらせと芝の上に座り込んだ。 「──アンタ、何者だ?」 雛田はおそるおそる訊ねた。 「俺かい? ただのしがない刑事だ」 萠黄は納得した。 (そうか。あの迫力はただ者やないと思た) 「しかし、刑事が、なぜ……」 「へへっ」六道は短い頭髪をガリガリと掻くと、「ヤクがらみでね──俺は麻薬取引の潜入捜査をしてたんだ。その過程でつい手を出してしまい、やめられなくなっちまった。あげくが、落ちるところまで落ちてしまってさ。入手を焦った俺は、我を忘れて売人を刺しちまったってわけだよ」 「そ、それがもしかして」相手が刑事と知って、雛田の言葉は自然と丁寧になった。「真佐吉に握られた弱みですか?」 「そういうこった。──バレると、妻や三人の娘は一生、陽の当たらない生活を送らなきゃならないぞって脅されてね」 「俺は!」唐突に六道の後ろで手が挙がった。大学生くらいの若者だ。「俺は──高校の時からの万引き常習犯なんです。……ずっと見つからずにいたのに、ある日、電話がかかってきて、琵琶湖に来い。来ないとすべてを親と学校に教えるぞって……」 「わ、私の話を聞いてもらいたい!」 「お、お、俺も!」 手に手を挙げる男たち。彼らは口々に自分の弱みを話し始める。 場内はさながら暴露大会と化した。男たちは我先にと雛田のもとに押し寄せ、勝手に自分の弱みを告白し出した。 「待て待て、僕は牧師じゃない! 告解なら教会に行ってくれ、教会にぃ!」 雛田は叫ぶが、聞く耳を持つ者など誰もいない。六道は笑いながら、 「今さら逃げられんよ。火をつけたのは雛田さんだ。俺だって、アンタのバカ話を聞いているうちに、なんだかどうでもよくなっちまったんだからな」 「それでいいんですか?」萠黄は訊ねずにはいられない。 「ん?」 「真佐吉さんは秘密を──」 「娘さん──萠黄さんだったか。俺もそれほどバカじゃない。アンタらの会話に出てくる話を総合すると、どうも穏やかならぬ情勢が読み取れた。世界が消えて亡くなるとか、爆発するとか。どうやら世迷い言ではなさそうだ。とすれば、俺のネタなんてちっぽけなモンだろう。そうじゃないか? ぜひとも真相を教えてもらいたいね。俺たちは真佐吉に操られて、一体何をしようとしていたんだ?」 騒然とするアリーナの空気に飲まれて、半ば呆然としている萠黄の目に、雛田がまさぐっていたポケットから携帯を出すのが見えた。 「オイ、カバ松、いるか?」 《いるぞ。ずいぶんとにぎやかだな》 雛田はPAIと会話している。 「さっきは呼んだのに返事しなかったな。何かあったのか?」 《俺にも判らない。突然、メモリが満杯になって、身動きがとれなくなったんだ。ウイルスメールでも受け取ったかな》 「そんなはずあるかよ。だって、アンテナ状況はずっと圏外のままだぞ」 その時、萠黄の脳の奥深いところで、小さな火花がはじけた。バラバラだったパズルのピースが合体し、おぼろげながら一枚の絵が浮かんできたのだ。 |
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