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雛田の驚いた様子が、背中からでもよく判った。 〈最初は、WIBAで私の手足となって働いてくれる人間を集める予行演習のつもりだった。言葉だけでどこまで人を動かすことができるのか、試してみたかったのだよ。それでターゲットを長野県民に絞り、メールや電話で煽ってみた。もちろん長野を選んだのには格別の理由はない。そうしたらどうだ、予想以上に彼らは驚きあわて、頼みもしないのに勝手に『長野防衛隊』などという組織を作り始めたではないか。さらに勢い余って、道路にバリケードを設けたり、不審者の摘発まで始めた。いやはや庶民の疑心暗鬼という化け物は一種の可燃物だね。火の粉がひとつ落ちただけで、燎原の火のごとく広がっていく〉 今や、真佐吉は喜々としてしゃべくりまくっている。萠黄は頭痛を感じた。この男には罪悪感というものがない。長野防衛隊がその後、どれだけの騒動を引き起こし、多数の死者や負傷者を出したのか、知らないはずはないだろうに。 〈もうひとつ、聞かせてあげよう〉 萠黄や雛田の呆然とした顔に味を占めたに違いない。真佐吉の口調はますます熱を帯びてきた。 〈ハモリ氏の件だ。萠黄さんは確かファンだったし、雛田さんにとっては業界のトップだ。興味あるだろう? ハモリ氏はテレビの生放送中に自分がリアルであることを、そうとは知らずにカミングアウトした。そのためにハモリ氏はリアルキラーズの急襲を受け、楽屋の中で自殺と見せかけて殺されてしまった。これをご覧〉 スクリーンに再び灯が入り、なんとハモリを正面から捉えた映像が現れた。部屋の照明は暗く、サングラスの彼の顔色は全く読めない。 (これは、まさか……) 萠黄の心を読んだように真佐吉が言い添える。 〈そう、これこそハモリ氏の生前最後の姿だ。どうかね、これほどのお宝映像があるかな?〉 萠黄の全身が粟立った。すると場所はアルタの楽屋ではないか。見たくない、怖い。でも目が離せない。 ハモリは聴き取りにくい声で何ごとかつぶやいている。時々うつむいてはまた顔を上げる。どうやら映像は携帯のカメラによるものらしい。とすると話し相手はPAIだろうか。 《俺、もう自信がないよ……》 これほど打ちしおれたハモリは見たことがない。萠黄は締めつけられる思いがした。 その時、ドアをノックする音がした。ハモリは顔を上げもしない。がさごそと誰かの入ってくる音がする。そして何ものとも知れない声。 《ハモリさんだよな。俺たちはアンタを連れ出しにきた。アンタの身に危険が迫ってる》 〈これは私がハモリ氏の身柄確保のために送り込んだ男たちだ。リアルキラーズが来ることは予想されていたのでね。ところがコイツら、どうしようもない役立たずで、いやはや──〉 真佐吉は吐き捨てるように言った。 ハモリはファンが文句をつけにきたと思ったのか、しきりに頭を下げ、申し訳ありませんと謝るばかりだ。 そして事態は唐突に展開した。かすかな物音がして、ハモリが顔を向けた瞬間、迷彩服が彼の上に覆い被さった。リアルキラーズの襲撃だ。携帯はハモリの手を離れて畳の上に落ちた。パンッという乾いた銃声も聞こえた。 無言の格闘劇はすぐに終わった。迷彩服のひとりが天井の電灯にロープをかけて輪を作り、もうひとりがそこへ気絶したハモリの首を通そうとしている。 萠黄は両手に顔を埋めた。指のあいだから涙がこぼれた。 〈送り込んだ役立たずの片割れが銃で撃たれた。警察に捕まって、あらぬことをしゃべられては面倒なので、別の男を送って始末させたよ。しかし、もう少しでハモリ氏を助けることができたのに──責任を痛感している〉 映像はハモリが天井からぶらさがっているところで終了した。 「真佐吉、この野郎、痛感するところが全然違うだろうが!」雛田は喉も裂けよとばかりに叫んだ。「いつまでも高いところで、くっちゃべってるんじゃねえ。降りてきて姿を見せろ! サシで勝負だ」 萠黄も賛成だった。このままでは元凶である真佐吉を退治できない。目の前に来ないことには、リアルパワーを浴びせることもできない。 (逆に、彼はそれを警戒してるんや……) 案の定、真佐吉は雛田を無視して、 〈会話は終了。そろそろ仕上げにかからせてもらう〉 グイーン。四方から機械音がした。 仕舞い込まれていたアリーナ床の断片がせり出してきた。穴が閉じるつもりだ。萠黄は水のしたたり落ちる髪を手でかき上げ、穴が閉じられるのを、じっと見おろしていた。 滝はもうお終いか? あの程度の水量で爆破装置(兼転送装置)を動かすだけの電力は蓄えられたのか? そんなこと、萠黄などに毛頭判るわけがない。さらにはリアルだ。真佐吉のシナリオでは、自分や生き残っているリアルを、この正二十面体からなる構造物の透明ケースに閉じ込めないとならないのだ。そのために滝を止め、床を元どおりにしたことは想像に難くない。 機械音が止まった。すると今度は空調らしき音がうなり出し、霧が徐々に晴れていく。 萠黄は、自分のリアルパワーが一刻も早く充電完了することを祈らずにはいられなかった。 (もう何があっても、驚いたりせえへん) アリーナを囲む壁の下方が横にスライドした。球場ならばダッグアウトのある辺りである。開いた扉からわらわらと男たちが飛び出してきた。円形劇場にいた連中だ。 萠黄は骨組みから腕を離した。ずっとしがみついていたのでしびれが来ていた。男たちが何らかのアクションを起こすなら、即座に対応する必要がある。場合によっては、またパワー全開で彼らを吹き飛ばさなければ。 「こいつら何だァ、どこから湧いてきた?」 数百人の男たちが、ふたりの周囲、つまり構造物のまわりを取り囲むように集まってくる。彼らを初めて見た雛田は、いきなりの展開に顔面を蒼白にしてパニクっている。 「雛田さん」萠黄は雛田ににじり寄り、その腕を取った。「彼らは真佐吉によって集められた人たちです。このWIBAを思いどおりに動かすために強制労働させられてるんです」 すると雛田は、何だとォと歯茎を見せて激怒した。 「結局は、汚れ仕事を他人にまかせて、自分はいつも高みの見物かい! 結構なご身分だな」 男たちはどの顔も浮かない表情のまま、ひと言もしゃべらない。真佐吉は彼らに何をさせるつもりか? 萠黄は男たちの先頭に、七三分けの顔を見つけた。萩矢である。 出し抜けに真佐吉の声が降ってきた。 〈萠黄さん、人聞きの悪いことは言わないでくれたまえ。念を押すが彼らは皆、自分の意思で私に協力してくれているのだよ。そうだな、萩矢君?〉 萩矢は立ち止まり、天井を仰ぐように顔を上げると、両手を背広の前に揃えて、「はい」と頷いた。萠黄には彼の頬がわずかに痙攣して見えた。 〈では、WIBAにいる他のリアルにも、そろそろご参集いただくとしよう。スクリーンに注目してくれたまえ。萠黄さん、君の親友も映っているよ〉 エッと叫んで見上げた萠黄の目が、長い髪を後ろで留めた女性の姿が映った。 「むんっ!」 |
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