Jamais Vu
-307-

第22章
魔王の宴
(9)

 雛田の話し振りはますます熱を帯びていく。上着を脱ぎ去り、ワイシャツの袖のボタンを外してたくし上げ、ネクタイを乱暴にゆるめながら、尽きることなく話し続けている。
 その内容は、自らの半生を振り返って思い出される「恥ずかしい話」「失敗談」「ここだけの話」といったものばかりだった。その半数は、持って行きようによっては雛田を強請ることができそうな、キワドいネタばかりだった。
 萠黄は雛田の正気を疑った。
 真佐吉があげつらう前に、すべての弱みをさらけ出してしまおうとでもいうのか?
 傍らで、嫌でも彼の話を聞かされる清香のことが気がかりだった。動けない上に、耳を塞ぐこともできない彼女にとって、今の状況は、まさに針のむしろではないか。
(やめたげてほしいけど……)
 萠黄は骨組みにぶらさがったままの自分の身体を上へと、雛田の近くへと押し上げた。
 また、どっと爆笑が起きた。萠黄は高みから男たちの様子を眺めた。
 先ほどまでアリーナに沈殿していた重たい空気は、すでにどこかに消え失せていた。男たちは正二十面体を中心に距離を詰め、半数近くが人工芝に腰を落としている。
 雛田のしゃべりが彼らの心を溶かしたのだ。
 緊張を和らげた男たちに対して、雛田は狭い骨組みの上を、右へ行き左へ行きと身体を移動させ、取り囲む男たちに等分に語りかけている。汗みずくの顔はにこりともしない。萠黄はカゲヒナタの漫才を思い出さずにはいられなかった。
『笑うのはお客さんの役目。我々が笑ったら、それを奪うことになっちゃうでしょ?』
 影松豊の名言である。バスター・キートンを敬愛する彼らならでは、といったところだ。萠黄が惹かれたのも、彼らがお笑いに対して、常に一途で真摯なところだった。
 それはともかく。
 雛田のテンポが少しずつ落ちてきた。ピンで切れ目なくしゃべり続けているのだ。疲れて当然だろう。
 チャンスと見て、萠黄は雛田の傍らにすり寄った。
「もう十分ですよ。そのくらいにしておかないと、喉を痛めて、砂状化を起こすかも」
 萠黄が言うと、雛田はハッとして言葉を切り、湯気のたつ頭を何度も頷かせた。
 骨組みの上からは、アリーナがよく見える。男たちは、次に雛田がどんな話をしてくれるのかと、目を輝かせている。
「あー、ゲホゲホ、以上で私の話を終わりにしたいと思います。ご清聴、どうもありがとうございました」
 雛田が締めの挨拶をした。たちどころに、えーっという非難の声と拍手が巻き起こった。
 雛田にとっては意外な反応だったらしい。のけぞりながら三百六十度をぐるっと見渡している。
 さらに大きな拍手が頭上で鳴った。真佐吉である。
〈ブラボー、素晴らしい! どれもこれもバカバカしい話なのに、つい聞き入ってしまったよ。いやはや、話芸というのも侮れないものだな〉
 真佐吉はそう言って、ひとしきり笑うと、六道の名を呼び、命令した。
〈お楽しみはここまでだ。光嶋萠黄をカプセルに放り込め〉
 男たちから笑みが消えた。再び真佐吉の恐怖政治が復活しようとしている。
〈光嶋萠黄よ、悪あがきはするな。今度こそ君の友人が死ぬことになるぞ〉
 最後通牒が突きつけられた。
 雛田が「待ってくれ!」と怒鳴るが、すでにマイクは切られていた。
 萠黄はひとまずエアクッションで自分と雛田を包み込んだ。悪あがきではあるが、時間を稼ぐしかない。
〈六道、さあ、目にもの見せてやりたまえ〉
 命じられた六道は一歩前に出ると、銃を持つ腕を高々と上げた。
 萠黄は固唾を飲んで、彼の挙手を注視した。
 しかし、六道はそのままの姿勢で手の平を開いた。銃は六道の手を離れ、足許へと落下した。
(──!)
 時間が止まったように感じられた一瞬だった。六道はわずかに歪めた唇を開くと、はっきりとこう言った。
「雛田さん。聞いてくれ……俺はアンタとは比べ物にならない、最低の男だ。なぜなら──俺は人を刺しちまったんだからな」
 六道はフーッと息を吐くと、どっこらせと芝の上に座り込んだ。
「──アンタ、何者だ?」
 雛田はおそるおそる訊ねた。
「俺かい? ただのしがない刑事だ」
 萠黄は納得した。
(そうか。あの迫力はただ者やないと思た)
「しかし、刑事が、なぜ……」
「へへっ」六道は短い頭髪をガリガリと掻くと、「ヤクがらみでね──俺は麻薬取引の潜入捜査をしてたんだ。その過程でつい手を出してしまい、やめられなくなっちまった。あげくが、落ちるところまで落ちてしまってさ。入手を焦った俺は、我を忘れて売人を刺しちまったってわけだよ」
「そ、それがもしかして」相手が刑事と知って、雛田の言葉は自然と丁寧になった。「真佐吉に握られた弱みですか?」
「そういうこった。──バレると、妻や三人の娘は一生、陽の当たらない生活を送らなきゃならないぞって脅されてね」
「俺は!」唐突に六道の後ろで手が挙がった。大学生くらいの若者だ。「俺は──高校の時からの万引き常習犯なんです。……ずっと見つからずにいたのに、ある日、電話がかかってきて、琵琶湖に来い。来ないとすべてを親と学校に教えるぞって……」
「わ、私の話を聞いてもらいたい!」
「お、お、俺も!」
 手に手を挙げる男たち。彼らは口々に自分の弱みを話し始める。
 場内はさながら暴露大会と化した。男たちは我先にと雛田のもとに押し寄せ、勝手に自分の弱みを告白し出した。
「待て待て、僕は牧師じゃない! 告解なら教会に行ってくれ、教会にぃ!」
 雛田は叫ぶが、聞く耳を持つ者など誰もいない。六道は笑いながら、
「今さら逃げられんよ。火をつけたのは雛田さんだ。俺だって、アンタのバカ話を聞いているうちに、なんだかどうでもよくなっちまったんだからな」
「それでいいんですか?」萠黄は訊ねずにはいられない。
「ん?」
「真佐吉さんは秘密を──」
「娘さん──萠黄さんだったか。俺もそれほどバカじゃない。アンタらの会話に出てくる話を総合すると、どうも穏やかならぬ情勢が読み取れた。世界が消えて亡くなるとか、爆発するとか。どうやら世迷い言ではなさそうだ。とすれば、俺のネタなんてちっぽけなモンだろう。そうじゃないか? ぜひとも真相を教えてもらいたいね。俺たちは真佐吉に操られて、一体何をしようとしていたんだ?」
 騒然とするアリーナの空気に飲まれて、半ば呆然としている萠黄の目に、雛田がまさぐっていたポケットから携帯を出すのが見えた。
「オイ、カバ松、いるか?」
《いるぞ。ずいぶんとにぎやかだな》
 雛田はPAIと会話している。
「さっきは呼んだのに返事しなかったな。何かあったのか?」
《俺にも判らない。突然、メモリが満杯になって、身動きがとれなくなったんだ。ウイルスメールでも受け取ったかな》
「そんなはずあるかよ。だって、アンテナ状況はずっと圏外のままだぞ」
 その時、萠黄の脳の奥深いところで、小さな火花がはじけた。バラバラだったパズルのピースが合体し、おぼろげながら一枚の絵が浮かんできたのだ。


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