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-286- 第21章 エンジェルフォール (3) |
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WIBAは、その一隻の船としての機能を目覚めさせ、琵琶湖の沖合いに向かって出航を開始した。近江舞子の海岸が見る見る小さくなっていく。 引きずられていた桟橋は既に跡形もない。どんな動力なのか、むんには判らなかったが、動き出してみると全く揺れを感じさせないことは、さすがに未来都市だと感心した。 その未来都市は今、伊里江真佐吉によって乗っ取られてしまった。目論んだ通り、リアルを集めるのに成功したので、これ以上の邪魔が入るのを防ぐ意味でもWIBAを動かしたのではないか。いやそれ以上に、これには真佐吉ならではのデモンストレーションが読み取れる。いよいよやるぞというわけだ。 呼び出し音が鳴った。シュウがレシーバーを持ち上げる。 「隊長代理の班からだ。さっきまで通信状況が悪く、つながらなかったのだが……はい、こちら入口ゲート」 《──シュウ副長ですか》 「どうした、何かあったのか?」 相手の声には力がなく、無理してしゃべっている様子がありありとしていた。 《──やられました。我が隊はほぼ全滅です》 シュウの両肩に力が入るのが、端で見ていても判った。 「どうした、何が起こった!?」 《──それが……よく判らないんです。西側の大階段を地下四階に降りたところにいたんですが……急にマシュマロみたいなものが通路を塞ぐように現れて……対処する暇もなく、我が班はその下敷きになってしまい……》 相手は苦しげに咳き込んだ。彼も負傷しているのだ。 「判った! すぐそちらに向かう。待ってろ」 シュウはレシーバーに噛みつくようにして叫ぶと、手を地面について腰を上げようとした。うっとうめいて顔をしかめる。シロヘビに突き飛ばされた際、彼も身体に大きなダメージを被っていたのだ。 「わたしにつかまって」 むんは素早くシュウの腕の下に自分の頭をくぐらせた。 「ま、待て」 「地下に行くんでしょ? ひとりやったら無理よ」 すると、反対側の腕を雛田が取り上げた。 「むんさんひとりでも無理ですよ。私も手伝います」 「おっ、心強いわぁ」 シュウが立ち上がったのを見て、数人の迷彩服が重たい身体を持ち上げた。 「副長、我々も行けます!」 「──河合、武田、浅野、それに葛山か」 集まった迷彩服は総勢五人。援軍と呼ぶにはいささか少数で、どの隊員の姿もボロボロだったが、気合いだけは十分の精鋭たちのようだった。 「我々もついていきます」 後ろからやってきたのは、中村を初め、亡き五十嵐の信奉者たちだった。その中央に炎少年がいる。 《この人たちが力になってくれっていうんで、俺も行くよ。どうせ真佐吉とかいうマッドサイエンティストにも会う用事があるからね》 炎少年もPAIなしのしゃべりが上達したようだ。 むんは頷くと、集まった全員に向き直り、 「皆さん、ここから先は、何が待ち受けているか判りません。いっしょに来るかたは覚悟して」 誰もが気持ちを引き締めた。あの正体不明なシロヘビを思い出せば、緊張しないわけにいかなかった。 ポツポツと足許で水が跳ねた。 たれ込めた黒雲がとうとう泣き出した。雨足はすぐに強くなり、人々を地下の入口へと急がせた。 「落ちてる武器があったら拾ってきて!」 むんは駆けながらも、皆に的確な注意を促した。 萠黄は当たりに油断なく注意しながら、緩やかに下るスロープを歩いていた。 ここまでで気づいたことがいくつかある。まずは気温。階を降りるに従って寒くなるかと思っていたが、一向に温度が変わったという印象はなかった。これだけのフロアを一定の温度に保つのに、どれぐらいの空調設備が働いているのだろうか? 照明についてもそうだ。暗がりというものが存在しない。必ずどこかに蛍光灯や間接光があって、たまに廊下の隅や階段下などに積み置かれた段ボールなどが作る以外、影を見るということがない。 (ものスゴ電気代がかかりそう) いらぬ心配である。 気に入らないのは、萠黄の置かれている状況である。真佐吉はどういうつもりでいるのか? 廊下の壁や天井、そして床までも、そのほとんどに液晶パネルが張り込まれ、敷き詰められている。WIBAが営業を始めたら、広告や行き先案内の文字や絵が踊るのだろうが、今は白いままである。それならそれでいいが、時たま、真佐吉が自分の姿を映すのである。何が鬱陶しいといってこれほど鬱陶しいものはない。 (わたしがどこに逃げようが、常にカメラが見ているぞと言いたいのか) それならすぐにも捕まえればよさそうなものだ。なのに真佐吉はそうしない。萠黄は自分を探す男たちの足音や声が聞こえると、当たり前だが、逃げる。ひたすら逃げる。不案内な地下迷宮を地図も道案内もなしに。 男たちは決して萠黄を追いつめない。萠黄にはそれがわざとのように思えた。必ず逃げ道があるのだ。行き止まりに遭遇しても、少し戻ればまた別方向への廊下がある。 どうやら真佐吉はゲームと称しながら、萠黄をどこかに導きたいらしい。その証拠に、階段にたどり着くと決まって上のほうから追っ手の声が響いてくる。階上には行かせたくないのだ。 いっそリアルパワーで彼らを突き飛ばしてやろうかと思わないでもなかった。そうやって真佐吉の思惑とは違う道筋をたどり、違う場所に行き着いたら、真佐吉はどんな反応を示すだろうか。それでもあの数百人の男たちを総動員して、自分を元のルートへと誘導しようとするだろうか。 萠黄は思っただけでそんなことをするつもりは毛頭なかった。遅かれ早かれ真佐吉とは出会える。その時に真佐吉に主導権を握られないよう、彼の仕組んだ罠に陥るのだけは避けなければ。 ここは真佐吉の城だ。すでに彼の虜になっていると考えれば、今さらくよくよ心配してもしょうがない。 (なるようにしかならへん) てくてく歩きながら、そんなことを考えていると、何十回目かの四つ角に差し掛かった。これまで歩いてきた廊下もそうだったが、延々と壁とそこに取り付けられた扉があるだけで、将来はコンビニになりそうだとか、洋装店のショーウィンドウになりそうだとかいうような場所は皆無だった。今いる四つ角にしても同じで、左に見ても右に目をやっても、これまでと似たような風景が続いているだけだ。もちろん正面も同様に。 ただひとつ、ここまで一度もお目にかかったことのないものが壁に張り付けてあった。行先表示板だ。四つ角の中心に天井からぶら下げられている。 → 奈良 ← エンジェルフォール (『奈良』? 『エンジェルフォール』? 天使の滝って、何それ) 萠黄は左右の廊下を透かすように眺めた。どちらも途中で折れていて先が判らない。 (わざわざ案内するくらいやから、どっちかに進めってメッセージなんやろうけど……どっち行こ?) 腕組みしてひとしきり悩んでいると、前方の廊下から話し声が聞こえてきた。扉ふたつ向こうの左に階段があるらしい。声は上から降りてくるようだ。 萠黄はよしと声に出して、右への道、『奈良』方面に足を向けた。 「奈良の物産展でもやってたりして」 もちろんそんなものがあるとは想像もしていない。きっとこれも罠なのだ。それでも構わない。ただ、何があっても驚かないでいよう。 萠黄は神経を八方に広げながら、廊下を道なりに折れた。 |
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