Jamais Vu
-295-

第21章
エンジェルフォール
(12)

 柳瀬は合図とともに、ハシゴを器用に滑り降りた。リアルキラーズ隊員として着用している手袋が役に立った。
 床に降りた彼は、足音を極力たてないよう、摺り足の要領で、二つ目交差点の角まで走った。
「一、二、三、それっ」
 ちょうどその通りの反対側の端を、二階建てバスの形をした監視ロボットが出たところだ。柳瀬は忍者のように腰を沈めて、次の角へと向かう。
 残った三人は、頭上から彼の動きを食い入るように見つめていた。ロボットに予期せぬ動きがあればすぐに教えてやらねばならない。
 柳瀬が最後の角を曲がって、マンホールに取りついた。
「あわてるなよ」
 久保田が声を震わせながらつぶやくと、
「大丈夫です。柳瀬の度胸のよさは業界随一ですから」
 蓋は軽々と開いた。万が一開かないときは、すぐ横の袋小路に身体を入れるよう和久井助手が言い添えていたが、その必要はなかった。
 柳瀬は中に入ると、Vサインをしてみせ、内側から蓋を閉じた。
「それじゃ、次、行かせてもらいます」
 あらかじめ決めておいた順番どおり、二番目に揣摩太郎がハシゴを降りていった。
 彼は柳瀬以上にスムーズな足取りで二つの角を曲がると、全く問題なくマンホールを開け、中に吸い込まれていった。
 三番目は──。
「俺が行かないとダメかな?」
 和久井助手は頷いた。彼女が全体を眺めて、降りていくタイミングを測っている。彼女が先に行ってしまうと、久保田はお手上げなのだ。
「ロボットは二十通りのパターンで動いています。そのどれに当てはまるのか、私でなければ判断できません」
 きっぱりと言われて、久保田も先に降りることだけはしぶしぶ了解したが、
「マンホールのところで俺はあんたを待つ。それが可能なパターンを読んでくれ」
 わずかな間があって、和久井はこくりと頷いた。
 熱気がひっきりなしに噴き上げてくる。すでにふたりの顔は真っ赤だった。あまり長居はしたくない場所である。和久井も久保田も熱に浮かされそうになりながら、必死にロボットの動きを目で追った。
「──行けそうです。準備してください」
 久保田はハシゴをつかんだ。それからまた十分ほどが過ぎた。
「もうすぐです。──あと五、四、三、二、一、ハイ」
 ツーッと久保田の巨体が滑り降りた。手袋が摩擦熱で煙を上げる。どすんと着地するや、脇目もふらずに駆け出した。ひとつ目の角へとひたすら突進する。
 ところが勢いが付きすぎたようだ。角の手前で止まるのを、一、二歩行き過ぎてしまったのだ。
 あわてて身体を引いたが、視界の隅に、横野通りの角を曲がりかけた監視ロボットがぎこちなく停止するのが見えた。
(しまった、どうする?)
 久保田は和久井を見上げた。彼女も事態に気づいたらしい。忙しく目を動かしている。
 合図があった。ひとつ手前の交差点に戻れと言っている。久保田はすぐに踵を返し、さっき通過した交差点を左に折れた。その通りにロボットはいない。
 和久井は指を四つ折って示している。久保田は手を挙げ、四つ目の角へと急いだ。
(あわてるな、あわてるな)
そのまま次の交差点へと進む。角からそっと顔を出すと、彼に気づいたロボットが向こうの角を折れようとしているところだった。
 和久井はゴーサインを出した。久保田は騒々しい音を放っている機械の角を折れ、そのまま突進した。
「あった!」
 右にマンホールが見えた。久保田は急いで蓋に取りつくと、両手で頭の上に丸サインを作った。
 すると和久井は間髪入れずにハシゴに取りつき、すっと機械の陰に入って見えなくなった。
 久保田は蓋を開けようと把手をつかんだが、
(待てよ。俺のミスでロボットたちの動きが変わったりしないか?)
 そう考えると、たちまち不安が広がった。和久井に危険が迫っても、誰も注意を促す者がいない。どうする?
 その時、遥か向こうの角を、久保田がいる通りに入ってこようとするロボットの姿があった。久保田はとっさに判断し、非常時用の袋小路に身体を埋め込んだ。強烈な熱風が首筋に吹き付け、危うく悲鳴を上げそうになった。
(和久井さん、無事にたどり着いてくれ)
 久保田は腰に手を当てた。服を拝借した時にいっしょに奪った銃がある。扱える自信はなかったが、いざとなればぶっ放すしかない。ロボットを破壊すれば真佐吉に侵入が知られるだろう。だがそれも止むなしだ。
 マンホールの上をロボットが通過していく。久保田は袋小路の壁際に身体を押しつけた。背中を高熱がぺろりと舐める。
「うぐぐっ」
 ロボットは右の方向へと消えた。
「たはっ」壁を離れた久保田は、息を喘がせながら、したたる汗を二の腕で拭った。「俺は一生、サウナなんかには入らないぞ」
 するとその時、彼の耳に「ひゃっ」という悲鳴が聞こえた。あわてて耳に手をかざす。悲鳴はそれっきりだったが、明らかに和久井助手の声だった。
「いかんっ」
 久保田は袋小路を這い出し、左右にロボットがいないことを確認すると、腰の銃を抜き、ハシゴのある方角へと駆け出した。
 ひとつ目の角を曲がる。
「うっ、あれは!」
 ウソであってくれと心の中で叫んだ。
 煙のたなびく交差点の角、その床に迷彩服が横たわっていた。


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