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-289- 第21章 エンジェルフォール (6) |
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あと少しで上に届くはずの指がつるりと滑り、上半身が泳ぐような格好で宙ぶらりんになった。 「うわわわっ」 「危ない!」 身軽な揣摩太郎の手が、ガシッと久保田の襟首をつかんだ。 「気をつけてくださいよ」 「しょうがないだろ。まさか揺れるとは思わんかったんだから」 彼らは今、長いハシゴを降りている最中だった。 久保田は遥か下を見おろした。モクモクと煙を吐き出す小さな煙突が、まるでミニチュアの工場地帯のように並んでいる。明かりもほとんどなく陰気な眺めは自分まで機械の部品になったような気分にさせる。加えて、騒々しい機械音や蒸気を噴き上げる音が常時鳴り響いていて、このままでは耳が馬鹿になってしまいそうだった。 久保田はうんざりした顔で指で耳の穴をほじくった。 「気を抜くと、また落ちますよ」 今度は和久井助手が大きな声で注意を促した。 「また、って落ちてないですよ」 久保田は口を尖らせて言い返した。 ハシゴは二十メートルほどを降りると、鉄板を水平に張っただけの踊り場があって、また二十メートルのハシゴという繰り返しが延々と続いていた。久保田たちはすでに十数回このリズムで降下してきたのだが、まだ先はその数倍あるようだ。 鉄板に大の字になって転がった久保田は、 「もうダメだ。元来俺は高いところが苦手なんだ」 続いて揣摩、和久井が降り立った。先に到着した柳瀬は、腹這いになって下に向けた双眼鏡を熱心に覗いている。 「久保田さんさ」揣摩が訊ねた。「さっき揺れたとかって言ったよね」 「落ちそうになった言い訳だなんて思わんでくれよ。この鼻の詰まりそうな油の臭いやら、サウナみたいな気温など屁でもないからな。いや、失礼」 久保田は和久井に頭を下げたが、まんざら平気そうでもなかった。 「違いますよ。じつは俺もあの時、WIBA全体が揺れたような気がしたから訊いたんです」 「ワタシも感じたわヨ」 柳瀬が双眼鏡から目を離さずに言うと、和久井も同じくと頷いた。 「なら、実際揺れたんですよ」 揣摩はにっこり微笑むと、両手の平を上に向けたまま、左右に揺さぶってみせた。 「そうか、それならよかった……よくないぞ! ちょっと前、WIBAが動き出したと言ったよな。あの時でさえほとんど揺れは感じなかったのに」 「そう、そこが問題です。さっきも話したとおり、俺はずっとWIBA社長である宝井さんの見張りをやらされてました。だからいろんなことを直に聞けたんだけど、WIBAはハリケーン級の嵐にでも襲われない限り、体感できるような揺れは絶対に起きない。それだけは太鼓判を押すって言ってました」 「そりゃ、頻繁にユラユラしてた日にゃ、怖くて誰も遊びになんか来てくれないわな」 揣摩は胸ポケットから黒い小型パソコンを取り出した。宝井社長所有の一物だ。WIBAの全システムのモニターがこれ一台でできるようになっているという。なぜ揣摩がそんなものを持っているかと言うと、彼曰く「以前、社長がオーナーのホテルでディナーショーをやったことがあって、それ以来の顔見知りだったんだ。それに社長の愛娘がダ・ヴィンチの大ファンだったってことも点数アップの理由かな?」 揣摩は社長を留置施設へ護送する任を真崎隊長代理から直々に受けた。 揣摩と柳瀬は社長をジープに乗せて近江舞子を後にするや、自分の正体と迷彩服に紛れ込んだ事情を打ち明けた。そして身柄を自由にする変わりに、WIBAに誰にも知られず、潜入する方法はないかと訊ねた。その時に譲り受けたのがこの黒い小型パソコンだった。社長はこう言った。『危険は伴うが、排気ダクトをつたっていけば可能だ』と。そこだけは監視システムの〈目〉はないというのだ。 WIBAが、その停泊していた近江舞子から碇を上げ、琵琶湖の中を移動し始めたのを知り得たのも、この小型パソコンのおかげだ。そうでなければ、あの時、ずらりと並んだ煙突が一斉に白い煙を吐き出した理由が判らなかっただろう。 「それで、肝心のさっき感じた揺れの理由は何だい? まさか水上スキーを避けようとしてWIBAが曲がり損ねたなんてんじゃないだろうな」 揣摩は画面を睨んでしばらくウーンとうなっていたが、やがて顔を上げ、 「この十分で報告された異常は一件だけです。地下十五階の〈倉庫〉で急激な圧力上昇が発生したらしく、それが原因で隔壁のいくつかが壊れたようです。海水の浸入も見受けられます。理由として考えられるのは、これぐらいですねえ」 「俺たちが今いるのは何階?」 「ここのレベルは、と──地下七階に相当します」 「まだそんなところなのか! ぬあー」 久保田は大の字になって寝転がった。 「とりあえず」揣摩は立ち上がった。「地下十階まで降りれば、あの煙突群は抜けられます。少しは涼しくなるでしょう」 「その甘い言葉が今の俺を支えている」久保田はどっこいしょと身を起こした。そしてまだ双眼鏡を構えたままの柳瀬に向かって、「正義の戦士、柳瀬よ。行く手を邪魔する者はいないか?」とワザとマジメな口調で話しかけた。 「──いたワ」 「いた?」 「煙突のあいだの通路を動き回ってる。どうやら自走式の監視ロボットのようネ」 「そんな」揣摩は柳瀬から双眼鏡をひったくると、柳瀬の隣りに並んで煙の中にレンズを向けた。 「──本当だ。玩具のバスみたいな形をしてるぞ。社長の話じゃまだ倉庫で眠ってるはずだったんだが」 「真佐吉の野郎だ」久保田が断言した。「真佐吉かその手下が早々と手を打ちやがったんだ」 「いずれにせよ、邪魔立てする奴らは蹴散らすまで!」戦士柳瀬はすっくと立ち上がると、腰に手を当てて決めポーズを作った。「五つの力をひとつに合わせ、世界を守れゴレンジャー!」 「古っ。しかも四人しかいてないし」 ぼそりと和久井が言った。 |
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