Jamais Vu
-282-

第20章
最後の対決
(13)

 五十嵐は満身創痍の身体を、気力だけで支えていた。間が取れれば、リアルパワーで癒すことも可能だろうが、集中力を欠く現状では傷の上に傷を重ねるような状況なのだった。
「もう終わりかな」曽我部は唇に這わせた舌を、五十嵐に対してブルブルと振ってみせた。「それなら、とどめを刺してやる」
 曽我部は左右の液晶掲示板に目を走らせて、
「真佐吉ィー! 賭けは貴様の負けだァ。これで、お前が欲しがっているリアルがひとり欠けることになるな」
「そうはいかへん!」
 橋の上から曽我部に待ったをかける声がした。
 むんだった。
 彼女はテレビクルーを従えて五十嵐に接近した。むんが五十嵐の肩に手を置くと、五十嵐は顔を上げ、
「お嬢さんか。私はこれまでのようだ。単独行動をして済まなかったな」
 むんは首を左右に振り、後ろにいるテレビスタッフにお願いしますと言った。言われた男は、持ってきたモニターテレビを五十嵐の前に置くと、どうぞと言った。
〈視聴者の皆様、私はいま京急川崎駅から歩いて十分のところにあります、川崎総合病院のエントランスに来ています〉
 男性レポーターの話に五十嵐は反応した。生気の戻った目が画面に吸い寄せられている。
〈こちらは外科部長の田村先生です〉レポーターは四十がらみの押し出しのいい白衣の男性を紹介した。〈先生、五十嵐寛之君はこちらに入院されていますよね〉
〈ええ〉
 外科部長の顔は心なしか青ざめている。
〈今日が寛之君の手術日だとうかがったのですが、手術は予定どおりおこなわれるのでしょうか?〉
〈はい……そのつもりなのですが〉
と言って、外科部長は病院内にチラと目を走らせた。
〈どうかされましたか?〉
〈……おいでください〉
 外科部長は、レポーターを促して正面扉を開いた。カメラはふたりを追って病院内に入っていく。
「あっ」
 雛田が何かに気づいたらしく、むんの背中を叩いた。
「アレ見て。液晶掲示板!」
 むんが見上げた掲示板には、真佐吉の目の代わりに、小型モニターと同じ画面が映し出されていた。
 レポーターは思い詰めた表情でロビーを進んでいく。
〈映像は申すまでもなく生中継でお送りしております。先生!〉彼は外科部長にマイクを向けた。外科部長の険しい顔が画面に大写しになる。
〈寛之君の声を聞くとはできるでしょうか?〉
〈もちろん。彼はいまこの無菌室の中にいます〉
 そう言って扉を開けた。
 すると真っ先にカメラが捉えたのは、迷彩服の男たちだった。三人いる。
「ああ?」「何だアイツら!?」
 むんの後ろでブーイングが起こった。清潔な病院と迷彩服はあまりにミスマッチだった。
 カメラは迷彩服が制止しようと伸ばした腕をかいくぐり、ガラス張りの壁の中へと急速ズームインした。
 そこでは少年がひとり、ぽつねんとベッドに横たわっていた。
「──寛之」
 五十嵐がつぶやいた。
〈ご覧下さい。数時間後に移植手術を控えた寛之君です。彼は元気です。元気にその時を待っています〉
 最後の言葉は、五十嵐に向けて投げられたもの。むんはそう思った。
〈なのに、この連中はなぜここにいるのでしょう〉カメラはパンすると、迷彩服を下から見上げる格好で捉えた。見方によっては悪意のある撮影方法だ。〈彼らはリアルキラーズの隊員たちです。彼らの任務はリアルを抹殺することです。手術を控えた、いたいけな少年にどんな用があるというのでしょう〉
 レポーターはここぞとばかり、声を張り上げる。
 迷彩服たちは所在なさげに顔を見合わせるばかりだ。
 ここで突然、映像は橋の上に膝をついた五十嵐に切り替わった。
〈こちら、WIBAの桟橋からの中継映像です〉女性レポーターが話し始める。〈こちらが寛之君のおじいさまです。おじいさまはずっと寛之君の手術のことを案じておられました。しかし彼にはどうしても避けて通れない使命があったのです。なぜならおじいさまはリアル≠セからです〉
 むんは目を閉じた。全国のテレビ視聴者はこの中継を観て、どんな思いを抱いてくれるだろう?
 別のカメラが捉えた映像に変わる。曽我部だ。
〈リアル対リアルキラーズ。これは宿命の対決であります。リアルキラーズはここWIBAでリアルたちのやってくるのを手ぐすね引いて待ち構えていました。そんな危険な場所におじいさまはあえて来られた。その理由をこう語っておられます。『寛之を守るためだ。真佐吉を退治して、世界に平和をもたらすと〉
 拍手が湧き上がった。中村たち信奉者だけではない。テレビスタッフだけでもない。いつの間にか喧噪を聞きつけて桟橋のそばまで集まってきた一般市民がすでに千人近くまで膨れ上がっていたのだ。
 橋に乗り切れないそれらの人々が、対岸から津波のように声援を送ってくる。
 曽我部は刀を下げると地面に唾を吐いた。そして携帯を取り出すと、短く命令を下した。「撤退だ」。
 映像は再び病院に戻った。
 携帯を耳にあてている迷彩服が映っている。彼は了解と短く言うと、他の隊員を連れて部屋から退散した。
 また拍手が起こる。
 画面はレポーターと外科部長に移動した。
〈田村先生、最後にもうひとつお教えください。この世界では怪我をすると、身体の砂状化を引き起こします。寛之君の手術は危険なのでは?〉
〈いえ。全く危険はありません。手術はドナーのかたの骨髄液を移植するだけです。これは注射一本で済むことなのです。わずか二十分で済みます。寛之君は明日にも退院できるでしょう〉
 万雷の拍手が桟橋を包んだ。リアルへの一般人の認識が百八十度転換した瞬間だった。むんはそう確信した。


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