Jamais Vu
-291-

第21章
エンジェルフォール
(8)

 むんは「ダメッ」と叫びながら、ナイフの描いた軌跡を目で追った。
 切り裂かれた迷彩服の袖は、旗のように壁際に向かってなびき、わずかな間があって赤い血がほとばしり出た。
「ウウッ」
 悲鳴が上がる。聞きつけた他の隊員が反射的に身体を向けて銃を構える。民間人の仲間たちがわっと頭に手をやる。炎少年の母親が何ごとか喚きながら、あたふたと駆け寄ってくる。
 むんは足許に落ちていた死んだ迷彩服の銃を拾い上げると、持ち帰る間もなく銃把の部分をマジックナイフを叩いた。ナイフは木の葉のようにくるくる回転しながら床の上に落ちた。
「貴様ッ!」
 地上からいっしょに降りてきた生き残りの迷彩服隊員たちが、炎に銃口を突きつけて囲んだ。母親が彼らのあいだを割って入ろうとするが、すぐに突き飛ばされて階段の登り口に倒れた。打ち所が悪かったのか腰を押さえてうめいている。
「シュウさん、大丈夫!?」
 大丈夫なわけはない。飛び散った血の量と、床に垂れた血溜まりが傷口の大きさを物語っている。
「私じゃない!」
「えっ?」
「真崎さん!」シュウは隊長代理を抱えたまま、救護班に連絡を取れと叫んだ。
「──騒ぐな」真崎は右肩を押さえながら苦痛に顔を歪めている。「たいしたことはない」
「そんな──砂状化が始まったら大変です!」
『平気だよ、そのくらいの怪我』
 炎少年の声が車椅子のスピーカーから流れ出た。まるで仕掛けたいたずらに友達がものの見事にはまったような喜びの感情が含まれていた。
『その人は砂になったりしやしないぜ。なあ、リアルのおっさん」
 リアル???
 その場にいた者は、ひとりとして少年の言葉を理解できなかった。むんでさえ「あっ」と叫ぶまでに数秒を要した。
『否定したかったら、おっさんその傷口を見せてみろよ。できないだろ? ハハハハハ』
 少年は笑ったが、他には笑う者はいなかった。
「狂ったか、小僧!」シュウはわめくように言い返した。「そんなワケがないだろう!」
『ところが、あるんだよ』
 吐き捨てるように言うと、少年は車椅子の向きを変えた。そして動けない身体の真後ろにある機械が伸び上がったかと見る間に、小型のビデオカメラが現れた。
 前置きもなく、カメラのスイッチが入り、四角い光が液晶パネルで覆われたグレーの壁面に投影された。
 それは入口ゲートでの五十嵐対曽我部の戦いを収録したビデオ映像だった。
『早送りするぞ』
 画面はチャカチャカと動き、五十嵐が曽我部を斬り捨て、残る迷彩服たちに襲いかかっている場面で、元のスピードに戻った。
 ふいに左手から白く長い物体がフレームインした。むんがシロヘビと呼んだ化け物だ。シロヘビは五十嵐をくわえると上下左右に振り回し始めた。怪物に自由を奪われた五十嵐はそれでもサーベルを化け物の身体に突き立てようと躍起になっている。
 やがてシロヘビは五十嵐を味の抜けたガムのように吐き捨てた。と、炎少年は巻き戻した。そしてある画面に来ると静止し、拡大ズームした。
『ほ〜ら、目ん玉ひんむいて、よっく見やがれ』
 シロヘビが正面を向いている。こうしてじっくり見せられるとヘビというよりウツボに似ているとむんは思い直した。
『化け物の顔だ、といってもアンタらの濁った目じゃ見えやしないだろう。こうしてやるよ』
 言い終えるや、画像のコントラストが上がった。すると画像はわずかな陰影がくっきりと目立つようになり、シロヘビの顔についた無数の皺が浮かび上がった。
『皺じゃない』少年はむんの心を読んだように言うと、『ジイさんのサーベルが付けた傷だ』
 するとビデオカメラの隣りに、また別のビデオカメラが出現した。
 次々と繰り出される装置や映像に、この場にいる者は全員、魂を抜かれたようにひたすら画面を見つめていた。だが二台目のカメラが真崎の顔を画面いっぱいに見せた時、わずかなどよめきが起きた。
『フン、もう気づいたヤツがいるみたいだな』
 言われてからむんもハッとなって両手で口を塞いだ。
 シロヘビと真崎の拡大画像。並べるのもバカバカしい二枚の画像には否定できない共通点があった。
 顔についた傷。
 炎は二台のカメラ軸を回転させ、両方の画像が重なり合うようにした。傷の位置はほぼぴったりと一致した。
「……何の話をしてる?」つぶやいたのはシュウだった。「傷が同じだって? 化け物と隊長代理が? そんなもの偶然に決まってるじゃないか。バカバカしい」
 シュウは真崎の腕の傷をあらためようと手を伸ばした。しかし真崎は身体を傾けてそれを拒んだ。
「隊長代理?」
『これだから大人ってダメなんだ! 先入観ばかり膨らませて、自分の目で見たものを信用しやしない!」
「飛躍しすぎなんよ」むんが助け舟を出した。「もっと順序立てて説明しなさい」
『あ〜あ。直感力の鈍い人間相手はめんどくさいぜ』
 画面が切り替わった。今度は現在のこのフロア、それも砂になった迷彩服隊員たちの倒れているあたりを映した画像だ。
『これじゃ判りにくいや。行列演算を施して、回転して、と』 画像は降りてくる階段から見おろした構図から、真っ直ぐ真上、それも高いところから見おろしたような画像へと変化した。と同時に、床に散乱している迷彩服、本来の意味での隊員服の上に1から順番に番号が付けられた。
『全部で二十四ある。ところがココを見ろ』フロアの少し離れた場所に落ちている砂のかたまりを、指示棒を持つマジックハンドが指し示した。『ここにも遺体があったんだ。ところが服だけがない。どうしてだろね?』
 また唐突に二台目のカメラが別の映像を壁面に投影した。右端にLIVEという文字が見える。
 画面の中央に、少し斜めになっているが、〈渡嘉敷〉の文字が読めた。そして画面は急速ズームアウトした。その名前が書かれていたのは、まさにいま壁に背をもたせかけている真崎の襟裏を映したものだった。
『あれっ、おっさんの本名は〈渡嘉敷〉だったのか?』
 真崎をかばうように折り敷いていたシュウが、カバッと立ち上がった。その目が真崎の襟を覗くと、信じられないものを見るような目付きで訊ねていた。
「……どういうことですか、隊長代理。説明してください」
 真崎はすると、ゆらりと腰を上げた。そしてナイフで切られたほうの腕を上げると、そこには銃が握られていた。
「ハイテク坊やの眼力を軽視した俺のミスだな」
 左手が傷口から離れた。破れた服の隙間から腕の付け根が見えた。驚いたことに、傷口は砂状化もせず、ほとんど消えかけていた。
「危ない!」
 誰かが叫んだのと同時に、銃弾が炎少年の額に向けて発射された。
 しかし銃弾は彼の前に飛び込んできた人物によって遮られた。
「ほのお……」
 胸を真っ赤に染めた母親の身体が、ゆっくりと傾いていった。


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