Jamais Vu
-290-

第21章
エンジェルフォール
(7)

《……溜まりに溜めたリアルパワーを発散させたか》
 真佐吉の声が、明かりの消えた部屋に響き渡った。
《やられたな。見事だと賛辞を贈らせてもらおう。さすがは私の見込んだ娘だけのことはある》
 ぶら下がっていた天井のパネルがはがれ落ち、すでにパネルや建材などで瓦礫の山となっていた床で、ガシャングシャンとけたたましい音を立てた。
《おーい、萠黄さーん、生きてるかね?》
 返事はない。動くものもない。
《しかたがない。彼らに助けに来させるか》
 それっきりラジオのスイッチが切れたように、真佐吉の声はしなくなった。
 しばらくして、隅に落ちた液晶パネルの下でごそごそと動く気配があった。
「けほけほっ」
 萠黄は軽く咳き込むと、またじっと息を殺し、辺りの様子をうかがった。そしておもむろに両腕を広げると、手の平を床に突っ張って、パネルに挟まった身体をぐいと引き抜いた。
 わずかに破壊を免れた照明が間接照明のように萠黄の姿を薄く照らしている。Tシャツもジーンズも真っ白である。砕けた建材などが粉になって萠黄の上に覆い被さったのだ。ぺっぺっと口の中に入った粉を吐く。おそらく髪の毛も真っ白だろう。
(とっさのことやった……)
 Tシャツの前を払って、顔を拭う。ざらざらとした感触が顔面全体に走る。あーたまらなく顔を洗いたい!
 迫ってくる米兵たちがホログラフィ立体映像であることは、吹きつけた空気の塊に倒れなかったことで判った。
(考えてみたら、こんなところに筋骨逞しいアメリカ兵が駐屯してるワケないし)
 冷静になった萠黄は、真佐吉への怒りをエネルギー放出という形で表現したのだった。そう、京都工大の地下でもやってみせた、カゲヒナタのギャグポーズで。
 部屋全体が大揺れした。室内に大竜巻が発生し、液晶パネルをことごとく剥がして吹き飛ばし、床、壁、天井を問わず叩き付けた。結果的にはいくつもの部屋をまたぐような被害を与えたらしい。ひび割れはいたるところに走り、柱は折れ曲がり、天井からはダクトや電線が限りなく垂れ下がっている。
 地震を起こすと同時に、怪我をしないよう身体をエアクッションで包み込んだのは大正解だった。それでも見える範囲で、腕は青痣や擦り傷だらけだったが。
 部屋の隅で水がゴボゴボと泡立っている。潜航艇の潜った海水は本物だったらしい。周囲の岩もわざわざこしらえたものだったが、それ以外は全て液晶に映った平面映像と立体映像。まるでハリウッドのSF映画のようなCGと実写の合成だ。これがUSJのアトラクションならブラボーと叫んであげたろう。
 萠黄は音を立てないよう注意を払いながら出口へと向かった。急いで逃げよう。真佐吉の手下とは出くわしたくない。できれば今は闘いたくないのだ。どこかでゆっくり休息をとりたい。真佐吉の趣味の悪い企みのせいで疲れた心を癒したい。
 思い出しただけでも胸がむかむかする。他人の悲劇は喜劇というが、真佐吉は萠黄がWIBAにたどり着くまでに味わった苦難や苦労をもう一度体験させ、さらには懐かしんでもあまりある我が家を再現して萠黄の心を弱め、激しく揺さぶった。真佐吉はそんな萠黄の様子をどこかで眺めながら、マゾヒスティックな笑いを浮かべていたのだろうか。きっとそうに違いない。
 倒れた壁をいくつも乗り越えて、ようやく進めそうな廊下を見つけた。足音はしない。とりあえず前に進もう。
 心はズタズタ、気持ちはクタクタだが、身体は「爽快」の一語だった。前のときほど腑抜けにならなかったのは慣れたせいだろう。
 ふと萠黄は疑問を感じた。
 地震──WIBAでは適切な表現ではないが──を起こしてエネルギーを発散した萠黄は、リアルとして爆発する臨界点の日がまた先に伸びたことになる。これは、二日後にXデーを控えた真佐吉にとって、非常にマズいことではないのだろうか。たとえ萠黄が真佐吉の手に落ちたとしても、自分だけは爆発しない。それでは都合が悪いのではないか。
(結局、わたしにいやがらせした罰が当たったんやな)
 萠黄は上目遣いで天井に視線をやった。そして痛む膝や腰の辺りをさすりながら、階段を探して歩いていった。

「隊長代理! 真崎さん!」
 頬をはたかれた真崎はうっすらと目を開けて、自分を心配そうに見ている顔を見上げると、
「……シュウか。なぜここにいる」
 シュウはホッとした顔をすぐに引き締めると、
「勝手に持ち場を離れて申し訳ありません。隊長代理の部隊から救援の要請がありましたので」
 西側の大階段。地下四階の手前には広範囲に渡って無惨な光景が広がっていた。点々と、あるいはひとかたまりになって倒れている迷彩服たち。そのほとんどが半分まで砂状化が進行している。シュウに連絡してきた隊員も手首のあった辺りにマイクを落とし、砂となって原形をとどめていなかった。
 真崎を除いて、生存者はひとりもいなかった。
「我が地上部隊は、ほぼ壊滅しました」
「壊滅だと?」
 シュウはその目で見たままを真崎に報告した。白い怪物が登場したくだりになっても真崎は「馬鹿な」とは言わず、最後まで怖いほど鋭いまなざしでシュウの話を聞いていた。
「すると、あれがそうだったのか……。突然、上のフロアから巨大なマシュマロのようなものがせり出してきた。我々は退却する暇もなく飲み込まれた。それきり私は意識を失ってしまった」
 真崎の言うとおりだとすると、隊員たちは、地上で暴れまくったシロヘビが巣に帰ろうとするところを偶然鉢合わせし、踏みつけられて圧死したものと思われる。
「後ろの連中は何だ?」
 真崎が指さす先に、むんや雛田らがいた。その後ろからも続々と仲間たちが階段を降りてくる。
「すみません。私も生き残った隊員たちも、自力でここまでたどり着くことはできず、彼らに力を借りざるを得ませんでした」
 むんが真崎のことなど構わず、階段の手すりに身体を乗り出して、下の階を覗き込んだ。
「怪物は下の階に逃げたみたいやね」
 砕け落ちた壁やぐにゃりと曲がった手すりなど、重たい身体を引きずった跡が随所に残っていて、それが地下深くへと続いている。このまま行けば、再びあの怪物と出会うことになるだろう。
 むんはごくりと唾を飲み込んで、仲間たちの様子を見た。地上に続いて二度目の凄惨な現場に、さすがに臆した表情を浮かべている。それでも彼らの新教祖となった炎少年がハイテク車椅子を階段昇降モードに変形させ、自力で降りてくるのを目の当たりにすると、まるで彼から勇気をもらったように元気な声を掛け合っている。
「いくぞー!」「怪物を倒せー!」
 炎少年は萠黄たちに遅れてようやくフロアに到着した。そのまま次の階段に向かうのかと見ていると、真っ直ぐこちらに進んでくる。その先には真崎を肩を貸して立たせようとしているシュウがいた。
 むんの目に炎少年の車椅子から銀色のマジックハンドが伸びるのが見えた。その先端にキラリと光るものが握られている。ナイフだ!
「ちょっと、あんた何をしようと──」
 わけも判らないまま、少年の行動を制しようとむんは前に出た。それよりも早く、少年のマジックハンドはくの字に折れ曲がった腕を反動をつけて伸ばし、迷彩服の腕を切り裂いた。


[TOP] [ページトップへ]