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スクリーンに映ったむんは、どうしたわけか、背中に炎少年をおぶっていた。そうやって長い階段を降りてきたのか、数段降りては休み、また数段進んでは少年を背負い直し、を繰り返している。自分がカメラに撮られていることには全然気づいていない。 〈舞風むんさんか……。彼女は親切な女性だな。リアルの子供をここまで連れて来ようとしてくれているのだから〉 真佐吉はまるで他人事のようにさわやかな声で言う。萠黄は反感を覚えながらも、画面から目が離せない。 むんが炎少年を連れてこようとしているのは、あくまで元の世界に送り返すためだ。真佐吉の企みを阻止するためだ。 しかし。 真佐吉の言葉がよみがえる。 ──爆破装置と転送装置は同一。 萠黄は足許の巨大な黒い構造物を指で撫でる。 それが本当なら、どうすればいいのか? (むんが来てくれたら、いい考えが浮かぶ。そんな気がする) だが問題はこの男たちだ。彼らは真佐吉の命じるままに動く。現に今も互いに会話を交わすこともなく、耳にはめられた通信機に手を当てて、命令を聞き漏らすまいと神経を集中している。 彼らがむんから炎少年を引き剥がすのは容易だろう。その上、むんがまた人質に取られたりしたら……。 〈よし、今だ〉 真佐吉が合図する声を出した。何が今? 萠黄の心に不安がよぎった時だった。スクリーンのむんが悲鳴を上げたかと思うと、一瞬のうちに消えて見えなくなった。 「む──っ!」 萠黄は息が詰まって叫ぶこともできなかった。すると真佐吉が間髪入れずに言った。 〈安心したまえ、コースターに乗せただけだ〉 その言葉に合わせるように画面が切り替わる。むんがいた階段の踊り場を上から見た映像だ。四角く区切られた床がかなりのスピードで降下していっている。 〈WIBAの通常エリアと、この競技場は、そもそも繋がってはいない。こういう仕掛けを通らないと、来ることができないようにしてあるんだよ。だからここは地図にも載っていない。一種の隠れ家なのだ〉 真佐吉は得意げに説明した。 「フン、まるで自分の家みたいな口振りだな。ええ? 伊里江博士サンよ」 しばらくのあいだ黙っていた雛田が、ゆらりと立ち上がった。手は依然、清香のケースに置いたままだが、その声からは最前までの泡を食った調子が消えていた。 〈家だよここは〉今度は真佐吉も素直に相手した。〈この日が来るのを、この琵琶湖の水面下でずっと待っていたのだ。君のように夢をあきらめたりしないでね〉 「どこで検索したのか知らないが、僕の話はもういい」雛田は挑発に乗らない。「考えたら、お前さんの人を見下した物言いなど、我が愛すべき相方、影松豊の足許にも及ばん。なにしろ奴の辛口は名人芸の域に達していたからな。お前は検索がうまいみたいだから、我々の過去の漫才映像を探して研究してみたらどうだ?」 真佐吉は度重なる真佐吉の不遜な言動に、いい加減、頭に来たらしい。 「カゲのツッコミは、そんじょそこらの奴が真似できる代物じゃない。彼には聞く者を包み込む愛情があった。だからこそ僕はずっと彼についていったんだ。僕にツッコめるのはカゲだけだ。お前みたいな人を人とも思わない奴に上からモノを言われる筋合いはない」 〈そんな風にキレたから、業界を追放されたんじゃないのかね?〉クククという笑い声が挟まる。〈それに私は漫才をしているつもりはないのだが?〉 雛田はこれ見よがしに肩をすくめ、ため息をついてみせた。 「情けないね。今の時代、得たい知識を手に入れることは簡単になったが、生活を豊かにする知恵がなければ、こういう人間が生まれるんだな」軽く振った首をやや傾げて、「アンタ、友達も彼女もいなかったろ?」 〈必要を感じなかったのでね〉 「だろうな。それにここにいる皆さんも」ぐるりと見回す。「お前のこころざしに賛同したとか、自主的にボランティア参加したとかじゃなさそうだしな。どの顔にも、イヤイヤ手伝わされてますと書いてあるよ。少なくともお前には人を惹きつけるカリスマ性なんてのは、これっぽっちもないんだ」 〈ボケ専門の雛田君が、やけにしゃべるな。それで?〉 真佐吉は楽しそうだ。会話を楽しんでいるようにも聞こえる。それに対して、饒舌にに拍車をかける雛田のこめかみや首筋には滝のような汗が落ちていた。萠黄はハッとした。 (時間を稼いではるんやな。どこかに突破口を見出そうとして) 萠黄はそう合点し、あらためて、真佐吉の言う協力者たちを観察した。耳に同じタイプの通信機をはめていること以外に共通点はなく、服装も年齢もバラバラ。ただ、膨らんだポケットや、上着やシャツの陰からピストルらしきものが覗いているのが不気味だ。 「お前が一方的に“必要”とした皆さんを、どうやっておびき寄せた? 大学の助手たちみたいに、他人に言えない弱みをつかんで強請ったか?」雛田はしゃがんで、構造物のすぐ下にいた萩矢に声かけた。「アンタは何て言われて、ここに来たんだよ?」 萩矢は目を合わせず、「自分から進んで……」とつぶやいた。 「ウソだね。それが本当なら、裸踊りでも裸でバンジージャンプでも、何でもしてやろうじゃないか」 それを聞いて、真佐吉はハッハッハと高笑いした。 〈裸が好きなんだね〉 「いやいや」雛田は軽く手の平をひらひらさせると、「裸と言っても、僕は自分の服を脱ぐだけさ。アンタのように覗き趣味なんかないよ」 〈ん? 話が飛躍して読めないが?〉 今度は雛田が笑った。 「ごまかしちゃいけない。さっき見せてもらったハモリさんの映像だよ。他人の携帯電話に勝手に侵入した話さ。どうやったかは知らないが、アンタにとっちゃ、他人のプライベートを覗くなんて、朝飯前なんだろうな」 他人の携帯への侵入。それこそまさにギドラの十八番ではないか! 萠黄はポケットの上から携帯を押さえた。 雛田は舌鋒をゆるめない。まるでカゲが乗り移ったかのように、真佐吉に対して中傷し続ける。 「今日び、PAI相手なら、秘密であろうが何だろうが洗いざらいしゃべっちまう人間ばかりの世の中だ。アンタはここにいる連中の携帯に忍び込んでは、ひとりひとりの私生活を覗き見て、脅す材料をあれこれ物色したんだろうな。友達もいなくて暇なアンタらしい趣味だ。僕にはアンタがパソコンに齧りついて、夜な夜な他人の秘め事にうつつを抜かす様子が目に浮かぶよ。ハハハハハ、世界を騒がせた伊里江真佐吉博士ともあろう御人が、実は盗聴マニアで、盗聴ネタを元に人を強請る、世にもチンケな男だったとはな。大笑いだぜ。アハハハハハ」 最後はもうやけくそである。どう足掻こうが勝ち目のない戦いである。雛田はしゃべってるうちに、自分を囲む無口な男たちが、漫才にウケてくれない厄介な客に思えてきて、やっていることがだんだん虚しくなってきた。 笑い声にも力がこもらない。雛田は清香の横に膝をついた。もう好きにしやがれと思った。 〈……貴様〉 その声が聞こえた時も、声色のあまりの低さに真佐吉のものとは思わなかった。 〈……芸人ごときが、私にケチをつけるんじゃない!〉 その声に含まれる予想外の怒気に、雛田はひえっと叫んで構造物の上に転び、危うくアリーナへ落ちるところだった。 萠黄も目を白黒させた。それまで王様のようにふんぞり返っていた真佐吉が、いきなりキレたのだ。 〈オイッ、萩矢。そのバカ芸人を撃て!〉 居並ぶ男たちが一斉に身体を引いた。皆の目が最前列にいた萩矢の後頭部に注がれる。突然注目を浴びた萩矢は、震える指を自分に向け、 「わ、わたしが撃つんですか……?」 〈そうだ。早くやれ! さもないとどうなるか判ってるだろうな?〉 萩矢はまるで蛇に睨まれたカエルのように硬直し、上着のポケットから黒光りする銃を取り出した。しかしその手は極度に震えていて、到底撃つことなどできそうになかった。 「す、すみません。身体が言うことを聞かなくて……」 〈言い訳はいらん!〉 萩矢は頭の上からシャワーを浴びたかと思えるほど、多量の汗を噴き出していた。構えた銃を雛田に向けようとするも、震えるあまり、指を滑らせ、人工芝の上に落としてしまった。 〈貴様も役立たずか! それなら、六道!〉 ゲッという声を漏らしたのは、これも見覚えのある体育教師風の男だ。 〈六道、いますぐ、萩矢の額を撃つんだ!〉 |
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