Jamais Vu
-304-

第22章
魔王の宴
(6)

 六道と呼ばれた男は、迷いもなく手にしていた銃を萩矢に向けた。
「萩矢さん、アンタには恨みなんかあらへんけど、しゃあないねん。判るやろ」
 そして躊躇なく引き金を引いた。
 ──やめてっ。
 六道の手から銃が跳ね飛んだ。おおっとどよめきの声があがった。
 手首を押さえながら六道は周囲を見回した。「誰や、邪魔すんのは!」
 その視線が萠黄のそれと交錯した。萠黄の手がいかにも手刀を斬った形で伸びていたからだ。
 六道は唇を歪めて笑うと、銃を拾い上げることもせず、骨組みに手を伸ばし、構造物を昇り始めた。そして、射すくめられたように動けない萠黄のすぐ足許に迫ると、
「お嬢ちゃんは、リアルなんやてねえ」
 言うが早いか、萠黄の足首をつかんで、そのままぐいと下方に引っ張った。萠黄は数メートル下の人工芝に背中から落下した。反射的にエアクッションを敷いて受け身をとったものの、虚をつかれたため、出来は不完全だった。
「うぐっ」
 床の上で身を仰け反らせてうめく萠黄に、六道は手を伸ばして彼女の顎をつかんだ。
「ひどいことするなぁ。見てみぃ」六道は左手首を萠黄の目の前にかざした。「こんなに赤ぉなってもた。内出血しとる。身体の中で砂状化とかいうのが起きとんのや。お嬢ちゃんのせいやで」
「やめろ」雛田があわてて骨組みを降りようとした。「アンタが銃なんか振り回すから──」
「ヴァーチャルは引っ込んどれ!!」
 六道はドスの利いた声で雛田を制止すると、萠黄の顎にかけた指にさらに力を込めた。萠黄はされるがままだ。
「なあ、お嬢ちゃん。アンタみたいなリアルが、俺らヴァーチャル相手にパワー使たりしたらあかんわ。ええか? アンタは超人なんやで。アンタは叩いたくらいのつもりでも、こっちにしたら生死に関わる問題になりかねん。そやから──」六道はさらに顔を寄せた。「判るな? 俺らはひ弱なアリやねん。そやさかい、リアルパワーっちゅうのは封印してくれ、ええな?」
 六道の指が離れると、萠黄は膝からストンと人工芝の上に落ちた。
 六道は銃を拾いながら、手を耳にあてて、何ごとかを聞くそぶりをした。萠黄がわずかに顔を傾けると、彼の耳の中の通信機から漏れる声が聞こえた。
〈そのへんでいい。早く彼女をカプセルに入れてくれたまえ〉
 リアル耳がキャッチした真佐吉の声だ。
 六道は小さく頷いた。その冷徹な横顔に、萠黄は背中を冷たい汗が伝うのを感じた。
 銃の扱いに手慣れたところを見せた六道。ここに来る前は、体育教師などではなく、もっと血なまぐさい職業に身を置いていたのではないか?
 六道は無駄のない動きで萠黄の肘をつかみ上げると、構造物に向けて顎をしゃくった。
「カプセルの中に入れ」
「で、でも、むんが……」
 六道はまた通信機に耳を傾けると、
「再会はカプセル越しにしたらええやないか」
 そう言って無理矢理萠黄を立ち上がらせた。まるで犯人を連行するような空気をこの男は身にまとっている。
 釘を刺された手前、萠黄はパワーを使って抵抗することもためらわれ、言われるままに構造物の周囲を巡って、空のカプセルの前まで連れて行かれた。
 六道の指が骨組みの陰にあった操作盤に触れると、カプセルが滑るようにせり出してきた。さらに床にするすると降りてくると、透明な上半分があたかもペンケースのように片側に開いた。
 いつの間にか、萠黄はカプセルケースの縁にまで押しやられていた。ケースに取り付けられた黒い管が見える。催眠ガスのホースだ。蓋が閉じたが最後、たちまちガスが噴出し、齋藤や清香のように外からいくら呼びかけても目覚めなくなるのだ。
(あかん、アカンやんか!)
 萠黄は夢から醒めたように振り返った。すると、六道の握った銃が、骨組みの上にいる雛田にピタリと据えられていた。
「ぐずぐずしてると、俺の人差し指が勝手に動いてしまいよるで」
 六道は笑ってはいない。ひたすら義務を遂行するだけという表情。それは、彼の後ろに居並ぶ男たちにしても同様だった。
 萠黄はいよいよ進退に窮した。
 この期に及んで、萠黄はようやく男たちがアリーナに現れた意味を理解した。真佐吉にとって彼らは盾≠ネのだ。リアルの相手としてヴァーチャルをぶつけ、心理的にパワーの使用を封じ込めようという。もっとも同じリアルでも、柊などには通用しないだろうが。
(つまり、わたしの性格を読まれてるってことか──)
 ひとりなら逃げる手もある。しかし、雛田を人質にとられていては……。
「あぁ、忘れとった」
 ふいに六道は軽い調子でつぶやくと、銃口を雛田から萩矢に向け直した。
 パンッ。
「ぐあっ」
 撃たれた萩矢が、身体をくの字に折り曲げて倒れた。六道が『忘れていた』のは、萩矢の処刑だったのだ。命令を遂行することに、六道は一切の疑念を抱いていない。
 萠黄は萩矢のそばに駆け寄った。背広を急いで脱がせると、ワイシャツに赤いシミが広がっている。
「おいコラ、戻ってこんか」
 六道の言葉に耳を貸さず、萠黄はワイシャツを切り裂いた。たちまち真っ赤な砂が噴き上がる。萠黄は構わず両手で傷口を押さえた。
 手の平が瞬間的に熱くなった。これまでの経験で、リアルパワー放出のコツは十分つかんでいる。萠黄は全神経を集中して、傷の癒えるイメージを頭に思い描いた。
「よけいなことするな!」
 熱のせいか、六道の声が奇妙に歪んで聞こえる。続いてパンッという発砲音。撃たれた銃弾は、萠黄の後頭部に小石が当たった程度の衝撃しか与えなかった。
 やがて、熱は徐々に下がっていった。手をどけてみると、傷口はすっかりふさがっていた。萩矢の呼吸も安定している。もう大丈夫だろうと、萠黄は腰を上げ、ようやく六道に一瞥をくれた。
「もうええでしょ? 命令どおり撃ったんやから」
「やかましい! 今度は確実に額を──」
「ええかげんにして!」
 萠黄の叫びがパワーとなって彼女の身体から発現し、周囲を取り囲む音たちに熱風となって襲いかかった。アチチッという悲鳴とともに、前のほうにいた男たちがあわてて避難しようとする。
 六道も手を顔の前にかざしながら、舌打ちした。
「くそっ、こんな化け物のせいで、おれの家族が……」
 その独り言を聞き、萠黄はハッとなった。
「家族? ……人質に取られてるんですか?」
「………」
 六道はしまったという表情をしたが、それを隠すようにドスンと床に胡座をかいた。彼が思わず口走ったことで、男たちが何らかの形で脅迫され、強制労働させられていることは確実となった。
「なんてこった……」
 構造物の上から首を伸ばしていた雛田にも聞こえたらしい。雛田は少しの間、骨組みに額を押しつけると、すぐに上げ、 
「おーい、真佐吉ぃぃぃーーーっ!」
と意を決した表情で怒鳴った。
〈大きな声を出さなくとも聞こえる。そのリアルボールには感度のいいマイクが備え付けてあるのでな〉
 真佐吉の声は低い。まだ怒りは解けていないようだ。
〈何か言いたいことでもあるのか?〉
 雛田は正二十面体の面のひとつに、両足を揃えて正座した。
「僕が悪かった。このとおりだ。許してくれ」
 一語一語噛みしめるような声が、空中に吸い込まれていく。
〈今さら、命乞いか?〉
「そうだ。口が悪いのは芸人のサガなんだ。アンタにも事情があるだろうに、一方的に非難したのは言い過ぎだったと反省している。それに僕の発言が誰かを傷つける引き金なんかになっては、たまったもんじゃないんだ。どうか彼らを許してやってくれ。このとおり」
 雛田は頭を骨組みにこすりつけながら、一気に謝罪の言葉を吐き出した。
 彼も清香を人質に取られている。本当に守りたいのは、自分の“娘”なのだ。ひたすら頭を下げる雛田の姿は見るに忍びなかったが、萠黄には、真佐吉の心がわずかでも変化することを期待して、静かに成り行きをうかがうしかなかった。
 静寂が降りた。大勢の人間が集結するアリーナに、くしゃみひとつする者はいない。
 やがて真佐吉はフンと鼻を鳴らす音を場内に響かせた。そして、威厳を誇示するかのような低い声で、意外なことを言い出した。
〈その程度の謝罪で許せるほど、私は広い心の持ち主ではない。君は我が親愛なる協力者たちの面前で私を罵倒したのだ。君が本気で謝ろうというなら、いっそのこと、集まった皆さんにも、ちゃんと聞いていただこうじゃないか〉
 たちまち軽いハウリング音がして、雛田の息遣いが競技場の隅々に響き渡った。
〈さあ、言いたまえ。私はこんなに愚かな人間ですと〉


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